常闇の光
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「……シュヴァーンさんって、外人さんなのにお箸使うの上手ですね」
「……? よく分からんが、箸くらいは普通に使うだろう?」
宇宙人からガイジン。弥槻からシュヴァーンへの呼称が変わった。宇宙から少しは距離が縮まったのだろうか、と彼女の思惑を探るシュヴァーンの様子に、彼女は無表情のまま首を傾げる。
「そうですか?」
「もちろん食事によってナイフとフォークを使ったりするが。そう言う弥槻がまともに箸を握れていないな?」
「……困りません」
そう、首を傾げる弥槻の手は、拳が握られている。その拳で箸を握り締めているのだ。缶から出したさば味噌を箸で突き刺し、温めた白飯はその器のまま口に直接掻き込んでいる。
シュヴァーンの箸使いと自分のそれを比較して、肩を落としているのだ。これまで、そんな事すら教えてもらえなかったのだろう。
(だから何だ、という話ではあるが)
弥槻が箸を使えなかろうが、シュヴァーンには何の問題もない。テルカ・リュミレースに帰るまでの一時的な同居人に過ぎないのだから。シュヴァーンが帰ればそれで終わりの関係だ。
しかし、その関係を円滑にする為にはこちらも何かを差し出す必要がある。弥槻は家を、シュヴァーンが提供できるのは、騎士団で、そしてもう一つの立場で培った生活の術だ。
「そうだな……。家を提供してもらう代わりに、俺が教えられる事なら教えよう。例えば箸の使い方だったり、……近くに川があるのなら釣りでも良いだろう。自活の術を教える、というのはどうだ?」
「ジカツ……?」
「自分で生きる技術だ」
「自活、と言われても……。お箸も特に今困ってません
「だろうな。しかし、箸は俺のように使えた方が良い。突き刺して食べると服が汚れる。汚れた物を洗うのは手間だろう?」
「……シュヴァーンさんが、そう言う、なら……」
シュヴァーンの言葉に、弥槻がぎこちなく頷いた。これで、円滑な関係を築く第一歩が始まった。
どのくらいの期間を彼女と同じ屋根の下で暮らすことになるかは分からないが、コミュニケーションを増やせばこの世界とテルカ・リュミレースとの繋がりも見えてくるかもしれない。
「では、食事を済ませたら始めよう。……それとも、弥槻にはやるべき事があるのか?」
「無いです。ご飯を食べたらお掃除をして、お腹が空いたらお水を飲んで、教科書を読んで、暗くなってきたらご飯を食べて寝ます」
「んんん……、そう、か……」
無いです、と言った直後に予定を告げられた。人付き合いが無いだろう彼女との会話は、少し骨が折れる。
曰く、昼食は食べていないようだ。食べていないと言うよりも、餓死しない程度の食料しか無いのだろう。そうなると、シュヴァーンが増えた分更に消費量が増える。間違いなく足りなくなる。
死なない程度の食料と水、そして廃墟一歩手前の家の隅に、廃棄場の如く積み上がった本。教科書と言うらしいそれが、彼女に与えられる全て。
シュヴァーンは無言で天井を仰ぐ。このままでは、彼女に自活の術を教える前に飢えで死んでしまう。家主に死なれては困る、それを防ぐ為にまず何よりも食糧調達が最優先事項だ。
「……弥槻」
「はい」
「俺は狩りに出る」
「カリ?」
「狩猟だ。幸い、剣もこちらに転移しているからな。弓矢があれば、野鳥を撃ち抜いてすぐに調達できたんだが仕方ない」
「しゅりょー」
「食料を調達する。要するに肉だ」
「に、く……?」
「……まさか食べた事が……、いや、何も言わなくていい」
「シュヴァーンさんのご飯はお肉がいいんですね。お肉、ありますよ」
そう言って、弥槻はキッチンの棚を漁り始めた。ややあって弥槻が持ってきたのは、先ほど食べたさば味噌が入っていた金属と同じような物。これに肉が入っているのか、と理解はできたものの、根本的な所が伝わっていない。
「よく聞いて欲しい。俺という居候が増えた分、消費する食料が増える。分かるな?」
「……シュヴァーンさんの分、私のご飯を減らします」
きゅう。弥槻の発言に、彼女自身の腹が不満を漏らした。
それはそうだろう。手のひらよりも小さな器に入った魚の切れ端と、機械で温めただけの白飯。シュヴァーンはもちろん、子供であるとは言え弥槻もそんな量で足りる訳が無い。
「弥槻の体はご不満らしいな」
「……その分水を飲みます」
「駄目だ。野営の時も、水ばかりでは体調を崩す。まず、俺が増えた分の食い扶持は俺自身で確保する」
「シュヴァーンさんがそう決めたなら……」
「保存食にする為の塩はあるか? 切り分ける包丁は?」
「無いです」
「……ああ、うん……。こんな生活で塩は無いだろうな……」
開封して、温めて、食べる。それだけの食生活に調味料は無いだろう。
「調理はしないのか?」
一縷の望みをかけてそう尋ねると、弥槻は不思議そうな顔で首を傾げた。
「ちょうり……、調理。教科書で見ました。しません」
「と、言うことは包丁も……」
「無いです。刃物を使って怪我でもされたら、そこから病気になってしまうかもしれないから、と。この家にある設備は水道と電気だけです。電気も、使っていい量は決まってます。だから、夜は使わないように暗くなったら寝ます」
「……なるほど……。ん? ならばさっき使った鍋は何に使う」
「冬、思い出してもらえたらガスが使えるようになります。その時お湯を温める為に使います」
デンキとガス……。恐らく、この地球におけるエアルのような物なのだろう。
