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「はあ…見つかったか。僕は徳田秋声。あまり面倒には巻き込んで欲しくないね」
初めての出会いは、正直、あまりいい印象ではなかった。
×××
特務司書となり初めて図書館に行ったあの日。
初めて会ったのは、徳田秋声だった。
私が選んだ中野重治さんと徳田秋声さん。初めての潜書で来てくれた小林多喜二さんと泉鏡花さん。
そして、国から全ての図書館に配属されることになった小泉八雲さんと萩原朔太郎さん。
私の特務司書生活は、このように始まった。
×××
「初日から泉鏡花だと!?」
「こっちの図書館では半年経った今でも泉がいないというのに…」
私は、強運体質だと自負している。
初日から、徳田秋声と泉鏡花を会わせることが出来たこと。
特務司書に就任してから1ヶ月しない内に、所謂虹レアの泉鏡花、芥川龍之介、太宰治を全員図書館に迎え入れたこと。
栞なしに数回で坂口安吾を呼び出したこと。
国からの期待を一身に背負い、私は日々仕事に打ち込んだ。
あまりの仕事の多さに、心が押し潰されそうになった時。理不尽な国の役人の対応に辟易していた時。自信を失った時。美しいこの国の四季を感じさせてくれた時。
ここの図書館の文豪は、みんな、あまりにも優し過ぎた。
私は、禁忌を犯している錬金術師なのに。みんな、いつも私と笑ってくれた。
×××
この図書館に配属されてから、幾つの季節を過ごしただろう?
春には、花見を。
夏には、花火を。
秋には、運動会を。
冬には、クリスマス会を。
それ以外にも、文豪1人1人の誕生日会を。
懇親会を。忘年会を。
理由を付けては参加自由で、いろいろな催し物を行なった。
「参加自由」と伝えているのに、どうしてかこの図書館にいる文豪は、全ての催し物に殆どの人が参加していた。
×××
本人の意思とは無関係に、私は彼らに2度目の生を与えた。
そして、戦った経験などない人を戦場へ送り出して戦わせる毎日。
耗弱状態や、喪失状態になって戻って来るのは勿論、少しでも彼らが怪我をするのが嫌だった。
それでも、彼らは戦い続けてくれた。自らは戦地へ赴かずにただ帰還を待ち続けるだけの私を、受け入れてくれた。
有碍書は、浄化しても浄化しても、次々に新しい物が送られてくる毎日だった。
早く文豪の皆さんに戦いを終わらせてあげたくて。早く傷付く皆さんを見なくていいよう。
全力で取り組んで来た日々。
時の流れはとても早くて、毎日が充実していた事を今更ながらに実感した。
【全ての有碍書は浄化された。
優秀な特務司書として働いてくれたことを我々は嬉しく思う。
本日から1ヶ月後の、○月×日18:00をもつて、当該図書館は閉館とする)
全ての報告書を国に提出した数週間後。
目を疑うような通知が届いた。
「…聞いてない」
私が、文豪が、努力した意味はあったのだろうか。
私は、優秀な特務司書です。
上手く行っていない図書館の代わりに、私の図書館が他の図書館の仕事を背負うから、どうか閉館だけは辞めて欲しい。
とてもじゃないけれど受け入れられない通知に、泣いて叫んで抗議したって、閉館は避けられなかった。いつも政府は身勝手だ。
戦いが終わり、平和が訪れた図書館。
皆さんの守る作品は、これからも人々に読まれ残り続ける。
数週間前、全ての有碍書を浄化した。
「最後は、初期メンがばっちりかっこよくキメよう」という図書館満場一致の意見で、先鋭メンバーである、徳田秋声、泉鏡花、萩原朔太郎、小泉八雲の4人が潜書した。
4人が無事に潜書を完了させ、その日は宴会となった。館長も猫さんも呼んで。
それから、平和な日々が続いていたのに。
【閉館】
この日常は、もう直ぐ消える。
1人、司書室で気が付いたら泣いていた。
有碍書を全て浄化してから、助手は付けないようにしていた。もう私自身も特に仕事がなく、助手の手を借りる必要はなかったからだ。
1人だから、ここで我慢せずに泣ける。
みなさんには、もっとゆっくりとこの世界を満喫して欲しかった。
涙を流しつつも司書室を見渡す。
コツコツ頑張って貯めたお金で揃えた司書室の内装、気に入っているのに。
「まだ窮屈ですけれど、最初の殺風景な司書室からは想像がつかないくらい素敵な部屋になりましたね!」って、つい最近、ムシャ先生に言われたのに?
別れたくない。
みんなで、ここで、これからも過ごしたい。
私は、本を守る為に、文豪を死後の世界から呼んだ。
だから、その目的を達成した今、彼らを元の世界に戻す必要があるのは理解出来ていたつもりだった。けれど、実際にその日が来るとは思っていなかった。
いつの間にか、彼らとずっと過ごせると思い込んでいた。彼らは、仕方がなく戦っていただけなのに。
コンコン
司書室の扉に、控えめなノックの音が響いた。
「はい」
返事をして、私は涙を袖で乱暴に拭き、閉館通知を机の引き出しに隠した。
まだ、私は閉館を伝える勇気がない。
「失礼するよ」
「…徳田さん」
司書室に入って来たのは、初めて会った文豪である徳田秋声さんだった。
「司書さん、どうして泣いているの」
「泣いてないですよ」
「嘘。目が赤く潤んでいる。僕が見逃すとでも思った?」
徳田さんは、ため息を吐くと、私の頭を掻き抱いた。
「徳田さん?」
「泣きたい時は、泣くといいよ」
「え」
「理由は聞かないから、とりあえず泣きなよ。
君が落ち着くまで僕はいるから」
出会った時からは想像が出来ない様な、甘く優しい声が掛けられる。
私は、溢れ出る涙を抑える術を知らなかった。
×××
「………」
あれから、どれくらい私は泣いていたんだろう。
徳田さんの胸に抱かれ、司書室で情けなくも泣き続けた。徳田さんは何も言わず、ただ、ずっと、私の頭を撫でてくれていた。
「…徳田さん、泣き止みました」
「落ち着いた?」
「はい」
「よかった。君に泣かれると、僕はどうしていいのか分からなくなる」
徳田さんは、普段のしかめっ面からは想像が出来ないけれど、優しく私の目を見て微笑み、また強く私を抱き締めた。
「頑張ったね」
「え?」
思いもよらぬ言葉が掛けられた。
「今まで、僕は君が泣いている所を見たことがない。
