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白樺派
ゆめうつつ
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数十年の付き合いを終え、安らかに眠っていて所を叩き起こされ転生させられた場所には、かつての親友もいた。
女の趣味は合わないと思っていたが、生憎転生後の居場所に女は1人しかいないし、その唯一の女はとても気配りが出来る優秀なアルケミストだった。
「梶井さん来なかったんだけど!!?
川端さんも正宗さんも来なかったし!!」
「調速機使いすぎてもう在庫ないよ」
「えっ、どうしよう…!?」
兎にも角にも、『優秀な』アルケミストである。
×××
「図書館での勤務に於いて、最も緊張するのは、文豪の皆さんが揃いも揃ってイケメンな事ですね」
「え、そこ?潜書とか錬金術とかじゃないの?」
「うーん、招魂失敗し続けてますけど、私、基本的に優秀なアルケミストなので錬金術は大丈夫です」
「言うねえ」
「徳田さん、転生初日に泉さんを会わせた私に感謝してくれも良くってよ?」
「鏡花が居ない生活をもう少し謳歌したかったよ」
「ええ…そんなこと言わないでくださいよ…」
本日の助手は、帝國図書館最古参の徳田秋声だ。
彼は司書との生活が最も長い故、仕事中に冗談を言い合ったりする様な仲になった。
「さて、僕はもう仕事を終えたけど、司書さんは?」
「私も終わりました!
最近は司書業務がメインで助かりますね、午後から錬金術の研究に時間を当てられますし」
「お疲れ様。じゃあ、今日はもういいね?僕も新しい作品を思い付いたんだ」
「いいですね、完成を楽しみにしてます!今日はありがとうございました」
助手は完成した書類を司書に渡して、部屋を後にする。
司書も本日の業務は終えたので一度休憩をして、また夜から錬金術の研究を進める事に決めて席を立つ。
「だいたいこの時間だと白樺の皆さんが…」
司書が食堂を訪れると、期待した通りに白樺派の3人が優雅なティータイムを過ごしていた。
「こんにちは!」
「やあ、司書さん」
「こんにちは、司書さん」
「おう、アンタの分も用意するから座ってな」
「やったー、ありがとうございます!」
何時もの様に、司書は武者小路実篤の正面かつ志賀直哉の隣の席に座る。
因みに、有島武郎は武者小路の隣に座っている。
ほぼ毎日、司書は午後3時には司書としての業務を終えるので、そのまま食堂に直行する。
この時間に白樺派は今日の様に優雅な時間を送っているからだ。
今や司書が白樺派とティータイムを過ごす日が週に3回はある。
偶然食堂の前を通り過ぎたのがきっかけだった。
司書が通った事に気が付いた武者小路が彼女に声を掛け誘ったのだ。
通り掛かる度に、遠慮する司書を武者小路が遠慮なく誘い続けた。
そして、今のように司書も遠慮せずお茶会に参加するようになったのだ。
「今日はベリータルトですか、美味しそうです!」
「お砂糖は2つでミルクは入れますよね?」
「はい!覚えてくださってるんですね」
「ええ、司書さんと何度もお茶出来て僕達は嬉しいです」
志賀が司書の前に置いたティーカップに、武者小路が机の中央にあるミルクとシュガーを入れる。
「いただきます」
早速、司書はタルトを口に運ぶ。
「美味しい~!!」
ニコニコとタルトを食べ進める司書に、武者小路が話し掛ける。
「このタルトは、僕達の行きつけの洋菓子店の店主が特別に作ってくれたんですって」
「え、そうなんですか!?」
「今度、店のメニューに加えるんだと」
「へえ、一足お先に頂けたんですね」
「この苺、美味しい…」
「白樺の皆さんが過ごすティータイムって、本当に絵になりますよね」
見惚れちゃうなあ、という司書の呟きを聞いた3人が笑う。
育ちの良さがよく分かる立ち居振る舞いに、3人とも系統が違うものの物凄く顔立ちが良い。
流石 王子集団だと、司書は心の中で呟いた。
-数日後-
「今日は俺特製のチーズタルトだぜ」
「わあ、凄い!」
「あれ、志賀。3つしかないよ」
「あ、悪い。さっき宮沢と新美が来て、2人にあげたらホールで作ったのに足りなくなっちまった。
だから、今日は俺以外の3人で楽しんでくれ」
「…え、志賀さんは?」
「俺はちょっと、執筆の続きを」
志賀は、一切司書と目を合わせずに、淡々とタルトを武者小路、有島、そして司書の前に置き、紅茶のポットを3人の真ん中に置くと直ぐに食堂を後にした。
「え、どうしたんだろう」
「志賀くん、昨日の晩から寝ずに執筆してるから、とても好調なんだろうね」
「そうなんですか?お身体は大丈夫でしょうか…」
「志賀は電車に轢かれても生きていましたし、頑丈だから大丈夫ですよ!」
志賀を心配する司書を、有島と武者小路が宥めて何時もの場所に司書を座らせた。
「…美味しい」
「ですね、流石志賀です!今度は何が食べたいですか?僕が志賀に伝えておきます!」
司書は、折角の志賀の手作りタルトを食べているというのに、何時もより味がしないように感じた。
そして、そんな少し元気のない司書に気が付いた武者小路がいつもより積極的に話し掛ける。武者小路が前のめりになって司書に話し掛けるものだから、有島が2人の会話に入り込む隙はない。
