水仙の排撃
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「おい」
低い声に呼ばれ、僕は持っていたビールジョッキを置いて振り返る。伽羅さんだ。
「はい」
「あの女に持って行け」
あの女。考えるまでもない、晴乃さんの事だ。しかし、何を。僕は、「ええと」と言葉を濁した。伽羅さんはじっとビールジョッキを見つめている。
代わりに周りを見回せば、ホテルロビーで酒盛りをしていたメンバーみんな、チャンプさんもりゅうせいも。なんなら貘さんさえも僕を見て曖昧に微笑んでいる。という事は、みんなもどうしてこうなったかは分かってないけど僕が指名されたんだから僕が何とかしろと、そういう事か。
「え…と。持って行けって、その机の上のりんごでいいですか?」
「他に何がある…相変わらずキメェな」
「ええ…」
僕はとりあえず立ち上がり、伽羅さんの目の前置かれているりんごの皿を恐る恐る取り上げる。
「じゃあ、持ってきますね」
「わあ!じゃあマルコも行くよ!」
「テメェはいい。梶だけだ」
「ええー?」
ぴょんと飛び上がるマルコをばっさり切り捨て、彼は僕に視線を合わせる。
「さっさと行け」
くいと傾げられた顎。せき立てられるように僕は部屋を出る。後ろでは貘さんが「伽羅さん優しー!」とはしゃいだ声を出しているけど、一体どこが。
ーーーーーーーーーー
頼りない木製のドアをノックすれば、中から「はーい」と、これまた呑気な声。すぐにドアが大きく開かれて、「ありゃ、梶様じゃないですか。どうかなさいました?」と、笑顔の晴乃さんが現れる。
「あの、伽羅さんがこれを…というか、こんばんは」
「へえ、伽羅さんが?…あ、こんばんは」
彼女は照れて笑いながら、りんごの皿を受け取った。それだけで用事はおしまいなので、僕は「じゃ、また明日」とドアを閉める。もちろん晴乃さんは引き留めなかった。
バタンと閉まるドアを見て、ふと、これは怒られるんじゃないかという思いがよぎる。わざわざ僕だけをおつかいに出したのに本当におつかいだけ果たしてきたら、あの人にちぎって捨てられてしまう事請け合い。僕はため息をついて、ドア横の壁にもたれ掛かる。どうしたもんか。
と、悩む振りこそするが、本当は意図なんて分かっていた、伽羅さんにきっかけを与えられる前からだ。
打ち解けなきゃいけない。もちろん、別にその必要はない。伽羅さん本人だって晴乃さんと仲良くなったわけではないし、貘さんに至ってはがっつり嫌われている。嫌われている…はず。それなのにこんなところまで連れてくる事に成功してしまったから、よく分からないが。とにかく、ちゃんと協力できるならどうでもいい筈だ。
そう。つまり問題は、僕はちゃんと信頼関係を結んだ相手としか上手に協力できないという事と、それを貘さんも伽羅さんも分かっているという事。だから、さっさと打ち解けて来いとばかりにりんごを持たされてしまった訳だが…正直嫌である。
僕は閉まったドアに目線を遣る。彼女は貘さんが嫌いだから、ただでさえアイデアルのボスと戦う危険な盤面をしっちゃかめっちゃかにされる可能性がある。初日で金を稼ぎまくってくれたのだって何かの布石かもしれないし、どう見たって格上の彼女の企みを僕が止められる訳が無いし。なら最初から警戒したってバチは当たらないだろう。下手に仲良くなって後手に回るよりはね。
「はあ」
僕は肩を落とす。そろそろりんごを食べ終わった頃だろうか?