この図書館で君と過ごした時間が最も長い僕が言うんだ、きっと他の人だって君の泣く姿を見たことはない筈だ。僕たちの前で泣けなかったのか、泣かなかったのか、それは僕には分からない。
けれど、君は、本当によく頑張った。
有碍書は全て浄化され、本は守られた。
それは、僕たちが浄化したからなんだけれども、僕たちがこうして動くことは、君が居なくちゃ出来ないんだ。
僕は、君が居てくれて助かった。君がこの図書館の司書だったから、僕達は頑張れた。僕は、自分の作品を自分で守れたのが嬉しいよ。
僕を、ここに呼んでくれてありがとう」
「どうして、また泣かせるんですか…」
再び、徳田さんの胸に顔を押し付けた。
この図書館が閉館となることは、私が努力したって変わらない。
だから、私はこの事実を早めに皆さんに伝える必要があると思う。
2度目の人生でやり直すことを全て終えるために。
×××
徳田さんの胸で泣いた日、私はそのまま自室に徳田さんを招いた。
男女の関係に持ち込みたかった訳ではなく、ただ、1人になるのが怖かったからだ。
徳田さんは、驚き、拒否していたが、私が駄々をこねて意見を押し通した。
徳田さんと一緒に狭いシングルベッドに入り、私は徳田さんの腕の中で眠りに就いた。
泣き疲れたからか、徳田さんの体温が気持ち良かったからか、ベッドに入って直ぐに眠りに落ちていた。
×××
-翌日-
朝、目が覚めると、徳田さんが隣で眠っていた。
あまりに綺麗な寝顔に、魅入ってしまった。
貴方は、自分を地味だと言うけれど、決してそんなことは無いと思う。
「…大胆過ぎた、かな」
何も無かったとは言え、男性に胸を借りた後に自室に呼び、添い寝をせがむだなんて、はしたない浅はかな行動だったかもしれない。
徳田さんの様な、理性的な人だったから何も無かったが、太宰さんの様な私に強烈に好き好きアピールをしてくださる方だったら、こんなに穏やかに朝を迎えることは出来なかったかもしれない。太宰さんに失礼だけど。
ああ、徳田さんに怒られるかな。
もう一度、徳田さんを見る。
サラサラの黒髪に、長い睫毛。
つり上がった目は閉じられている。
スッと通った鼻筋に、キュッと閉じられた口元。綺麗な顔。
「…しゅうせい」
素敵な名前を、ぽつりと呟く。
綺麗な音の名前。
「…ずっと見られていたら、恥ずかしいんだけれど」
「え、徳田さん、起きてらっしゃったんですか?」
「うん、さっきから」
「あっ、ごめんなさい…思わず名前を呼び捨てにしてしまって」
聞かれていたなんて、恥ずかしい。
思わず目を逸らしてしまう。
「いいよ」
「え」
「君の声が好きなんだ。秋声って呼んでよ」
「…秋声…さん」
「ふふ、照れ屋だなあ」
『本日18:00の図書館閉館後、全員必ず、食堂に集合してください。繰り返します。本日…』
徳田さんもとい、秋声さんとゆっくりとした朝の時間を過ごした後、私は秋声さんと別れて放送室へ向かった。
因みに、秋声さんに、改めて「徳田さん」と声を掛けるとあからさまに不機嫌な顔をするので、これからも「秋声さん」と呼ぶことにした。
まあ、そう呼べるのもあと1ヶ月なのだが。
放送室で、要件を図書館全体に向かって喋る。
今日、私は、みなさんに閉館の事を伝える。
「おっしょはん!」
「オダサクさん?」
興奮して、声が震えつつも喋り終えた直後、放送室にオダサクさんこと織田作之助さんが駆け込んで来た。
「おっしょはん!いまの放送、どないしたん?」
「あ、それで駆け込んでくださったんですか?
大丈夫ですよ、今日、皆さんの前でお話しします」
不安そうな顔をして私を見つめるオダサクさん。初期から一緒に戦って来た仲間。
私が落ち込んでいる時、徳田さんに怒られた時、1番励ましてくれたのはオダサクさんだった。
「お司書はんが落ち込むようなことはあらへんよな?」
「…ええ、大丈夫ですよ」
初めて、オダサクさんに嘘を吐いた。
×××
上手く説明出来るのか、今後どうなってしまうのか、焦る気持ちで、私の心臓はドクドクと煩い。
何度時計を見ても時間はあまり進んでいなくて。時が経つのはこんなにも遅かっただろうか?
誰かに顔を合わせると、オダサクさんのように私を心配してくれる人に嘘を吐かなきゃいけない気がして、私は1人、司書室へ繋がる自室で閉館時間になるのを待っている。
窓の外は、初めてここに来た時のようにたくさんの木々が風に揺られている。
×××
18:00
この図書館の閉館時間だ。
何度も時計を確認し、私は食堂へ向かう。
「あっ、司書さーん!」
「ムシャさん!こんばんは」
「こんばんは!今日会うのは初めてですね。
突然、集合だなんて言われちゃってびっくりしました」
天使の笑みで会話してくれるムシャさん。
ムシャさんと一緒に食堂へ入る。
この人数を収容出来る部屋は、食堂しかない。
「あ、ムシャさん。志賀君と待っていたよ」
「おせぇぞムシャ」
「ごめんね、ちょっと筆が止まらなくて」
「酒持ってこーい!」
「ちょっと、もうこんなに飲んだ訳!?」
「秋声、紅葉先生のお饅頭知りませんか?」
「え、ああ、戸棚の1番右奥にあったよ」
「今日のカレーも絶品だな!」
「ご飯を青色にしておきましたよ」
「ねえ、僕の万年筆知らない?」
「ワタシの怪談も聞いてくだサイ!」
まだ、図書館閉館から5分も経っていないのに、殆どの方が既に食堂にいた。
ここの皆さんは、いつも楽しそうだ。
そんな所で働けた私は幸せだな。
まだ、何も話していないのに、泣きそうだ。
「みなさん、お揃いですね?」
食堂に着いてから10分経って、ようやく私は食堂の前方に来て、喋り出した。
マイクを持つ手は、震えている。
「…っ」
いつになく静かなこの空間、多くの目が私を真っ直ぐに捉えている。
見つめられることによる緊張と、これから話す内容についての緊張。
落ち着こうとして深呼吸をする。
1番前の端に、尾崎さんの隣に座っている秋声さんと目が合った。
「みなさん、いつもありがとうございます。
みなさんのお陰で、有碍書は全て浄化され、この国の文学は守られました。
みなさんが居なくては出来なかった事です。本当に、私に力を貸してくださってありがとうございました!
