常闇の光
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「……本当にこの穴に入れて良いのか?」
「入れてください」
庭と面したリビングの窓を開けて、せっせと穴を掘る少女に、シュヴァーンは困惑の色を隠す事無く問い掛けた。何度目か分からないその問い掛けに顔を上げる事無く、少女はせっせと穴を掘っている。
「……血の臭いに魔物が寄って来ないか?」
「マモノなんて、そんな生き物知りません。時々ちょっとヘビが来るくらいです」
「ヘビ?」
何だその生き物は。魔物はいないが、ヘビと呼ばれる生き物はいるらしいと察する事は出来る。その生き物は、少女一人で暮らす環境でも危険は無いのだろうか。
「運がよければ、食べられます」
「食べる」
「足が無いからわさわさしないので、皮をとって焼いて食べます」
「……何と言うか、ずいぶん……」
言いかけた言葉は、何となく飲み込んだ。
足が無いからわさわさしない。言葉の印象から、シュヴァーンは何となくギルドの街近くの大森林を連想した。その大森林に棲息する魔物がまとまっていると、"わさわさ"と言う足音がするからだ。
まさか虫は食べないだろう、と思いたいが、彼女の淡々とした様子から狩りの真似事をして食料を確保するのは当たり前の事らしい。
「その……、美味いのか?」
「分かりません。食べるだけです」
「…………」
テルカ・リュミレースにも、食肉用に調整されて飼い慣らされた魔物がいる。もしかしたら、美味いから彼女も食べるのだろうと期待を込めて問うと、シュヴァーンの期待はあっさりと砕かれた。
腹を満たす為に食べる。極限の空腹状態だったとしても、シュヴァーンは自分が虫を食べる選択肢を取る可能性が思い浮かばなかった。
「よし。この穴に血を流します」
「どうやって流す?」
「水です」
「いや、それはもちろん分かるが。……水を入れられる容器はあるか?」
「無いです。昨日全部捨てました」
「…………。よし、家を一通り見て回る」
「何でですか?」
「血を洗い流す際に使える物が無いか見せてもらいたい」
水を飲む為のコップくらいはあるだろう。しかし、コップで作業するには非効率的だ。風呂桶の様な物があれば理想なのだが。
そう考えながら、キッチンの棚を開けたシュヴァーンの足元に、どさどさと物が崩れ落ちた。その中の一つがころころと少女の方へと転がっていく。
「何だ、これは」
「食べ物です」
「……鉄も食べるのか?」
「中身を食べます」
「さすがにそうか。……あ、良かった鍋がある」
「お鍋はチョーリキグです」
「あー、そうだな。しかし、水を貯められる事には変わりない」
家を探し回らなくて済んだ。安堵したシュヴァーンは、鍋を手に取ってすぐに動きを止める。
水の場所が分からない。調理台と思しき平面の横に、火を起こす際に薪を組んだ様な鉄の置物。魔核の様な物も見当たらない。
「お嬢ちゃん」
「はい」
「水は何処にある? 汲んで来る必要があるのか?」
「……宇宙人設定まだ続けるんですか?」
「宇宙人でも何でも良いから。こちらとしても、早急にこれを片付けて血を洗い流したい」
「水は……、えいっ。これを上げれば出ます。止める時は、元に戻します」
「どういう仕組みなんだ……?」
魔核の助けも無しに、淀みの無い水が出てきた。取手の上げ下げで水が出てくるとは。テルカ・リュミレースでも蛇口を捻れば綺麗な水は出るが、それは魔核の助けあってこそ。こんな原始的な方法で出てくる水は、本当に綺麗な水と言えるのだろうか。
疑問はさておき、シュヴァーンは教えられた通りに床に水を流す。モップで先ほど少女が掘った穴に向けて血を洗い流す事しばらく。赤黒かった床が、ようやく木の色になってきた。
「よし、こんな物だろう」
「じゃあ次はあなたが血を流して来てください」
「……風呂場はあるのか?」
「こっちです」
パタパタ、と軽い足音を立てて先を歩く少女に続く。建物の構造のせいか、家の奥は太陽の光が薄い。案内された風呂場は、窓があるお陰でそこまで暗くないのは幸いだった。
「宇宙人さん、シャワーの使い方知ってますか?」
「さっきの水の件でだいたい予想は出来る。……これを捻る」
「それは蛇口とシャワーを入れ換える所です」
「……すまん。教えてくれ」
「こっちがシャワー、こっちが蛇口です。これか、こっちを捻ると水が出ます」
「なるほど。助かった」
「タオルはここ、終わったらこのシャツを着てください」
「……え。あ、あぁ……」
風呂場の前の小部屋で、彼女はそう言って服を置いた。一人で暮らしている様に見えたが、置いてある服を恐る恐る広げると、破れてはいるもののシュヴァーンでも着ることが出来そうな服だった。安堵したものの、何処からその服が……、という疑問もある。
「着れませんか?」
「いや……、恐らく着られるだろう」
「あ。ちゃんと綺麗な方の服なので。それは大丈夫です」
「あっ……。やり辛いな……」
言うだけ言うと、小さな彼女はパタパタと出て行った。微妙に会話がすれ違っている気がする。子供はそういうものなのだろうか。
何よりも、あの血溜まりの中にいたシュヴァーンをさほど警戒していない。彼女なりの警戒はしているのかもしれないが、血塗れで見るからに怪しい男に対して丸腰で接するとは。
シュヴァーンと目が合うなり、悲鳴を上げて気絶する程の恐怖を感じたはずなのに。
それとも。
(彼女は俺を通じて、何か別の『モノ』を見ていたのか……?)
