常闇の光
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パチパチと軽やかな音が聞こえる。暗い場所で、それはとても鮮やかな色を放っていた。
……燃えていた。おもちゃが、机が、絵本の棚が。ぐにゃりと溶けたお人形が、変な笑顔のまま真っ黒になっていく。
『まだこっちに子供がいるぞ!』
『急げ、早くしないと間に合わなくなるぞ!』
『うわぁん! 熱いよぉ……! 助けてママ!』
ああ、うるさいなぁ。
色々な声が混ざり合って、とてもじゃないけど眠ってなんかいられなかった。
(……あぁ、またあの夢か)
そう理解すると、あっという間に感覚が消えていく。
目が痛くなるくらいガスの臭いがしていたのに、もう何の臭いもしなくなった。
燃えた煤が涙で頬に貼り付く感覚も消えた。煙で喉が痛かったはずなのに、もう何も痛くない。
それでもなお、衰えない炎だけが輝きを放っている。
『──! どこなの!?』
『あ、そちらは危険ですお母さん!』
『離して! あっちには私の大切なっ……、大切な息子が、取り残されているんです!!』
炎が踊る中聞こえてきたのは、私じゃない人の名前を必死に呼ぶ声。
『──! ……ああ、どうしてこんな事にっ……! 可哀想に、こんなに真っ黒になってしまって……!!』
そして、その人は私より少し大きな男の子を抱き締めたまま、こっちを睨み付けてこう言うんだ。
『何でっ……! 何であんたが先に助けてもらってるの!? お兄ちゃんが先でしょ!!』
ほらね。その人が言う事なんて決まってるんだ。
そんなの、私が答えられる訳が無いのにね。
「……うう……」
頭が痛い。眠った気がしない。
軽間 弥槻が目を擦りながら外を見ると、薄ぼんやりとした光が射し込んでいた。また朝の早い時間だ。
カーテンを開けると、窓に映る自分と目が合った。睡魔が残るせいで、その顔は寝惚けたまま。顔の左側には、これもまた見慣れた大きな痣がくっきりと刻まれている。
「……消えてくれる訳、無いですよね」
弥槻は無意識に痣に触れながら一人そう呟くと、窓を開けて朝の空気を吸い込んだ。
弥槻の顔には、生まれた時から大きな痣があった。顔の左側ほぼ半分を庇う痣は黒く、両親から受け継ぐはずだった髪の色を吸収したかの様に暗い。瞳は常に赤く染まっている上、髪の毛は幼い弥槻の見た目に反して白ぼけていた。
腹を痛めて産んだ娘がそんな異様な色味だったせいで、特に母親からは忌み嫌われていた。
『うわ、痣持ちだ』
『よくあんな痣ある顔で生きてけるよね』
『ゼンセで酷い事した報いなんだって』
『ええー、怖いね』
『ああならない様にいい子にしなくちゃ』
『その顔をこっちに向けないでよ!!』
久し振りにあの悪夢を見たせいか、頭の中に嫌な声が反響する。弥槻ははその声から逃げるようにきつく目を閉じ、自分を抱き締めた。
(大丈夫、大丈夫……。ここには私しかいない。酷い事を言う人はいない……)
心を落ち着ける為に何度も自分に言い聞かせながら、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
「お水、飲もう……」
弥槻は小さく呟くと、まだ覚束ぬ足取りでフラフラと寝室を出た。向かう先に何が待っているかなど知る由もなく。
「……何、これ……?」
押し込められた廃墟同然の家。その二階から降りてきた弥槻は、パタパタとスリッパの音を立てながらキッチンへの扉を開けた。
どうせ誰もいないのだからと、目を擦りながら歩みを進めると、二歩目をふみだす前に違和感に気付く。パタパタ、という足音からペト……、と何かが貼り付いた音に変わったのだ。
怪訝に思った弥槻が足元に目を凝らすと、どす黒く染まった赤に踏み込んでいるではないか。
「ひっ……」
キッチンの床一面に、とろりとした赤いものが広がっている事を理解した弥槻は、赤い水溜りから何とか足を引き抜いた。
「……っ、あ、ああっ……!!」
中途半端に脱げたスリッパに躓いて、思いっきり尻もちをついた。お尻が痛いが、それよりも目の前の光景が恐ろしい。暗い景色の中に赤い色があると言う断片的な情報だけで、弥槻の頭は『あの時』と同じ状況だと判断した。
「いやぁぁぁぁぁあ!」
赤い色の真ん中が大きくなった。赤とオレンジ色の向こうに見えた碧い眼と目が合ったような気がしたが、弥槻の意識はそのままぷつりと途切れてしてしまった。
*
*
「……う、……うぅ、ん……」
気が付くと、弥槻はキッチンと繋がったリビングの床に横になっていた。ぼんやりと辺りを見渡すと、床一面に赤色が広がってはいるが燃えている様子は無い。
「……あれ? 私、は……?」
