ミーティア越境編
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「…………」
「ンギュオワ……」
小生を気遣う様に小さく鳴くセグレイブに薄く笑みを返して、小生は今日も一人で空を見る。
パルデアに送った手紙は、いったいどうなっただろうか。
あの日、手紙を頼んだアップリューは傷だらけで帰ってきた。いくらドラゴンタイプの中でも小型のポケモンとは言え、小生のポケモンがやすやすと傷を付けられるはずもなし。恐らく里の者に……、しかも、それなりの手練を持つ者の妨害を受けたのだろう。
それでも、「ちゃんとポケモンセンターに届けましたか」と問い掛けた時には力強く頷いた。妨害を突破して届けてくれたと思いたい。
もちろん、一度検閲された手紙が問題無しとされたか、あるいは差し替えられたかのどちらか……。まぁ、悪い方向を想定しておいた方が良い。期待を掛けずに済むからだ。
実際、手紙を出した事は気付かれている。一人になれる時間は無くなったのがその証だ。常に部屋の隅に里の者が控えている。席を外してもらおうと用事を言い付けてみても、他の者に言付けるだけ。一人にはなれない。
タンジーに連れ出されなければ、ひがないちにち与えられた部屋で過ごすだけ。指の先から干からびていく様な感覚。このままでは、本当に枯れ木になってしまいそうだ。
「まだ、外からのお手紙を待っているのですか?」
「……」
「ギュオア……!!」
「セグレイブ、結構です」
そんなある日の事。ついにタンジーから手紙の話を切り出された。
空を見上げた姿勢のまま、唸り声を上げるセグレイブを片手で制する。悲しそうな声を上げるセグレイブは、そのままボールに引っ込んでしまった。その様子に申し訳ないと思いつつも、小生の心にはもう、それ以上の感情の波が立つ程の潤いが残っていなかった。
「お返事、来る様子もありませんわね」
「……何故、手紙を送ったと知っているのです?」
「見慣れないポケモンが里から飛び立つのを見掛けまして。ハッサク様のポケモンが脱走したのかと思って慌てて捕獲しましたのよ。お手紙はその時に」
「……まさか、中を見た等と言いませんですよね?」
「……ふふふ」
どちらとも取れる笑い声で答えを濁したタンジーに、ようやく小生は空から視線を外した。
反応を見せた事に気を良くしたのか、タンジーは機嫌良く小生に近付いてくると、小生に甘く囁きかけた。
「もう働く必要は無いのですよ。ハッサク様はただ、ここにいてくれるだけで良いのです」
「……日々の生活の為に働かなくてはいけない。そんな一面も確かにありました」
「そうでしょう? ハッサク様は、もうそんな苦行から卒業しても良いのですよ」
「ですが同時に、働くのが楽しかったのです。それは生徒の成長を見守ることであったり、同僚の先生方との雑談であったり。……放課後の賑やかな声を聞くことも、小生の大切な時間だったのです」
働かなくても良いと言われても、小生の心は未だパルデアに在る。がらんどうの庭を前に瞼を閉じれば、アカデミーの喧騒が聞こえていた。……その喧騒も、遠くなって久しいが。
大切な時間を奪っておいて"働かなくても良い"と言われても、欠片も嬉しくはなかった。
「……せかせかと働く必要は無いのです。ここにいれば、働く必要は無いのですよ!? 一言命じれば、皆喜んで手足の様に動きましょう。ハッサク様は働かずとも生きていけるのにっ……」
「必要の無い事。無駄な事。生きるだけならば確かにそうでしょう。無駄があるという事は、余分があるという事。……その余裕は、幸福の為に必ずあって欲しい余分だと今の小生は感じていますよ」
「……まぁ、まるで今は幸福では無いかのような……」
「ええ。小生はこの現状に何ら幸福を感じていません。虚無と言っても差し支えない」
被害者の様な仕草を始めたタンジーの言葉を遮って、小生ははっきりと告げた。言葉を遮られたタンジーは、一瞬表情を取り繕う事を忘れて眦を吊り上げる。次の瞬間には、もう悲しげな顔で俯いたが。
「アカデミーの教師なんて、ハッサク様でなくたって良いではありませんか!」
「そうですね、小生でなければならない理由はありません。小生が教師でありたい。それだけです」
「……我々が何度も里に戻ってもらおうと接触した過去に引き換え、彼らは連れ戻しにすら来ないと言うのに? ハッサク様を探す為、我々は手を尽くした。それに比べて、明確に竜使いの里へ戻ると分かっているでしょうにね。不思議な事に、外からの来訪者は一向にいらっしゃらないと言うのに、何を待っているとおっしゃいます?」
「…………」
「ハッサク様が送った手紙の返信すら無いと言うのに? 後継は既に見付かって、ハッサク様はもう用無しと判じられたのではなくって? それならそうと、手紙に認めて返信するのが礼だとわたくしも考えますけれど」
被害者の顔をしていたのはわずかな時間だけだった。小生が反論しないと見るや、タンジーは甘く囁く事すら止めた。もはや恐れる事は無いと判断したのだろう。小生の心を折る為か、パルデアにいる者達を小馬鹿にする様な物言いに、小生は冷たい視線で応えた。
「……タンジー。ばけのかわが剥がれていますよ。お前の事です。仮に手紙の返信があったとて握り潰すだけでしょう」
「……まあ、酷いお人。まるでわたくしがハッサク様を縛り付けているかの様におっしゃいますのね」
「そう言っていますから」
「…………」
