常闇の光
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(……結界が無い)
それが、家の外に出て空を見たシュヴァーンがまず最初に抱いた感想だった。
弥槻の言葉から魔物がいない事は分かっていたが、それでも実際己の目で魔物から身を守る結界が無い風景を見るまで信じられないでいた。
家からほど近い山に足を伸ばし、木の上に登ってもそれは同じ。目を凝らした先に見えるのはまばらな民家。時たま、馬が引いていない馬車が遠くを走っているのが見えるだけ。
エアルも存在しないせいか、今はとても呼吸が楽だ。
「……いよいよ異世界、という訳か」
世界を超えるくらいなら、いっその事終わりにしてくれればよかったものを。そんな恨み言を呟いて、シュヴァーンは樹上から足音も立てずに降りた。
何はともかく、食を確保しなくてはならない。魚がいる様な川があればいいのだが。
「きのこ。……いや、毒があっても俺は治せないから却下。……鳥……。"俺"は弓を持っていないから却下。そもそも弥槻に教える事を前提にしていない……。……ん?」
探索しながら、食料になりそうな物を探していたシュヴァーンの耳が大きな足音を拾った。そちらに意識を向けると、なるほどそれなりの大きさの生き物の気配を感じる。
「魔物がいなくたって、他にも大きな生き物はいるか……」
どんな生き物なのだろう。食べられる様な生き物なら良いのだが。
再び木に登ったシュヴァーンが目を凝らすと、サイノッサスに似た牙を持った生き物が鼻息も荒く木の根本を掘り起こしている。
サイノッサスの様にたてがみは無く一周り小さいが、あの牙を丸腰で相手にするには危険だ。
「……得物を持ってくるべきだったな……」
川よりも先に、狩りをする事になるとは。
簡単に周辺の探索をして、釣りが出来るような川を見付け次第すぐに戻るつもりだったシュヴァーンは丸腰だった。
しかし、肉だ。テルカ・リュミレースでも、サイノッサスを倒した際にポークが手に入る事がある。似た生き物ならば、もしかしたら食べられるのでは考えてしまう。
何せ、先ほど食べた食事は、あまりにも少なかった。腹を満たすには程遠い量を弥槻と分け合ったシュヴァーンは、腹が減っていた。
「──風よ起これ、ウインドカッター。なーんて……」
エアルが無い世界で魔術の詠唱をしたところで、何が起こるはずも無い。サイノッサス擬きが立ち去るまでのほんの暇つぶしを兼ねた、狩りの真似事のつもりだったのだが。
ヒュンっ、と風を切る音が聞こえた。直後、どさりと倒れる音がする。
「……え」
筋肉が最期の収縮をしているのか、何度か身体を震わせた後、しばらく待っても起き上がる様子が無い。それを見て、シュヴァーンはそっとサイノッサス擬きに近付いた。息絶えているが、魔物の様にエアルに還る様子は無い。
「いや、弱過ぎないか?」
急所に当たったならまだしも、ウインドカッターは初級魔術だ。魔物を一撃で倒せる様な威力ではない。
そもそもの話、エアルが無いこの世界で魔術が発動するのもおかしな話だ。疑問はあるが、ひとまず肉が手に入った事に安堵したシュヴァーンは、不意に気が遠くなる。
倒れる事は無かったが、よろめいたと同時に心臓が慌てて働き出すのを感じた。
「──は」
生命力を持って行かれた。いや、常から生命力を使っている事は自覚していた。だが、初級魔術程度で立ちくらみが起きる事など今まで経験した事が無い。
(……なるほど、普段は周囲のエアルも使っているのか)
正真正銘、自分の力だけで戦うとこのザマ、という事らしい。無理を通せば、持ち主の手に戻るより前に壊れてしまうだろう。勝手に壊れる事は許可されていない。シュヴァーンは、テルカ・リュミレースへ帰らなければいけないのだ。
「……しかし……、持ち帰るにしたって血抜き程度はしなければ、貴重な服が汚れるな……」
立ちくらみも落ち着いてきた。目の前の獲物に意識を切り替えたシュヴァーンは眉間を揉む。
弥槻が用意して、着用しているサイズの服が何枚もあるとは思えない。恥じらいは無いが、自分が見たくない物を隠す為にも衣服は大切にしなくては。
「……血抜き……。どうやるんだ……?」
騎士であるシュヴァーンは、もちろん屠殺などやった事が無い。
「……向こうの聞き齧りでも、やらないよりは良いだろう」
そう呟いたシュヴァーンは、夕暮れの街に立ち返る。幸福の市場に入ったばかりの新入りが、社長と共に物の目利きの為に屠殺現場の視察に行った話をしていた事があった。その記憶を拝借する事にした。
「……確か、川に漬けるんだったか」
一晩川の水に漬ける。血と一緒に獣臭さも抜く方法。血の臭いに魔物が寄ってくる為に、危険と隣り合わせの作業だ。
「……なるほど、結局川探しに戻ってくる訳か……」
