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消えそうな子。
俺が彼女を見つけた時の第一印象はそれだった。
大人びて静かで、でもいつもどこか泣きそうな顔をしている子供。
この世のどこにいても馴染まなくて、独りだけ浮き上がって見える。誰といても孤独で、永遠に取り残されているような人。
芸能人という肩書きを持ちながら俺が彼女に近づいたのは、おそらくあの心の深くに沈み込む虚無に惹かれたからだ。
わざわざ本名を開示して連絡を交換したのを聞いていた桜河こはくは「……まあ、何となくわかるわ」と頷いた。
「たまにおるんよな、ああいう子。そこにいるのにどこにもおらんみたいな、存在そのものが揺らいどるというか」
元々裏社会にいた彼には、やはり彼女の「危うさ」が理解できるのだろう。
「わしは止めんよ。たくさんお喋りしいや」と言われた通り、俺は彼女にとにかくたくさんのメッセージや写真を送った。
食べたスイーツも新しい服も、全てを真っ先に彼女に送る。
反応は大抵「美味しそうですね」とか「着心地良さそうですね」とか、年頃の女性とは思えないほどにシンプルだ。
少しづつ贈り物をしてみても、少し驚いた顔をして「ありがとうございます」と言うだけ。
負の感情は表に出るのに、喜びはわかりにくい。
照れに至っては、そんなものがあるのかすらわからない。
俺は今日、そんな彼女と初めて公園の外、日付が変わる前に待ち合わせをしている。
行先は水族館だ。仕事先で貰ったペアチケットの消費のために、というのを建前にしている。
約束の時間は19時。
指定した駅前でも、やはり彼女は景色から一人浮き上がっていた。
「縁さん」
「……十条さん」
どうも、と頭を下げる彼女は、俺が以前あげたセットアップを着ていた。とにかく細身なので、シンプルなデザインのそれはよく似合っている。
「では行きましょうか」
「はい」
縁さんはそっと俺の右斜め後ろに立った。おそらく癖だろう。
やってきた水族館は、クラゲの展示を目玉としているところだった。
様々な色にライトアップされた水槽の中をふわふわと漂うそれらは、こちらをどことなく癒してくれる。
「ぽむぽむしてる……」
縁さんは大きな球体型の水槽を眺めていた。
中にいるのはキャノンボールジェリー。小さくて丸いシルエットが可愛らしいクラゲだ。食用としての需要もある。
それを説明すると彼女は「コリコリしてて美味しそうですよね」と真顔で言った。
「クラゲって、死ぬ瞬間がわからないそうです」
縁さんがそう呟いたのは、ミズクラゲの水槽の前だった。
血色感のあまりない顔が、青い光に照らされている。その表情を一言で表すなら、「羨望」か。
「心臓がない代わりに体全体でそれの役目をしてるから、死んだ瞬間の見極めが出来ないらしいって」
クラゲが一匹、ふよふよと彼女に近づいた。
それに合わせて俯き、さらりとその髪が顔にかかる。
「だから、この子達は水に体が溶けて初めて「死んだ」って認識されるそうです」
くるり、とまるで人形のように細い指が動く。
それに合わせてクラゲも回った。
「なんか、いいですよね。そういうの」
そう言う彼女の顔は見えない。
俺はふわふわと傘を動かすクラゲを見た。
何も考えず、ただ海を漂う生き物。死を認められた時には、もうその体は溶けて消えている。
「……少し、わかる気がします」
俺はもうそんな生き方はできない。
キラキラと輝くものの中で、大切なものを損なわないために必死で歌い踊っている。
「……そうですか」
縁さんは初めて笑った。
まるで死の直前のような微笑みだった。
閉店直前だったメインショップを通り抜け、俺達は海岸へ出た。
コンクリートの階段は砂混じりで、髪が陸風に靡いて鬱陶しい。
彼女は水平線の方をぼんやりと見つめている。
「海、好きですか」
「わからないです。あまり、きたことがないので……」
こう何度も会って話をしていると、相手の環境というものは大体掴めてくる。
縁さんはおそらく、あまりいい家庭環境に置かれていないのだろう。虐待を受けているわけでもいじめられているわけでもないだろうけど、常に孤独を感じている素振りがある。
