沈丁花の約束
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ドアの向こうの喧騒で目が覚めた。今は一体何時何分なんだろう。この小さな部屋にはそのヒントになるものが何もなく、私は途方にくれてしまって、ぼんやり磨りガラスを眺める。気付けば南京錠が掛かっていた。ああ、あの人ちゃんと宣言通りにしてる。
意識がはっきりするにつれて、昨日のことが頭に浮かぶ。
目蒲さん、大分憔悴してたな。自分で気付いていないのは可哀想。あと山口さんは無事なんだろうか。今日は来れているんだろうか。でも、来れていたとしたら、私の代わりに暴力の的になってはいないだろうか。心配になって、磨りガラスに耳を近づける。ざわざわとした執務室にあふれる声には、どことなくぴりぴりとした雰囲気がある。昨日のドタバタはみんなが知るところになっているんだろうか。ざわめきの中に山口さんの声を探すが、どうにも全部山口さんの声に聞こえるし、逆に全部違うようにも聞こえるし。
「2時からです、目蒲立会人」
不意にクリアに声が耳に飛び込んできた。これこそが山口さんの声だと確信を持てるものだった。
山口さん、来てるんだ!
私は飛び上がりそうになる。普通に仕事をしているらしい、落ち着いた声。返事をする目蒲さんの声も、特に悪い感情がこもっている感じではなかった。昨日の事はなかったことにでもなっているのかしら。それでいいそれでいい。よかった。山口さんが酷い目にあってなくて。
引き続き耳を澄まし続けると、2時からなのは掃除の打ち合わせらしい。掃除?とも思ったけど、本当にするらしい。
なんだ。情報も入るじゃない。
これなら平気。まだやれる。
私は磨りガラスに体を寄せて、全神経を耳に集中させた。
ーーーーーーーーーー
黒い影が磨りガラスに映って、ドアから体を離した。近づいてくるその影が誰なのか何とか判別しようとして、私はドアに近づいてみたり離れてみたり。結局金髪を認めてやっと目蒲さんだと気付いた。
ドアの前で立ち止まった目蒲さんに何を言ったものかと悩むが、あちらも同じ気持ちらしい。磨りガラス越しに暫し見つめ合う。結局目蒲さんが磨りガラスを背もたれにする形で座り込んだので、私も何か声をかけるのはやめた。その代わり、私も磨りガラスを背もたれに座っておいた。
硝子が温かい。
最後に人の体温を感じたのはどれくらい前になるんだろうか。私はここに来る前の毎日を思い出してしまい、泣きそうな気持ちになった。両親に会いたいな。友達に会いたいな。子供達に会いたいな。
私たちはただただ黙って、磨りガラス越しに体温を分け合った。
それから私たちは毎日同じことを繰り返した。昼間はドアにぴったりくっついて情報を集めて、夜誰もいなくなると目蒲さんはドアの前にやってきて、しばらく座り込む。それが終わると目蒲さんは南京錠を開けて、食べ物を投げ込む。その頃にはハンガーストライキの気分ではなくなっていたのだが、いかんせんからだの調子がおかしくて食べれる日も食べられない日もあった。そのどちらの日も目蒲さんは何か言うわけでなく、黙ってそれを片付けた。