「…行こ」
ドアをノックすれば、「はーい」という先ほどと同じく呑気な声。顔を出した彼女に、僕は「お皿下げに来ました」と言った。
「あら、そんなお気遣いなくてもよかったのに」
「いえいえ」
「でも、ごめんなさい。まだ食べられてなくて」
「あ、そうだったんですか」
早すぎたようだが、好都合かもしれない。僕は「りんご、嫌いですか?」と問い掛ける。
「いいえ、好きですよ。ただちょっと他の事に集中してて」
「何してたんですか?」
「明日の準備です」
「明日?何かありましたっけ?」
「特に何もありませんけど…」
言い淀んだ彼女だったが、次の瞬間悪戯っぽく目を細め、僕を見上げる。
「まあ、ずっと外で待っていただいてたみたいですし?」
ぎくりとする僕を見て、彼女はしたり顔で微笑んだ。
「何故それを…?」
「んふふ。ずーっと能輪立会人が警戒モードだったんで」
「え?」
僕がきょろきょろ周りを見回すのを、彼女は少し笑って「中にいらっしゃいますよ」と扉を大きく開けた。果たして見つけた能輪さんは、書類だらけの床から追いやられてベットに座っている。
「ご機嫌よう、梶様」
「こんにちは…」
読んでいた本を閉じ、彼は不敵に笑う。一抹の気まずさを覚える僕に、晴乃さんは「中、入ります?」と一言。僕はお言葉に甘える事にする。
一歩踏み入れれば、薄く漂うりんごの匂い。ラップもかけられず放置されていたそれは、早く早くと食べられる時を待っている。部屋の奥へと先導する晴乃さんは、歩きながらすっと手を伸ばしてその一つを取った。
「梶様もお一ついかがです?」
「じゃあ」
常温になったりんごがしっとりと指に吸いつく。そのまま口に運べば、甘い香りが鼻に抜けた。
「うん、美味しい」
「美味しいですね」
弾んだ声に合わせつつ、僕は机上に視線を流す。そこにあったのは、空欄だらけのワークシートだった。
「忙しいって」
「授業ですよ」
彼女はワークシートを手に取ると、そのまま僕の手に乗せる。
「出来上がってるじゃないですか」
「明日は忙しくなりますからね。可能なら明々後日の分まで作っておきたいです」
「はあ…」
明日、何があったっけ。記憶をたぐる僕に、彼女は「運営に呼ばれてるんですよ」と言った。そして、いいきっかけを得たと椅子に腰掛けて作業に戻る。
「へえ…」
「畑の進捗を、ですって」
「でも…」
「ええ、絶対方便だと思いますよ。まだ苗植えただけですもん。あの人達、私にプレッシャー掛けようとしてるんですよ、絶対」
「うわあ」
「本当にやんなっちゃいますよね。私の首根っこ抑えたくらいじゃ誰も止まらないのに」
「まあ…」
「ねえ?そもそもコアになってるメンバーが斥候に来るわけないじゃないですか。考えて欲しいもんです」
「ははっ…」
「あ、大丈夫ですよ。伽羅さんも付いてきて下さるそうなんで」
「あ、そうなんだ…」
「んふふ、自分が行きたかったです?」
「いや、そんなことは…」
「顔に書いてありますよう」
「ええっ?!」
僕は咄嗟に顔に触れた。それで晴乃さんがしたり顔になるのが何とも癪にさわり、つい「そうやって先回りばっかりしてますけど、どうせコールドリーディングでしょ?」なんて言ってしまう。いつも余裕綽々なこの人にはどうせ効果無しだろうけど…
と思ったのに、晴乃さんったら真っ赤になって口をぱくつかせたと思えば、今度は急に真っ青になったものだから僕も空いた口が塞がらない。え、何がどうなったって事?
低い声に呼ばれ、僕は持っていたビールジョッキを置いて振り返る。伽羅さんだ。
「はい」
「あの女に持って行け」
あの女。考えるまでもない、晴乃さんの事だ。しかし、何を。僕は、「ええと」と言葉を濁した。伽羅さんはじっとビールジョッキを見つめている。
代わりに周りを見回せば、ホテルロビーで酒盛りをしていたメンバーみんな、チャンプさんもりゅうせいも。なんなら貘さんさえも僕を見て曖昧に微笑んでいる。という事は、みんなもどうしてこうなったかは分かってないけど僕が指名されたんだから僕が何とかしろと、そういう事か。
「え…と。持って行けって、その机の上のりんごでいいですか?」
「他に何がある…相変わらずキメェな」
「ええ…」
僕はとりあえず立ち上がり、伽羅さんの目の前置かれているりんごの皿を恐る恐る取り上げる。
「じゃあ、持ってきますね」
「わあ!じゃあマルコも行くよ!」
「テメェはいい。梶だけだ」
「ええー?」
ぴょんと飛び上がるマルコをばっさり切り捨て、彼は僕に視線を合わせる。
「さっさと行け」
くいと傾げられた顎。せき立てられるように僕は部屋を出る。後ろでは貘さんが「伽羅さん優しー!」とはしゃいだ声を出しているけど、一体どこが。
ーーーーーーーーーー
頼りない木製のドアをノックすれば、中から「はーい」と、これまた呑気な声。すぐにドアが大きく開かれて、「ありゃ、梶様じゃないですか。どうかなさいました?」と、笑顔の晴乃さんが現れる。
「あの、伽羅さんがこれを…というか、こんばんは」
「へえ、伽羅さんが?…あ、こんばんは」
彼女は照れて笑いながら、りんごの皿を受け取った。それだけで用事はおしまいなので、僕は「じゃ、また明日」とドアを閉める。もちろん晴乃さんは引き留めなかった。
バタンと閉まるドアを見て、ふと、これは怒られるんじゃないかという思いがよぎる。わざわざ僕だけをおつかいに出したのに本当におつかいだけ果たしてきたら、あの人にちぎって捨てられてしまう事請け合い。僕はため息をついて、ドア横の壁にもたれ掛かる。どうしたもんか。
と、悩む振りこそするが、本当は意図なんて分かっていた、伽羅さんにきっかけを与えられる前からだ。
打ち解けなきゃいけない。もちろん、別にその必要はない。伽羅さん本人だって晴乃さんと仲良くなったわけではないし、貘さんに至ってはがっつり嫌われている。嫌われている…はず。それなのにこんなところまで連れてくる事に成功してしまったから、よく分からないが。とにかく、ちゃんと協力できるならどうでもいい筈だ。
そう。つまり問題は、僕はちゃんと信頼関係を結んだ相手としか上手に協力できないという事と、それを貘さんも伽羅さんも分かっているという事。だから、さっさと打ち解けて来いとばかりにりんごを持たされてしまった訳だが…正直嫌である。
僕は閉まったドアに目線を遣る。彼女は貘さんが嫌いだから、ただでさえアイデアルのボスと戦う危険な盤面をしっちゃかめっちゃかにされる可能性がある。初日で金を稼ぎまくってくれたのだって何かの布石かもしれないし、どう見たって格上の彼女の企みを僕が止められる訳が無いし。なら最初から警戒したってバチは当たらないだろう。下手に仲良くなって後手に回るよりはね。
「はあ」
僕は肩を落とす。そろそろりんごを食べ終わった頃だろうか?
