常闇の光
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「弥槻、火を使った事はあるか?」
流し台で魚を洗ったシュヴァーンは、庭に目を向ける。視線の先には、シュヴァーンが拾ってきた石を円形に並べる弥槻の姿があった。
「無いです。火は燃えます」
「そうだな。火は燃える物だ。だが、上手く使えればそう悪い物でもない」
「…………」
シュヴァーンの言葉に、弥槻が顔を顰めたのが夕闇の中でも見える。そんな反応をされる理由をシュヴァーンが知る由もない為、ひとまず木の枝を口から突き刺す処理を終えた魚と共に庭に降りた。
「……これは?」
「弥槻の言葉を借りるのならば、泥棒してきた魚だ」
フホーシンニュー。聞き取りの結果、どうやら法を犯して侵入する犯罪の様だ。シュヴァーンにこの世界の法が効力を発揮するかは分からないが、元の世界に帰るためだ。やむを得ない。
「生で食べられるかは分からないし、毒があるかも知れない。ひとまず俺が毒味する。弥槻は少し待っていてくれ」
「はい」
こくん、と素直に頷いた弥槻の前で、シュヴァーンは拾ってきた枯れ草を広げた。石で作った円の中心付近を狙って、これまた川辺で拾ってきた硬い石を使って火花を発生させる。
カツン、カツンっ! 試みる事数回。狙い通り散った火花が枯れ草に火を点した。
「火事です」
「火事じゃない。これが火種だ」
弥槻の言葉に思わず首を振る。火に対して忌避感があるのか、シュヴァーンの背中に回ってしまった彼女を尻目に、ほぅ、と息を吹き掛けて火を大きくした。
「練習すれば、弥槻も火を起こせる様になるはずだ。魚が獲れれば、焼いて食べる事も出来る」
「…………」
「……弥槻?」
どうした、と問い掛けるよりも先に、弥槻は既に"火"とは言えない大きさになった炎を前に、無言でシュヴァーンのシャツを握り締める。怪訝な顔をして振り返ると、彼女は少しずつ後退りしていくではないか。
「……炎が怖いのか?」
もしや、と思って問い掛けると、弥槻はシュヴァーンの声に驚いた様に瞬きをした。どこか遠い所にあった意識が戻ってきたかの様な反応に、シュヴァーンは思考を巡らせる。
火は必要だ。暖を取る意味でも、調理の為にも。しかし、肝心の弥槻がこの調子では、火の扱いを教えるのも苦労するだろう。
「……弥槻」
「はっ、はい……」
逃げ腰になっている弥槻にもう一度声を掛けると、彼女は炎から目を逸らさないまま返事をした。
「……この石の囲いから炎が出ない内は、火事じゃない。すぐに消せる」
「……私は最後でいいです」
「…………」
会話が成立していない。と言うよりも、どうやらシュヴァーンの言葉が聞こえていない様子だ。
(……炎に怯える様子……。最後で良いと言う言葉……)
嫌な予想がシュヴァーンの脳裏に過る。
一度火事に巻き込まれた経験があるのではないか。仮にそうならば、炎に対する異様な警戒心も納得だ。
それと同時に、二人で生きる為には炎を使わなくてはならないのだ。弥槻一人だったのならば、これまで通り死なない程度の生活は出来るのだろう。シュヴァーンの分だけを調理するにしても、毎回これでは調理のしようが無い。家の奥に引っ込んでもらうにしても、草木を燃やす以上煙が嗅覚を刺激する。嗅覚から呼び起こされる記憶もあるはずだ。
「弥槻」
しばらく考えていたシュヴァーンは、背中に貼り付く弥槻を引き剥がす。
すっかり暗くなった庭で、パチパチと爆ぜる炎を前にした弥槻が再びシュヴァーンの背中に回ろうとするより早く、その身体を炎の前に座らせた。
「っ、……!」
「ここで座っていると良い」
