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永遠未遂

「賢者様、最近なんか綺麗になったよね」
ある日の図書館、曇りの昼下がり。書類と本を広げた私の前に座ったフィガロは、そう言って微笑んだ。
「……ありがとうございます」
「あはは、警戒させちゃった?」
「いえ」
彼は気さくで、そしてとても頼りになる。北の魔法使いたちが喧嘩を始めた時の仲裁から任務のフォロー、そして南の魔法使いの先生役まで。医師という職業に就いているのもあって、私の体のこともよく気にかけてくれていた。
「前に、体に合うケア用品が見つからないってチラッと言ってたじゃない?あれが解決したのかな」
「はい。オズに頼りました」
「なるほど……」
フィガロは持っていた本を机の上に置き、失礼するねと一声かけて私の手を取った。握ったりひっくり返したりと暫く検分した後、ほうと感心したような顔をする。
「体質に合わせて上手く調整されてる。おまけに加護もかかってるし……流石はオズだ」
「お風呂の時間も短縮されましたし、髪や肌のごわつきもなくなりました。めちゃくちゃ感謝してます」
本当はきちんとお礼をしたいけれど、あのオズを相手に果たして何をしたら良いのか皆目見当もつかない。彼はなんでも一人でこなせてしまうひとだから、私を必要とする時なんて夜間に魔法を使う時しかないのだ。
「……髪、短いのも似合うね。ちょっとドキッとする」
「ありがとうございます」
フィガロのこういう発言にも慣れるくらいには、私もこの世界に馴染んできているらしい。甘い美貌から繰り出される言葉を有難く受け止めて、手元の書類に視線を落とした。書き間違いが許されない公文書、ペンとインクで一発書き。
「それ、今回の任務のやつ?」
「はい。次の予算会議に出すのでわりと大事な報告書です」
魔法舎の有用性を中央の国に見せ、今年度の予算をなるべく多くもぎ取ろうという魂胆だ。魔法使いたちや私に支払われる給与額もここで決まるので、実はかなり気合を入れて準備をしている。体を張って心を使い、命すら危険に晒すような重要な職務なのだから、それに見合った報酬がなくてはとても釣り合わないだろう。
「賢者様ってこういう事務仕事得意?かなり早い段階で全部一人でこなせるようになってたよね」
「前職が事務なので、流れは把握しやすかったと思います。それに……」
「それに?」
優しい声が、まるで子供をあやすように柔らかく耳介に着地する。語尾を飲み込む必要はない、とここにはいないあのひとの言葉を思い出した。
「それくらいできないと、ダメかなって」
異世界からきた賢者。女。なんの力もないくせに、強大な力を持つ魔法使いたちを束ねることを許された者。
それがどう思われるかなんてわかりきっている。任務に同行した際には私も泥を投げられたし、心無い言葉を向けられたこともあった。お前なんかに何ができるんだと、面と向かって言われた経験もある。
だからこそ、できることは全て完璧にこなしたかった。私と同じように好きでこの役目についたわけではない魔法使いたちが、これ以上理不尽で悲しい思いをしなくて済むように。
「だから、毎日夜中までたくさん勉強してるの?」
「知識がないと不安なのもあります。魔法舎や賢者の魔法使いは各国の利権にも関わる大きな要素ですから、そこを取り巻くものを知っておかないといつか嫌なことが起こりそうで」
私は賢者だ。この世界から居なくなるその瞬間まで、魔法使いたちに対する責任がある。それを投げ出してしまえるほど大胆な性格はしていないし、ここにいるひとたちのことを嫌ってもいない。
「賢者様は真面目なんだね」
「そうですかね?」
「真面目だよ。とっても」
フィガロはそう言って笑った。あたたかいのにどこか寂しい、夏の終わりのような笑顔だった。
「あんまり一人で無理しないでね。俺たちもいるし、みんないつだって力になるから」
「はい」
「あんまりわかってないでしょ、賢者様」
大きな手がこちらに伸びて、そっと私の頭に掌が載せられた。温度の低い温もりが髪を滑って離れ、ほんの少し上から声がふわりと降ってくる。
「賢者様のことを助けたい、一緒に問題を何とかしたいって思ってる魔法使いがここにはたくさんいるんだよ。俺も、いつ頼ってもらえるんだろうって思ってうずうずしてるからね」
「フィガロには、もうたくさん頼らせてもらってると思いますけど……」
やさしい笑い声。白衣から花のような香りが漂って弾け、冬の空のような色の瞳に小さい子供を見るような慈しみが浮かんだ。うんと年上の彼にとっては、私もまだまだ赤子のようなものだろう。