疑問は解決しないまま、次々と疑問が出てく。深く考える意味は無いと頭を振ったシュヴァーンは、血で固まった鎧を脱ぐ事に意識を集中させた。
「……無い」
シュヴァーンは、少女に渡されたタオルでいつもの様に左胸を隠す。
今は浴室にシュヴァーンが一人。誰が見る訳でも無いが、他でもない自分が極力見ないようにする為に、そうするのが当たり前になっていた。
小さな風呂場の壁に備え付けられた鏡に映った自分の体には、気を失う前の激戦の痕はどこにも無かった。
思い返せば、目が覚めてから毒に侵される感覚も無い。しかし、実際鎧や服には血が残っていた。先ほど、少女と二人で掃除したばかりだ。
「……どうなっている?」
あまりの痛みに体が麻痺したのかと思っていたが、それは違うらしい。
ならばようやく死んだか。しかし、その可能性はすぐに消える。忌々しくも腹が減っていると言う事は、死後の世界という訳でもない。
小さな彼女が治癒術を掛けてくれたのかとも思ったが、自分を見て気を失った少女にそんな事が出来るはずも無く。
「……俺は……」
思考で沸騰しそうなシュヴァーンにとって、シャワーの水は有難かった。血を流すついでに頭を冷やしていたシュヴァーンを、突如として耳鳴りが襲った。それと同時に、心臓が立っていられないほど痛みだし、シュヴァーンは思わず床に膝を付く。
『──────』
頭の中に、嫌になるほど聞いた声が響いた。
『……シュヴァーンよ、いつまで眠っているつもりだ』
「……っ、……たい、しょ……っ!」
理想を掲げ、暴君となった絶対主の声。
『私の手を煩わせるな。道具は道具らしく……』
「……使われるだけ、か……」
嘲笑う様にそう呟いたシュヴァーンの心臓は、規則正しい点滅に戻っていた。
道具は早く持ち主の所へ戻らなければならない。そういう物だと決まっているのだ。
「終わりましたか?」
「ぅお」
どう戻るか、と思考を組み立て始めたシュヴァーンが脱衣場から廊下に出ると、終わるまで待っていたらしい少女が薄暗い廊下から声を掛けた。まさかそんな所で待っているとは思わなかったシュヴァーンの口から、思わず別の立場が顔を出す。
「血、汚れると洗うのが大変なので、もう血が出てないか確認します。汚れてないシャツはそれだけなので、嫌でもやります」
困惑の最中にあるシュヴァーンを他所に、そう宣言した少女は遠慮もなくシュヴァーンの身体に手を伸ばす。我に返ったシュヴァーンが引き剥がす前に、検分し始めたではないか。
「……なっ……!? ちょ、おい!」
「顔がぶつかったなら分からないけど、手で触ったって呪いなんて移らないです。……うーん……? もう血は出てないですね……」
「待て、ちょっと待て。君と俺はさっき初めて会った。そうだな?」
呪いとは何だ。それよりも、ここは初対面の相手でも気軽に触れる文化なのか。
口を挟む隙間もない勢いで捲し立てる少女に気圧され気味だったシュヴァーンが、慌ててその言葉を遮った。
「何故俺にここまでする? そもそもの話、俺は不審者だぞ」
「何で……? 殴らないから……。殴らない人が血の中に倒れているから、助けた方が良いのかなと……。宇宙人だったら、助けたお礼に宇宙に連れて行ってくれないかなって……。本当に血が出てない……。宇宙人は治るのも早い……?」
「まだその設定生きていたのか……」
シュヴァーンの周りをくるくると回って検分しながら、少女はしみじみと呟いている。星が違う、と言う意味では確かに異星人ではあるのだが。
「……あ、でも」
「まだ何かあるのか?」
ふと言葉を切った少女は、複雑そうな黒い瞳でシュヴァーンを見上げた。