その日以降、志賀は司書をあからさまに避けるようになった。
以前から、志賀と司書は特別に仲の良い関係ではなかった。
寧ろ2人が積極的に関わる事になったのは、白樺ティータイムに司書が参加するようになってからだ。
司書が志賀に助手を頼んでも、体調不良や外出、執筆等を理由として、志賀は助手を断る。
そして、その代打として武者小路が助手を務める機会が増えた。
「親友が迷惑を掛けた時に何とかするのが僕の務めですから」
武者小路は、そう言いながら自ら助手を志願する。
白樺派のティータイムは志賀が欠席する回数が増えた。
お茶請けが志賀お手製のお菓子の日には志賀も参加するが、白樺御用達の洋菓子店や、司書が持参する有名店のお菓子を食べる日には、志賀が居ないことが多い。
そして、志賀は白樺ティータイムに参加したとしていも、以前より司書と会話する回数が減り、目も殆ど合わせなくなった。
「私、志賀さんに嫌われたのでしょうか」
「どうだろう。志賀くんは最近、本当に忙しいみたいだ」
「志賀が貴女を嫌うなんて考えられませんが、司書さんは何か心当たりとかありますか?」
「全くないです」
志賀が司書を避けるようになって3週間が経つ。
理由もないのに避けられると余計に気になるのが人間の性であると、司書は思う。
今や、自分を避ける志賀のことが気になって仕方がないのだ。
志賀の居ない白樺ティータイムが、何かおかしい気がする。
『白樺』ティータイムだと言うのに、
『白樺派』の志賀直哉が参加せずに、無関係な自分が参加することに疑問を抱く。
しかし参加を遠慮すると、武者小路が非常に悲しむ為、司書はなかなか不参加に出来ないでいた。
志賀が避けるなら、此方から近くしかない。
助手は断られる為、有碍書に潜書して貰う事にしたのだ。
志賀、武者小路、有島と徳田。4人に朝の段階で声を掛けてあり、昼から潜書となった。
「司書さん、4人とも揃ったよ」
「はい、じゃあ皆さん、何時も言っていますが、安全第一でお願いします!」
はーい、と元気よく返事をする武者小路。
司書の目を見て微笑む有島。
分かってるよ、と返す徳田。
そして、任せとけ と言う志賀。
4人は、勢いよく有碍書に飛び込んだ。
「…久し振りに志賀さんの声を聞いた気がする」
×××
「ところで志賀。最近、何を書いているの?」
「あー、…ある男の苦悩を題材にした小説、かな」
今回の有碍書は、日課の歯車集めの為に日々潜書してる物であり、彼らにとっても慣れた難易度であった。その為、油断しなければ会話していても潜書には支障がない。
「最近、君がお茶に来ないから司書さんが寂しがっているよ」
「まあ、良い所まで書けたらまた参加する」
「…白樺派の人達は、お茶請けに何を食べるの?」
「んー、俺が作る時と買う時があるんだが、ケーキやフィナンシェなんかの洋菓子の事が多いな」
「…ふぃなんしぇ?」
「尾崎さんの所は、和菓子が多いんですよね?」
「まあね。でも、師匠は甘味なら何でも喜びそうだし、今度は僕達も洋菓子にしてみようかな」
×××
「帰ったぜ!早かったろ?」
「お、お帰りなさい!お怪我はありませんか?」
予想よりも早い帰還に、司書は驚きつつも志賀を見る。
会派筆頭の志賀は、以前の様な普通の志賀に見えるし、そういう反応をしている。
「はいお土産」なんて言いながら、徳田が道中拾った資材を司書に手渡す。
徳田が食堂に行き、有島が武者小路の袖を引っ張って補修室へ引き摺っていく。
因みに、武者小路は少しの切り傷程度であったが、有島が珍しく有無を言わさぬ態度で友人を連れて行った。
そんな彼の珍しい行動を不思議に思いつつも、司書は志賀からの潜書報告を受ける。
「~…で、最奥の敵が3体、右から…」
志賀の口述を司書が書き取る。
途中で喋るのを辞めた志賀に気付いた司書が、椅子を回転させて身体ごと志賀の方へ向く。
ギィっと音を立てて、司書の座っていた椅子が深く沈む。
志賀が椅子に座る司書の脚の間に膝を入れて椅子に乗ってきたのだ。
「…志賀、さん?」
「ムシャは良い奴だ。
振り回される事も多いが、俺は彼奴に感謝しているし、尊敬もしている」
「?」
「アンタは、もう少しムシャを見るべきだ」
志賀は親友の事を口にしながら、自身の右手で司書の顎先を持って、彼女の顔を自分の方へと向ける。
「そうだ、ムシャと結ばれるべきだ」
発言と矛盾する様に志賀は司書へと顔を近付けキスをした。
「な…」
「またな」
司書にキスした志賀は、そのまま司書室を去ろうとした。
咄嗟に、彼女は彼のジャケットの裾を掴む。
「なんで」
「ムシャの気持ちに気が付く前にと思ってな」
「私、志賀さんのこと、気になってるのに」
「キスしたからか?」
「違う、もっと前から」
司書がそう言うと、志賀は驚いた顔をしたものの、直ぐに普段の笑みを浮かべた。
そして、そのまま再び司書の方を振り返る。
「ムシャに悪いし、俺はアンタを好きなんかじゃないぜ」
「じゃあ、どうして親友を裏切って私にキスなんて…」
最後まで言い切る前に、2度目のキス。
柔らかい唇から互いの体温が伝わる。
「志賀ぁ、まだ終わらないの?」
