初恋騒乱編
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『紫音ちゃんには言わないで欲しいって言われたんですけど……、噂になってハッサク先生の耳に入る前にお伝えしておきますね』
ゆうあ先生に、そんな前置きと共に話を聞いた時は、小生は思わず天井を仰いだ。
カラマ……。近いうちに紫音にバトルを挑むだろうとは思っていたが、まさかそんな騒ぎを起こしていたとは。エントランスでポケモンバトル、など起こらなくて良かった。
そんなトラブルがあった事を、紫音本人の口から聞く事が無かったのは残念だが。彼女の事だ。小生に心配かけまいと考えているのだろう。
紫音から聞かされたのは、「バトルのお誘いを受けて、三日後、遠出する」事だけだった。
「今日はバトルの約束がある日でしたね」
「そうです。ちょっと遠い所に行くし、せっかくなら可愛いポケモンと仲良くなれるといいなぁって思ってます! 約束はお昼なので……、バトルの後に散策しても夕方には帰ってこれると思います」
「そうですか。頑張って来てくださいです。いい結果を聞かせてくれると信じていますですよ」
「期待に応えられる様に、皆で頑張ってきます!」
そう笑った紫音が、ぱたんと家を出て行った。今日の昼食は、久し振りに小生一人とポケモン達だけの食事。自分の分は簡単な物で済ませてしまおうと考えていたのだが、小生のスマホロトムが鳴き声を上げたので、その作業を中断してロトムに応えた。
誰からだろう。紫音が迷いでもしたのだろうか。もしや、場所を失念したのだろうか。そう思って通話を繋いだ小生の耳に、聞き慣れない女性の声が飛び込んでくる。
『……もし、ハッサク様?』
「……?」
誰だ。怪訝に思った小生が相手の名前を確認すると、そこには"父"とだけ表示されている。
里との直接の繋がりは、この電話番号しか残していない。その電話番号から、知らない女性の声がするのだ。小生の名を知っている彼女は、いったい誰だ?
「……失礼、どなたです?」
『声だけでは分からなくて当然です。……わたくしです、タンジーです』
「……タンジー。……里を出て以来ですね」
『ええ、そうですね……』
タンジー。かつて、里で共に過ごした友人だ。それと同時に、里長を継ぐ小生の婚約者に据えるという話も出ていた女性。
しかし、今の小生に彼女と通じる連絡手段は無い。何故父の電話番号で彼女から連絡が来たのかも分からない。……広がる胸騒ぎに、小生は思わず紫音から貰ったお守りを握り締める。
『過去の人間を覚えていてくださったのはありがたき事ですが、わたくしはハッサク様と過去を懐古する為に連絡をしたのではないのです』
「……何でしょう」
『長が……、ハッサク様のお父上が病を得たのです』
「……なるほど」
似たような話を聞かされた。父が危険な状況なので、里に戻って欲しいと。我が父ながら、話の中で何度病を得ているのだろう。
「病名は?」
『……無論、体を開けば治る病ですが、なにぶん急を要する手術だそうで……。気丈に振る舞っていますが、やはり不安を抱えていらっしゃるのは事実です。……お願いです、お父上に顔を見せに戻ってきてはもらえませんか?』
小生が疑いを持つのは当たり前だ。既に一度、その手法は使われているのだから。
故に病名を問うたのだが、タンジーは帰ってきて欲しいと言うだけで、肝心の病名を尋ねると言葉を濁す。……これは、また話の中だけの病だろう。
「病名は?」
再度尋ねると、タンジーは電話の向こうでわずかに迷う様に息を吐いた。
『申し訳ありません。おおっぴらには言えない病……、今はこれだけで勘弁してください』
「病である事は真実だと?」
『はい。お母上は長に付き添っていらっしゃるので、代理でわたくしがご連絡を……』
「……なるほど」
タンジーの声は震えていた。聞かされた話の筋も通っている。電話では言えない病、と言う部分が気になるが、それだけ重い病なのでは、という不安が押し寄せる。
「……はぁ……。人の父を病人に仕立て上げてまで、小生を連れ戻そうとするからですよ」
『……返す言葉もありませんわ』
小生を連れ戻そうとした嘘が、こうして真実になったと言う訳だ。さすがに文句も出てくる。
もちろん、今タンジーに言った所で意味は無い。長を継ぐ、という事を嫌っていただけで、両親に対して特にこれと言った感情は無い。
小生が一度戻るだけで父の不安が払拭されるなら、戻ってやろうと思う程度の情はある。
「……分かりました、一度戻りますです。職場の皆さんに事情を伝えてから……」
『ありがとうございます! ハッサク様ならそうおっしゃって頂けると信じていましたわ』
「……は、はぁ……」
『伝達についても、ハッサク様の手は煩わせません。すぐにカラマに職場へ伝える様に根回しいたしましょう。ハッサク様は出立の用意が終わり次第すぐに空港へ。チケット等もこちらで手配したので……』
「……カラマなら、今ポケモンバトルの最中かと」
カラマから申し込んだ紫音とのポケモンバトル。紫音が遠出するとも言っていたし、バトル真っ最中のカラマに任せるよりも、小生が自分で理事長や校長先生に連絡を入れる方が早いのではないか。
『そんなもの、すぐに終わりますわ。ご心配なく』
随分な物言いだ。彼女も知らないのだから仕方ないのかもしれないが、慢心が言動の端々に見て取れる。……強者は油断しない。タンジーもその事を忘れているのか、と内心ため息を吐いた小生は、失望を悟られぬ様に半ば無理やり話を進めた。
