沈丁花の約束
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誰が何を思っていても、時は進み、来て欲しくない出来事はやってくるもので。
朝からドアの向こうの執務室は騒がしい。立会いは残念ながら予定通り行われるらしい。今からでも遅くないから佐田国さんがインフルエンザにかかればいい。しょうもない事を願ってみるけど、そんな上手くは転がってくれないようで。支度が終わったのだろう。不意に執務室に落ち着きと静けさが訪れる。
ああ、行くんだな。
私はドアから少し体を離す。ここまできたら私が何をしても何も変わらない。仕事だから、嫌でも何でも行かないと。頑張れ目蒲さん。
ふと、見慣れたシルエットが近付いてくるのに気づく。まさかと思ったけど、それは磨りガラスの前に立ち止まった。まさかこのタイミングで昨日考えた事を話すのかしら。私は予想外の動きにたっぷり10秒は沈黙した。
「…いってきます」
予想外の言葉に、更にたっぷり10秒は沈黙してしまう。
「お…おお」
おおってなんだよ。目蒲さんがちょっと笑った。
「その、なんでしょ。辛くなったら尻尾巻いて帰っておいで」
「その後どうするんだよ」
「一緒に謝りましょ。職務放棄してごめんなさいって」
「何だそれ」
「やっぱりダメですかね」
「駄目だろ」
何より、お前は俺が帰って来る頃にはもうこの部屋に居ないよ。
目蒲さんは穏やかに、本当に穏やかにそう言った。そして、ドアに掛かった南京錠の鍵を開けた。
俺が立会いに出たら、お前も帰れ。今まで悪かった。
磨りガラスの向こう、目蒲さんが背を向ける。はっとなってお風呂場を飛び出すが、執務室はもぬけの殻で。すぐに私が急な展開に目をぱちくりやっている間にみんな外に出て行ってしまったのだと理解した。途方にくれて執務室を見渡すと、目蒲さんのデスクの上に真っ白なワンピースが置いてあるのを見つけた。私はついとそれを摘んで持ち上げる。下から着替え一式が出てくる。さすが、抜かりない人だ。私は自分の着ていた服を見下ろす。血と吐瀉物と、黒ずみだらけだ。ご厚意に甘えよう。私はシャワーを浴びに浴槽に戻った。
手錠の鍵は血みどろの方のワンピースのポケットの中にあった。山口さんがいつか入れてくれたものだろう。鍵を回して、手錠を外して、服を脱ぐ。カパカパになってしまったブラジャーが、浮き出たあばらが、無数の傷が今までの日々の壮絶さを思い起こさせる。散々な目にあわされた。シャワーの水圧だけでこんなに痛いなんて相当じゃないか。
そうだよ。このままじゃ私が引き合わない。ここまで痛めつけて、自分が飽きたら帰れって?冗談じゃない。
信じるよ山口さん。あの人は騙されてるだけのいい人だ。
だから、あの人を佐田国さんから引き剥がさないと、私は気が済まない!
