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自然主義
ゆめうつつ
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最近、彼女が忙しい。
政府から、立て続けに有碍書や白い本が送られてくる。この国の文学は、前よりもずっと早いペースで本の侵蝕が進んでいるらしい。
僕達の使命は、侵蝕者から文学を守ることだ。
だから、政府が送り続ける本の中に潜って浄化し続ける。
この図書館だけでも、僕のような文豪はもう40人以上が揃った。
だから、連続で潜書する事だって可能だ。
負傷したり、空腹で動けなくなったり、疲れたりしたら誰かと交代できる。
でも、司書は1人しかいない。
いや、司書は複数人いる。
けれど、僕達文豪を纏める『特務司書』という肩書きが与えられたアルケミストは1人しかいないのだ。
夜遅くまで起きて仕事をしている姿を、もう何日も見ている。
最近では、図書館業務に関わる暇もないらしく、一般司書に任せているみたいだ。
彼女は専ら司書室で、アルケミストとしての仕事をこなし続けている。
「少しくらい休憩しなよね」
「あ、徳田先生。ありがとうございます」
お礼を言いつつも、彼女の目は僕を見てはいない。視線は、僕の先の壁掛け時計に向けられている。時計を見て驚く彼女。時間が足りないらしい。
僕は、いや、最近助手を務めている人はみんなそうだ。
彼女が少しは休憩するように、あえて熱い飲み物を差し出す。熱いものは冷めてから飲むと美味しくないからね。
目論見通りに彼女は、熱い状態のカップに口をつける。
でも、その右手にはペンを持ったままだった。
「ちょっと、休憩中くらい仕事は辞めなよ。集中力が鈍るよ」
「分かってはいるのですが…しかし、やらなくてはいけないことが多くて」
「…」
ジロリと睨めば、彼女は諦めたようにペンを置き、一気にカップの中の飲み物を喉に流し込んだ。
そして、そのままカップを置き、再びペンを握って書類に目を向けた。
どうやら、休憩はもう終わりらしい。
何が働き方改革だ。
政府が積極的に長時間労働を強いているじゃないか。若い彼女のプライベートの時間まで食い潰しているのは、政府だ。
だいたい、彼女も真面目すぎやしないか。
きっと、たまにはお洒落をして街に買い物に出たりしたい筈だろう。
暇があったら、僕の買い物にも付き合ってくれただろうに。僕は新しい万年筆と師匠に頼まれた和菓子を買いに行きたいから付き合って欲しいのに、言い出す機会がまったくない。
「ねえ、次はいつ休めそうなの?」
「うーん、この白い本の侵蝕を抑えて、政府に報告書を出せたらですかね?
この次に更に何か送るとは言われてないです」
「そう。じゃあ、はやく侵蝕を抑えようか」
「え、はい」
「僕が会派筆頭でいいね?」
「え?」
彼女が顔を上げた。
「確かに、最近きた人のレベリングも大切だけど、僕達は君が居なきゃ何も出来ないからね。君のためにも、早く終わらせよう」
「え」
「会派筆頭は僕だ。後の3人は、鏡花、島崎、萩原くんでいいだろう」
「え、あ」
「練度順だよ。早く終わらせるには妥当でしょ」
報告書作成なんて、後で出来るから。
とにかく早くあの本の侵蝕を止めよう。
彼女の手を取って、僕は潜書室へ向かう。
偶然、途中で鏡花や島崎は勿論、萩原くんにも会えたので彼等も潜書室へ来てもらう。
「じゃあ、さっさと始めようか」
「待ちなさい、秋声。僕達だけでは直ぐに疲れてしまいます。もう1会派増やして交代で行きましょう」
「…花袋の会派、呼んでくるね」
島崎が部屋を後にした。
花袋の会派は、僕達の次に練度が高いから、交代で潜書するのに都合がいい。
島崎が戻って来て、第2会派にも事の詳細を伝えると、快諾して貰えた。
彼女だけが戸惑っていたが、強硬な姿勢に諦めたのか、食堂の人にも声を掛けて、ローテーション可能な状態にしていた。補修室は森さんが調速機を用意して待機しているらしい。