それでも、思うことは変わらなかった。私より遥かになんでもできるフィガロの権利も心も、守れるところまでは守ってみせる。少なくとも、彼が賢者の魔法使いに選ばれたことを後悔しない程度には。
「肌や髪の件も、俺に相談してくれて良かったんだよ。そうしたら、合う物を調合してあげられた」
「……緊急でもないことに手間を取らせるのはなって」
「手間かけさせてよ。賢者様みたいな頑張り屋さんのためなら俺も頑張っちゃうからさ。……君を籠絡するチャンスだったのに、オズに見せ場を取られちゃったな」
また楽しい発言をするな、と私は僅かに肩を竦めた。魔法使いは皆形は違えど誠実だしその言葉には偽りがないけれど、フィガロのこれはなかなかにトリッキーでスリリングだ。どこか得体の知れない妖しさが漂うその言葉たちには、何故か可愛らしさすら感じる。
「一度お断りしたら、なんというか、とてもしょんぼりした顔をされてしまったんです。それで申し出を受けることになりまして」
「ああ、あいつたまにそういうことするよね。無自覚なのがまた……」
フィガロはオズの兄弟子だ。二人ははるか昔にスノウとホワイトの元で育ち、そして世界の半分を征服する旅に出た。だから、彼らはお互いのことをよく知っている。私は直接話を聞いたことはないけれと、先代賢者の書にはかつての魔法使いたちのことが克明に描かれていた。
「アーサーがね、賢者様の字が綺麗とか会議でいつも物凄く頑張ってるとか、たくさんオズに話してるんだよ。だからオズも、賢者様のことはかなり気にかけてるんじゃないかな」
「なるほど……」
魔法舎が現在置かれている中央の国と賢者の間には、やはり密接な関係がある。予算のこと、給与のこと、<大いなる厄災>を迎撃する時の軍の配備のこと。いざとなった時に大きな戦力を担うのは魔法使いたちだけれど、人間には人間のやるべきこと、やれることがある。
アーサーは私と中央の国のお偉方の橋渡しとして、会議にはよく参加していた。だから、彼は私がやっていることをよく知っている。報告書を読む機会も、おそらく多いはずだ。
「俺もちらっと見たけど、賢者様って確かに綺麗な字を書くよね。この世界に来て数ヶ月で覚えたとは思えない。サインも、貴族の令嬢みたいだ」
「あはは……ありがとうございます」
字の美しさは教養を表す。元の世界でも厳しく躾られたし、こちらに来てからも様々なものを見てバランスや筆圧を工夫しながら自己研鑽に努めている。手書きが主となる報告書では尚更、書き手である自分をより賢く見せるための技術が必要だ。
「レトリックとかも自己学習でやったんだよね?」
「はい」
「凄いなあ。独学でそんなにやれるようになる人、あんまりいないよね」
この世界の言語は、英語をそのまま鏡文字にしたものと同じ。それにかなり早い段階で気づけたのが勝因だった。元の世界で検定や資格取得のために語学の勉強をしていたことも、今思えば功を奏したといえるだろう。書くのにはかなり手間取ってしまったけれど、それは練習で乗り切った。

フィガロが、冬色の視線を窓に投げる。重々しい雲が垂れこめていた空は、いつの間にかもう耐えきれないとでもいうように雫を零し始めていた。
「あーあ、これじゃ今日の花火は取り止めかなあ」
「花火?」
「うん。今日は栄光の街でお祭りが開かれるんだよ。花火はその一環」
それはきっと、リケやミチルが楽しみにしていたんじゃないだろうか。きっと、ルチルやカインなんかも着いていく予定だったのかもしれない。
「まあ、花火は上がらなくても屋台はあるからね。お祭りに行くって言ってたのは若い子たちだし、きっと雨でも元気に出かけていくんじゃないかな」
私は時計をちらりと見た。そろそろ、オズのところに行く時間だ。
フィガロはこちらの視線を敏感に察知し、「じゃあ、俺はそろそろ行くね」と明るく言って立ち上がった。これは私の根拠のない予想だけれど、きっと彼もルチルやミチルに誘われてお祭りに行くことになる気がする。
「またね、賢者様」
「はい、また」
ゆったりとした足音が遠ざかってから、私も荷物をまとめてその場をあとにした。

いつも通り浄化魔法を使ったオズは、私の手元にある本と書類を一瞥して小さく呟いた。
「お前は、祭りへは行かないのか」
「あら、オズも知ってたんですか?」
「子供たちが行くと言っていた」
彼はゆっくりと頷き、目だけで私にひとりがけのソファを勧めた。座ると同時に半自動的にお茶が出てくるのも、いつもの光景だ。