蛇口を閉める。体を拭く。目蒲さんが誂えた服を着る。濡れた髪はいい。そのうち乾くだろう。タオルでガシガシと頭を拭きながら、私は書類棚から過去の立会い報告書を引っ張り出す。一番最近の、佐田国さんの立会いが入っているファイルを選んで目蒲さんの机に置いた。そのまま目蒲さんの机の引き出しを漁る。私がさらわれた時、お財布は持っていたはずなんだけど。あれはどこに消えた?引き出しにはない。とすれば…
私は執務室を見回す。ふとその時、廊下が騒がしいのに気づいた。声のかたまりはどんどん近付いてきて、執務室のドアを開けた。
「さあ、佐田国に関する資料の作成者に繋がる情報を探すのじゃ…ん?」
車椅子のおじいちゃんを先頭に男の人がわらわらと入って来ようとして、私と目があって立ち止まった。
「おお…その…大丈夫かお前は」
足が変な方向向いとるぞ。痩せ細っとるし。悪いことは言わんからとりあえず座りなさい。名は何というんじゃ。何故ここにおる?ちょいとリー、車椅子を取ってきなさい。なんじゃ場所じゃと?一階の倉庫に入っとるからとりあえず行かんか!分からんかったら誰かに聞け!おじいちゃんが喋るのに合わせてテキパキ動く部下の人たちに促され、私は一番近かった目蒲さんの椅子に座らされた。
「で、お前さん名前は」
「えと、伏龍晴乃です」
「そうか伏龍よ。この部屋の主とはどんな関係じゃ」
「どんな…」
正直に言っていいものか。一瞬迷うが、この体でつける嘘の選択肢なんてほぼ無いと思い直し、私は正直に自分が監禁されていた事を話した。凄く同情してくれた。
「そうか。儂はちょうどお前さんが逃げるところに出くわしたのじゃな。大丈夫じゃよ。邪魔はせん。何を探しておったんじゃ。儂らもここで探しものがあるからな、手伝えるかもしれん」
「あ、あの、財布を探してます….」
「そうかそうか財布か」
「能輪立会人。財布ありました」
「あ、それですそれです!ありがとうございます。じゃあ私これで。お世話になりました」
財布とファイルを一纏めに持って、私はそそくさ出て行こうとする。待て、と鋭い声。やっぱりダメだったか。私は素直に立ち止まる。
「何でしょう」
「そのファイルの中身を見せい」
「………」
「見せい」
「嫌です」
「ロン、取り上げろ」
「はい」
「ダメですこれは絶対ダメ!」
私は逃げる。でも、私の元々小さいのがケガの痛みでもっと小さくなった一歩ではロンと呼ばれた男性には勝てるはずもなく。
「やだ!これがないと行っても何もできないじゃないですか!」
ファイルにかかった手を振りほどこうと頑張りながら、私は叫ぶ。
「そもそも私が頑張ったんだからこれは私のですー!」
んん!?おじいちゃんが盛大に疑問符をつけた。ロンさんが止まる。私はこれ幸いと逃げようとするが、ロンさんがすかさず腕を引っ掴んだ。痛い。
「能輪立会人?」
「伏龍よ、悪いようにはせん。絶対せん。それは目蒲の立会い報告書じゃな?」
おじいちゃんの顔をじっと見る。好々爺然とした顔に潜んでいる、鋭い眼光の奥にあるものを探る。敵意はなく、この人は事実が知りたいのだろう。私はそう睨んで口を開いた。
「……はい」
「それを頑張ったとはどういう事じゃ」
「目蒲さんが、嘘つきじゃなくなるように、しました」
「……確保。ただし丁重に扱え」
「い、嫌!嫌です!私行かないと!」
ロンさんが次は私の肩を掴む。弾みで痛い!と叫ぶとその手が離れたのをいいことに、私は距離を取った。じりじりとその距離を縮める彼から、更に距離を取る。逃げながら、やっとシナプスが繋がる。そうだこの人たちが目蒲さんの執務室を探すなんて、つまりーー