そもそもあの時間帯に外を出歩けていること自体がおかしいともいえるが。
「でも、深くて暗いっていうのはいいですね。なんとなく」
彼女は静かに微笑んだ。このまま風に流されてしまいそうなほど、微かに。
俺があげたセットアップは濃紺だった。それが今、酷く悔やまれる。あまりにも夜に溶けすぎているからだ。
「……行きましょうか」
「はい」
俺達は駅へ向かう道を歩いた。
相変わらず右斜め後ろ。一人分以上の隙間を空けて、音を潜めて。
「あの、十条さん」
「はい?」
「ありがとうございました。今日、連れてきていただいて」
「いえ。チケットが余っていただけですから」
声すら小さい。
木の影に入ったタイミングを見計らって、俺は鞄から小さな包みを取り出して縁さんに渡した。
「これは?」
「シャーペンです。使うでしょう?」
「……ありがとうございます」
事前にメインショップの通販で購入した品だ。
彼女は何となく合点がいったのか、素直に礼を言ってそれをしまった。
次の日は午後からレッスンだった。
俺の背中を押しながら、桜河が「そういえば」と口を開いた。
「昨日、例のお嬢はんとデート行きはったんやろ?どうやった?」
「どうとは……普通に、クラゲを見て少し海で話して帰ってきましたよ。それにデートではないのです」
「女の子と二人っきりで夜の海とはHiMERUはんも隅に置けへんなあ」
くすくすと笑う桜河は、さらに言った。
「HiMERUはん、その子のことどう思ってはるん?」
「友人だと思っていますよ」
「ほんまに?」
彼は驚愕の表情を浮かべた。菫色の瞳がこちらをじいっと見る。
「わし、てっきりもう付き合うとるもんやと思ってたわ。やっぱ知識はネットだけじゃあかんなあ」
「HiMERUは旧いタイプのアイドルですからね。誰かと深い仲になることはないのです」
そうだ。
俺は『HiMERU』。恋なんて存在しない世界に生きているアイドルだ。
例えどんなに彼女の持つ空白と闇に引き寄せられても、決してそこが揺らぐことは無い。
俺はスポーツドリンクを飲み干し、頭からあの夜の海を振り払った。
俺が彼女を見つけた時の第一印象はそれだった。
大人びて静かで、でもいつもどこか泣きそうな顔をしている子供。
この世のどこにいても馴染まなくて、独りだけ浮き上がって見える。誰といても孤独で、永遠に取り残されているような人。
芸能人という肩書きを持ちながら俺が彼女に近づいたのは、おそらくあの心の深くに沈み込む虚無に惹かれたからだ。
わざわざ本名を開示して連絡を交換したのを聞いていた桜河こはくは「……まあ、何となくわかるわ」と頷いた。
「たまにおるんよな、ああいう子。そこにいるのにどこにもおらんみたいな、存在そのものが揺らいどるというか」
元々裏社会にいた彼には、やはり彼女の「危うさ」が理解できるのだろう。
「わしは止めんよ。たくさんお喋りしいや」と言われた通り、俺は彼女にとにかくたくさんのメッセージや写真を送った。
食べたスイーツも新しい服も、全てを真っ先に彼女に送る。
反応は大抵「美味しそうですね」とか「着心地良さそうですね」とか、年頃の女性とは思えないほどにシンプルだ。
少しづつ贈り物をしてみても、少し驚いた顔をして「ありがとうございます」と言うだけ。
負の感情は表に出るのに、喜びはわかりにくい。
照れに至っては、そんなものがあるのかすらわからない。
俺は今日、そんな彼女と初めて公園の外、日付が変わる前に待ち合わせをしている。
行先は水族館だ。仕事先で貰ったペアチケットの消費のために、というのを建前にしている。
約束の時間は19時。
指定した駅前でも、やはり彼女は景色から一人浮き上がっていた。
「縁さん」
「……十条さん」
どうも、と頭を下げる彼女は、俺が以前あげたセットアップを着ていた。とにかく細身なので、シンプルなデザインのそれはよく似合っている。
「では行きましょうか」
「はい」
縁さんはそっと俺の右斜め後ろに立った。おそらく癖だろう。
やってきた水族館は、クラゲの展示を目玉としているところだった。
