ゼロに続く道
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「おや、帰ってきた」
「も、戻ってきたぜ……」
タクシーの羽ばたく音が聞こえてしばらく。警戒の為に迎えに出たムーランドと共に、ペパーが姿を現した。大きなバックパックを背負った彼は、大急ぎで戻ってきたらしい。荷物のせいもあって、カインの出迎えにがっくりと肩を落とした。一緒に寮に向かったはずのセイジの姿が無い様子を見るに、アカデミー前で別れた様だ。
「セイジ先生とは寮の前でお別れしたのかな? 忙しい放課後に時間を取ってもらったからね」
「おう! 正解ちゃんだぜ! ワイフさん待たせてるからって」
「それは大変だ。……さて、ひとまず君の荷物をリビングに置いて。夕飯を食べたら、この共同生活のルールを決めよう」
「ルール?」
首を傾げるペパーに、カインは真面目な顔で頷く。
「寮での生活もルールがあるだろう? それと同じだ。だけど、寮とは違ってここはわたしの自宅だ。生活空間も限られているから、共有する事になる空間も多い。それに何より、マフィティフのお世話についての話もある。大まかな事は先に決めておいた方が、困る事は少ないと思うのだけど」
「先生がそう言うなら……」
特に反論は無い。素直に荷物を置いて、マフィティフの様子を見るペパーに、カインは彼が不在の間に録ったマフィティフのバイタル記録を渡した。
「体温、脈拍も低空だけれど、安定して推移しているよ。君もドクターの対応に疲れただろう。その辺りの話も詳しく聞きたいな。それも夕飯の後……、いや、定時バイタルチェックの後にしようか」
「分かった。……またオレが作るか?」
昨夜のあれこれを思い出しているのか、胡乱げな顔をするペパーに、カインは思わず苦笑いが漏れる。もうあんな失態はしない。
「いいや。さすがに昨日の反省から学んだよ。今日は君が寮に戻っている間にデリバリーを注文したとも。もうすぐ届くはずだから、手を洗っておいで」
「分かったぜ」
カインの指示に頷いて、ペパーが手洗い場に消えて行く。その後ろ姿を見送ったカインが、ポケモン達の食事の用意を始めた。カイン手持ちのポケモンの分、そしてもちろん、マフィティフの点滴だ。
慣れた手付きで用意していたカインの耳が、予想より早く戻ってくる足音を拾った。ちゃんと洗うように、と口を開くより先に、ペパーが困った顔を覗かせる。
「先生……、手洗い場ドコだったっけ?」
「廊下の突き当たりを右に曲がって最初の扉だよ。シャワールームもそこだから覚えておくといいよ。……そうか。家の見取り図も用意しなくては」
脳内にタスクを一つ書き足したカインがポケモン達の食事の用意を終える頃、手を洗い終えたペパーも戻ってきた。普段はランクルスやサーナイトが座る椅子に自分が座り、デスクワークの為に座り心地を整えた椅子にペパーを座らせる。
「よし、じゃあ食べるとしよう。マフィティフも一緒に栄養を摂っているから、君もしっかり食べるんだ」
「うん。……いただきますっ!」
テーブルに並んだ料理を早速口に運ぶペパーは、よほど空腹だったのか凄まじい勢いで皿を空にしていく。
(さすがは成長期……)
食べる元気があるのはいい事だ、と一人で満足気に頷いたカインは、次の注文はもう少し量を増やそうと心に決めた。物足りない顔をするペパーに、口を付けていない部分を千切って渡してやると、彼は一瞬戸惑ったものの素直に受け取って口に運ぶ。あっという間に無くなってしまった。
「素晴らしい食べっぷりだった。君も少しは回復したらしいね」
「……お医者さん待ってる間キンチョーしてて……。昼飯食べてなかったんだ……」
「……なるほど、納得だ」
「あ……。今日だけだから! 次からはこんなに食べないから、飯の心配しなくてもいい!!」
「その辺りも決めないといけないね。食後はコーヒーで構わないかな?」
「い、淹れるぜっ!!」
「わたしの事は寮の管理人だと思ってくれて構わないよ。コーヒーくらいは淹れられるから、座っていなさい」
「……はい……」
食事は終わった。片付けと食後のコーヒーを用意するカインを前に居心地が悪い様で、ペパーは落ち着き無く視線を彷徨わせている。
教師と暮らす事になってしまって緊張しているのだろう。不安を与えない様に、カインは努めて穏やかに話を切り出した。
「……さて。では、奇妙な共同生活を始めるに当たってのルールを決めよう。まず何よりも大切なマフィティフのバイタルチェックについて」