「今行かないと間に合わない!目蒲さんを助けないと!」
「その話はお屋形様にせい」
「あなた達目蒲さんの立会い中に全部終わらす気でしょ!?だから今ここにきたんでしょ!?悠長になんかしてられないの離して!」
私の声を無視して、おじいちゃんが電話を掛ける。お屋形様ですか。そう言った。電話が繋がったらしい。つい癖で静かになる。
「書類の作成者が分かりました…いえ、それが一般人でして…ええ…ええ…それが被監禁者して……いえ、本当に。痩せほとっとります…いえそれが、目蒲を助けるとのたまっとりますわ……はあ…分かりました」
おじいちゃんが電話を切る。そして、呆れたような目をして言った。
「喜べ伏龍よ。お屋形様と落ち合う場所が目蒲の立会い現場となったぞ」
朝からドアの向こうの執務室は騒がしい。立会いは残念ながら予定通り行われるらしい。今からでも遅くないから佐田国さんがインフルエンザにかかればいい。しょうもない事を願ってみるけど、そんな上手くは転がってくれないようで。支度が終わったのだろう。不意に執務室に落ち着きと静けさが訪れる。
ああ、行くんだな。
私はドアから少し体を離す。ここまできたら私が何をしても何も変わらない。仕事だから、嫌でも何でも行かないと。頑張れ目蒲さん。
ふと、見慣れたシルエットが近付いてくるのに気づく。まさかと思ったけど、それは磨りガラスの前に立ち止まった。まさかこのタイミングで昨日考えた事を話すのかしら。私は予想外の動きにたっぷり10秒は沈黙した。
「…いってきます」
予想外の言葉に、更にたっぷり10秒は沈黙してしまう。
「お…おお」
おおってなんだよ。目蒲さんがちょっと笑った。
「その、なんでしょ。辛くなったら尻尾巻いて帰っておいで」
「その後どうするんだよ」
「一緒に謝りましょ。職務放棄してごめんなさいって」
「何だそれ」
「やっぱりダメですかね」
「駄目だろ」
何より、お前は俺が帰って来る頃にはもうこの部屋に居ないよ。
目蒲さんは穏やかに、本当に穏やかにそう言った。そして、ドアに掛かった南京錠の鍵を開けた。
俺が立会いに出たら、お前も帰れ。今まで悪かった。
磨りガラスの向こう、目蒲さんが背を向ける。はっとなってお風呂場を飛び出すが、執務室はもぬけの殻で。すぐに私が急な展開に目をぱちくりやっている間にみんな外に出て行ってしまったのだと理解した。途方にくれて執務室を見渡すと、目蒲さんのデスクの上に真っ白なワンピースが置いてあるのを見つけた。私はついとそれを摘んで持ち上げる。下から着替え一式が出てくる。さすが、抜かりない人だ。私は自分の着ていた服を見下ろす。血と吐瀉物と、黒ずみだらけだ。ご厚意に甘えよう。私はシャワーを浴びに浴槽に戻った。
手錠の鍵は血みどろの方のワンピースのポケットの中にあった。山口さんがいつか入れてくれたものだろう。鍵を回して、手錠を外して、服を脱ぐ。カパカパになってしまったブラジャーが、浮き出たあばらが、無数の傷が今までの日々の壮絶さを思い起こさせる。散々な目にあわされた。シャワーの水圧だけでこんなに痛いなんて相当じゃないか。
そうだよ。このままじゃ私が引き合わない。ここまで痛めつけて、自分が飽きたら帰れって?冗談じゃない。
信じるよ山口さん。あの人は騙されてるだけのいい人だ。
だから、あの人を佐田国さんから引き剥がさないと、私は気が済まない!