「…行こ」
ドアをノックすれば、「はーい」という先ほどと同じく呑気な声。顔を出した彼女に、僕は「お皿下げに来ました」と言った。
「あら、そんなお気遣いなくてもよかったのに」
「いえいえ」
「でも、ごめんなさい。まだ食べられてなくて」
「あ、そうだったんですか」
早すぎたようだが、好都合かもしれない。僕は「りんご、嫌いですか?」と問い掛ける。
「いいえ、好きですよ。ただちょっと他の事に集中してて」
「何してたんですか?」
「明日の準備です」
「明日?何かありましたっけ?」
「特に何もありませんけど…」
言い淀んだ彼女だったが、次の瞬間悪戯っぽく目を細め、僕を見上げる。
「まあ、ずっと外で待っていただいてたみたいですし?」
ぎくりとする僕を見て、彼女はしたり顔で微笑んだ。
「何故それを…?」
「んふふ。ずーっと能輪立会人が警戒モードだったんで」
「え?」
僕がきょろきょろ周りを見回すのを、彼女は少し笑って「中にいらっしゃいますよ」と扉を大きく開けた。果たして見つけた能輪さんは、書類だらけの床から追いやられてベットに座っている。
「ご機嫌よう、梶様」
「こんにちは…」
読んでいた本を閉じ、彼は不敵に笑う。一抹の気まずさを覚える僕に、晴乃さんは「中、入ります?」と一言。僕はお言葉に甘える事にする。
一歩踏み入れれば、薄く漂うりんごの匂い。ラップもかけられず放置されていたそれは、早く早くと食べられる時を待っている。部屋の奥へと先導する晴乃さんは、歩きながらすっと手を伸ばしてその一つを取った。
「梶様もお一ついかがです?」
「じゃあ」
常温になったりんごがしっとりと指に吸いつく。そのまま口に運べば、甘い香りが鼻に抜けた。
「うん、美味しい」
「美味しいですね」
弾んだ声に合わせつつ、僕は机上に視線を流す。そこにあったのは、空欄だらけのワークシートだった。
「忙しいって」
「授業ですよ」
彼女はワークシートを手に取ると、そのまま僕の手に乗せる。
「出来上がってるじゃないですか」
「明日は忙しくなりますからね。可能なら明々後日の分まで作っておきたいです」
「はあ…」
明日、何があったっけ。記憶をたぐる僕に、彼女は「運営に呼ばれてるんですよ」と言った。そして、いいきっかけを得たと椅子に腰掛けて作業に戻る。
「へえ…」
「畑の進捗を、ですって」
「でも…」
「ええ、絶対方便だと思いますよ。まだ苗植えただけですもん。あの人達、私にプレッシャー掛けようとしてるんですよ、絶対」
「うわあ」
「本当にやんなっちゃいますよね。私の首根っこ抑えたくらいじゃ誰も止まらないのに」
「まあ…」
「ねえ?そもそもコアになってるメンバーが斥候に来るわけないじゃないですか。考えて欲しいもんです」
「ははっ…」
「あ、大丈夫ですよ。伽羅さんも付いてきて下さるそうなんで」
「あ、そうなんだ…」
「んふふ、自分が行きたかったです?」
「いや、そんなことは…」
「顔に書いてありますよう」
「ええっ?!」
僕は咄嗟に顔に触れた。それで晴乃さんがしたり顔になるのが何とも癪にさわり、つい「そうやって先回りばっかりしてますけど、どうせコールドリーディングでしょ?」なんて言ってしまう。いつも余裕綽々なこの人にはどうせ効果無しだろうけど…
と思ったのに、晴乃さんったら真っ赤になって口をぱくつかせたと思えば、今度は急に真っ青になったものだから僕も空いた口が塞がらない。え、何がどうなったって事?