私たちは一言も口をきかなかった。ある日立会いがあった日も、それから対戦相手が誰もいなくなって執務室がどんなに苛立っていた時も同じだった。立会いはどうだったんですか、とか、立会い報告書って誰が作ったんですか、とか、いい機会だからそのまま佐田国さんの立会いやめちゃったらどうですか?とか。言いたい事はたくさんだったけれど、なんとなく。
ある日、目蒲さんがいつまでも座り込んだままになってしまった日があった。久しぶりに立会いが決まった日の事だった。1時間、2時間、ここに時計がないから何も言えないけれど、体感ではそれくらい。
「大丈夫ですか」
つい、暗黙のルールを破ってしまった。目蒲さんはびっくりしたようだった。慌てて伸ばした背筋が可愛らしい。磨りガラス越しに見えないように、私は少し笑う。
「何が?」
目蒲さんがいつも通りの低い声で問い返す。この人、この声を出す為に今軽く深呼吸したな。笑いが声に混じってしまいそうになって、私も深呼吸をした。
「何が…うーん、心?」
「は?」
「明日、佐田国さんと会って、目蒲さんの心は大丈夫ですか?」
「はあ?」
とても憤慨した様子だった。訳もない。目蒲さんは佐田国さんの事をとても尊敬している。事実、目蒲さんは滔々と佐田国さんの勇敢さを語り出す。どんなに高い理想を持っているのか。それを実現する為にどれだけの無茶をしてきたか。私は全部聞いた。全部聞いた上で、問うた。
「それで結局、あなたはどうなんですか」
目蒲さんは答えない。
つまり、やっと話が通じた。
「私はあなたの心配しかしてませんよ。目蒲さん、その、無茶な理想に巻き込まれるあなたの気持ちはどこへ行くんですか。あなたはそのままで引き合うんですか」
目蒲さんは未だ答えられない。畳みかけよう。
「よく自分の立場を思い出してください目蒲さん。ルール破って無茶してるのはあなただけです。正々堂々やれなくて苦しんでるのはあなただけです。あなたがそんなに辛いのに、佐田国さんはあなたの気持ちをちっとも尊重してくれてない!何度でも聞きますよ目蒲さん。それであなたの心は大丈夫なんですか。不当に扱われて、辛くないですか。それでもホントに、佐田国さんについていくんですか」
言葉が出てこない目蒲さんを見つめる。ここからだと目蒲さんがどんな気持ちでいるのか、推測のしようもない。この人は今何を考えているのか。私はこれからどう出るべきか。目蒲さんにこれ以上の時間をあげるべきか、更に畳み掛けて深く考えられないようにするべきか。
「目蒲さん、今日は帰って、ゆっくり考えてみてください」
私は賭けた。この人に私の言葉が上手に響いていますように。
意識がはっきりするにつれて、昨日のことが頭に浮かぶ。
目蒲さん、大分憔悴してたな。自分で気付いていないのは可哀想。あと山口さんは無事なんだろうか。今日は来れているんだろうか。でも、来れていたとしたら、私の代わりに暴力の的になってはいないだろうか。心配になって、磨りガラスに耳を近づける。ざわざわとした執務室にあふれる声には、どことなくぴりぴりとした雰囲気がある。昨日のドタバタはみんなが知るところになっているんだろうか。ざわめきの中に山口さんの声を探すが、どうにも全部山口さんの声に聞こえるし、逆に全部違うようにも聞こえるし。
「2時からです、目蒲立会人」
不意にクリアに声が耳に飛び込んできた。これこそが山口さんの声だと確信を持てるものだった。
山口さん、来てるんだ!