さて、平和が訪れたこの時期に、こんなことを言うのは心苦しいのですが…
1ヶ月後、この図書館は閉館します」
×××
一瞬、空気が凍りついた。
そして、
「おっしょはん!どうしてや!今日会った時何もあらへん言うてたやん!」
「おいおい、聞いてねーぞ」
「我々はどうなるのだ?」
「孤独は、嫌だよ…」
「酒は?」
予想していた当然の反応が返って来た。
お酒は戸棚の下にあります。
「みんな、いっぺんに話したら司書さんが混乱するから黙りなよ」
「秋声の言う通りです。みなさん、一旦落ち着きましょう。司書さんから説明があるはずです」
誰の声から聞けばいいのかと、困ったところに、尾崎門弟の2人が私の前に出て来てみなさんを抑えてくれた。
再び静かになった食堂。
「…この図書館が閉館になった理由は、正直、私には分かりません。
私は、必死に皆さんと文学を守って来たつもりです。しかし、全ての報告書を国に提出した後、私の元へ送られてきた政府からの手紙は、【1ヶ月後の図書館閉館】の通知でした。
…皆さんは、この世界での役目を果たしたと言うことで、各々がここへ来た時の有魂書を使って、元の世界へ帰って頂くことになります。
私達、この時代の人間の都合で、勝手に皆さんを呼び出しておいて、用が済んだら帰れだなんて、本当に酷いことをしているという自覚はあります。申し訳ありません。
私には、政府のこの決定を覆すだけの権力も何もありません。今まで、ありがとうございました。
ここでの生活は、あと1ヶ月です。
みなさん、やり残したことのないように生活してください。
今までの報酬に加え、国からの特別恩賞が贈られて来ました。これで、今まで買えなかった物も買うことが出来ます。必要な物やお金がありましたら、私に言ってください。
…今まで、本当に本当にありがとうございました。
私から、みなさんに伝えなければいけないことは以上です」
あの日から、みなさん今まで以上に沢山、私に話し掛けてくださるようになった。
どれ位かと言うと、起きている間は常に誰かが私の側にいる。
勿論、助手なんてつけていないのに、誰かが毎日司書室にいる。
2度目の人生を終える事を悲しむ者、安堵する者様々な反応を見た。
残りの時間で、私が出来る事はなんだろう。
×××
「おー、司書じゃん。酒飲め酒!」
「中原さん、若山さん、昼間っから飲み過ぎですよ」
「もう飲まねーとやってらんねぇよ!」
×××
「おお、司書ではないか」
「尾崎さんに泉さん、こんにちは」
「こんにちは。司書さん、紅葉先生が気に入ってくださった饅頭を買いに行きたいのですが、良かったら一緒に行ってくださいませんか?
何せ遠いので、大量の饅頭を1人では持てないのです」
「どんだけ買うつもりですか!?でも、いいですよ。ぜひお供させてください」
「ありがとうございます」
「我からも礼を言うぞ。食べるときには其方も供にどうだ」
「いいんですか?是非!」
×××
「司書さーん!志賀が今日はチーズケーキを作ってくれました!これから食べるんですけど、一緒にどうですか?」
「え、食べたいです!」
「有島と志賀と小林さんが待ってますよ!食堂に行きましょう」
×××
「司書さん、羊羹はもうないのですか…?」
「夏目さん、食べ過ぎはダメですよ~」
「俺も饅頭が欲しいのだが…」
「夏目ー!今日こそはベースボーr」
「正岡!羊羹が先です!」
×××
「お肉より、お野菜がいいなあ」
「宮沢さんは、何が食べたいですか?」
「んーとねぇ、前に司書さんが作ってくれた…」
×××
1日に1回は、文豪の皆さんと話す機会があった。
それでも、どうしても会えない人がいた。
尾崎さんの部屋を訪れても、自然主義の皆さんがよく集まる部屋を訪れても、何処に行っても姿を見ない。
…秋声さん、何処にいるの。
「秋声なら、食堂で見たよ」
「え、さっきは図書館で見たぜ」
「僕は補修室に行く姿を見ました」
手当たり次第に聞いてそこへ行くものの、秋声さんは居ない。
何処に行ったんだろう。
×××
そうして、早いもので図書館閉館の日がやって来た。
あれから、秋声さんには会っていない。
「寂しいな…また、会えるといいけど」
「大丈夫です、またきっと会えますよ」
1人1人と言葉を交わし、私は彼らがやって来た有魂書を使って本の中へと彼らを帰す。
「1人にしないで…」
「大丈夫です、萩原さん!
私は貴方の詩集をずっと持っています!1人になんてしません!」
「…ありがとう」
泣き出す者、寂しくならないようにあっさりと帰ろうとする者、たくさんの人を見送る。
寂しい。
私は全員送り返したら、1人になっちゃうよ。
でも、そんな思いを隠して、最後の司書としての任務を遂行する。
有魂書の中に吸い込まれる様にして消えて行く文豪。
悲しくて、でも、泣かない様にして。
「貴方と会えて、僕は本当に嬉しかったです」
「泉さん、私もです」
そうして、残りは泉さんと秋声さんだけになった。
秋声さんは、ここに居ない。
「司書さん」
「はい」
「秋声を、頼みましたよ」
彼は、私の目を真っ直ぐに見つめてそう言った。
「…はい」
涙目で返事をすると、泉さんは満足そうな顔をして有魂書の中に入っていった。
残る文豪は、徳田秋声のみ。
「秋声さーん」
私は、1人ぼっちになってしまった図書館で、秋声さんを探す。
司書がいないと、文豪は有魂書の中には入る事が出来ないので、知らない間に勝手に帰ったと言うことはない筈だ。
「秋声さん」
「秋声さん、何処ですかー?」
「秋声さーん!!」
図書館をぐるりと一通り見て回っても、秋声さんは居ない。
食堂も、司書室も、大浴場も、中庭も、何処にもいない。
もしかして、自室に居るのかな?と思い、私は今はもう誰も住んで居ない文豪の居住スペースへ向かう。
コンコン
秋声さんの部屋の扉をノックする。
「はい」
返事があった。間違い無く、彼の声だ。
「秋声さん!」
勢いよく扉を開け、秋声さんの元へ行く。
「どうして1ヶ月間、図書館に来なかったんですか!?」
秋声さんの襟元を掴んで、思いっ切り自分の顔に引き寄せる。
「…会って仕舞えば、僕は、本の中へ帰るのを嫌がると思って」
「へ?」
「僕は、君と離れたくないんだ」
真っ直ぐ私の目を見て、涙目の彼はそう呟いた。
×××
「僕は、これがどんなに願って居ても叶わない想いであることを理解しているよ。
それでも、僕は、君のことが好きなんだ」
「秋声、さん」
「だから、添い寝したあの日、僕にすら先に閉館の事を教えてくれなかったのが悔しくて、とても腹が立った。
一方的な片想いだったけど、僕は、君に認められて居ないような気持ちになったんだ。
悔しくて、でも、君に会えなくなるのが寂しくて。本当は毎日毎日君と一緒に居たかったよ。
でも、君は人気者だから、僕だけじゃなくて、みんなの相手をしなきゃいけない。
僕みたいな、地味な奴なんか相手にされない。
だから、気を引きたくて、図書館には行かなかった。子供みたいだろ、笑えよ」
秋声さんが、一筋の涙を零しながら話す。
私はそのまま掴んでいる秋声さんの襟元を更に引っ張り、秋声さんの唇に自分のものを押し当てた。
「なっ」
「秋声さんはわかってない!私が部屋に呼んだのも、添い寝をして貰ったのも、苗字でなく名前で呼ぶのも、全て秋声さんだけです!秋声さんだからしたんです!!