「じゃあ、行ってくるよ」
迷わずに、最奥の敵まで行けますように。
「はあ、司書さんも程々にしとけよな?」
「でも…」
「怒った時の秋声は怖いだろ?」
「…はい」
早く仕事を終わらせる為に、文豪が本の中に潜っている間も、司書は報告書を書き続けていた。
それを見た、第2会派の面子が揃って溜息を吐いていた。
×××
「も、もう今日はここで辞めとこうぜ…」
「はぁ…そうだね」
「お、お疲れ様でした。お風呂、沸かせてありますので、各自お入りください。あの、ありがとうございました」
第1会派と第2会派が交代で潜書した。
それぞれ10回以上潜書し、疲労も蓄積されてきて限界を感じたので、今日の潜書はここまでとなった。
司書は、集まったデータを持って司書室へ帰る。
流石に、今日これ以上 机に向かうのは明日の仕事に支障をきたすと判断したのか、彼女は机の上を整理すると、司書室の電気を消した。
司書室の奥の扉を開けると、特務司書の自室がある。
彼女は適当に制服を脱いで、自室に備え付けられてあるお風呂へ向かった。
×××
翌日も、司書はよく働いた。
昨日の第1会派と第2会派の働きぶりを聞きつけた文豪達が、「自分達もそれに協力させろ」と迫ってきた為、今日は第4会派まで全て編成された。
そして、交代で潜書する。
助手の久米正雄が、時々 司書にお茶を渡していた。
午前中から行われていた潜書は、お昼で一度区切られ、午後2時から再度行われることとなった。
文豪達は食堂へ向かうが、司書は報告書を纏め続けていた。
それに気付いた徳田は、食堂で2人分の昼食を受け取り、司書室へ向かった。
「ほら、ご飯くらいきちんと食べなよ」
「あ、すみません」
司書は、心配される事は有り難かったが、内心舌打ちしていた。
久米の様に、司書にまだ強くものを言えない文豪ならば、少々食事を抜こうが、食べながら仕事をしようが、あまり口煩く言われる事はない。
しかし、徳田や北原のような文豪は違う。
司書が食事と並行して仕事をしようものならば、書類を破り捨てかねない。
司書は渋々、ペンを置いて 徳田の待つ机に向かう。
「ありがとうございます」
「いただきます」「いただきます」
「また、後で休憩入れるからね」
「そんなに休憩ばかりでは仕事が進みません。早く終わらしたいんじゃないんですか?」
「早く終わらせたいよ。でも、司書さんが無理をしない事の方が大切だ」
「無理なんて」
「してる。目の下のクマ、もうずっと消えてないね」
「…コンシーラーで隠してますよ」
「隠しきれてないし、なんなら唇の色も悪い」
「…」
「濃い色の紅で誤魔化せると思った?その紅も似合うけど、僕は君をずっと見てきたんだから無駄だよ。大人しく休むんだ」
「…はあ」
目の前の男は、よく「口煩い鏡花が…」と口にしているが、司書にしてみれば、徳田も泉と似ているところがあると思う。
以前、泉を助手にしたときもそう思ったのだ。似た者同士だからこそ、喧嘩が絶えないのだろう。
「ご馳走さまでした。
さて、午前中の潜書結果だけまとめてあとは2時まで休憩しますね」
「ああ、是非そうしてくれ。助手の久米くんには、司書さんを見張る様に頼んでおくよ」
徳田が2人分の空いた食器を持って部屋から出て行った。
×××
「はぁい、では只今から、再度潜書して頂きます」
「あとどのくらいで侵蝕を止められるんだい?」
「あと…20回も潜書すれば、本の最奥まで浄化出来そうです」
「じゃあ、各会派あと5回だね。さっさと終わらせようか」
「光さん!午後からも頑張ろうね」
「賢治さん、午前中は助かったよ」
「みなさん!お疲れ様でしたー!!!」
午後の潜書で、ついに本の侵蝕が食い止められた。安堵する文豪と、嬉しそうな司書。
日頃の疲れを解消する為、今日の晩は宴会となった。
司書は、政府に送る報告書を纏めてネコに手渡し、怠い身体を引きずって図書館へ向かった。
一般司書に止められながらも、図書館業務をこなしていた。