幾度かのキスの後、互いの額をくっつけてじっと見つめ合っていると、話題の武者小路がいつの間にか司書室に入って来ていた。
×××
「…志賀?」
「……ムシャ」
何時もの笑顔を顔に貼り付けた武者小路と、慌てて司書から顔を離した志賀。
「有島は?」
「有島は、僕が補修している間に眠っちゃってた。
ねえ、志賀。
僕は、君に僕の気持ちを打ち明けたよ」
「ああ」
「そして、君は司書さんに恋心を抱いていないと言った」
「ああ」
「じゃあ、どうして司書さんに手を出すんだ」
「悪い」
「狡いよ」
武者小路が、眉を下げて此方に一歩ずつ近付いて来る。
「司書さん」
「…はい」
「僕の気持ちを、受け取って下さい。僕は貴女のことが好きです」
彼女の両肩をがっしりと掴んで真っ直ぐに目を見る。
「それは…」
言い淀んで、思わず志賀を見てしまう司書。
「急かしてしまってごめんなさい。でも、僕は貴女を諦めません」
積極的に声を掛けて下さるのは、「単に私を気に掛けてくれているから」だと思い込んで目を逸らしてきた武者小路の気持ち。
「時間を、ください。
ムシャさんの気持ちにも、そして私の気持ちにもきちんと目を向けて考えてきます」
「ええ、待っていますね」
武者小路はその言葉で満足したのか、司書の手をギュッと握った後に司書室を去っていった。
「志賀さん」
このやりとりを司書が座っている椅子の斜め後方で見ていた志賀。
「ああ」
司書は、志賀の事が気になっている。
これが、恋なのか否かは分からない。
武者小路が司書へと向ける気持ちを受け入れられるのか否か。
司書は、考えなきゃいけない。
司書は、それまで待たせてしまう。
「志賀さんの本音は?」
「俺は、あんたのこと、好きなんかじゃない」
「…そうですか」
自分を真っ直ぐに好いてくれている人か、
自分に恋心などないのにキスをする人か。
それからというと、武者小路も志賀も普段通り司書に接してくれている。
白樺ティータイムだって、前と同じく開催している。けれど、やはり志賀はよく欠席する。
司書はそれが、本当に執筆が忙しいからでないことを知ってしまった。
そして、以前から志賀が欠席する頻度が高い理由を、司書の目の前にいる2人は知っている。
相変わらず、武者小路は彼女に積極的に話し掛ける。
それを見ている有島は、優し過ぎる性格故に武者小路の勢いを抑える事が出来ない。
そういう日常が、数週間続いた。
×××
ある日、当番制の助手が志賀直哉に回ってきた。その日、志賀は助手を断らなかった。
「どうだ、ムシャとは進展あったか?」
「いいえ、以前と変わりません」
志賀は、司書の答えを聞くと少し不機嫌そうな顔をした。
「だいたい、突然のキスの衝撃が大き過ぎてムシャ先生どころじゃなかったです」
司書も、負けじと軽く志賀に睨みつけるような眼差しを送る。
「ただムシャの恋を応援したってつまらないだろ?」
「性格わっる!神様なのに!」
それだけ話すと志賀は苦笑いをして、司書室に纏めて置いてある図書館へ戻す本をカートごと全て受け取り、カツカツと足音を立てながら司書室を後にした。
普段、この仕事は司書と助手が2人かかりで行なっている仕事だ。それは志賀も知っている。
つまり、志賀は司書と2人きりにはなりたくないと意思表示をしたのだった。
「…やっぱり嫌われてるのかな」
司書は溜息をついて、仕事に就いた。チクリと胸が痛んだ。
×××
「司書さんは、僕の理想の人だ。
きっと、僕が落ち込んでいる時には優しく励ましてくれるだろうし、僕がやる気に満ちている時には応援してくれるよ」
「だろうな」
「一体、君はどうして彼女を避けるのさ。彼女は立派な人だ」
「俺はアイツのこと好きじゃねーんだよ…」
「一緒にケーキを食べたじゃないか。しかも、志賀が作ったやつを」
「あれは、司書が来たから余ったやつをやったんだよ」
「司書さんは、いつも君の横に座っていたよ」
「あれは、たまたま俺の隣が空いていたからだろ」
司書室から図書館へと返却する本を持って図書館へと来た志賀は、偶然其処に居合わせた武者小路と共に返却作業を進める。
「司書さん、志賀があんなことした日、泣いてたよ」
「…」
「夜中に目が覚めて、中庭に出た時に司書室の窓が開いてたんだ。1人で、泣いてた」
「俺の行動が原因とは限らねえだろ」
「僕は怒っているよ」
「司書を泣かせたことにか?」
「勿論、それも理由の1つだ。
けれどもう1つある。でもそれは、志賀も気がついていると思うよ」
「俺が本音を打ち明けたら、ムシャはどうするんだ?」
「さあね、分かんないや」
×××
「…好きだって、言えばいいのに」
本を全て返却し終えた後、助手室へ帰る志賀を見送りながら、彼の親友は呟く。
×××
「帰ったぜ」
「あ、お疲れ様でした」
日報を書いていた司書は、ノックもなしにいきなり開いた扉に驚いて顔を上げた。
「あ、もうこんな時間…」
司書がふと壁に掛かる時計を見ると、針は午後3時を指していた。
「白樺ティータイムには行かれないんですか?」
「仕事、終わってねーんだろ?アンタを置いて俺だけ行けるかよ」
「別に、気にしなくていいですよ」
「いいんだよ、行かねえから」
司書は、志賀が司書のいない事をこれ幸いに白樺ティータイムに向かうのかと思っていたため、驚いた。