その疑問はさておきだ。包丁程度の切り傷なら、わざわざ治癒術を使うまでもなく適切に処置すればすぐに治る。治るのだが、弥槻が住むこの家で適切な治療ができるかは疑問だ。せいぜい、水で洗い流して終わりだろう。止血に使えるような清潔な布があるとは思えなかった。
「んん……、やむを得ない。包丁として使うにはずいぶん大きいが、俺の剣を使おう」
「剣」
「剣だ」
「知ってます。ジュートーホー違反です」
「ジュートーホー」
「許可無くジュートーを持ってはいけません」
先ほどのガイジン、今度はジュートー。弥槻はいったい何の事を言っているのだろうか。恐らく、許可が必要な危険物なのだろう。シュヴァーンが持つ剣が、それに当てはまるのかはともかく。
「俺が持っているのは剣だ。ジュートーではない」
「……たし、かに……?」
「ご理解頂けたかな? しばらくの間、俺は食料調達をする。しかし、肉を調理する為の火も無いか……。……ついでに火種も探してこよう。君にあれこれ教えるのはその後になるが、構わ……、それでいいか?」
「シュヴァーンさんが決めたならそれでいいです」
噛み砕いた言い方で問い掛けると、弥槻は素直に頷いた。
シュヴァーンが決めたなら、という返事。そこに、意思というものが感じられない。そんな弥槻の様子は、あまりにもシュヴァーンに覚えがあった。
(……これではまるで……)
閣下がそう決めたのなら。
閣下の指示ならば。
「……どうしましたか」
「……!」
弥槻の瞳に、シュヴァーンが映っている。そう。指示さえあれば、何も考えずに返事をして指示を遂行するシュヴァーン自身が。
「……弥槻は、狩りに興味は無いか?」
虚ろな弥槻の様子が自分と重なって見えて、シュヴァーンは彼女の肩を叩く。
「無いです」
どうにか外の世界を、と誘い出そうとしたシュヴァーンは、呆気なく玉砕した。まだ連れ出すには早いのか、それとも総てに諦めて無気力になっているのか。
「……でも、外に興味はあります」
「……!」
「気味が悪いから家から出るなと言われています」
「……そうか……」
出るな、と命令されたから出ない。その命令を破った弥槻は、きっと酷い目に遭ってきたのだろう。それが避ける為に、弥槻を家に縛り付けている。
「だから、シュヴァーンさんが教えてください。シュヴァーンさんの世界のことをでもいいです」
「異世界の事を聞いてどうするんだ?」
「教科書を読むのと変わりません。ひまつぶしです」
「……そうか」
「でも、教科書を読んでる時と違って、なんだかふわふわします」
そう言った弥槻は、何も無い自分の手のひらを見つめてもう一度同じ言葉を繰り返した。ふわふわする、と言う彼女は、それが何なのか分かっていない様子だ。
「その積み上がった教科書じゃ分からないのか?」
「分からないです。シュヴァーンさんは知ってますか?」
「……さぁな」
情緒も育っていないのか。死んでしまったシュヴァーンと違って、弥槻は成長する機会が無かったのだろう。
「ふわふわの理由が分かるといいな」
「……はい……。シュヴァーンさんはふわふわしますか?」
「……黙秘する」
「モクヒ?」
「教えません、という事だ」
「……そうですか……」
弥槻が言うふわふわ、という抽象的な言葉が、いったい何を指しているのかシュヴァーンには分からない。分からない事は答えようがない。
故に黙秘を選んだのだが、それを噛み砕いて言葉にすると、思っていたより冷たい言葉になった。それを聞いて、基本的に無感情だった弥槻の表情が一瞬陰る。
「あー……、すまない。言い方が悪かった。弥槻の言うふわふわが何を指しているか。俺には分からないから答えられないと言うべきだった」
「……」
「答えが見付かると良いな」
「そうです、ね……」
シュヴァーンにおざなりな返事をしながら、弥槻は何も無い手のひらを開け閉めしている。
「どうした?」
「……ふわふわ、消えました」
「消えた……。それはもしや……」
楽しい、ワクワクするという感情なのでは。喉まで上がってきた言葉を飲み込んで、シュヴァーンは緩く首を振った。
「それは、俺が教える事ではない。弥槻が自分で学ぶべき事だ」
自分の中に無いものを、どうして弥槻に教える事が出来るだろう。自嘲するシュヴァーンを知らずに、弥槻は積み上がった教本に目を向ける。
「…………。教科書に書いてありますか?」
「さてな。俺はその教科書が読めない」
「……ううん……」
困ったように唸りながら教本を捲る弥槻を横目に、シュヴァーンは大きく伸びをして立ち上がった。
「ひとまず、狩場があるか見てくる」
「…………」
教本の中から答えを探すのに躍起になっているのか、弥槻はシュヴァーンの声が聞こえていないようだ。仕方がない。道具は道具らしく、任務をこなすことにしよう。
(どうせ、目覚めるまでの夢だ。この子にそこまで深入りする理由も必要も無いのだから)
弥槻の様子を見ていると、朧気な記憶も蘇ってくる。それは、死に切れなかった●●●●●の精神をどうにか引き上げようとする男の姿だ。
(理解したくなかったな)
間違いなく、生きて欲しいと願われた事。シュヴァーンとしての人生の始まりは、生かす為に道具の道だったのだと言う事を。
それと同じ事をやろうとしていると気付いたシュヴァーンは、胸の痛みの原因である記憶を底に押し込めた。
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