「あれ、司書さんは?」
「ああ、秋声。怪我はもういいのか?」
「まあね、軽い切り傷だったし」
「司書さんなら、図書館で来館者の対応をしてたぜ」
「はぁ、まだあの子は働く気なのか」
「若いんだし、いいんじゃねえの?無理は今しか出来ねぇよ」
「いま無理をして、今後に悪い影響を与えてしまえば本末転倒だろう」
「確かにな。でも秋声も休めよな」
「そうするよ、花袋も休むんだよ」
×××
「みなさん、お疲れ様でしたー!乾杯!」
晩に宴会が始まると、早速 酒好きの文豪が司書に絡みに行った。
徳田は、それを見ながらも、自然主義の仲間達と文学談義に花を咲かせていた。
しかし、いつまで経っても司書は自然主義の所には来なかった。
余裕派、白樺派、紅露、耽美主義…他の文豪に絡まれてばかりで、司書は自然主義の所まで辿り着けて居なかったのだ。
「…秋声?」
「なんだよ島崎」
「秋声、怖い顔してるよ」
「そうかい?」
「ああ、司書さんが気になるなら連れ出せば良いのに」
「なっ」
「俺たちが気づかないと思ったか?
人間のありのままの姿を描く俺たちだぜ、人の変化にはすぐ気付くよ」
「国木田も花袋も気づいてた訳?」
「あったりめーよ!秋声は意外と顔に出るタイプだしな」
国木田と田山が笑い飛ばす。
島崎は、取材の準備を進めていた。
「…勘弁してよ」
「お待たせしました~!」
「司書さん、待ってたよ」
「…?」
島崎が、嬉々とした表情で司書を見た。
彼女が自然主義の集まりの所へ来た後も、司書は徳田以外の自然主義文豪の質問攻めにあっていた。
つまり、徳田は司書と話せていないのだ。
「…ねえ」
「なんだよ秋声」
徳田が、司書の前に座っていた国木田と田山の肩に手を置く。
「そろそろ司書さんを僕に返して」
少し苛立ったような低い声で言う。
「「…あっ」」
国木田と田山は顔を見合わせる。島崎は、それすらも嬉々として様子をメモ帳に取る。
「ねぇ、もう行くよ」
「え、まだ泉先生達と話してない…」
「鏡花なんていいから」
徳田が、司書の手を引いて、宴会会場であった食堂から出て行った。
「…明日、スクープの予感だね」
「記事にしたら秋声に張り倒されそうだな」
「…徳田先生?」
「…」
痛くない程度に握られた手首。
司書が小走りになってしまう速さで、徳田はズンズンと自室に向かって歩き続ける。
酒には弱かっただろうか。
司書は酒に弱いが、今日は佐藤春夫に薄目に作ってもらったカクテルを飲んでいた。しかし、宴の序盤に中原や坂口に煽られてアンコールの強いお酒を飲んだせいで意識はぼんやりとしている。
一方で、徳田が酒で酔い潰れている所を、司書は見たことが無い。酒に強いのか、溺れる程には飲まないだけなのか。
「…なんだっけ、あれ」
佐藤に作って貰って、ひと口飲めば気に入って何杯か頼んだあのカクテルは何だっただろうか。
徳田の自室前に着けば、彼は躊躇わずに司書を部屋に引き摺り込んで、部屋の鍵を閉める。
流石に身の危険を感じた司書は、漸く徳田に握られた手首を解こうとしたが、先程とは違い、痛みを感じる強さで握られる。
「痛い」
「知らない」
「痛いの、嫌」
「知らない」
「痛いの!離して!」
「…」
司書が大声を出すと、徳田は彼女の手の拘束を緩めた。
しかし、それは一瞬で、彼は彼女の身体を抱き締めた。
「え」
「僕を置いて行くから」
「なに、それ」
「僕の所に1番に来てくれなきゃ困る」
「どうして」
「君と一緒に居たいから」
「嘘だ」
「嘘じゃない。君が僕を求めてくれなきゃ嫌なんだ」
「なんで」
「好きだから」
「…もう1回」
「ちゃんと1回で聞いてくれよ。好きだよ。
君が、牡丹のことが好きなの」
徳田は、司書の身体をキツく抱きしめたまま言う。頭を、司書の肩に乗せた。
「…私」
「何も言わないで。どうせ、こんな地味な僕なんて好かれないんだ。分かってる」
「…じゃあ、どうして」
「でも、言わなきゃ、君は僕を意識してくれないじゃないか」
徳田が顔を上げ、司書と目を合わせた。