パソコンを開いて、スマホロトムから文字を打ち込む。議題を分かりやすく共有する為だ。
「マフィティフの為の共同生活と言っても過言ではないからね」
「マフィティフのお世話をカンペキちゃんにする為の期間……」
「そう。わたしは牧場の仕事に加えて、アカデミーでも教えている。だから、主に昼間から夜の早い時間帯……、そうだね、朝の十時から夜の八時まではペパーが担当しようか」
「分かったぜ」
「それ以外の時間帯はわたしが担当する。だけど、任せ切りでは教える事にならないからね。わたしが牧場にいる時は、君の担当する時間帯でも一緒にやろう。その時にマットの交換作業に慣れるのが目標だ。……ここまでで質問は?」
次々と出力される文字を追っていたペパーが、水を向けられて目を丸くする。読む事に集中していたらしい彼にもう一度問い掛けると、ペパーは真面目な顔で首を傾げた。
「……マフィティフのバイタルチェックは一時間毎……、って先生言ってたよな?」
「そうだよ。それ以外の時間もフリーという訳じゃ無い。手足のマッサージもしなくてはいけないし、君は課題も出されているしね」
「うっ……。……って、オレが気になるのはそこじゃなくて!」
「うん」
「先生、いつ寝るんだ?」
「────」
予想外過ぎる疑問に、カインは思わず呼吸を忘れた。
自分の前で目を丸くした教師を見て、慌てふためくペパーの様子に冷静さを取り戻したカインは、ゆっくり息を吐き出す。
「……君は優しいんだね」
「だっ……、てよぉ……!」
「うん」
「先生倒れたら、マフィティフのお世話を教えてもらうオレも困るし! ここにいるポケモンだって困るし!!」
「そうだね」
カインが倒れて、真っ先に困るのは預かっているポケモン達だ。それに加えて、これから一週間は課外授業としてペパーも預かる事になったのだ。なおさら体調を崩す訳にはいかない。
「隙間時間に細々と眠るよ。バイタルが安定してきたら、一時間毎が二時間、三時間に伸びていくからね。最終的には朝昼夜の三回の測定になるはずだ。だから、マフィティフの体調に悪化が無ければ、細切れ睡眠は最初の数日だけになる。牧場で体調が急変したポケモンの世話の為に連日徹夜なんてよくある事だから、ペパーは気にしなくていいとも」
「……そんなすぐに眠れるのか?」
「ふふ、わたしにはムシャーナがいてくれるからね。入眠も起床もバッチリだとも」
「……シャアァン?」
「うお」
パルデアにいないポケモンを目に刷る度、ペパーは驚きの声を上げる。その反応を大して気にした様子も無く、ムシャーナはあくびをした。
ムシャーナは、こうしてほとんどの時間を微睡んで過ごしているのだ。半分夢を見たままカインの膝に乗ろうとしてくるので、無言でテーブルの上に乗せる。今はまだ共に寝る時では無い。
「さて、他に疑問が無ければ次に行くけれど」
「とりあえず、大丈夫ちゃんだぜ」
「グッド。次は食事についてだ」
「メシかぁ……。オレが作れば良いのか?」
当たり前のように自分が作るものだと思っているらしいペパーの言葉に、カインは慌てて首を振った。
「うん……? 君は料理が得意だと見受けられるけれど、その時間を課題に当てた方が良いのではないかな? もちろん、気分転換に料理をするのは構わない。でも、それを役目にしてしまうと、今回の"課外授業"の趣旨とはズレてしまうと思うよ?」
「でもせんせ、料理するの苦手ちゃんだろ?」
「それは否定しないよ。主にデリバリーサービスを使う事になるだろう」
「その金はどうするんだよ」
「ペパーが気にしているのはそこなんだね。君が気にする事ではないよ」
「…………」
カインの言葉に、ペパーがあからさまに不満げな顔をした。
「何度も言うけれど、これは課外授業。それに掛かった経費は、後日まとめて精算する事になる。君は既に学費を払っているのだから、法外な金額でない限り君へ追加請求は無いよ」
「……ちゃんと説明してくれるんだな」
「説明不足はトラブルの元だからね。わたしの出身地方は、その手のトラブルが多いんだ」
分かるだろう、と説明を省いて大変な事になった事例は、カインも噂でいくつか聞いた事がある。たいていは説明が無い方が悪い、となるのだから、カインも丁寧な説明を心掛ける様になったのだ。
閑話休題。
「話を戻すよ。朝食と夕食は一緒に食べよう。夕食はこの時間帯。朝は牧場の仕事に目処がつく七時」