志賀が、ティータイムに行かずに自分の側にいることを選択したということに喜んでしまった。
「なにニヤついてんだ」
志賀に注意されて、初めて自分が『喜んでいた』ことに気づいた彼女は、慌てて下を向いて再びペンを走らす。
「でもまあ、普段なら仕事も終わる時間だよな」
志賀がそう言いながら、ティーカップを差し出す。
「息抜きも必要だな」
悪戯っぽく笑う志賀に、司書の鼓動は早くなる。
×××
「ここにある茶葉借りたからな」
「ありがとうございます~!」
司書はペンを置いて、ティータイムを過ごしている。
志賀の淹れた紅茶は、普段自分が飲んでいる茶葉と同じものとは思えない程に豊かな香りがする。
「志賀さんの淹れるお茶は美味しいですね」
「そうか?」
「はい、すごく」
数時間休む事なく書類に向かっていた身体に、暖かいお茶が染み渡る。
「アンタ、幸せそうな顔するよな」
「え、そうですか?」
「ああ、すごくいい顔してる」
志賀が顔を覗き込む。やっと目が合う。
「恥ずかしいですよ」
司書はカップを持ったまま、顔を逸らす。
「赤くなってる」
「笑わないでください」
「いいじゃねぇか、ム…」
志賀の声は、遮られた。
「いま、彼のの名前を出すのはダメです」
司書は、志賀の口を自身の手を当てて塞いだ。
「いま、ここにいるのは私と志賀さんです」
司書は、もう自分の気持ちに気が付いていた。
「私は、志賀さんが好きです」
「ムシャじゃなくていいのか?」
「志賀さんです」
「俺は、アンタのこと好きじゃないぜ。
ムシャは、アンタのことを1番に考えているし、凄く良い奴だ」
「…わかってます。ムシャさんはとても素敵なお方です。しかし、私は志賀さんが好きなのです。
それに、志賀さんが私を好いていないなんて嘘」
「すげえ自信だな」
「笑わないで。志賀さんは、本当は私のことが気になっている。
ただ、ムシャさんに罪悪感を覚えているから、自分の気持ちを誤魔化しているんです」
「ムシャは…」
「ムシャさんじゃない。貴方の本音を聞かせて」
「…」
「友への義理よりも、」
「好きだ」
司書が言いかけたとき、志賀は口を開いた。
「…志賀さん」
「友への義理に縛られるよりも自然に身を任せた方が、いいのかもな」
志賀は困ったような顔をした。
「自分の本音なんぞに目を向けず、ただ友の恋を応援する方が良いと思っていた」
「それは、志賀さんとムシャさんの間ではそうなのかもしれません。
けれど、当事者の私を置いて話を進めないでください。
私は、ムシャさんが私に向けてくださっていた好意よりも先に、私が志賀さんに向ける好意に気が付いてしまったのです」
自らの想いを吐いたが、まだ罪悪感に捉われらる志賀に司書が語る。
「…ムシャに謝らねえとな」
「ムシャさんなら、きっと許してくださいます。
ムシャさんは、例え転んでもただでは起き上がらぬお方ではありませんか」
「ああ、ムシャは一度折れたとしても、強くなって立ち上がるやつだ」
×××
「ムシャさん、大丈夫?」
「有島。今は1人で居たいんだ」
「そうか、分かった」
有島は席を立って、談話室を出る。
そして、談話室の入り口に『使用中』の札を下げた。
この札は、政府から人が派遣された時くらいにしか使われないもので、この札が下がっているときは、何人たる者も談話室には入らないようにと司書からキツく言われていた。
つまり、武者小路は談話室で1人でいられる。
「独歩さんを誘って洋菓子店に行こうかな。
確か、ムシャさんが好きなのは…」
有島は、自然主義の面々がこの時間によく集まっている部屋を目指して歩き出す。
武者小路が走って談話室に飛び込んで来た時から、なんとなく事情は察していた。
今日は快晴で、他の文豪は外出している者が多く、談話室に居たのが有島だけだったのが救いだ。
好いた女が他の人間のもので、自分にはどうしようもないと分かった時の苦しさを思い出したような気がして、有島は一瞬顔を歪めた。
有島にとって、志賀も武者小路も大切な仲間であり、司書もまた彼にとって大切な人である。
「お、有島」
「独歩さん、ちょうど良いところに。
これから暇だったりしませんか?少し外に行くので…」
「おお、いいな、行こう!」
有島は2人の友人に贈るお菓子を決めながら、国木田と歩いて行く。
×××
その日の夜、志賀が武者小路の部屋を訪ねた。
「…ムシャ」
「分かっているよ。
僕はただでは起き上がらないんだ、気にしないで。
それよりも、志賀の本音をやっと聞けて嬉しいよ」
その言葉に、志賀が泣きそうになった。
「わりぃ、俺、ムシャがあの時、扉の向こうに立っていたこと…」
「何を言っているのさ。僕は大丈夫。
それよりも、散々嘘を吐いて傷付けてきた彼女を心配してあげて」
志賀が丁寧に何度も礼を告げて退室した後、武者小路は自身の頬を伝う涙に気が付いたのだった。
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女の趣味は合わないと思っていたが、生憎転生後の居場所に女は1人しかいないし、その唯一の女はとても気配りが出来る優秀なアルケミストだった。
「梶井さん来なかったんだけど!!?