蛇口を閉める。体を拭く。目蒲さんが誂えた服を着る。濡れた髪はいい。そのうち乾くだろう。タオルでガシガシと頭を拭きながら、私は書類棚から過去の立会い報告書を引っ張り出す。一番最近の、佐田国さんの立会いが入っているファイルを選んで目蒲さんの机に置いた。そのまま目蒲さんの机の引き出しを漁る。私がさらわれた時、お財布は持っていたはずなんだけど。あれはどこに消えた?引き出しにはない。とすれば…
私は執務室を見回す。ふとその時、廊下が騒がしいのに気づいた。声のかたまりはどんどん近付いてきて、執務室のドアを開けた。
「さあ、佐田国に関する資料の作成者に繋がる情報を探すのじゃ…ん?」
車椅子のおじいちゃんを先頭に男の人がわらわらと入って来ようとして、私と目があって立ち止まった。
「おお…その…大丈夫かお前は」
足が変な方向向いとるぞ。痩せ細っとるし。悪いことは言わんからとりあえず座りなさい。名は何というんじゃ。何故ここにおる?ちょいとリー、車椅子を取ってきなさい。なんじゃ場所じゃと?一階の倉庫に入っとるからとりあえず行かんか!分からんかったら誰かに聞け!おじいちゃんが喋るのに合わせてテキパキ動く部下の人たちに促され、私は一番近かった目蒲さんの椅子に座らされた。
「で、お前さん名前は」
「えと、伏龍晴乃です」
「そうか伏龍よ。この部屋の主とはどんな関係じゃ」
「どんな…」
正直に言っていいものか。一瞬迷うが、この体でつける嘘の選択肢なんてほぼ無いと思い直し、私は正直に自分が監禁されていた事を話した。凄く同情してくれた。
「そうか。儂はちょうどお前さんが逃げるところに出くわしたのじゃな。大丈夫じゃよ。邪魔はせん。何を探しておったんじゃ。儂らもここで探しものがあるからな、手伝えるかもしれん」
「あ、あの、財布を探してます….」
「そうかそうか財布か」
「能輪立会人。財布ありました」
「あ、それですそれです!ありがとうございます。じゃあ私これで。お世話になりました」
財布とファイルを一纏めに持って、私はそそくさ出て行こうとする。待て、と鋭い声。やっぱりダメだったか。私は素直に立ち止まる。
「何でしょう」
「そのファイルの中身を見せい」
「………」
「見せい」
「嫌です」
「ロン、取り上げろ」
「はい」
「ダメですこれは絶対ダメ!」
私は逃げる。でも、私の元々小さいのがケガの痛みでもっと小さくなった一歩ではロンと呼ばれた男性には勝てるはずもなく。
「やだ!これがないと行っても何もできないじゃないですか!」
ファイルにかかった手を振りほどこうと頑張りながら、私は叫ぶ。
「そもそも私が頑張ったんだからこれは私のですー!」
んん!?おじいちゃんが盛大に疑問符をつけた。ロンさんが止まる。私はこれ幸いと逃げようとするが、ロンさんがすかさず腕を引っ掴んだ。痛い。
「能輪立会人?」
「伏龍よ、悪いようにはせん。絶対せん。それは目蒲の立会い報告書じゃな?」
おじいちゃんの顔をじっと見る。好々爺然とした顔に潜んでいる、鋭い眼光の奥にあるものを探る。敵意はなく、この人は事実が知りたいのだろう。私はそう睨んで口を開いた。
「……はい」
「それを頑張ったとはどういう事じゃ」
「目蒲さんが、嘘つきじゃなくなるように、しました」
「……確保。ただし丁重に扱え」
「い、嫌!嫌です!私行かないと!」
ロンさんが次は私の肩を掴む。弾みで痛い!と叫ぶとその手が離れたのをいいことに、私は距離を取った。じりじりとその距離を縮める彼から、更に距離を取る。逃げながら、やっとシナプスが繋がる。そうだこの人たちが目蒲さんの執務室を探すなんて、つまりーー
「今行かないと間に合わない!目蒲さんを助けないと!」
「その話はお屋形様にせい」
「あなた達目蒲さんの立会い中に全部終わらす気でしょ!?だから今ここにきたんでしょ!?悠長になんかしてられないの離して!」
私の声を無視して、おじいちゃんが電話を掛ける。お屋形様ですか。そう言った。電話が繋がったらしい。つい癖で静かになる。
「書類の作成者が分かりました…いえ、それが一般人でして…ええ…ええ…それが被監禁者して……いえ、本当に。痩せほとっとります…いえそれが、目蒲を助けるとのたまっとりますわ……はあ…分かりました」
おじいちゃんが電話を切る。そして、呆れたような目をして言った。
「喜べ伏龍よ。お屋形様と落ち合う場所が目蒲の立会い現場となったぞ」