会えないこの1ヶ月、寂しかったです。
何処にいるんだろうって、ずっと考えてました。皆さんに聞いても、あっちで見たこっちで見たって言われるだけで、そこにいっても居ないし。秋声さんの部屋をもっと早く訪れたら良かったです。寂しいよ。
片想いだって?そんなの私が先に想ってたよ、秋声さんのことが大好きで大好きで、一緒に居たくてずっと助手を頼んでいたのに!」
私まで泣けてきた。
溢れてくる想いを伝えても、今日で私達はお別れだ。
拒否されることが怖くて伝えられなかったけれど、もっと早く伝えたらよかった。
想いを伝えても、伝えられなくても、
この想いが受け入れられても、拒否されても、
私はみんなと、そして秋声さんと離れるのが嫌なんだ。
「ごめんね」
秋声さんが私を抱きしめる。
「…好き」
「ああ、僕もだよ」
そのまま触れるだけの優しいキスをした。
「早く司書さんに想いを伝えろって、1ヶ月前から島崎や国木田…それに、鏡花や師匠までそんなことを言ってきたんだ」
「そうなんですね、私も早く言えば良かったな」
「でも、僕は、司書さんの気を引きたかったのと同時に、拒否されるのが怖くて部屋から出られなかった。本当は、会いたくて、抱きしめたくて仕方がなかったのに」
秋声さんが私を抱きしめる力が強くなる。
「…ねぇ」
「はい」
「いい?」
秋声さんがそっと服の上から私の胸に触れた。
ちらりと、壁の時計を見る。
完全閉館時間まであと2時間強。
私は、秋声さんの胸に頭を押し付け、頷いた。
×××
「秋声、さん…そんなにたくさん痕をつけないで」
「嫌だね。君が僕を忘れないように、もっとつけなきゃ…」
「首はヤだ…隠せない」
「隠さないで」
×××
前世で絶倫だと言われていただけある秋声さんはとても激しかった。
初めて伝わった想いは抑えきれなくて、身体中に残る鬱血痕も、大量に吐き出された故に身体の中から逆流する秋声さんのものも愛おしくて仕方ない。
事後、ふわふわとする意識の中、秋声さんの腕の中で、秋声さんの温もりも感じる。
少しでも離れたくなくて、行為中も終わってからもキスを繰り返す。
ああ、あと少しでこの温もりも2度と感じることが出来なくなるんだ。
あと、5分で図書館は完全に閉館する。
「秋声さん」
「ああ」
まだ離れたくないのに、そう思っても時間は止まってくれない。
離れた体温は胸を締め付けるけど、身なりを整えた秋声さんに、私は有魂書を開く。
「…お元気で」
「君もね」
秋声さんの身体が光に包まれる。
これで、お別れだ。
「ああ、やっと面倒ごとから解放される。
それなのに、どうしてこんなに…寂しいんだろう」
秋声さんの目に、涙が浮かんでいた。
「本当に、君のことが好きだよ」
「私も秋声さんが大好きです!」
最後に、彼が泣きながら笑った。
広げた有魂書に、眩い光に包まれた秋声さんが吸い込まれ、光を全て吸収した有魂書は表紙を閉じて床に落ちた。
これで、私は本当にひとりぼっちだ。
ボーンボーン…
図書館の閉館を告げる時計が鳴る。
秋声さんの部屋で、私は涙を流す。
今更、こんなにも秋声さんのことが好きだったのだと気が付いた。
離れてまだ1分も経っていないのに、もう寂しくて仕方がない。身体に残る秋声さんの体温が引いていくのを感じる。
部屋を出たら、秋声さんがびっくりした表情で私に声を掛けてくれるかもしれない。
食堂に行けば、今日もお酒を飲んでいる中原さんや若山さんがいるかもしれない。その奥でご飯に悪戯をしようとする江戸川さんと宮沢さん、新美さんがいるかもしれない。
談話室に行けば、お茶を飲みながら談笑する尾崎さんと泉さん、そして幸田さんがいるかもしれない。
補修室に行けば、過剰に薬を貰いに来た太宰さんとオダサクさん、余計な薬は処方しようとしない森さんがいるかもしれない。その側で、坂口さんと怪談話をする小泉さんがいるかもしれない。
中庭に行けば、アヒルを撫でる志賀さんと、それを見守る小林さん、その側で自転車の練習をするムシャさん、ベンチで日を浴びながら寝ている有島さんがいるかもしれない。その側で夏目さんを必死にベースボールに誘う正岡さんもいるかもしれない。
エントランスでは、お金を返そうとしない石川さんに笑顔で詰め寄る北原さんと高村さんがいるかもしれない。
何もない所で転けそうになる萩原さんを支える室生さんがいるかもしれない。
図書館の何処に行っても、誰かがいる気がしてならない。
こんなに広いのに、ひとりぼっちは嫌だよ。
1人をいいことに、今まで溜め込んだものを全て吐き出すかのように泣いた。
漸く泣き止んだ時には既に夜になっていた。
明日には、私もこの図書館を発たなきゃいけない。最後の夜だ。
私は秋声さんの部屋を出て、食堂へ向かう。
何かしら食べるものはあるだろうと、冷蔵庫を開ける。
「なんだろ、これ」
見知らぬものが入っていた。
「ケーキだ」
冷蔵庫に入っていたケーキの横に、メッセージカードがあった。
『志賀と僕と有島で作りました!以前、一緒に食べたケーキです』
白樺派の優しさが嬉しくて、また視界が潤んだ。
ケーキを机に置き、食べようとしたら、お酒と饅頭と羊羹と味の素があった。
誰が置いてくれたのか、簡単に分かった。
そして、これがただの忘れ物ではなく、敢えて置いて帰った物だと分かってしまった。
もしかして、他の人も何か置いて帰ったのかな?と思い、ケーキもそのままに図書館の中をウロウロしてみることにした。
すると、面白いくらいにみなさんの置いて行ったものが見つかった。
タバコや、真新しい手袋、小さな彫刻、青色の食紅やカステラ、中には春画や貸したはいいもののずっと返されなかったお金まで。
白樺の皆さんのように、メッセージカードまで残してくれている人もいた。
この図書館は、皆さんの優しさで成り立っていた。
こんなにも暖かく愛に満ちた図書館で司書となれたことが嬉しくて、私は泣きながらケーキを食べた。
1人で悲しいのに、皆さんの優しさが嬉しくて、少し笑顔になれる。
ひとりぼっちの図書館で、最後の夜を過ごす。
ああ、こんなにもこの図書館は広かったのだろうか?
お風呂に入った時に、自分の身体中に残った鬱血痕の量に驚いた。脚に伝う秋声さんの体液が勿体無くて、指で拭ってナカヘ戻してみる。
お願い。どうか、消えないで。
×××
-翌朝-
私は、荷物をまとめて図書館のエントランスまでやって来た。
長い時間を過ごしたにも関わらず、私の荷物は案外少なかった。
着替えと、細々とした荷物。
図書館の中の物は持ち出し厳禁だと、申し訳なさそうな顔をする館長に言われてしまったため、あのメッセージカードやお酒類は持って帰る事が出来なかった。
ただ、館長の計らいで、1冊の本だけは特別に持ち帰る事が出来た。
私が特務司書になった日、彼が飛び出してきた彼の代表作を胸に抱き、館長と猫さんに見送られながら、図書館を後にした。
「一生忘れないよ、ありがとう」
.