川端さんも正宗さんも来なかったし!!」
「調速機使いすぎてもう在庫ないよ」
「えっ、どうしよう…!?」
兎にも角にも、『優秀な』アルケミストである。
×××
「図書館での勤務に於いて、最も緊張するのは、文豪の皆さんが揃いも揃ってイケメンな事ですね」
「え、そこ?潜書とか錬金術とかじゃないの?」
「うーん、招魂失敗し続けてますけど、私、基本的に優秀なアルケミストなので錬金術は大丈夫です」
「言うねえ」
「徳田さん、転生初日に泉さんを会わせた私に感謝してくれも良くってよ?」
「鏡花が居ない生活をもう少し謳歌したかったよ」
「ええ…そんなこと言わないでくださいよ…」
本日の助手は、帝國図書館最古参の徳田秋声だ。
彼は司書との生活が最も長い故、仕事中に冗談を言い合ったりする様な仲になった。
「さて、僕はもう仕事を終えたけど、司書さんは?」
「私も終わりました!
最近は司書業務がメインで助かりますね、午後から錬金術の研究に時間を当てられますし」
「お疲れ様。じゃあ、今日はもういいね?僕も新しい作品を思い付いたんだ」
「いいですね、完成を楽しみにしてます!今日はありがとうございました」
助手は完成した書類を司書に渡して、部屋を後にする。
司書も本日の業務は終えたので一度休憩をして、また夜から錬金術の研究を進める事に決めて席を立つ。
「だいたいこの時間だと白樺の皆さんが…」
司書が食堂を訪れると、期待した通りに白樺派の3人が優雅なティータイムを過ごしていた。
「こんにちは!」
「やあ、司書さん」
「こんにちは、司書さん」
「おう、アンタの分も用意するから座ってな」
「やったー、ありがとうございます!」
何時もの様に、司書は武者小路実篤の正面かつ志賀直哉の隣の席に座る。
因みに、有島武郎は武者小路の隣に座っている。
ほぼ毎日、司書は午後3時には司書としての業務を終えるので、そのまま食堂に直行する。
この時間に白樺派は今日の様に優雅な時間を送っているからだ。
今や司書が白樺派とティータイムを過ごす日が週に3回はある。
偶然食堂の前を通り過ぎたのがきっかけだった。
司書が通った事に気が付いた武者小路が彼女に声を掛け誘ったのだ。
通り掛かる度に、遠慮する司書を武者小路が遠慮なく誘い続けた。
そして、今のように司書も遠慮せずお茶会に参加するようになったのだ。
「今日はベリータルトですか、美味しそうです!」
「お砂糖は2つでミルクは入れますよね?」
「はい!覚えてくださってるんですね」
「ええ、司書さんと何度もお茶出来て僕達は嬉しいです」
志賀が司書の前に置いたティーカップに、武者小路が机の中央にあるミルクとシュガーを入れる。
「いただきます」
早速、司書はタルトを口に運ぶ。
「美味しい~!!」
ニコニコとタルトを食べ進める司書に、武者小路が話し掛ける。
「このタルトは、僕達の行きつけの洋菓子店の店主が特別に作ってくれたんですって」
「え、そうなんですか!?」
「今度、店のメニューに加えるんだと」
「へえ、一足お先に頂けたんですね」
「この苺、美味しい…」
「白樺の皆さんが過ごすティータイムって、本当に絵になりますよね」
見惚れちゃうなあ、という司書の呟きを聞いた3人が笑う。
育ちの良さがよく分かる立ち居振る舞いに、3人とも系統が違うものの物凄く顔立ちが良い。
流石 王子集団だと、司書は心の中で呟いた。
-数日後-
「今日は俺特製のチーズタルトだぜ」
「わあ、凄い!」
「あれ、志賀。3つしかないよ」
「あ、悪い。さっき宮沢と新美が来て、2人にあげたらホールで作ったのに足りなくなっちまった。
だから、今日は俺以外の3人で楽しんでくれ」
「…え、志賀さんは?」
「俺はちょっと、執筆の続きを」
志賀は、一切司書と目を合わせずに、淡々とタルトを武者小路、有島、そして司書の前に置き、紅茶のポットを3人の真ん中に置くと直ぐに食堂を後にした。
「え、どうしたんだろう」
「志賀くん、昨日の晩から寝ずに執筆してるから、とても好調なんだろうね」
「そうなんですか?お身体は大丈夫でしょうか…」
「志賀は電車に轢かれても生きていましたし、頑丈だから大丈夫ですよ!」
志賀を心配する司書を、有島と武者小路が宥めて何時もの場所に司書を座らせた。
「…美味しい」
「ですね、流石志賀です!今度は何が食べたいですか?僕が志賀に伝えておきます!」
司書は、折角の志賀の手作りタルトを食べているというのに、何時もより味がしないように感じた。
そして、そんな少し元気のない司書に気が付いた武者小路がいつもより積極的に話し掛ける。武者小路が前のめりになって司書に話し掛けるものだから、有島が2人の会話に入り込む隙はない。
その日以降、志賀は司書をあからさまに避けるようになった。
以前から、志賀と司書は特別に仲の良い関係ではなかった。
寧ろ2人が積極的に関わる事になったのは、白樺ティータイムに司書が参加するようになってからだ。
司書が志賀に助手を頼んでも、体調不良や外出、執筆等を理由として、志賀は助手を断る。
