常闇の光
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広い大理石の廊下に、コツコツと規則的な足音が響く。
時刻は、帝都にもようやく朝日の光が届き始めた早朝。朱色とオレンジの色を纏った鎧に身を包み、廊下を進むシュヴァーン・オルトレインは、目的の部屋の前まで来ると、小さく息を吐いた。
「騎士団長閣下、シュヴァーン・オルトレイン参りました」
「──想定していたよりも遅かったな。まぁ良い。入りたまえ」
入室の許可を得て部屋に足を踏み入れたシュヴァーンの前に、山積みにされた書類や文献がそびえ立っている。題名が掠れて読めなくなった本に忙しなく目を通しながら、呼び出した帝国騎士団長は言った。
「シュヴァーンよ。私の密命が無い時は、基本的にダングレストにいるそうだな?」
「……えぇ。あちらにいた方が、ユニオン……、ひいてはドン・ホワイトホースについて閣下に好都合かと」
「ふむ……。一理ある事は認めよう。何かと動きやすいのだろう事も推察出来る。……だが、"それだけ"だ。君は騎士なのだ。しかも一介の騎士では無く、部下を持ち騎士団の隊長首席を務める程の」
またその話か……。シュヴァーンは、彼が言わんとする事を何となく察し、長い前髪が隠しているのを良い事を少しだけ眉間に皺を寄せた。ほんの少しの機微だったものの、相手にはそれだけで十分過ぎる程に伝わったらしい。
「……私の言いたい事が分かったようだな? 久し振りに、隊を率いて任務に就いてもらう」
「……出立は」
「本日九時」
「………………」
現在時刻、五時。出立は本日の九時だと言う。冗談ではない。部下と仕事をするにあたって、ギルドの顔を抜く時間が無いではないか。
「閣下、それはあまりにも……」
「本来ならば、昨夜伝える筈の話だったのだよ」
君が到着が遅かったのだ。そう言わんばかりに向けられた視線には、何の感情も宿っていない。使えない道具だ、という侮蔑も無い。ただ事実、そう考えているのだろう。
ダングレストから帝都までの道程には、海路が差し込まれている。自然相手では、今回の様に定期船の足も止まる事もある。……次回は定期船ではなく、騎士団の足を使おうと算段していると、騎士団長は窓の外に目を向けた。
「シュヴァーン隊の騎士には既に任務を通達済みだ。君はそのまま、任務を遂行してくれれば良い」
部屋の出入口に歩みを進める騎士団長は、すれ違いざまに囁く。
「ゆめゆめ忘れるな。お前はシュヴァーン・オルトレイン。決してギルドの人間ではない事を。殺すべき相手を仕留め損ねたという事を。精々無くした心臓に刻み込みたまえよ」
「……御意に」
シュヴァーンが絞り出した答えを待たずに、騎士団長は重苦しい扉を明けて出て行った。
*
*
「シュヴァーン隊長に敬礼!」
出立の時間が迫っている。既に集まっている部下は、シュヴァーンの姿を認めると一斉に敬礼の姿勢を取った。
「シュヴァーン隊長と任務に行けるとは……!」
「あまり浮かれていてはダメなのであ~る!」
今回の任務は、それなりに危険が伴う任務を押し付けられたと言うのに、誰もが浮き足たっている。
普段は騎士団長直々の指示で活動している"憧れのシュヴァーン隊長"との任務。久し振りに指揮を執る事になったシュヴァーンは、部下から向けられる憧れの視線に居心地が悪くなってきた。
これでは良くない。そう思ったシュヴァーンは、普段あまり張らない声を張り上げた。
「全員、静粛に!!」
その声に、部下が慌てて口を閉ざして姿勢を正した。
「諸君にはこれより、ハルルの周辺に現れた大規模な魔物の群れを討伐に向かってもらう。今回は季節柄、群れの規模も大きいと予想される為、俺も任務に同行する。たかが魔物の群れと侮らず、それぞれ心してかかれ!」
「はっ!」
威勢の良い応えを聞いて、シュヴァーンは部隊長のルブランに目を向ける。
進軍の掛け声と共に、多くはない人数の部隊が帝都からハルルとの間にある砦を目指して進み始めた。道中も小規模な戦闘を何度か繰り返して進軍に慣れてきた頃、ルブランが静かにシュヴァーンの隣に近寄ってきた。
何かの報告か、と歩みを緩めたシュヴァーンとは対照的に、ルブランは何やら嬉しそうな顔をしている。
「シュヴァーン隊長と任務が出来るのは、いつぶりでしょうなぁ」
「…………」
何を言い出すのかと思えば。
先程、シュヴァーンなりに喝を入れたつもりだったのだが、どうやらあれでは足りなかったらしい。
「……ルブラン、今は任務中だぞ」
「分かっております、分かっておりますともシュヴァーン隊長!」
本当に分かっているのだろうか。
そんなに大きな声を出すと、魔物を刺激してしまうのだが。何故かルブランは更に嬉しそうな笑みになるばかり。
(何故だ……)
何故そんな笑顔を向けられるのか。記憶の底に蓋をしたはずの笑顔と似ている気がして、シュヴァーンは無言で部下から目を逸らした。
「久し振りにシュヴァーン隊長と任務と言う事で、全員張り切っていますぞ!」
(止めろ。俺にはっ……!)