はくはくと声にならない助けを求める弥槻だが、シュヴァーンに言われた通り炎の前から動かない。シュヴァーンが言うのなら、と考えているのか、それとも混乱して逃げるという判断も出来ないのか。
前者である事を期待しながら、シュヴァーンは慣れた手付きで魚を火に掛けた。
「火が怖いのか」
「…………」
答えは無い。無言のまま座り込んでいる弥槻を一瞥して、シュヴァーンは淡々と続けた。
「この程度の炎ならば、水で簡単に消せる。水を用意するから、消す時は弥槻に頼む」
「なん、で……、ですか」
「消せると分かれば怖くは無くなる。魔物も倒せる様になれば、恐怖は薄まる道理と同じだな。もちろん、油断は禁物だが」
騎士として魔物を討伐する経験も、誰しも初めての時がある。弥槻にとって、その相手が魔物ではなく火の取り扱いになるという訳だ。
「火を使える様になれば、出来る事が増える。燃え広がる事が心配ならば、石でも組んで竈を作れば良い」
「どうして、そんなこと……」
困惑している様子の弥槻に、シュヴァーンも何故だろうな、と疑問を返した。
「弥槻が火を使えなくても、俺は別に困らない」
「…………」
「ただ……、わさわさした物を食うと聞いて正直な所寒気がした。少なくとも、俺がいる間はそんな物を食う生活をしたくない」
「確かに食べにくいです」
「だから、弥槻が怖くない火の大きさを探そう。……どうだ?」
「シュヴァーンさんがいるなら……、がんばります……」
自信は無さそうだが、ひとまず頑張ってみようという気にはなった様だ。しかし、シュヴァーンは弥槻の言葉に内心頭を抱えたくなった。
(ずっと一緒にいられるはずが無いのに)
期間限定の同居。シュヴァーンはテルカ・リュミレースに帰らなければならないのだ。……この廃墟同然の家に弥槻を一人残して。
「頑張るという気概を持つ事は、生きている人間には大切だからな」
シュヴァーンがいるなら、という言葉を聞かなかった事にして、シュヴァーンは頷いた。同時に、"自分は頑張れない"という自嘲も含んでしまった事にも気付いていた。
*
*
「焼けはしたな……」
その後。炎と睨み合う弥槻を横目に、焚き火で魚を焼き上げたシュヴァーンは、魚を手に取った。
味付けも何も無い。素焼きの魚だ。丸焼きにしたお陰か、魚が縮まなかったのは幸いだろう。
問題は可食部があるかどうか、そして毒の有無だ。
「…………」
意を決してまずは軽く一口齧る。その途端、シュヴァーンの鼻を泥臭さが突き刺さった。
「泥くさっ……」
思わず顔を顰める。味は淡白だが、味付けをしていないせいで泥の臭いしか印象に残らない。食べられない事は無いが、好んで食べようとは思えない味だ。
「毒は無さそうだ。……食べても問題無いだろう」
弥槻には、少し小振りな魚を渡してやる。渡されたそのまま動かなくなった弥槻は、シュヴァーンが食べる様子をじっと見ている。
「ぁぐっ……」
(……なるほど、食べ方が分からなかったのか)
シュヴァーンの真似をして、魚に齧り付いた。そのままもぐもぐと咀嚼を始めた弥槻の口から、魚を食べているとは思えない音が聞こえてくる。
バキッ、ゴシャッ。もしや、弥槻に渡した魚は実は可食部が無く骨ばかりだったのか、とシュヴァーンが驚く傍ら、彼女はべろりと口の中の物を吐き出した。
「ふぁえあえぁひぇん……」
「血塗れ……!? 見せてみろ」
慌てて弥槻の口を覗く。炎が照らすだけの暗がりでは小さな口の中はよく見えないが、炎に照らされているだけでは説明が付かない程に口の周りが赤くなっている。酷く傷付いた咥内の血が、弥槻の顔まで汚しているのだ。衣服に血が付く事を恐れてか、口を抑えて頭を振る彼女の顔に手を翳す。
「っ!!」
「……ファーストエイド」
ぽぉ、と治癒術の金色の光が灯った。魔術を使うと、シュヴァーンの身体に負担が掛かると分かっていても、そんな事は構っていられない。