「僕を忘れないように、傷付けてあげる」
「…え?」
瞳の奥が笑っていない笑顔を見せられ、司書の足は竦む。
怖くて逃げ出そうとしても、徳田の手が司書の肩を押さえ込んで離さない。
殺されるのでは、と彼女は恐怖を感じたが、そんな彼女の思いとは裏腹に、徳田は彼女の首筋に口付けた。
「ひっ」
「…隠すなよ」
首筋をペロリと舐めたかと思えば、キツく吸われる。軽く痛みを感じ、司書は目を閉じた。
徳田は直ぐに顔を上げて、司書の首筋に付いた跡を見て満足げに笑う。
「何処に、あと何個付けようかな」
舌舐めずりする徳田を色っぽいと思った司書だが、どろどろに身体を溶かされ後悔する羽目となった。
×××
「あれ、司書さん、今日は髪を下ろしているのですね」
「…はい、たまにはこういう日もいいかなって」
「素敵ですよ。でも折角ですから、もし宜しければ、私に髪のセットをさせてくださいませんか?」
「あっ、今日は、ダメ…です。すみません。でも、今度谷崎先生にお願いしても良いですか?」
「あら、残念です。でも、貴女からのお願いは大歓迎ですよ、お待ちしております」
ニッコリと目を細めて笑う谷崎の視線の先には、司書が髪で隠しているつもりらしい、首筋に見える赤い跡があった。
「春夫さんも、徳田さんの気持ちを分かっていて作ったのでしょうか…」
佐藤が司書に作ったカクテル:テキーラサンライズ
カクテル言葉:熱烈な恋
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政府から、立て続けに有碍書や白い本が送られてくる。この国の文学は、前よりもずっと早いペースで本の侵蝕が進んでいるらしい。
僕達の使命は、侵蝕者から文学を守ることだ。
だから、政府が送り続ける本の中に潜って浄化し続ける。
この図書館だけでも、僕のような文豪はもう40人以上が揃った。
だから、連続で潜書する事だって可能だ。
負傷したり、空腹で動けなくなったり、疲れたりしたら誰かと交代できる。
でも、司書は1人しかいない。
いや、司書は複数人いる。
けれど、僕達文豪を纏める『特務司書』という肩書きが与えられたアルケミストは1人しかいないのだ。
夜遅くまで起きて仕事をしている姿を、もう何日も見ている。
最近では、図書館業務に関わる暇もないらしく、一般司書に任せているみたいだ。
彼女は専ら司書室で、アルケミストとしての仕事をこなし続けている。
「少しくらい休憩しなよね」
「あ、徳田先生。ありがとうございます」
お礼を言いつつも、彼女の目は僕を見てはいない。視線は、僕の先の壁掛け時計に向けられている。時計を見て驚く彼女。時間が足りないらしい。
僕は、いや、最近助手を務めている人はみんなそうだ。
彼女が少しは休憩するように、あえて熱い飲み物を差し出す。熱いものは冷めてから飲むと美味しくないからね。
目論見通りに彼女は、熱い状態のカップに口をつける。
でも、その右手にはペンを持ったままだった。
「ちょっと、休憩中くらい仕事は辞めなよ。集中力が鈍るよ」
「分かってはいるのですが…しかし、やらなくてはいけないことが多くて」
「…」
ジロリと睨めば、彼女は諦めたようにペンを置き、一気にカップの中の飲み物を喉に流し込んだ。
そして、そのままカップを置き、再びペンを握って書類に目を向けた。
どうやら、休憩はもう終わりらしい。
何が働き方改革だ。
政府が積極的に長時間労働を強いているじゃないか。若い彼女のプライベートの時間まで食い潰しているのは、政府だ。
だいたい、彼女も真面目すぎやしないか。
きっと、たまにはお洒落をして街に買い物に出たりしたい筈だろう。
暇があったら、僕の買い物にも付き合ってくれただろうに。僕は新しい万年筆と師匠に頼まれた和菓子を買いに行きたいから付き合って欲しいのに、言い出す機会がまったくない。
「ねえ、次はいつ休めそうなの?」
「うーん、この白い本の侵蝕を抑えて、政府に報告書を出せたらですかね?