記憶の蓋を改めて封印しようと尽力していたシュヴァーンの心内など、ルブランが知る由も無く。なおも会話を続けようとする彼の言葉に被せて、前方を任せていた斥候部隊からの報告が上がってきた時は心底安堵した。
「ぜっ、前方に魔物の大群を確認~!」
「目標の魔物群と思われるであ~る!」
「来たか。……総員、戦闘準備! 各小隊長はそれぞれ小隊を率いて持ち場につけ!」
今はそんな事を考えている余裕は無い。そう自分に言い訳をして、シュヴァーンは腰から緋色の剣を抜いた。
「ひっ……! うわぁ来るなぁ!!」
魔物の大群に飲み込まれたシュヴァーン隊の戦線が崩壊するのは、あっという間だった。
恐慌状態に陥って、無闇矢鱈に得物を振り回す騎士を引きずり倒して後退させたシュヴァーンは、追い抜きざまに自分の剣を振り抜く。
「うわぁぁぁあっ……!! ……って、あれ……?」
「腕を振るなら一緒に剣を振るえ!」
「はっ、はひぃ〜!!」
想定していた以上の大軍勢、そして部下達の情けない様。
戦況は芳しくなかった。戦闘前に指示した陣形は既に崩壊し、あちこちで部下達の悲鳴や痛みに耐える呻き声に満ちている。
血の匂い。反響する悲鳴と呻き声。少なくなっていく手勢。
(……思い出すな……! 考えるな……!!)
頭の奥から響く声と、耳から届く声が反響する。
込み上げてくる何かを必死に押さえ付けて、シュヴァーンは魔物の群れを突破する事に全神経を集中させた。
「ルブラン!」
「はっ!」
「近くにこいつらを率いる主がいるはずだ! お前は小隊を率いてそいつを探し出せ!!」
「しかし……!」
指示を飛ばしている間にも、途切れる事なく襲ってくる魔物をさばきながら、シュヴァーンは更に声を張り上げる。
「今まともに動ける小隊はお前達だけだ! あの魔物の中を進むのはお前達にしか頼めない!」
「……我々にしかっ……! うおぉ!! 確かに引き受けましたぞシュヴァーン隊長ぉ!! ルブラン斑! 進めぇー!!」
ルブランが自らの部下を引き連れて進み始めたのを確認すると、シュヴァーンは改めて武器を構え直した。
「全員聞け! 魔物達の中にいる主を倒せば、奴等の勢いは止まる!! 立ち止まるな! 諦めるな!! 俺達の後ろに何があるのかを考えろ!」
「はっ、はい!!」
「回復部隊! 左翼後退! 右翼前進!! 魔物を引き込め!! 後衛、詠唱用意!!」
立ち止まるな。諦めるな。いったいどの口が言うのやら。立ち止まり、諦めてもう十年になろうかという自分が飛ばした檄に、全員の瞳に生きる力が戻ってきた。
(あーらら、元気なこって)
違う立場の思考に嘲笑うような笑みで応えたシュヴァーンを先頭に、再び魔物の軍勢と衝突した。しばらくはそれで戦線を維持する事が出来たものの、やはり限界がある。
(限界が近いな……!)
全員が傷付き、治癒術師も疲労の為に回復に手間取る様になってきた。
シュヴァーン自身も、先ほど鎧の隙間に噛み付かれた部分から毒が回り始めたのか、息をするのもままならなくなっている。
(まだなのかっ……)
頼みの綱はルブラン斑。彼らが魔物の主を発見出来れば、そして主を撤退させることが出来ればこの大群も去るはずだ。
しかし、シュヴァーンの耳は朗報ではなく、異変を拾い上げていた。
迫る地響きと共に、土煙が近付いてくる。その先頭に立っているのは、他でもないルブラン斑の三人だった。
「うわぁぁぁぁあ!」
あろう事か、彼らは本隊の方に主を引き連れて来てしまったのだ。
「くっ……!」
こうなったらやるしか無い。
「盾持ちは前へ! それ以外の前衛は盾持ちのサポートに回れ!! 後衛、魔術部隊は牽制する為に魔術を放て! 初級魔術で構わん!!」
突撃に備えて態勢を整えていると、予想に反して主の体からはエアルが放出された。牽制のつもりで魔術を当てれば、小規模ながら爆発が起こる。
それを見て、シュヴァーンは閃いた。上手く行けば、主を倒せると。
「上級、もしくは中級魔術用意! 盾持ちはそのまま待機、それ以外は後方に下がれ! 掃討に備えろ!!」
指示を出しながら、シュヴァーン自身も詠唱に入っる。慎重にタイミングを計っていると、主の体が光始めた。
恐らく、最大出力でこちらを潰すつもりなのだろう。
「……今だ!」
主の体から先程とは比べ物にならない波が来る。タイミングを合わせて同時に発動した魔術の力とぶつかり合い、そして弾けたのが見えた。
どうやら、主が放ったエアルと魔術が干渉し合い、予想外の衝撃波が発生したらしい。
その余波を受けてか、主が悲鳴を上げながら地に倒れた。
だが、その衝撃波は止まらない。散り散りに逃げていく魔物を吹き飛ばしながら、騎士団に迫ってきていた。
「全員伏せろ! 頭は絶対に上げるんじゃない!!」
「うわぁぁぁあ!」
シュヴァーンの指示に、全員慌てて頭を押さえて地面に伏せる。しかし、一人だけ。長身の騎士が魔物から逃げ回っている。
「隊長……!」
「何でも良いからさっさと頭を下げ……」
遂に衝撃波がシュヴァーン達の元へと来た。シュヴァーンが頭を押さえ付けたお陰で、間一髪部下は伏せてやり過ごせたが、シュヴァーンは間に合わなかった。
「っ、くぅ……っ!」
空気が歪む。体が歪む、視界も歪む。
(しくじった……!)
シュヴァーンが小さく舌打ちすると、それを最後に意識は闇に飲まれていく。
衝撃波は滞りなく過ぎ去った。しかし、彼らが敬愛する隊長は、影も残さず消え去ってしまったのだった。
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