「……バトルの勝敗はともかく。チケットの手配は助かりますです。飛行機の時間は? パルデア地方を発つにあたり、ポケモンの健康チェックも……」
『それも空港で受けられますわ。チケットの発券情報と共に、飛行機の時間もお送りします。確認してくださいませ』
「…………」
あまりに手際が良すぎる。
タンジーに無理やり話を進められてはいないか。立ち止まるべきではないか。奥歯を噛み締めた小生に、タンジーは畳み掛ける様に言葉を紡ぐ。
『さすがはハッサク様、ご立派な判断ですわ。皆も喜ぶ事でしょう。では……、里でお待ちしております』
ぷつっ。その言葉を最後に、通話は終了した。暗くなった通話画面に、小生の険しい顔が映り込む。
「……タンジーはああ言っていましたが、小生も自分で連絡は入れておくべき……、おや」
理事長に連絡を、と考えて連絡先を開こうとした小生の目に、メール受信の通知が届いた。父から……、否、タンジーからのメールだ。飛行機に関する件だろう。
開いて更に驚いた。飛行機の時間は……、最終搭乗受付の一時間前になろうという時間が迫っているではないか。
残り一時間で出立の用意をして、移動まで完了しなければならない。いくら急いで里帰りをして欲しいとは言え、限度と言うものがあるのではないか。
……やはり、自分で移動の手配をするべきだった。用意するはずだった食事も大急ぎで片付けて、小生はポケモンの食事だけ終わらせる事にした。自分の食事は、機内で済ませる事にしよう。
「セビエ、フカマル先輩。小生はしばしの里帰りをする事になりましたです」
「キュエ?」
「フカフカ。フカ?」
「紫音には連絡を入れておきます。食事は問題ないでしょうが……、食材が無駄になりそうでしたら、友人の皆さんを家に呼んで食事会を開くのも良いですね。そうすれば、紫音も急な小生の不在でも寂しくはないでしょうから」
「フッカフカ」
「キュエェ……」
「おやおや、セビエも寂しいですよね。ですが、今は紫音もいてくれます。数日の我慢です」
話している途中、足元に抱き着いてきたセビエの背中を叩いてそう言い聞かせる。無論、小生自身寂しさを感じていない訳では無い。ただ少し、大人であるだけだ。
「足りない物は、向こうで買い足せば問題無いでしょう。数日の日程でしょうし、最低限の物を持って……、おっと。その間にタクシーの手配をしなければ」
タンジーは手術をすれば治る病だと言っていた。ならばと、通勤に使う鞄より少し大きな物を取り出して、本当に最低限の着替えと身嗜み用品を詰め込んだ。
「では先輩、セビエも。お留守番と紫音をお願いしますですよ」
「キュエ!」
「フッカー!!」
二匹に見送られて、小生は降り立つタクシーのゴンドラへと駆け寄る。目的地を伝えてゴンドラに乗り込むと、一息つく間も無く理事長の番号を呼び出した。
「突然すみませんです」
『どうしましたか? 電話なんて珍しいですね』
「火急の用事がありまして。父がいよいよ体調を崩したと。顔を見せに戻る様に懇願されましたです」
『おや、それはいけませんね。分かりました。ハッサクさんのリーグ業務は、こちらで改めて振り分けておきます』
「助かりますです」
短い通話を終えて、今度は校長先生にも同じ話をする。アカデミーの授業に穴を開ける事になる謝罪と、不在となる数日間の授業は、各自好きな物を好きな様に描いて欲しい事、戻り次第見せてもらう旨を伝えて、ようやく息を吐く。
「紫音は……、カラマとのバトルが終わったか分かりませんね。邪魔をしない様に、メッセージを送っておくだけにしましょう」
メッセージ画面に、急遽の里帰りを詫びる文章と、数日ですぐに戻るから、先輩達と待っていて欲しい旨を書き記して送信した。
時計を見ると、搭乗前に簡単な食事を購入するのがやっとだ。まったく、慌ただしい一日だ。
空港に到着した小生がため息を吐きながら搭乗手続きの列に並ぶと、懐に入れているお守りが震えた気がした。
「……?」
紫音お手製のお守り。小生の危険を代わりに引き受ける様に、と願いを込めて作られたお守りの片割れ──、元は水の石だった球体にヒビが入っているではないか。
「……危険があった? それとも、危険が迫っている?」
どうにも嫌な予感がする。
列の真ん中で足を止めた小生に、後ろに並ぶ搭乗客から不満の空気を感じて慌てて一歩足を進めたが、その足はヘヴィメタルの様に重い。
行くべきか、戻るべきか。逡巡する小生のスマホに、再びタンジーからの着信が入った。
『飛行機、間に合いそうですか?』
「……ええ、現在搭乗手続きを待っている所です」
『良かった……。長もお喜びになる事でしょう』
「タンジー、父の容態は?」
『……今は眠っていらっしゃいます。では、ジョウトに到着する頃お迎えに上がりますね』
心底安堵したタンジーの声。
不信感が拭い切れない。同時に、母を飛び越えてタンジーが父の連絡先を使って接触してきたという事実があるせいで、小生の頭から"もしや"という可能性を消し切れない。
「……いいえ、行けば分かる事です」
そう独りごちる小生は、タンジーが手配した飛行機に乗り込んだ。
*
*
「──長きに渡るお勤め、ご苦労様でした」
遥か遠く離れた地にいる彼と通話を終えた女性が一人、暗くなった液晶を見つめていた。
やっと戻ってきてくれる。彼はいずれ戻るからと、待ち続けて幾星霜。
「ようやく報われる時が来たのですね」
誰に言うでも無く呟いた女性は、"借り物"のスマホをそっと元の場所に戻した。