そして、その代打として武者小路が助手を務める機会が増えた。
「親友が迷惑を掛けた時に何とかするのが僕の務めですから」
武者小路は、そう言いながら自ら助手を志願する。
白樺派のティータイムは志賀が欠席する回数が増えた。
お茶請けが志賀お手製のお菓子の日には志賀も参加するが、白樺御用達の洋菓子店や、司書が持参する有名店のお菓子を食べる日には、志賀が居ないことが多い。
そして、志賀は白樺ティータイムに参加したとしていも、以前より司書と会話する回数が減り、目も殆ど合わせなくなった。
「私、志賀さんに嫌われたのでしょうか」
「どうだろう。志賀くんは最近、本当に忙しいみたいだ」
「志賀が貴女を嫌うなんて考えられませんが、司書さんは何か心当たりとかありますか?」
「全くないです」
志賀が司書を避けるようになって3週間が経つ。
理由もないのに避けられると余計に気になるのが人間の性であると、司書は思う。
今や、自分を避ける志賀のことが気になって仕方がないのだ。
志賀の居ない白樺ティータイムが、何かおかしい気がする。
『白樺』ティータイムだと言うのに、
『白樺派』の志賀直哉が参加せずに、無関係な自分が参加することに疑問を抱く。
しかし参加を遠慮すると、武者小路が非常に悲しむ為、司書はなかなか不参加に出来ないでいた。
志賀が避けるなら、此方から近くしかない。
助手は断られる為、有碍書に潜書して貰う事にしたのだ。
志賀、武者小路、有島と徳田。4人に朝の段階で声を掛けてあり、昼から潜書となった。
「司書さん、4人とも揃ったよ」
「はい、じゃあ皆さん、何時も言っていますが、安全第一でお願いします!」
はーい、と元気よく返事をする武者小路。
司書の目を見て微笑む有島。
分かってるよ、と返す徳田。
そして、任せとけ と言う志賀。
4人は、勢いよく有碍書に飛び込んだ。
「…久し振りに志賀さんの声を聞いた気がする」
×××
「ところで志賀。最近、何を書いているの?」
「あー、…ある男の苦悩を題材にした小説、かな」
今回の有碍書は、日課の歯車集めの為に日々潜書してる物であり、彼らにとっても慣れた難易度であった。その為、油断しなければ会話していても潜書には支障がない。
「最近、君がお茶に来ないから司書さんが寂しがっているよ」
「まあ、良い所まで書けたらまた参加する」
「…白樺派の人達は、お茶請けに何を食べるの?」
「んー、俺が作る時と買う時があるんだが、ケーキやフィナンシェなんかの洋菓子の事が多いな」
「…ふぃなんしぇ?」
「尾崎さんの所は、和菓子が多いんですよね?」
「まあね。でも、師匠は甘味なら何でも喜びそうだし、今度は僕達も洋菓子にしてみようかな」
×××
「帰ったぜ!早かったろ?」
「お、お帰りなさい!お怪我はありませんか?」
予想よりも早い帰還に、司書は驚きつつも志賀を見る。
会派筆頭の志賀は、以前の様な普通の志賀に見えるし、そういう反応をしている。
「はいお土産」なんて言いながら、徳田が道中拾った資材を司書に手渡す。
徳田が食堂に行き、有島が武者小路の袖を引っ張って補修室へ引き摺っていく。
因みに、武者小路は少しの切り傷程度であったが、有島が珍しく有無を言わさぬ態度で友人を連れて行った。
そんな彼の珍しい行動を不思議に思いつつも、司書は志賀からの潜書報告を受ける。
「~…で、最奥の敵が3体、右から…」
志賀の口述を司書が書き取る。
途中で喋るのを辞めた志賀に気付いた司書が、椅子を回転させて身体ごと志賀の方へ向く。
ギィっと音を立てて、司書の座っていた椅子が深く沈む。
志賀が椅子に座る司書の脚の間に膝を入れて椅子に乗ってきたのだ。
「…志賀、さん?」
「ムシャは良い奴だ。
振り回される事も多いが、俺は彼奴に感謝しているし、尊敬もしている」
「?」
「アンタは、もう少しムシャを見るべきだ」
志賀は親友の事を口にしながら、自身の右手で司書の顎先を持って、彼女の顔を自分の方へと向ける。
「そうだ、ムシャと結ばれるべきだ」
発言と矛盾する様に志賀は司書へと顔を近付けキスをした。
「な…」
「またな」
司書にキスした志賀は、そのまま司書室を去ろうとした。
咄嗟に、彼女は彼のジャケットの裾を掴む。
「なんで」
「ムシャの気持ちに気が付く前にと思ってな」
「私、志賀さんのこと、気になってるのに」
「キスしたからか?」
「違う、もっと前から」
司書がそう言うと、志賀は驚いた顔をしたものの、直ぐに普段の笑みを浮かべた。
そして、そのまま再び司書の方を振り返る。
「ムシャに悪いし、俺はアンタを好きなんかじゃないぜ」
「じゃあ、どうして親友を裏切って私にキスなんて…」
最後まで言い切る前に、2度目のキス。
柔らかい唇から互いの体温が伝わる。
「志賀ぁ、まだ終わらないの?」
幾度かのキスの後、互いの額をくっつけてじっと見つめ合っていると、話題の武者小路がいつの間にか司書室に入って来ていた。
×××
「…志賀?」
「……ムシャ」