せっかくの肉だが、川を探している間背負う訳にもいかない。だからと言って、不慣れな森でこの場所に戻って来れる自信も無い。
「……仕方ない。少なくとも、魔術が使える収穫はあった」
対価はあるが、日に何度も使わなければ問題は無いだろう。
そう結論付けたシュヴァーンは、残して行く肉に後ろ髪を引かれながらも探索を再開させた。
*
*
「…………。戻った」
目に馴染んだ夕暮れの時間。帰宅を告げたシュヴァーンに答える声は無い。
普段ならばそれが当たり前だが、今は事情が違う。家主がいるはずだ。その家主には、帰宅の報告に応える習慣が無いのだろう、と判断したシュヴァーンはそのまま家の中に足を踏み入れる。
「弥槻」
家主の名を呼びながら、風ですくい上げた川魚を台所に置いて慣れない家を歩き回る。まだ暗くなっていない。この時間に食事をして眠ると言っていたから、その時間までにはと戻って来たのだが。
「弥槻? ……まさか、もう寝たのか?」
採ってきた魚は、シュヴァーンが一人で食べても構わない量ではあるのだが。本来、弥槻一人分の朝食をシュヴァーンと二人で分けたのだから、何も考えずに同じ対応をするべきだと行動していた。
「……これは……」
薄暗い家の片隅で、ぼんやりと白い頭髪が浮かび上がる。弥槻が丸くなって眠っているのだと理解して、シュヴァーンはやれやれとため息を吐いた。
「寝ると言っていた時間にはまだ早……、ん?」
丸まっている弥槻が、シュヴァーンが外出の際に置いてきた鎧を抱きかかえている。薄暗い部屋でよく見えないが、緋色の剣は見当たらない。
「……弥槻、起きろ。剣はどこに隠した? 鎧も返してくれ」
「うぅ……?」
弥槻の小さな肩を揺らす。金属で造られている鎧を抱きかかえて眠るなんて、冷たいだろうに。シュヴァーン達騎士とて眠る時は鎧を外すのだから、弥槻がわざわざ冷たい思いをする必要は無いのだ。
「あれ……? シュヴァーンさんいる……」
「帰ってきた」
「……そうですか……」
やはり帰宅を出迎える習慣は無いらしい。シュヴァーンの報告に、ぼんやりと返事をする弥槻は、抱えていた鎧をシュヴァーンに差し出した。
「シュヴァーンさん、気付いたらいなくなってたので、無くしたら困ると思いました。隠しました。これは……、持ってたらシュヴァーンさん困って帰ってくるかなって思いました」
弥槻の中では、シュヴァーンが急にいなくなった事になっているらしい。集中していた弥槻に声を掛けたのだが、やはり気付かなかった様だ。
「ここを拠点にさせてもらったからな。帰ってくるとも」
「……そですか……」
「だから、剣はどこに隠したんだ?」
「ここです」
鎧を抱えたまま、弥槻は近くにある扉を開けた。真っ暗な空間が広がっている。その中に頭を突っ込むと、ボロボロの布団を引っ張り出した。
「これです」
「……」
「隠しました」
布団に緋色の剣が布団に包んであった。無くしたら困る、という配慮は理解できるが、なぜ布団に隠すのか甚だ疑問ではある。
「ここが一番安全です。丸くなれば、叩かれても痛くないです」
「……弥槻にとって、一番安全な所に隠してくれたんだな?」
「はい」
なるほど。自分の経験した中で一番の安全地帯に隠してくれたらしい。
「使わない時はここに隠しておこう。礼を言う、弥槻」
「れい……? れい……」
「弥槻が礼を言うんじゃなく……、俺が、弥槻に、礼を言うんだ」
「……?」
「難しいな……」
これはコミュニケーションに難儀しそうだ。出来るだけ噛み砕いた言葉遣いを決意して、シュヴァーンは剣を収納棚に戻す。
「魚を手に入れてきた。焼いて食べよう」
「火がありません」
「心配無い。着火材になりそうな枝も見繕って……、拾ってきた」
「拾って……? シュヴァーンさん、どこに行ってきたんですか?」
「山だが」
「フホーシンニューです」
「ふほ……、何だって?」
ここで、シュヴァーンはこの世界のルールを知る事になる。
「山、誰かの持ち物です。シュヴァーンさん、泥棒ということに……」
「山に持ち主がいるのか!?」
「っ!?」
「す、すまない。大声を出した……」
まさか、山に持ち主がいるとは。村や街を統治する役目はあるが、だからと言って持ち主という訳でもない。
「……本当に?」
「全部誰かの持ち物です。国だったり……、人だったり……。誰の持ち物かはよく分かりません」
「そうか……」
異世界に来た当日に、うっかり犯罪者になってしまった。
シュヴァーンがただの人間相手に発見される様なヘマをする事は無いだろうが、弥槻に教える事はよく精査しなければならない。シュヴァーンがいない時に、うっかり家主が捕まってしまっては困る。
「……飯を食ってから考えよう」
シュヴァーンの独り言に、弥槻に代わって彼女の腹の虫が返事をした。