初めての出会いは、正直、あまりいい印象ではなかった。
×××
特務司書となり初めて図書館に行ったあの日。
初めて会ったのは、徳田秋声だった。
私が選んだ中野重治さんと徳田秋声さん。初めての潜書で来てくれた小林多喜二さんと泉鏡花さん。
そして、国から全ての図書館に配属されることになった小泉八雲さんと萩原朔太郎さん。
私の特務司書生活は、このように始まった。
×××
「初日から泉鏡花だと!?」
「こっちの図書館では半年経った今でも泉がいないというのに…」
私は、強運体質だと自負している。
初日から、徳田秋声と泉鏡花を会わせることが出来たこと。
特務司書に就任してから1ヶ月しない内に、所謂虹レアの泉鏡花、芥川龍之介、太宰治を全員図書館に迎え入れたこと。
栞なしに数回で坂口安吾を呼び出したこと。
国からの期待を一身に背負い、私は日々仕事に打ち込んだ。
あまりの仕事の多さに、心が押し潰されそうになった時。理不尽な国の役人の対応に辟易していた時。自信を失った時。美しいこの国の四季を感じさせてくれた時。
ここの図書館の文豪は、みんな、あまりにも優し過ぎた。
私は、禁忌を犯している錬金術師なのに。みんな、いつも私と笑ってくれた。
×××
この図書館に配属されてから、幾つの季節を過ごしただろう?
春には、花見を。
夏には、花火を。
秋には、運動会を。
冬には、クリスマス会を。
それ以外にも、文豪1人1人の誕生日会を。
懇親会を。忘年会を。
理由を付けては参加自由で、いろいろな催し物を行なった。
「参加自由」と伝えているのに、どうしてかこの図書館にいる文豪は、全ての催し物に殆どの人が参加していた。
×××
本人の意思とは無関係に、私は彼らに2度目の生を与えた。
そして、戦った経験などない人を戦場へ送り出して戦わせる毎日。
耗弱状態や、喪失状態になって戻って来るのは勿論、少しでも彼らが怪我をするのが嫌だった。
それでも、彼らは戦い続けてくれた。自らは戦地へ赴かずにただ帰還を待ち続けるだけの私を、受け入れてくれた。
有碍書は、浄化しても浄化しても、次々に新しい物が送られてくる毎日だった。
早く文豪の皆さんに戦いを終わらせてあげたくて。早く傷付く皆さんを見なくていいよう。
全力で取り組んで来た日々。
時の流れはとても早くて、毎日が充実していた事を今更ながらに実感した。
【全ての有碍書は浄化された。
優秀な特務司書として働いてくれたことを我々は嬉しく思う。
本日から1ヶ月後の、○月×日18:00をもつて、当該図書館は閉館とする)
全ての報告書を国に提出した数週間後。
目を疑うような通知が届いた。
「…聞いてない」
私が、文豪が、努力した意味はあったのだろうか。
私は、優秀な特務司書です。
上手く行っていない図書館の代わりに、私の図書館が他の図書館の仕事を背負うから、どうか閉館だけは辞めて欲しい。
とてもじゃないけれど受け入れられない通知に、泣いて叫んで抗議したって、閉館は避けられなかった。いつも政府は身勝手だ。
戦いが終わり、平和が訪れた図書館。
皆さんの守る作品は、これからも人々に読まれ残り続ける。
数週間前、全ての有碍書を浄化した。
「最後は、初期メンがばっちりかっこよくキメよう」という図書館満場一致の意見で、先鋭メンバーである、徳田秋声、泉鏡花、萩原朔太郎、小泉八雲の4人が潜書した。
4人が無事に潜書を完了させ、その日は宴会となった。館長も猫さんも呼んで。
それから、平和な日々が続いていたのに。
【閉館】
この日常は、もう直ぐ消える。
1人、司書室で気が付いたら泣いていた。
有碍書を全て浄化してから、助手は付けないようにしていた。もう私自身も特に仕事がなく、助手の手を借りる必要はなかったからだ。
1人だから、ここで我慢せずに泣ける。
みなさんには、もっとゆっくりとこの世界を満喫して欲しかった。
涙を流しつつも司書室を見渡す。
コツコツ頑張って貯めたお金で揃えた司書室の内装、気に入っているのに。
「まだ窮屈ですけれど、最初の殺風景な司書室からは想像がつかないくらい素敵な部屋になりましたね!」って、つい最近、ムシャ先生に言われたのに?
別れたくない。
みんなで、ここで、これからも過ごしたい。
私は、本を守る為に、文豪を死後の世界から呼んだ。
だから、その目的を達成した今、彼らを元の世界に戻す必要があるのは理解出来ていたつもりだった。けれど、実際にその日が来るとは思っていなかった。
いつの間にか、彼らとずっと過ごせると思い込んでいた。彼らは、仕方がなく戦っていただけなのに。
コンコン
司書室の扉に、控えめなノックの音が響いた。
「はい」
返事をして、私は涙を袖で乱暴に拭き、閉館通知を机の引き出しに隠した。
まだ、私は閉館を伝える勇気がない。
「失礼するよ」
「…徳田さん」
司書室に入って来たのは、初めて会った文豪である徳田秋声さんだった。
「司書さん、どうして泣いているの」
「泣いてないですよ」
「嘘。目が赤く潤んでいる。僕が見逃すとでも思った?」
徳田さんは、ため息を吐くと、私の頭を掻き抱いた。
「徳田さん?」
「泣きたい時は、泣くといいよ」
「え」
「理由は聞かないから、とりあえず泣きなよ。
君が落ち着くまで僕はいるから」
出会った時からは想像が出来ない様な、甘く優しい声が掛けられる。
私は、溢れ出る涙を抑える術を知らなかった。
×××
「………」
あれから、どれくらい私は泣いていたんだろう。
徳田さんの胸に抱かれ、司書室で情けなくも泣き続けた。徳田さんは何も言わず、ただ、ずっと、私の頭を撫でてくれていた。
「…徳田さん、泣き止みました」
「落ち着いた?」
「はい」
「よかった。君に泣かれると、僕はどうしていいのか分からなくなる」
徳田さんは、普段のしかめっ面からは想像が出来ないけれど、優しく私の目を見て微笑み、また強く私を抱き締めた。
「頑張ったね」
「え?」
思いもよらぬ言葉が掛けられた。
「今まで、僕は君が泣いている所を見たことがない。