何時もの笑顔を顔に貼り付けた武者小路と、慌てて司書から顔を離した志賀。
「有島は?」
「有島は、僕が補修している間に眠っちゃってた。
ねえ、志賀。
僕は、君に僕の気持ちを打ち明けたよ」
「ああ」
「そして、君は司書さんに恋心を抱いていないと言った」
「ああ」
「じゃあ、どうして司書さんに手を出すんだ」
「悪い」
「狡いよ」
武者小路が、眉を下げて此方に一歩ずつ近付いて来る。
「司書さん」
「…はい」
「僕の気持ちを、受け取って下さい。僕は貴女のことが好きです」
彼女の両肩をがっしりと掴んで真っ直ぐに目を見る。
「それは…」
言い淀んで、思わず志賀を見てしまう司書。
「急かしてしまってごめんなさい。でも、僕は貴女を諦めません」
積極的に声を掛けて下さるのは、「単に私を気に掛けてくれているから」だと思い込んで目を逸らしてきた武者小路の気持ち。
「時間を、ください。
ムシャさんの気持ちにも、そして私の気持ちにもきちんと目を向けて考えてきます」
「ええ、待っていますね」
武者小路はその言葉で満足したのか、司書の手をギュッと握った後に司書室を去っていった。
「志賀さん」
このやりとりを司書が座っている椅子の斜め後方で見ていた志賀。
「ああ」
司書は、志賀の事が気になっている。
これが、恋なのか否かは分からない。
武者小路が司書へと向ける気持ちを受け入れられるのか否か。
司書は、考えなきゃいけない。
司書は、それまで待たせてしまう。
「志賀さんの本音は?」
「俺は、あんたのこと、好きなんかじゃない」
「…そうですか」
自分を真っ直ぐに好いてくれている人か、
自分に恋心などないのにキスをする人か。
それからというと、武者小路も志賀も普段通り司書に接してくれている。
白樺ティータイムだって、前と同じく開催している。けれど、やはり志賀はよく欠席する。
司書はそれが、本当に執筆が忙しいからでないことを知ってしまった。
そして、以前から志賀が欠席する頻度が高い理由を、司書の目の前にいる2人は知っている。
相変わらず、武者小路は彼女に積極的に話し掛ける。
それを見ている有島は、優し過ぎる性格故に武者小路の勢いを抑える事が出来ない。
そういう日常が、数週間続いた。
×××
ある日、当番制の助手が志賀直哉に回ってきた。その日、志賀は助手を断らなかった。
「どうだ、ムシャとは進展あったか?」
「いいえ、以前と変わりません」
志賀は、司書の答えを聞くと少し不機嫌そうな顔をした。
「だいたい、突然のキスの衝撃が大き過ぎてムシャ先生どころじゃなかったです」
司書も、負けじと軽く志賀に睨みつけるような眼差しを送る。
「ただムシャの恋を応援したってつまらないだろ?」
「性格わっる!神様なのに!」
それだけ話すと志賀は苦笑いをして、司書室に纏めて置いてある図書館へ戻す本をカートごと全て受け取り、カツカツと足音を立てながら司書室を後にした。
普段、この仕事は司書と助手が2人かかりで行なっている仕事だ。それは志賀も知っている。
つまり、志賀は司書と2人きりにはなりたくないと意思表示をしたのだった。
「…やっぱり嫌われてるのかな」
司書は溜息をついて、仕事に就いた。チクリと胸が痛んだ。
×××
「司書さんは、僕の理想の人だ。
きっと、僕が落ち込んでいる時には優しく励ましてくれるだろうし、僕がやる気に満ちている時には応援してくれるよ」
「だろうな」
「一体、君はどうして彼女を避けるのさ。彼女は立派な人だ」
「俺はアイツのこと好きじゃねーんだよ…」
「一緒にケーキを食べたじゃないか。しかも、志賀が作ったやつを」
「あれは、司書が来たから余ったやつをやったんだよ」
「司書さんは、いつも君の横に座っていたよ」
「あれは、たまたま俺の隣が空いていたからだろ」
司書室から図書館へと返却する本を持って図書館へと来た志賀は、偶然其処に居合わせた武者小路と共に返却作業を進める。
「司書さん、志賀があんなことした日、泣いてたよ」
「…」
「夜中に目が覚めて、中庭に出た時に司書室の窓が開いてたんだ。1人で、泣いてた」
「俺の行動が原因とは限らねえだろ」
「僕は怒っているよ」
「司書を泣かせたことにか?」
「勿論、それも理由の1つだ。
けれどもう1つある。でもそれは、志賀も気がついていると思うよ」
「俺が本音を打ち明けたら、ムシャはどうするんだ?」
「さあね、分かんないや」
×××
「…好きだって、言えばいいのに」
本を全て返却し終えた後、助手室へ帰る志賀を見送りながら、彼の親友は呟く。
×××
「帰ったぜ」
「あ、お疲れ様でした」
日報を書いていた司書は、ノックもなしにいきなり開いた扉に驚いて顔を上げた。
「あ、もうこんな時間…」
司書がふと壁に掛かる時計を見ると、針は午後3時を指していた。
「白樺ティータイムには行かれないんですか?」
「仕事、終わってねーんだろ?アンタを置いて俺だけ行けるかよ」
「別に、気にしなくていいですよ」
「いいんだよ、行かねえから」
司書は、志賀が司書のいない事をこれ幸いに白樺ティータイムに向かうのかと思っていたため、驚いた。