「目が覚めたか。悲鳴を上げて気絶した時はどうしようかと思ったぞ」
まだ完全に覚醒していなかった弥槻は、その声でようやく夢現から抜け出した。
「……! そうだ、血塗れの人が……」
「それは俺が原因だろう」
「だっ……、だれです、か……」
弥槻の頭は、この家に自分以外の人間がいる、という今の状態を理解する事を拒んでいた。
恐る恐る見上げると、長い前髪の隙間から無感情な男の碧い目が覗き込んでいる。間違いなく、さっきの赤色の中にあった物だ。混乱のさなかにあった弥槻は、それが人間の瞳だとは思えなかったが、足音を聞き付けて気が付いたと言う男。
聞いた事がある。なるほど、これが不審者というものなのだろう。廃墟同然のこの家に入り込む彼は、もしかしたら家が無いのかも知れない。どちらにせよ、弥槻に出来る事は穏便に出て行ってもらう事だけだ。
「なんっ……、何で、あなたはここにいるんですか?」
「それを聞きたいのは俺の……、失礼。私の方だ」
弥槻の質問に、少し顔をしかめながら男が答えた。
「私は、帝国騎士団所属シュヴァーン・オルトレイン。任務中に不覚にも気を失い、気付いたらここにいた」
「帝国。騎士団……?」
テイコク。そんな国、あっただろうか。首を傾げた弥槻に、シュヴァーンと名乗った男も怪訝な顔になる。
「ハルルの街に程近い場所での任務にあたっていたんだが」
「…………。はるる……?」
「……えっ。……あっ、おい!!」
そんな名前、聞いた事が無い。教科書になら何か書いてあるだろうかと、弥槻は一人リビングの片隅に積み上げられた山へと足を向けた。
「ちり……。地理の教科書……」
「お嬢ちゃん、俺がいるの忘れてないか……?」
「……あっ」
「……何をしているのか聞いても?」
「テイコク、ハルルという地名を探します」
テイコクに所属している、と言うのだから、テイコクという国はあるのではないか。そう予想した弥槻が地理の教科書を開いて目的の地名を探す後ろから、シュヴァーンの呻き声が聞こえた。
「……これは、地図か?」
「……? そうです。みんな学校で習うものだと知っています」
「何という事だ……。お嬢ちゃん、この星に名前ある?」
「地球です」
「俺が生まれたのはテルカ・リュミレースという星だ」
「……? つまりあなたは宇宙人だって言ってますか?」
何という事だ。家が無いんじゃない。この男、自分を宇宙人だと思っている完全な不審者だ。
「か、帰れると良いですね……?」
「……どうやって来たかも分からないのに、帰り道が分かるとでも?」
「……それが本当なら……。でも、家が無いからって嘘は良くないと思います」
弥槻は目の前の男の目をじっと見てそう言った。動きを止めたシュヴァーンの目の前に、弥槻は指を突き付ける。
「子供が相手だからって、からかうのは止めてください! こんなにボロボロですけど、定期的に人は来るんです。私を追い出したりなんてしたら……、……特に何も無いとは思いますけど……。外で寝るのは嫌です」
「待て、ちょっと待て。俺はからかっていないし、もちろんお嬢ちゃんを追い出すつもりも無い!」
弥槻の言葉に、男はひどく狼狽した。その様子を見て、弥槻は更に言葉を畳み掛ける。
「じゃあ、からかってない証拠下さい」
「し、証拠……!? 証拠も何も、こんな血塗れのままからかうなんて趣味が悪い事はしない」
「……! 血まみれ……!!」
そう言われて、弥槻の言葉が止まる。怒鳴ったせいか、男の息も心なしか荒い。
「まったく……。冗談じゃ、ない……!」
「……えっと……、ごめんなさい……?」
「何故疑問系なんだ……。だが、お嬢ちゃんのお陰でどうやらここは違う世界らしい事も把握出来た。地形はもちろん、書いてある文字が違う」
「国が違うから、じゃなくてですか? 確かに名前、日本とは違いますね」
「ニホン? ……なるほど。察するに、国によって言語も違うんだな」
手近にある教科書を手に取ってパラパラ、と軽く目を通したシュヴァーンは、一分もせずに解読を諦めたらしい。再び教科書の山を築く頃には、部屋に射し込む太陽の力もずいぶん増していた。
そしてほぼ同時に、二人の腹の虫が鳴く。気の抜けるその音に、それまで仏頂面だった男がふっと笑った気がした。その顔に、弥槻もシュヴァーンの真似をする。
「宇宙人もお腹空くんですね」
「そうらしい。食べ物はあるのか?」
「私が食べている物で良ければ」
「……任務中の味のしない栄養食よりはましだろう」
お互い色々聞きたい事はあるものの、それよりもまず食事を先にしようと話がまとまった所で、キッチンへと目を向ける。
「……掃除が先、だな……。それが済んだら、血を流す水場もお借りしたい」
「分かりました……。がんばりましょう……」