「……あなたを見て気を失った私を寝かせてくれました。悪い人じゃない、って思ったのかも知れません」
「自分の事だと言うのに、やけに曖昧なんだな」
「あんな事されたの初めてなので。ここには、ちゃんと私のお話を聞いてくれる人もいないので」
人とこうして話すのも久し振りです。
続いた言葉に、シュヴァーンは思わず眉間を揉む。そんな気はしていたが、彼女はこの家に放置されているのだろう。
寝泊まり出来る最低限の家。
着る事が出来る、と言うだけのサイズの合わない汚れた服。
狩りの真似事をする程だ。もちろん食事は足りていないのだろう。
「……悪い人じゃないですよね?」
「今更不安になったのか? そもそも、悪人が素直に悪人を名乗るとでも?」
「さぁ……? でも殴らないので……」
「……よし、じゃあ俺は殴らないタイプの悪人だ。悪人だから、しばらくこの家に住む」
「分かりました」
「分かりました!?」
あっさり頷いた少女に、シュヴァーンも思わず声が大きくなる。肩が跳ね上がったのを見て、慌てて口を覆ったが、まだ驚きの方が強い。
シュヴァーンとしては、あれこれ言いくるめてこの家を拠点にと考えていたのだが。あっさり決まった事に逆に警戒心が顔を出す。
「……本当に良いのか? 見ず知らずの男だぞ」
「ほぁ。……私に何かを決めるケンリは無いので、あなたが決めたならそれで決まりです。痛くないならそれでいいです」
「…………」
「……あー、えーっと……。もしかして、殴る理由が無くなったですか……?」
「……いや、そんなものは最初から無い」
殴られるのが当たり前になっているらしい彼女は、シュヴァーンが黙り込んだ理由がそれしか思い付かなかった様だ。殴らない、と首を振ったシュヴァーンに、逆に驚いた顔をしている。
「空腹なんだろう? 俺もご随伴に預かっても?」
「ゴズイハンなんて持ってません」
「……一緒に食べても良いだろうか」
女性に対する言い回しが通じない。噛み砕いた言い方をしたシュヴァーンに、彼女はまた微妙な顔になった。
「宇宙人さん、時々変な事言いますね」
「……宇宙人じゃない。シュヴァーンだ」
「シュヴァーンさん。私とご飯食べたいなんて人、いませんよ」
「……俺が決めた。それで決まりなんだろう? そんな事より、お嬢さんの名前を聞いてないが?」
「……弥槻です。名字もあるけど、私には必要無いって言われてます」
「弥槻。いい名前だな」
「……?」
「褒めたんだが」
名前を褒めると、弥槻はまた微妙な顔をした。褒められた事が無いからなのか、対応に困っているからなのか判断が出来ない。
会話が途絶えた二人は、弥槻の先導で来た廊下を戻る。小さなテーブルの前に案内されたシュヴァーンは、床に直接座る様に促された。
「温めます。これ開けてちょっと待っててください」
「…………宇宙人だから分からんな」
渡されたのは、先ほど棚から零れ落ちた鉄。サバ味噌らしき絵の他にも、何やら文字らしきものがびっしり書いてあるが、あいにくシュヴァーンには何も読めない。一人呟いたシュヴァーンの言葉を聞き付けて、弥槻は慌てて戻って来た。
「宇宙人って、私と同じご飯でいいんですか!?」
「……ふはっ」
真面目な顔で何を言うのかと思えば。思わず笑ってしまったシュヴァーンは、心配そうな顔をしていた弥槻の顔はみるみる色を無くしていく。
「ご、ごめんなさ……」
「構わない。それより先生。これの開け方を教えてくれ」
「は、はいっ……」
シュヴァーンの様子に、殴るつもりは無いと察したのだろう。安堵した顔でシュヴァーンの傍へやって来た。慣れた様子で中身を取り出す様子を見ながら、この子に情が移るまでそう時間は掛からないだろうな、とシュヴァーンは考えていた。