志賀が、ティータイムに行かずに自分の側にいることを選択したということに喜んでしまった。
「なにニヤついてんだ」
志賀に注意されて、初めて自分が『喜んでいた』ことに気づいた彼女は、慌てて下を向いて再びペンを走らす。
「でもまあ、普段なら仕事も終わる時間だよな」
志賀がそう言いながら、ティーカップを差し出す。
「息抜きも必要だな」
悪戯っぽく笑う志賀に、司書の鼓動は早くなる。
×××
「ここにある茶葉借りたからな」
「ありがとうございます~!」
司書はペンを置いて、ティータイムを過ごしている。
志賀の淹れた紅茶は、普段自分が飲んでいる茶葉と同じものとは思えない程に豊かな香りがする。
「志賀さんの淹れるお茶は美味しいですね」
「そうか?」
「はい、すごく」
数時間休む事なく書類に向かっていた身体に、暖かいお茶が染み渡る。
「アンタ、幸せそうな顔するよな」
「え、そうですか?」
「ああ、すごくいい顔してる」
志賀が顔を覗き込む。やっと目が合う。
「恥ずかしいですよ」
司書はカップを持ったまま、顔を逸らす。
「赤くなってる」
「笑わないでください」
「いいじゃねぇか、ム…」
志賀の声は、遮られた。
「いま、彼のの名前を出すのはダメです」
司書は、志賀の口を自身の手を当てて塞いだ。
「いま、ここにいるのは私と志賀さんです」
司書は、もう自分の気持ちに気が付いていた。
「私は、志賀さんが好きです」
「ムシャじゃなくていいのか?」
「志賀さんです」
「俺は、アンタのこと好きじゃないぜ。
ムシャは、アンタのことを1番に考えているし、凄く良い奴だ」
「…わかってます。ムシャさんはとても素敵なお方です。しかし、私は志賀さんが好きなのです。
それに、志賀さんが私を好いていないなんて嘘」
「すげえ自信だな」
「笑わないで。志賀さんは、本当は私のことが気になっている。
ただ、ムシャさんに罪悪感を覚えているから、自分の気持ちを誤魔化しているんです」
「ムシャは…」
「ムシャさんじゃない。貴方の本音を聞かせて」
「…」
「友への義理よりも、」
「好きだ」
司書が言いかけたとき、志賀は口を開いた。
「…志賀さん」
「友への義理に縛られるよりも自然に身を任せた方が、いいのかもな」
志賀は困ったような顔をした。
「自分の本音なんぞに目を向けず、ただ友の恋を応援する方が良いと思っていた」
「それは、志賀さんとムシャさんの間ではそうなのかもしれません。
けれど、当事者の私を置いて話を進めないでください。
私は、ムシャさんが私に向けてくださっていた好意よりも先に、私が志賀さんに向ける好意に気が付いてしまったのです」
自らの想いを吐いたが、まだ罪悪感に捉われらる志賀に司書が語る。
「…ムシャに謝らねえとな」
「ムシャさんなら、きっと許してくださいます。
ムシャさんは、例え転んでもただでは起き上がらぬお方ではありませんか」
「ああ、ムシャは一度折れたとしても、強くなって立ち上がるやつだ」
×××
「ムシャさん、大丈夫?」
「有島。今は1人で居たいんだ」
「そうか、分かった」
有島は席を立って、談話室を出る。
そして、談話室の入り口に『使用中』の札を下げた。
この札は、政府から人が派遣された時くらいにしか使われないもので、この札が下がっているときは、何人たる者も談話室には入らないようにと司書からキツく言われていた。
つまり、武者小路は談話室で1人でいられる。
「独歩さんを誘って洋菓子店に行こうかな。
確か、ムシャさんが好きなのは…」
有島は、自然主義の面々がこの時間によく集まっている部屋を目指して歩き出す。
武者小路が走って談話室に飛び込んで来た時から、なんとなく事情は察していた。
今日は快晴で、他の文豪は外出している者が多く、談話室に居たのが有島だけだったのが救いだ。
好いた女が他の人間のもので、自分にはどうしようもないと分かった時の苦しさを思い出したような気がして、有島は一瞬顔を歪めた。
有島にとって、志賀も武者小路も大切な仲間であり、司書もまた彼にとって大切な人である。
「お、有島」
「独歩さん、ちょうど良いところに。
これから暇だったりしませんか?少し外に行くので…」
「おお、いいな、行こう!」
有島は2人の友人に贈るお菓子を決めながら、国木田と歩いて行く。
×××
その日の夜、志賀が武者小路の部屋を訪ねた。
「…ムシャ」
「分かっているよ。
僕はただでは起き上がらないんだ、気にしないで。
それよりも、志賀の本音をやっと聞けて嬉しいよ」
その言葉に、志賀が泣きそうになった。
「わりぃ、俺、ムシャがあの時、扉の向こうに立っていたこと…」
「何を言っているのさ。僕は大丈夫。
それよりも、散々嘘を吐いて傷付けてきた彼女を心配してあげて」
志賀が丁寧に何度も礼を告げて退室した後、武者小路は自身の頬を伝う涙に気が付いたのだった。
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