「無理に合わせなくても、オレは一人でも食べられるぜ?」
子供じゃないんだ、と言うペパーに、喉元まで「子供だよ」、と言い掛けて何とか飲み込む。事実、ペパーはまだ子供ではあるが、それは一緒に食事をする提案をした理由ではない。
「担当していた時間帯のバイタルを報告し合う為に、だよ。時間は限られている。有効活用しなくては」
「あ、そっか……。先生、アカデミーにも行かなきゃだもんな。……分かった」
「一人で食べたかったのならすまない。代わりと言っては何だけれど、食べたい物や好物を教えてくれれば、それを取り入れてオーダーするよ」
「急に言われてもなぁ……。特にこだわりは無いぜ」
「わたしも特にこだわりが無い。……よし、明日考えよう」
食事のメニューは、今考える事では無い。そう判断したカインが話を切り上げる。まだ決めなくてはならないルールは残っているのだ。
「ひとまず大きなルールは次で最後だ。眠る場所について」
「寝る場所……」
「どうする? マフィティフの傍がいいかい?」
「当たり前ちゃんだぜ!」
カインが言い終わる前に、ペパーが大きく頷く。予想していた答えだ。
「分かった。ではわたしは隣の部屋にいよう。寝袋にするかい? それとも……」
「え、何でだ? オレが寝たら、マフィティフ一人になるのに……」
ペパーの疑問に、カインは文字を打つ手を止める。パソコンではなく正面から向き合うカインの様子に、ペパーも思わず姿勢を正した。
「ペパー、いいかい? 真面目な話だ」
「……お、おぅ」
「昨夜は緊急事態だったから同じ部屋にいたけれど、わたしの立場で生徒である君と同じ部屋で寝る事は出来ないんだよ。本来なら、今回の共同生活自体許される事じゃないんだ」
「そうなのか……?」
「そうだよ。わたしは君の家族でも親族でもなければ、保護者でもない。一介の教師と生徒というだけの他人だ。冷たい様だけれど、その一線は超えてはいけないんだ」
カインにとって、ペパーは守るべき子供である。本来発生しない無用なトラブルからペパーを守る為だと明確な線を引いたカインの言葉を、ペパーは彼なりに解釈していく。
「……なるほど? ん? じゃあホントならオレがマフィティフの隣の部屋で寝るべきだった……?」
「本当ならね。パートナーが心配で離れたくない気持ちも理解できるから、無理にそんな事は言わないけれど。マフィティフと同じ部屋で寝てくれて構わない。けれど、寝ている時に部屋に入る事になる。わたしが入る時は、君と二人きりにならない様にポケモンと一緒に入るから安心して欲しい」
「あん、しん……?」
タネマシンガンの様に喋るカインに、不意打ちを受けたマメパトに似た顔で硬直するペパー。彼を安心させようと、カインは更に言葉を並べ立てた。
「最初は、君のプライベートを守れるように事務仕事用に誂えた部屋をペパーの仮部屋に当てようと思っていたんだ。少し部屋を片付けて、わたしの仕事に使う機材を移動させてね。けれど、マフィティフが眠るストレッチャーを頻繁に移動させるのは彼の負担になると思っていたから、むしろマフィティフの為にも助かるよ。代わりに、パーテーションと仕事用の椅子とテーブルをこちらに用意する。狭くなってしまうけれど、最低限のプライベートは確保出来るはずだ」
少し落ち着かないだろうけれど、と苦笑いを浮かべたカインに、ペパーは困惑した様子だ。
「ぅおぉ……? 何でそこまでやるんだ?」
「うーん? 何故って……、それがわたしの仕事だからだよ。相手にとって、いい環境を整える。ポケモンだったならパルデアに馴染んで貰うため。ペパーの場合は、マフィティフのお世話に必要な事をしっかり学んでもらう為。そこに何の違いもありはしないよ」
「…………そっか……」
もちろん、大人として傷付いた子供を一人には出来ないという理由もあるが。
カインにとっては、牧場で預かるポケモンの延長線上にペパーがいる様なものだ。特に気負う事も無く彼に笑いかける。
眠る際には、昨夜使った寝袋とマットをそのまま使う事で話がまとまる頃には、カインが用意したコーヒーはすっかり冷たくなっていた。
「他に聞きたい事は?」
「……今は大丈夫ちゃんだぜ!」
「グッド。では、改めて。今日から一週間よろしく頼むよ」
手を差し出したカインに、ペパーがぎこちなく握り返す。
「よ、よろしくお願いします!!」
若干裏返った声に、カインは落ち着かせる様にその手を両手で包み込んだ。