様々な色にライトアップされた水槽の中をふわふわと漂うそれらは、こちらをどことなく癒してくれる。
「ぽむぽむしてる……」
縁さんは大きな球体型の水槽を眺めていた。
中にいるのはキャノンボールジェリー。小さくて丸いシルエットが可愛らしいクラゲだ。食用としての需要もある。
それを説明すると彼女は「コリコリしてて美味しそうですよね」と真顔で言った。
「クラゲって、死ぬ瞬間がわからないそうです」
縁さんがそう呟いたのは、ミズクラゲの水槽の前だった。
血色感のあまりない顔が、青い光に照らされている。その表情を一言で表すなら、「羨望」か。
「心臓がない代わりに体全体でそれの役目をしてるから、死んだ瞬間の見極めが出来ないらしいって」
クラゲが一匹、ふよふよと彼女に近づいた。
それに合わせて俯き、さらりとその髪が顔にかかる。
「だから、この子達は水に体が溶けて初めて「死んだ」って認識されるそうです」
くるり、とまるで人形のように細い指が動く。
それに合わせてクラゲも回った。
「なんか、いいですよね。そういうの」
そう言う彼女の顔は見えない。
俺はふわふわと傘を動かすクラゲを見た。
何も考えず、ただ海を漂う生き物。死を認められた時には、もうその体は溶けて消えている。
「……少し、わかる気がします」
俺はもうそんな生き方はできない。
キラキラと輝くものの中で、大切なものを損なわないために必死で歌い踊っている。
「……そうですか」
縁さんは初めて笑った。
まるで死の直前のような微笑みだった。
閉店直前だったメインショップを通り抜け、俺達は海岸へ出た。
コンクリートの階段は砂混じりで、髪が陸風に靡いて鬱陶しい。
彼女は水平線の方をぼんやりと見つめている。
「海、好きですか」
「わからないです。あまり、きたことがないので……」
こう何度も会って話をしていると、相手の環境というものは大体掴めてくる。
縁さんはおそらく、あまりいい家庭環境に置かれていないのだろう。虐待を受けているわけでもいじめられているわけでもないだろうけど、常に孤独を感じている素振りがある。
そもそもあの時間帯に外を出歩けていること自体がおかしいともいえるが。
「でも、深くて暗いっていうのはいいですね。なんとなく」
彼女は静かに微笑んだ。このまま風に流されてしまいそうなほど、微かに。
俺があげたセットアップは濃紺だった。それが今、酷く悔やまれる。あまりにも夜に溶けすぎているからだ。
「……行きましょうか」
「はい」
俺達は駅へ向かう道を歩いた。
相変わらず右斜め後ろ。一人分以上の隙間を空けて、音を潜めて。
「あの、十条さん」
「はい?」
「ありがとうございました。今日、連れてきていただいて」
「いえ。チケットが余っていただけですから」
声すら小さい。
木の影に入ったタイミングを見計らって、俺は鞄から小さな包みを取り出して縁さんに渡した。
「これは?」
「シャーペンです。使うでしょう?」
「……ありがとうございます」
事前にメインショップの通販で購入した品だ。
彼女は何となく合点がいったのか、素直に礼を言ってそれをしまった。
次の日は午後からレッスンだった。
俺の背中を押しながら、桜河が「そういえば」と口を開いた。
「昨日、例のお嬢はんとデート行きはったんやろ?どうやった?」
「どうとは……普通に、クラゲを見て少し海で話して帰ってきましたよ。それにデートではないのです」
「女の子と二人っきりで夜の海とはHiMERUはんも隅に置けへんなあ」
くすくすと笑う桜河は、さらに言った。
「HiMERUはん、その子のことどう思ってはるん?」
「友人だと思っていますよ」
「ほんまに?」
彼は驚愕の表情を浮かべた。菫色の瞳がこちらをじいっと見る。
「わし、てっきりもう付き合うとるもんやと思ってたわ。やっぱ知識はネットだけじゃあかんなあ」
「HiMERUは旧いタイプのアイドルですからね。誰かと深い仲になることはないのです」
そうだ。
俺は『HiMERU』。恋なんて存在しない世界に生きているアイドルだ。
例えどんなに彼女の持つ空白と闇に引き寄せられても、決してそこが揺らぐことは無い。
俺はスポーツドリンクを飲み干し、頭からあの夜の海を振り払った。