この図書館で君と過ごした時間が最も長い僕が言うんだ、きっと他の人だって君の泣く姿を見たことはない筈だ。僕たちの前で泣けなかったのか、泣かなかったのか、それは僕には分からない。
けれど、君は、本当によく頑張った。
有碍書は全て浄化され、本は守られた。
それは、僕たちが浄化したからなんだけれども、僕たちがこうして動くことは、君が居なくちゃ出来ないんだ。
僕は、君が居てくれて助かった。君がこの図書館の司書だったから、僕達は頑張れた。僕は、自分の作品を自分で守れたのが嬉しいよ。
僕を、ここに呼んでくれてありがとう」
「どうして、また泣かせるんですか…」
再び、徳田さんの胸に顔を押し付けた。
この図書館が閉館となることは、私が努力したって変わらない。
だから、私はこの事実を早めに皆さんに伝える必要があると思う。
2度目の人生でやり直すことを全て終えるために。
×××
徳田さんの胸で泣いた日、私はそのまま自室に徳田さんを招いた。
男女の関係に持ち込みたかった訳ではなく、ただ、1人になるのが怖かったからだ。
徳田さんは、驚き、拒否していたが、私が駄々をこねて意見を押し通した。
徳田さんと一緒に狭いシングルベッドに入り、私は徳田さんの腕の中で眠りに就いた。
泣き疲れたからか、徳田さんの体温が気持ち良かったからか、ベッドに入って直ぐに眠りに落ちていた。
×××
-翌日-
朝、目が覚めると、徳田さんが隣で眠っていた。
あまりに綺麗な寝顔に、魅入ってしまった。
貴方は、自分を地味だと言うけれど、決してそんなことは無いと思う。
「…大胆過ぎた、かな」
何も無かったとは言え、男性に胸を借りた後に自室に呼び、添い寝をせがむだなんて、はしたない浅はかな行動だったかもしれない。
徳田さんの様な、理性的な人だったから何も無かったが、太宰さんの様な私に強烈に好き好きアピールをしてくださる方だったら、こんなに穏やかに朝を迎えることは出来なかったかもしれない。太宰さんに失礼だけど。
ああ、徳田さんに怒られるかな。
もう一度、徳田さんを見る。
サラサラの黒髪に、長い睫毛。
つり上がった目は閉じられている。
スッと通った鼻筋に、キュッと閉じられた口元。綺麗な顔。
「…しゅうせい」
素敵な名前を、ぽつりと呟く。
綺麗な音の名前。
「…ずっと見られていたら、恥ずかしいんだけれど」
「え、徳田さん、起きてらっしゃったんですか?」
「うん、さっきから」
「あっ、ごめんなさい…思わず名前を呼び捨てにしてしまって」
聞かれていたなんて、恥ずかしい。
思わず目を逸らしてしまう。
「いいよ」
「え」
「君の声が好きなんだ。秋声って呼んでよ」
「…秋声…さん」
「ふふ、照れ屋だなあ」
『本日18:00の図書館閉館後、全員必ず、食堂に集合してください。繰り返します。本日…』
徳田さんもとい、秋声さんとゆっくりとした朝の時間を過ごした後、私は秋声さんと別れて放送室へ向かった。
因みに、秋声さんに、改めて「徳田さん」と声を掛けるとあからさまに不機嫌な顔をするので、これからも「秋声さん」と呼ぶことにした。
まあ、そう呼べるのもあと1ヶ月なのだが。
放送室で、要件を図書館全体に向かって喋る。
今日、私は、みなさんに閉館の事を伝える。
「おっしょはん!」
「オダサクさん?」
興奮して、声が震えつつも喋り終えた直後、放送室にオダサクさんこと織田作之助さんが駆け込んで来た。
「おっしょはん!いまの放送、どないしたん?」
「あ、それで駆け込んでくださったんですか?
大丈夫ですよ、今日、皆さんの前でお話しします」
不安そうな顔をして私を見つめるオダサクさん。初期から一緒に戦って来た仲間。
私が落ち込んでいる時、徳田さんに怒られた時、1番励ましてくれたのはオダサクさんだった。
「お司書はんが落ち込むようなことはあらへんよな?」
「…ええ、大丈夫ですよ」
初めて、オダサクさんに嘘を吐いた。
×××
上手く説明出来るのか、今後どうなってしまうのか、焦る気持ちで、私の心臓はドクドクと煩い。
何度時計を見ても時間はあまり進んでいなくて。時が経つのはこんなにも遅かっただろうか?
誰かに顔を合わせると、オダサクさんのように私を心配してくれる人に嘘を吐かなきゃいけない気がして、私は1人、司書室へ繋がる自室で閉館時間になるのを待っている。
窓の外は、初めてここに来た時のようにたくさんの木々が風に揺られている。
×××
18:00
この図書館の閉館時間だ。
何度も時計を確認し、私は食堂へ向かう。
「あっ、司書さーん!」
「ムシャさん!こんばんは」
「こんばんは!今日会うのは初めてですね。
突然、集合だなんて言われちゃってびっくりしました」
天使の笑みで会話してくれるムシャさん。
ムシャさんと一緒に食堂へ入る。
この人数を収容出来る部屋は、食堂しかない。
「あ、ムシャさん。志賀君と待っていたよ」
「おせぇぞムシャ」
「ごめんね、ちょっと筆が止まらなくて」
「酒持ってこーい!」
「ちょっと、もうこんなに飲んだ訳!?」
「秋声、紅葉先生のお饅頭知りませんか?」
「え、ああ、戸棚の1番右奥にあったよ」
「今日のカレーも絶品だな!」
「ご飯を青色にしておきましたよ」
「ねえ、僕の万年筆知らない?」
「ワタシの怪談も聞いてくだサイ!」
まだ、図書館閉館から5分も経っていないのに、殆どの方が既に食堂にいた。
ここの皆さんは、いつも楽しそうだ。
そんな所で働けた私は幸せだな。
まだ、何も話していないのに、泣きそうだ。
「みなさん、お揃いですね?」
食堂に着いてから10分経って、ようやく私は食堂の前方に来て、喋り出した。
マイクを持つ手は、震えている。
「…っ」
いつになく静かなこの空間、多くの目が私を真っ直ぐに捉えている。
見つめられることによる緊張と、これから話す内容についての緊張。
落ち着こうとして深呼吸をする。
1番前の端に、尾崎さんの隣に座っている秋声さんと目が合った。
「みなさん、いつもありがとうございます。
みなさんのお陰で、有碍書は全て浄化され、この国の文学は守られました。
みなさんが居なくては出来なかった事です。本当に、私に力を貸してくださってありがとうございました!