この次に更に何か送るとは言われてないです」
「そう。じゃあ、はやく侵蝕を抑えようか」
「え、はい」
「僕が会派筆頭でいいね?」
「え?」
彼女が顔を上げた。
「確かに、最近きた人のレベリングも大切だけど、僕達は君が居なきゃ何も出来ないからね。君のためにも、早く終わらせよう」
「え」
「会派筆頭は僕だ。後の3人は、鏡花、島崎、萩原くんでいいだろう」
「え、あ」
「練度順だよ。早く終わらせるには妥当でしょ」
報告書作成なんて、後で出来るから。
とにかく早くあの本の侵蝕を止めよう。
彼女の手を取って、僕は潜書室へ向かう。
偶然、途中で鏡花や島崎は勿論、萩原くんにも会えたので彼等も潜書室へ来てもらう。
「じゃあ、さっさと始めようか」
「待ちなさい、秋声。僕達だけでは直ぐに疲れてしまいます。もう1会派増やして交代で行きましょう」
「…花袋の会派、呼んでくるね」
島崎が部屋を後にした。
花袋の会派は、僕達の次に練度が高いから、交代で潜書するのに都合がいい。
島崎が戻って来て、第2会派にも事の詳細を伝えると、快諾して貰えた。
彼女だけが戸惑っていたが、強硬な姿勢に諦めたのか、食堂の人にも声を掛けて、ローテーション可能な状態にしていた。補修室は森さんが調速機を用意して待機しているらしい。
「じゃあ、行ってくるよ」
迷わずに、最奥の敵まで行けますように。
「はあ、司書さんも程々にしとけよな?」
「でも…」
「怒った時の秋声は怖いだろ?」
「…はい」
早く仕事を終わらせる為に、文豪が本の中に潜っている間も、司書は報告書を書き続けていた。
それを見た、第2会派の面子が揃って溜息を吐いていた。
×××
「も、もう今日はここで辞めとこうぜ…」
「はぁ…そうだね」
「お、お疲れ様でした。お風呂、沸かせてありますので、各自お入りください。あの、ありがとうございました」
第1会派と第2会派が交代で潜書した。
それぞれ10回以上潜書し、疲労も蓄積されてきて限界を感じたので、今日の潜書はここまでとなった。
司書は、集まったデータを持って司書室へ帰る。
流石に、今日これ以上 机に向かうのは明日の仕事に支障をきたすと判断したのか、彼女は机の上を整理すると、司書室の電気を消した。
司書室の奥の扉を開けると、特務司書の自室がある。
彼女は適当に制服を脱いで、自室に備え付けられてあるお風呂へ向かった。
×××
翌日も、司書はよく働いた。
昨日の第1会派と第2会派の働きぶりを聞きつけた文豪達が、「自分達もそれに協力させろ」と迫ってきた為、今日は第4会派まで全て編成された。
そして、交代で潜書する。
助手の久米正雄が、時々 司書にお茶を渡していた。
午前中から行われていた潜書は、お昼で一度区切られ、午後2時から再度行われることとなった。
文豪達は食堂へ向かうが、司書は報告書を纏め続けていた。
それに気付いた徳田は、食堂で2人分の昼食を受け取り、司書室へ向かった。
「ほら、ご飯くらいきちんと食べなよ」
「あ、すみません」
司書は、心配される事は有り難かったが、内心舌打ちしていた。
久米の様に、司書にまだ強くものを言えない文豪ならば、少々食事を抜こうが、食べながら仕事をしようが、あまり口煩く言われる事はない。