殴られると思ったのか、防御姿勢を取った弥槻から一歩離れて、シュヴァーンは痛みの有無を訪ねた。
「弥槻。まだ痛むか?」
「……っ、……。……あぇ、痛くない……?」
「……なるほど」
その返事に頷いて、シュヴァーンは咥内の痛みが引いた事を疑問に思っている弥槻の足元に転がっている魚を手に取った。
文字通り、齧り取られている。シュヴァーンの真似をして魚に齧り付いた弥槻は、しかしシュヴァーンのそれと違って身だけを口の中に入れるという事をしなかったらしい。その結果、骨が容赦無く咥内を傷付けたという訳だ。
思い出してみれば、密閉された金属の中に入っていた鯖味噌は、骨まで食べられる様に調理されていた。それしか知らない弥槻は、魚は全てそういう物だと思っていてもおかしくない。
「弥槻、良く聞け。こういう調理をした魚の骨は食べない。俺が知らないだけで食べられる種類もいるかも知れないが、基本的に食べない。骨は残す。」
「食べない……!?」
衝撃を受けた様子の弥槻に、シュヴァーンは改めて魚の食べ方を教える。
歯が骨に当たったら、それ以上歯を立てない。骨は口から出す。当たり前の食べ方をシュヴァーンに教えられた弥槻は再度魚に挑んだ。
余談ではあるが。その際、弥槻自身が先程地面に落とした食い止しに手を伸ばしたので、シュヴァーンは新しい魚を渡した。弥槻の血が滲んだ食い止しは、次の狩りに使う罠の餌に使えるだろうと思ったのだ。
「…………」
「どうだ。食べられそうか?」
シュヴァーンが食べた魚は泥の臭いが強かったが。教えた通りに魚を口にした弥槻は、特に表情を変える事なく二口目に齧り付いた。
咀嚼して、嚥下して、また齧り付く。それを数回繰り返す間、弥槻は一切喋らなかった。
「……美味かったか?」
「……味がしなかったです」
「……まあ、調味料を使っていないからな。臭いは気にならなかったか?」
「何も思いません」
「んん……、そうか……」
そうだった。弥槻は人と話す事をしない生き方を強いられている。感想を求める事が間違っているのかも知れない。ひとまず、完食できただけ良しとするしか無いだろう。
そう自分に言い聞かせて、シュヴァーンは僅かに残った身を啜っている弥槻の前に、鍋に入れた水を置いた。
「……火を消してみろ」
「……こんなので消えるんですか?」
「炎の大きさで必要な水は変わるがな。この程度の焚き火ならば、この鍋一つで事足りる」
「…………」
シュヴァーンの言葉に、弥槻は鍋の取手を握り締めた。
助けを求める様な視線に気付かない振りをして、シュヴァーンはその小さな肩を炎に向けて押し出す。抵抗するかの様に身体が強張ったが、次の瞬間大人しく足を炎へと踏み出した。
「この辺りで良い。あまり近付くと、次は弥槻が焼かれる」
「は、はい……」
「炎の上から掛けるんじゃない。足元を狙うんだ」
恐る恐る。弥槻が鍋を傾けると、炎が抵抗する様に僅かに大きくなった。風の流れでそうなっただけなのだが、弥槻にとっては炎が暴れ出した様に感じたのだろう。
「ひっ、ぅ……!?」
喉の奥から引き攣った悲鳴が漏れ出した。
ばしゃっ。狙いがずれて、炎の頭から水を掛ける事になってしまった。しかし、魚を焼く程度の小さな焚き火には効果がある。
僅かな残り火も、シュヴァーンが足で踏み付けるとすぐに消え去った。残ったのは、空に薄く立ち昇る煙だけだ。
「どうだ? 消せる大きさの炎でも怖いか?」
「……シュヴァーンさんがいるならがんばります……」
先程と同じ回答に、シュヴァーンは再び頭を抱える。
「……まぁ、火の扱いは俺がいる間だけだろうしな……」
呻き声とも言えるシュヴァーンの言葉に、弥槻は怪訝そうな顔で首を傾げるだけだった。