さて、平和が訪れたこの時期に、こんなことを言うのは心苦しいのですが…
1ヶ月後、この図書館は閉館します」
×××
一瞬、空気が凍りついた。
そして、
「おっしょはん!どうしてや!今日会った時何もあらへん言うてたやん!」
「おいおい、聞いてねーぞ」
「我々はどうなるのだ?」
「孤独は、嫌だよ…」
「酒は?」
予想していた当然の反応が返って来た。
お酒は戸棚の下にあります。
「みんな、いっぺんに話したら司書さんが混乱するから黙りなよ」
「秋声の言う通りです。みなさん、一旦落ち着きましょう。司書さんから説明があるはずです」
誰の声から聞けばいいのかと、困ったところに、尾崎門弟の2人が私の前に出て来てみなさんを抑えてくれた。
再び静かになった食堂。
「…この図書館が閉館になった理由は、正直、私には分かりません。
私は、必死に皆さんと文学を守って来たつもりです。しかし、全ての報告書を国に提出した後、私の元へ送られてきた政府からの手紙は、【1ヶ月後の図書館閉館】の通知でした。
…皆さんは、この世界での役目を果たしたと言うことで、各々がここへ来た時の有魂書を使って、元の世界へ帰って頂くことになります。
私達、この時代の人間の都合で、勝手に皆さんを呼び出しておいて、用が済んだら帰れだなんて、本当に酷いことをしているという自覚はあります。申し訳ありません。
私には、政府のこの決定を覆すだけの権力も何もありません。今まで、ありがとうございました。
ここでの生活は、あと1ヶ月です。
みなさん、やり残したことのないように生活してください。
今までの報酬に加え、国からの特別恩賞が贈られて来ました。これで、今まで買えなかった物も買うことが出来ます。必要な物やお金がありましたら、私に言ってください。
…今まで、本当に本当にありがとうございました。
私から、みなさんに伝えなければいけないことは以上です」
あの日から、みなさん今まで以上に沢山、私に話し掛けてくださるようになった。
どれ位かと言うと、起きている間は常に誰かが私の側にいる。
勿論、助手なんてつけていないのに、誰かが毎日司書室にいる。
2度目の人生を終える事を悲しむ者、安堵する者様々な反応を見た。
残りの時間で、私が出来る事はなんだろう。
×××
「おー、司書じゃん。酒飲め酒!」
「中原さん、若山さん、昼間っから飲み過ぎですよ」
「もう飲まねーとやってらんねぇよ!」
×××
「おお、司書ではないか」
「尾崎さんに泉さん、こんにちは」
「こんにちは。司書さん、紅葉先生が気に入ってくださった饅頭を買いに行きたいのですが、良かったら一緒に行ってくださいませんか?
何せ遠いので、大量の饅頭を1人では持てないのです」
「どんだけ買うつもりですか!?でも、いいですよ。ぜひお供させてください」
「ありがとうございます」
「我からも礼を言うぞ。食べるときには其方も供にどうだ」
「いいんですか?是非!」
×××
「司書さーん!志賀が今日はチーズケーキを作ってくれました!これから食べるんですけど、一緒にどうですか?」
「え、食べたいです!」
「有島と志賀と小林さんが待ってますよ!食堂に行きましょう」
×××
「司書さん、羊羹はもうないのですか…?」
「夏目さん、食べ過ぎはダメですよ~」
「俺も饅頭が欲しいのだが…」
「夏目ー!今日こそはベースボーr」
「正岡!羊羹が先です!」
×××
「お肉より、お野菜がいいなあ」
「宮沢さんは、何が食べたいですか?」
「んーとねぇ、前に司書さんが作ってくれた…」
×××
1日に1回は、文豪の皆さんと話す機会があった。
それでも、どうしても会えない人がいた。
尾崎さんの部屋を訪れても、自然主義の皆さんがよく集まる部屋を訪れても、何処に行っても姿を見ない。
…秋声さん、何処にいるの。
「秋声なら、食堂で見たよ」
「え、さっきは図書館で見たぜ」
「僕は補修室に行く姿を見ました」
手当たり次第に聞いてそこへ行くものの、秋声さんは居ない。
何処に行ったんだろう。
×××
そうして、早いもので図書館閉館の日がやって来た。
あれから、秋声さんには会っていない。
「寂しいな…また、会えるといいけど」
「大丈夫です、またきっと会えますよ」
1人1人と言葉を交わし、私は彼らがやって来た有魂書を使って本の中へと彼らを帰す。
「1人にしないで…」
「大丈夫です、萩原さん!
私は貴方の詩集をずっと持っています!1人になんてしません!」
「…ありがとう」
泣き出す者、寂しくならないようにあっさりと帰ろうとする者、たくさんの人を見送る。
寂しい。
私は全員送り返したら、1人になっちゃうよ。
でも、そんな思いを隠して、最後の司書としての任務を遂行する。
有魂書の中に吸い込まれる様にして消えて行く文豪。
悲しくて、でも、泣かない様にして。
「貴方と会えて、僕は本当に嬉しかったです」
「泉さん、私もです」
そうして、残りは泉さんと秋声さんだけになった。
秋声さんは、ここに居ない。
「司書さん」
「はい」
「秋声を、頼みましたよ」
彼は、私の目を真っ直ぐに見つめてそう言った。
「…はい」
涙目で返事をすると、泉さんは満足そうな顔をして有魂書の中に入っていった。
残る文豪は、徳田秋声のみ。
「秋声さーん」
私は、1人ぼっちになってしまった図書館で、秋声さんを探す。
司書がいないと、文豪は有魂書の中には入る事が出来ないので、知らない間に勝手に帰ったと言うことはない筈だ。
「秋声さん」
「秋声さん、何処ですかー?」
「秋声さーん!!」
図書館をぐるりと一通り見て回っても、秋声さんは居ない。
食堂も、司書室も、大浴場も、中庭も、何処にもいない。
もしかして、自室に居るのかな?と思い、私は今はもう誰も住んで居ない文豪の居住スペースへ向かう。
コンコン
秋声さんの部屋の扉をノックする。
「はい」
返事があった。間違い無く、彼の声だ。
「秋声さん!」
勢いよく扉を開け、秋声さんの元へ行く。
「どうして1ヶ月間、図書館に来なかったんですか!?」
秋声さんの襟元を掴んで、思いっ切り自分の顔に引き寄せる。
「…会って仕舞えば、僕は、本の中へ帰るのを嫌がると思って」
「へ?」
「僕は、君と離れたくないんだ」
真っ直ぐ私の目を見て、涙目の彼はそう呟いた。
×××
「僕は、これがどんなに願って居ても叶わない想いであることを理解しているよ。
それでも、僕は、君のことが好きなんだ」
「秋声、さん」
「だから、添い寝したあの日、僕にすら先に閉館の事を教えてくれなかったのが悔しくて、とても腹が立った。
一方的な片想いだったけど、僕は、君に認められて居ないような気持ちになったんだ。
悔しくて、でも、君に会えなくなるのが寂しくて。本当は毎日毎日君と一緒に居たかったよ。
でも、君は人気者だから、僕だけじゃなくて、みんなの相手をしなきゃいけない。
僕みたいな、地味な奴なんか相手にされない。
だから、気を引きたくて、図書館には行かなかった。子供みたいだろ、笑えよ」
秋声さんが、一筋の涙を零しながら話す。
私はそのまま掴んでいる秋声さんの襟元を更に引っ張り、秋声さんの唇に自分のものを押し当てた。
「なっ」
「秋声さんはわかってない!私が部屋に呼んだのも、添い寝をして貰ったのも、苗字でなく名前で呼ぶのも、全て秋声さんだけです!秋声さんだからしたんです!!