私は飛び上がりそうになる。普通に仕事をしているらしい、落ち着いた声。返事をする目蒲さんの声も、特に悪い感情がこもっている感じではなかった。昨日の事はなかったことにでもなっているのかしら。それでいいそれでいい。よかった。山口さんが酷い目にあってなくて。
引き続き耳を澄まし続けると、2時からなのは掃除の打ち合わせらしい。掃除?とも思ったけど、本当にするらしい。
なんだ。情報も入るじゃない。
これなら平気。まだやれる。
私は磨りガラスに体を寄せて、全神経を耳に集中させた。
ーーーーーーーーーー
黒い影が磨りガラスに映って、ドアから体を離した。近づいてくるその影が誰なのか何とか判別しようとして、私はドアに近づいてみたり離れてみたり。結局金髪を認めてやっと目蒲さんだと気付いた。
ドアの前で立ち止まった目蒲さんに何を言ったものかと悩むが、あちらも同じ気持ちらしい。磨りガラス越しに暫し見つめ合う。結局目蒲さんが磨りガラスを背もたれにする形で座り込んだので、私も何か声をかけるのはやめた。その代わり、私も磨りガラスを背もたれに座っておいた。
硝子が温かい。
最後に人の体温を感じたのはどれくらい前になるんだろうか。私はここに来る前の毎日を思い出してしまい、泣きそうな気持ちになった。両親に会いたいな。友達に会いたいな。子供達に会いたいな。
私たちはただただ黙って、磨りガラス越しに体温を分け合った。
それから私たちは毎日同じことを繰り返した。昼間はドアにぴったりくっついて情報を集めて、夜誰もいなくなると目蒲さんはドアの前にやってきて、しばらく座り込む。それが終わると目蒲さんは南京錠を開けて、食べ物を投げ込む。その頃にはハンガーストライキの気分ではなくなっていたのだが、いかんせんからだの調子がおかしくて食べれる日も食べられない日もあった。そのどちらの日も目蒲さんは何か言うわけでなく、黙ってそれを片付けた。
私たちは一言も口をきかなかった。ある日立会いがあった日も、それから対戦相手が誰もいなくなって執務室がどんなに苛立っていた時も同じだった。立会いはどうだったんですか、とか、立会い報告書って誰が作ったんですか、とか、いい機会だからそのまま佐田国さんの立会いやめちゃったらどうですか?とか。言いたい事はたくさんだったけれど、なんとなく。
ある日、目蒲さんがいつまでも座り込んだままになってしまった日があった。久しぶりに立会いが決まった日の事だった。1時間、2時間、ここに時計がないから何も言えないけれど、体感ではそれくらい。
「大丈夫ですか」
つい、暗黙のルールを破ってしまった。目蒲さんはびっくりしたようだった。慌てて伸ばした背筋が可愛らしい。磨りガラス越しに見えないように、私は少し笑う。
「何が?」
目蒲さんがいつも通りの低い声で問い返す。この人、この声を出す為に今軽く深呼吸したな。笑いが声に混じってしまいそうになって、私も深呼吸をした。
「何が…うーん、心?」
「は?」
「明日、佐田国さんと会って、目蒲さんの心は大丈夫ですか?」
「はあ?」
とても憤慨した様子だった。訳もない。目蒲さんは佐田国さんの事をとても尊敬している。事実、目蒲さんは滔々と佐田国さんの勇敢さを語り出す。どんなに高い理想を持っているのか。それを実現する為にどれだけの無茶をしてきたか。私は全部聞いた。全部聞いた上で、問うた。
「それで結局、あなたはどうなんですか」
目蒲さんは答えない。
つまり、やっと話が通じた。
「私はあなたの心配しかしてませんよ。目蒲さん、その、無茶な理想に巻き込まれるあなたの気持ちはどこへ行くんですか。あなたはそのままで引き合うんですか」
目蒲さんは未だ答えられない。畳みかけよう。
「よく自分の立場を思い出してください目蒲さん。ルール破って無茶してるのはあなただけです。正々堂々やれなくて苦しんでるのはあなただけです。あなたがそんなに辛いのに、佐田国さんはあなたの気持ちをちっとも尊重してくれてない!何度でも聞きますよ目蒲さん。それであなたの心は大丈夫なんですか。不当に扱われて、辛くないですか。それでもホントに、佐田国さんについていくんですか」
言葉が出てこない目蒲さんを見つめる。ここからだと目蒲さんがどんな気持ちでいるのか、推測のしようもない。この人は今何を考えているのか。私はこれからどう出るべきか。目蒲さんにこれ以上の時間をあげるべきか、更に畳み掛けて深く考えられないようにするべきか。
「目蒲さん、今日は帰って、ゆっくり考えてみてください」
私は賭けた。この人に私の言葉が上手に響いていますように。