睨み合う事しばらく。先に睨み合いから身を引いたのはタンジーだった。
「……ハッサク様の氷の如き御心、まだ溶かせませんのね。うふふ、それでこそハッサク様。わたくしが長年お慕いしてきたハッサク様ですわ」
「懐柔を諦めたと思えば罵倒。気が済むまで罵倒した今は、小生が諦めるのを待つと言うのですね」
「諦める? ……うふふ。いいえ、違いますわ。後は受け入れてもらうだけですもの」
「……この現状を受け入れた小生は、もはやハッサクではない。それは、お前が創り出した偶像ですよ」
「そうでしょうか。そうかも知れませんね。どうでも良い事ですけれど」
"ハッサク"さえ在れば、中はどうだろうと構わないとも取れる言葉を残して、タンジーは優雅な礼を残して部屋を出て行った。ぱたん、と閉じた扉の向こうからは、重い錠前が掛けられる音がする。……まぁ、窓を開ければ脱走など容易ではあるのだが。
「……実行に移せば、里の人間全てが相手になる、という意思表示の様なものなのでしょう」
やろうと思えば出来ない訳ではない。里長を継ぐべしと教育されていた頃から、小生が負けた事はほとんど無い。
だが、それを実行に移そうとする意思が起き上がらないのだ。錠前の音が、小生の心へ重くのし掛かっている。
どこへ行くにも監視が付いている。近しい立ち位置の者は、小生を通して"彼らが思い描く理想のハッサク"を見ている。小生を知らぬ者は、彼らから聞かされているハッサクを前に畏れを抱く。
その結果として、小生はどうしようもなく孤独だった。
里を出る事を決意したあの時よりも遥かに。里を出るという"終わり"が無い故に、気を抜くとすぐに目の前が真っ暗になりそうだ。
「…………、っ!?」
ため息と共に窓に意識を戻した小生は、振り返った姿勢のまま硬直した。
……窓の外に、ポポッコがいる。ジョウト地方でも比較的寒い地域にあるこの場所に、野生のポポッコは棲息していない。いたとしても、上空の風に流されて飛んでいく程度だ。
そんなポポッコが、トレーナーと逸れでもしたのか何かを探す様子で周囲を見渡している。流されて来た訳では無い。明確な意思を持ってこの場にいるのだ。
そんなポポッコと、窓越しに目が合った。
『……!!』
「……!?」
『ぷにゃあ!? ……あああ……』
途端に目を輝かせたポポッコが、小生に飛び付こうとして窓に激突した。情けない声を上げながら墜落したポポッコは、すぐに復活して小生の目線と同じ高さに戻ってくるではないか。
『ぽにゃー! ぽぽ、ぽぽにゃぽー!!』
「ポポッコですか。追い払いますか?」
「迷い込んだだけなのですから、追い払うなど乱暴な……」
『ぽぽっにゃぽわー!!』
「何かご用ですか? 迷子になったのでしょうか……」
「ハッサク様」
窓を開けようとした小生の腕は、控えていた者に押し戻された。窓を開ける事すら許さないなどと、いよいよ監禁じみてきたものだ。
……そんな事を考える小生の横で、何が気に入らないのかポポッコが里の者に怒りを顕にするではないか。
『んぽー!! ぽ、ぽ、ぽにゃーーー!!!』
開けろと言わんばかりに鳴くポポッコ。その身体には、何やら小さな機械が取り付けられている。やはり、野生のポポッコでは無さそうだ。ぽてぽて、という音が、鳴き声の合間に聞こえてくる。技を使えばいざ知らず、そんな可愛らしい音を立てる腕ではどう頑張っても窓は割れないだろうに。
「君の様な小さなポケモンが窓を割りたければ、種マシンガン等を使わなければ難しいですよ」
『ぽぽにゃぽ……?』
小生の言葉に、不思議そうな顔をしたポポッコ。大きく息を吸い込んで……、そのまま息を吐き出した。種マシンガンを使えるつもりだったのかは分からないが、結果として深呼吸をしただけのポポッコは、割れていない窓を前にまた不思議そうに鳴いた。
……それはまるで、小生の指示に応えたかの様な……。そう考えると、このポポッコとのわずかなやり取りに妙な懐かしさを感じていた事に気が付いた。
それは少々癖のある鳴き声であったり。小生と目が合うなり嬉しそうに笑った様子であったり。
まさか、そんな……。
「もしや君は、」
ニャッコなのですか?
そう言い掛けた言葉を辛うじて飲み込んだ。まさかそんな。紫音がジョウト地方に来ているはずは……!
『ぽぅうっ……、にゃ、ぽぽにゃ、ぽにゃー!! ……にゃうう……』
窓を開ける様子の無い小生を前に訴え掛けるのを諦めたのか、ニャッコと思しきポポッコが悲しげに窓から離れていく。二度、三度と振り返りながらも去っていくポポッコを見送る小生は、あり得ない可能性という一滴の水が、干涸らびた精神にじんわりと沁み込んでくるのを感じていた。
諦めるにはまだ早い。小生の爪は、ひび割れていただけでまだ折れてはいないのだから。
「奇妙なポポッコですね。気になるのなら追い払いますが」
「既に追い払う必要は無いと言ったはずです。同じ事を三度言わせますか?」
「……失礼しました。ポポッコなど、ハッサク様が気に掛ける様なポケモンではありませんからね」
ポポッコ一匹、取るに足らない存在だと言わんばかりの言葉を聞き流し、小生は話を変えた。これからやらなければならない事は明らかだ。
「小生のポケモンバトルの相手をしなさい。その程度の裁量すら任されていない、とは言いませんよね?」
行動が制限されていた事で、凝り固まっていた心身を解さなくては。かつて成し遂げた脱走を再演する為に。
小生にも、空を飛ぶ意思は未だあるのだから。