しかし、徳田や北原のような文豪は違う。
司書が食事と並行して仕事をしようものならば、書類を破り捨てかねない。
司書は渋々、ペンを置いて 徳田の待つ机に向かう。
「ありがとうございます」
「いただきます」「いただきます」
「また、後で休憩入れるからね」
「そんなに休憩ばかりでは仕事が進みません。早く終わらしたいんじゃないんですか?」
「早く終わらせたいよ。でも、司書さんが無理をしない事の方が大切だ」
「無理なんて」
「してる。目の下のクマ、もうずっと消えてないね」
「…コンシーラーで隠してますよ」
「隠しきれてないし、なんなら唇の色も悪い」
「…」
「濃い色の紅で誤魔化せると思った?その紅も似合うけど、僕は君をずっと見てきたんだから無駄だよ。大人しく休むんだ」
「…はあ」
目の前の男は、よく「口煩い鏡花が…」と口にしているが、司書にしてみれば、徳田も泉と似ているところがあると思う。
以前、泉を助手にしたときもそう思ったのだ。似た者同士だからこそ、喧嘩が絶えないのだろう。
「ご馳走さまでした。
さて、午前中の潜書結果だけまとめてあとは2時まで休憩しますね」
「ああ、是非そうしてくれ。助手の久米くんには、司書さんを見張る様に頼んでおくよ」
徳田が2人分の空いた食器を持って部屋から出て行った。
×××
「はぁい、では只今から、再度潜書して頂きます」
「あとどのくらいで侵蝕を止められるんだい?」
「あと…20回も潜書すれば、本の最奥まで浄化出来そうです」
「じゃあ、各会派あと5回だね。さっさと終わらせようか」
「光さん!午後からも頑張ろうね」
「賢治さん、午前中は助かったよ」
「みなさん!お疲れ様でしたー!!!」
午後の潜書で、ついに本の侵蝕が食い止められた。安堵する文豪と、嬉しそうな司書。
日頃の疲れを解消する為、今日の晩は宴会となった。
司書は、政府に送る報告書を纏めてネコに手渡し、怠い身体を引きずって図書館へ向かった。
一般司書に止められながらも、図書館業務をこなしていた。
「あれ、司書さんは?」
「ああ、秋声。怪我はもういいのか?」
「まあね、軽い切り傷だったし」
「司書さんなら、図書館で来館者の対応をしてたぜ」
「はぁ、まだあの子は働く気なのか」
「若いんだし、いいんじゃねえの?無理は今しか出来ねぇよ」
「いま無理をして、今後に悪い影響を与えてしまえば本末転倒だろう」
「確かにな。でも秋声も休めよな」
「そうするよ、花袋も休むんだよ」
×××
「みなさん、お疲れ様でしたー!乾杯!」
晩に宴会が始まると、早速 酒好きの文豪が司書に絡みに行った。
徳田は、それを見ながらも、自然主義の仲間達と文学談義に花を咲かせていた。
しかし、いつまで経っても司書は自然主義の所には来なかった。
余裕派、白樺派、紅露、耽美主義…他の文豪に絡まれてばかりで、司書は自然主義の所まで辿り着けて居なかったのだ。
「…秋声?」
「なんだよ島崎」
「秋声、怖い顔してるよ」
「そうかい?」
「ああ、司書さんが気になるなら連れ出せば良いのに」
「なっ」
「俺たちが気づかないと思ったか?