会えないこの1ヶ月、寂しかったです。
何処にいるんだろうって、ずっと考えてました。皆さんに聞いても、あっちで見たこっちで見たって言われるだけで、そこにいっても居ないし。秋声さんの部屋をもっと早く訪れたら良かったです。寂しいよ。
片想いだって?そんなの私が先に想ってたよ、秋声さんのことが大好きで大好きで、一緒に居たくてずっと助手を頼んでいたのに!」
私まで泣けてきた。
溢れてくる想いを伝えても、今日で私達はお別れだ。
拒否されることが怖くて伝えられなかったけれど、もっと早く伝えたらよかった。
想いを伝えても、伝えられなくても、
この想いが受け入れられても、拒否されても、
私はみんなと、そして秋声さんと離れるのが嫌なんだ。
「ごめんね」
秋声さんが私を抱きしめる。
「…好き」
「ああ、僕もだよ」
そのまま触れるだけの優しいキスをした。
「早く司書さんに想いを伝えろって、1ヶ月前から島崎や国木田…それに、鏡花や師匠までそんなことを言ってきたんだ」
「そうなんですね、私も早く言えば良かったな」
「でも、僕は、司書さんの気を引きたかったのと同時に、拒否されるのが怖くて部屋から出られなかった。本当は、会いたくて、抱きしめたくて仕方がなかったのに」
秋声さんが私を抱きしめる力が強くなる。
「…ねぇ」
「はい」
「いい?」
秋声さんがそっと服の上から私の胸に触れた。
ちらりと、壁の時計を見る。
完全閉館時間まであと2時間強。
私は、秋声さんの胸に頭を押し付け、頷いた。
×××
「秋声、さん…そんなにたくさん痕をつけないで」
「嫌だね。君が僕を忘れないように、もっとつけなきゃ…」
「首はヤだ…隠せない」
「隠さないで」
×××
前世で絶倫だと言われていただけある秋声さんはとても激しかった。
初めて伝わった想いは抑えきれなくて、身体中に残る鬱血痕も、大量に吐き出された故に身体の中から逆流する秋声さんのものも愛おしくて仕方ない。
事後、ふわふわとする意識の中、秋声さんの腕の中で、秋声さんの温もりも感じる。
少しでも離れたくなくて、行為中も終わってからもキスを繰り返す。
ああ、あと少しでこの温もりも2度と感じることが出来なくなるんだ。
あと、5分で図書館は完全に閉館する。
「秋声さん」
「ああ」
まだ離れたくないのに、そう思っても時間は止まってくれない。
離れた体温は胸を締め付けるけど、身なりを整えた秋声さんに、私は有魂書を開く。
「…お元気で」
「君もね」
秋声さんの身体が光に包まれる。
これで、お別れだ。
「ああ、やっと面倒ごとから解放される。
それなのに、どうしてこんなに…寂しいんだろう」
秋声さんの目に、涙が浮かんでいた。
「本当に、君のことが好きだよ」
「私も秋声さんが大好きです!」
最後に、彼が泣きながら笑った。
広げた有魂書に、眩い光に包まれた秋声さんが吸い込まれ、光を全て吸収した有魂書は表紙を閉じて床に落ちた。
これで、私は本当にひとりぼっちだ。
ボーンボーン…
図書館の閉館を告げる時計が鳴る。
秋声さんの部屋で、私は涙を流す。
今更、こんなにも秋声さんのことが好きだったのだと気が付いた。
離れてまだ1分も経っていないのに、もう寂しくて仕方がない。身体に残る秋声さんの体温が引いていくのを感じる。
部屋を出たら、秋声さんがびっくりした表情で私に声を掛けてくれるかもしれない。
食堂に行けば、今日もお酒を飲んでいる中原さんや若山さんがいるかもしれない。その奥でご飯に悪戯をしようとする江戸川さんと宮沢さん、新美さんがいるかもしれない。
談話室に行けば、お茶を飲みながら談笑する尾崎さんと泉さん、そして幸田さんがいるかもしれない。
補修室に行けば、過剰に薬を貰いに来た太宰さんとオダサクさん、余計な薬は処方しようとしない森さんがいるかもしれない。その側で、坂口さんと怪談話をする小泉さんがいるかもしれない。
中庭に行けば、アヒルを撫でる志賀さんと、それを見守る小林さん、その側で自転車の練習をするムシャさん、ベンチで日を浴びながら寝ている有島さんがいるかもしれない。その側で夏目さんを必死にベースボールに誘う正岡さんもいるかもしれない。
エントランスでは、お金を返そうとしない石川さんに笑顔で詰め寄る北原さんと高村さんがいるかもしれない。
何もない所で転けそうになる萩原さんを支える室生さんがいるかもしれない。
図書館の何処に行っても、誰かがいる気がしてならない。
こんなに広いのに、ひとりぼっちは嫌だよ。
1人をいいことに、今まで溜め込んだものを全て吐き出すかのように泣いた。
漸く泣き止んだ時には既に夜になっていた。
明日には、私もこの図書館を発たなきゃいけない。最後の夜だ。
私は秋声さんの部屋を出て、食堂へ向かう。
何かしら食べるものはあるだろうと、冷蔵庫を開ける。
「なんだろ、これ」
見知らぬものが入っていた。
「ケーキだ」
冷蔵庫に入っていたケーキの横に、メッセージカードがあった。
『志賀と僕と有島で作りました!以前、一緒に食べたケーキです』
白樺派の優しさが嬉しくて、また視界が潤んだ。
ケーキを机に置き、食べようとしたら、お酒と饅頭と羊羹と味の素があった。
誰が置いてくれたのか、簡単に分かった。
そして、これがただの忘れ物ではなく、敢えて置いて帰った物だと分かってしまった。
もしかして、他の人も何か置いて帰ったのかな?と思い、ケーキもそのままに図書館の中をウロウロしてみることにした。
すると、面白いくらいにみなさんの置いて行ったものが見つかった。
タバコや、真新しい手袋、小さな彫刻、青色の食紅やカステラ、中には春画や貸したはいいもののずっと返されなかったお金まで。
白樺の皆さんのように、メッセージカードまで残してくれている人もいた。
この図書館は、皆さんの優しさで成り立っていた。
こんなにも暖かく愛に満ちた図書館で司書となれたことが嬉しくて、私は泣きながらケーキを食べた。
1人で悲しいのに、皆さんの優しさが嬉しくて、少し笑顔になれる。
ひとりぼっちの図書館で、最後の夜を過ごす。
ああ、こんなにもこの図書館は広かったのだろうか?
お風呂に入った時に、自分の身体中に残った鬱血痕の量に驚いた。脚に伝う秋声さんの体液が勿体無くて、指で拭ってナカヘ戻してみる。
お願い。どうか、消えないで。
×××
-翌朝-
私は、荷物をまとめて図書館のエントランスまでやって来た。
長い時間を過ごしたにも関わらず、私の荷物は案外少なかった。
着替えと、細々とした荷物。
図書館の中の物は持ち出し厳禁だと、申し訳なさそうな顔をする館長に言われてしまったため、あのメッセージカードやお酒類は持って帰る事が出来なかった。
ただ、館長の計らいで、1冊の本だけは特別に持ち帰る事が出来た。
私が特務司書になった日、彼が飛び出してきた彼の代表作を胸に抱き、館長と猫さんに見送られながら、図書館を後にした。
「一生忘れないよ、ありがとう」
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