人間のありのままの姿を描く俺たちだぜ、人の変化にはすぐ気付くよ」
「国木田も花袋も気づいてた訳?」
「あったりめーよ!秋声は意外と顔に出るタイプだしな」
国木田と田山が笑い飛ばす。
島崎は、取材の準備を進めていた。
「…勘弁してよ」
「お待たせしました~!」
「司書さん、待ってたよ」
「…?」
島崎が、嬉々とした表情で司書を見た。
彼女が自然主義の集まりの所へ来た後も、司書は徳田以外の自然主義文豪の質問攻めにあっていた。
つまり、徳田は司書と話せていないのだ。
「…ねえ」
「なんだよ秋声」
徳田が、司書の前に座っていた国木田と田山の肩に手を置く。
「そろそろ司書さんを僕に返して」
少し苛立ったような低い声で言う。
「「…あっ」」
国木田と田山は顔を見合わせる。島崎は、それすらも嬉々として様子をメモ帳に取る。
「ねぇ、もう行くよ」
「え、まだ泉先生達と話してない…」
「鏡花なんていいから」
徳田が、司書の手を引いて、宴会会場であった食堂から出て行った。
「…明日、スクープの予感だね」
「記事にしたら秋声に張り倒されそうだな」
「…徳田先生?」
「…」
痛くない程度に握られた手首。
司書が小走りになってしまう速さで、徳田はズンズンと自室に向かって歩き続ける。
酒には弱かっただろうか。
司書は酒に弱いが、今日は佐藤春夫に薄目に作ってもらったカクテルを飲んでいた。しかし、宴の序盤に中原や坂口に煽られてアンコールの強いお酒を飲んだせいで意識はぼんやりとしている。
一方で、徳田が酒で酔い潰れている所を、司書は見たことが無い。酒に強いのか、溺れる程には飲まないだけなのか。
「…なんだっけ、あれ」
佐藤に作って貰って、ひと口飲めば気に入って何杯か頼んだあのカクテルは何だっただろうか。
徳田の自室前に着けば、彼は躊躇わずに司書を部屋に引き摺り込んで、部屋の鍵を閉める。
流石に身の危険を感じた司書は、漸く徳田に握られた手首を解こうとしたが、先程とは違い、痛みを感じる強さで握られる。
「痛い」
「知らない」
「痛いの、嫌」
「知らない」
「痛いの!離して!」
「…」
司書が大声を出すと、徳田は彼女の手の拘束を緩めた。
しかし、それは一瞬で、彼は彼女の身体を抱き締めた。
「え」
「僕を置いて行くから」
「なに、それ」
「僕の所に1番に来てくれなきゃ困る」
「どうして」
「君と一緒に居たいから」
「嘘だ」
「嘘じゃない。君が僕を求めてくれなきゃ嫌なんだ」
「なんで」
「好きだから」
「…もう1回」
「ちゃんと1回で聞いてくれよ。好きだよ。
君が、牡丹のことが好きなの」
徳田は、司書の身体をキツく抱きしめたまま言う。頭を、司書の肩に乗せた。
「…私」
「何も言わないで。どうせ、こんな地味な僕なんて好かれないんだ。分かってる」
「…じゃあ、どうして」
「でも、言わなきゃ、君は僕を意識してくれないじゃないか」
徳田が顔を上げ、司書と目を合わせた。
「僕を忘れないように、傷付けてあげる」
「…え?」
瞳の奥が笑っていない笑顔を見せられ、司書の足は竦む。
怖くて逃げ出そうとしても、徳田の手が司書の肩を押さえ込んで離さない。
殺されるのでは、と彼女は恐怖を感じたが、そんな彼女の思いとは裏腹に、徳田は彼女の首筋に口付けた。
「ひっ」
「…隠すなよ」
首筋をペロリと舐めたかと思えば、キツく吸われる。軽く痛みを感じ、司書は目を閉じた。
徳田は直ぐに顔を上げて、司書の首筋に付いた跡を見て満足げに笑う。
「何処に、あと何個付けようかな」
舌舐めずりする徳田を色っぽいと思った司書だが、どろどろに身体を溶かされ後悔する羽目となった。
×××
「あれ、司書さん、今日は髪を下ろしているのですね」
「…はい、たまにはこういう日もいいかなって」
「素敵ですよ。でも折角ですから、もし宜しければ、私に髪のセットをさせてくださいませんか?」
「あっ、今日は、ダメ…です。すみません。でも、今度谷崎先生にお願いしても良いですか?」
「あら、残念です。でも、貴女からのお願いは大歓迎ですよ、お待ちしております」
ニッコリと目を細めて笑う谷崎の視線の先には、司書が髪で隠しているつもりらしい、首筋に見える赤い跡があった。
「春夫さんも、徳田さんの気持ちを分かっていて作ったのでしょうか…」
佐藤が司書に作ったカクテル:テキーラサンライズ
カクテル言葉:熱烈な恋
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