「……オズも行くんですか?」
「誘われたが、断った」
「そうだったんですね」
一度、オズと一緒に栄光の街に行ったことがある。あらゆる客引きに声をかけられるその姿に、カインが後ろで「あんたは変わらないな」と大笑いしていた。
あのエリアの凄まじい活気と人混みに呑まれてから、私もあまりあちらには行っていない。どちらかというと、嵐の谷やレイタ山脈、夢の森のような静かな場所の方が好みだ。
「……お前も行くものだと思っていた。子供は祭りが好きだろう」
「あはは……私はどちらかというと、静かな方が好きなんです。小さい頃からずっとそうでした」
「そういう子供もいるのか」
「ええ、いますよ」
オズが出してくれる紅茶は、いつもどこかスッキリとした歯切れのいい風味がする。どの茶葉を使っているのか、訊いたら教えてくれるのだろうか。
手の中のティーカップから温もりを分けてもらいながら、私は意外そうな顔をしているオズを見た。彼にとっての「子供」は、幼少期のアーサーだ。つまりそれは、わんぱくで危なっかしい、まるで弾丸のような男の子を示す。
「私は、多分アーサーとは真逆のタイプの子供でした。ずっと引きこもって本ばかり読んで、お稽古事に行く時以外は誰かの影に隠れてばかりの……」
「お稽古事?」
「親が厳しい人で、色々習わせてくれてたんです。ピアノにそろばん、塾に水泳にバレエにお花に英会話」
「多いな」
懐かしいな、と昔のことを思い出す。私の家は裕福だった分、子供にかけられる金額も大きかった。暇さえあれば何かやることを詰め込まれていたから、アーサーのように親に遊んでもらったり、一緒に勉強をした思い出はない。旅行にはよく連れて行ってもらったけれど、そこにも参考書を持参させられていた。
オズは指を顎に置き、ふむと首を僅かに傾げた。わんぱくな男の子を育てていた彼にとって、私のような所謂「大人しい女の子」は全く別の生き物に映るのかもしれない。彼はたまに子育てについてのエピソードや知見を教えてくれるけれど、そのどれもがやんちゃな子供を想定したものだった。
「……女の子には、幼いうちからそんなにも色々と習わせるものなのか」
「地域とか、親の考え方とどれだけお金を持ってるかによるみたいですよ。男の子でもこのくらいやってる子もいましたし、逆に女の子でも毎日自由に遊んでる子もいました」
私の場合は、母親が上流の暮らしに強い憧れを抱いていたのが大きかった。大学を卒業して金持ちの息子だった父と結婚した彼女は、一人娘の私に自分の幼少期の憧憬を重ねたのだ。
同い年の子と遊ぶ暇なんて全くなかった。まだ物心もつかない頃から幼児教室に通わされていたし、高校までエスカレーター式になっている幼稚園に入れられてからはずっと大量の習い事に身を浸していたからだ。そのおかげもあってか勉強の習慣も早くから身について、大学はかなりいいところに行けた。
「……アーサーとは、本当に随分と違うのだな」
「そうですね。まず、私は言われないと全然動かない子供でしたから」
「子供とは、無尽蔵の体力があるものだと思っていた」
「今と比べれば、小さい頃の私もかなり元気でしたよ。水泳の後にそろばん教室に行ったり、バレエの後に塾に行ったりしてました」
オズは静かに頷いた。きっとアーサーもお城に帰ってからは色々習ったり勉強したりしているはずだと、彼も知っているのだろう。一国の王位継承者なのだから、その教育は私が受けたものよりも遥かに良質なはずだ。
「自由に遊んだり、喋ったりはしなかったのか」
「ほぼなかったです」
今思えば、それはあまり良いことではなかったのかもしれない。自由に育てられたアーサーやミチルを見る限り、子供にはある程度のゆとりと、親や兄弟との密接なコミュニケーションが必要なのだろう。両親は望む結果を出し続けた私のことを高く評価して可愛がってくれていたけれど、その愛情は果たしてオズがアーサーに注いだもののような、美しく優しい類のものだったのだろうか。
親とて人だ。相性もある。ただ、私がもし成長の過程でつまづいていたとしたら、一度でもテストやコンテストで悪い結果をとったら、彼らはどんな顔をしたのだろう。優しく笑って「いいんだよ」と言ってくれる想像は、残念ながらできなかった。
「……お前は、子供らしくないと思っていた」
「はい」
「そういうことだったのだな」
子供らしいことを、したことがない。
オズはちらりと窓の外を見た。濃くなりつつある夕闇を世界の終わりのような瞳に写し、小さく呪文を唱える。無骨で大きな手の中にそっと現れた小さなぬいぐるみは、如何にも柔らかそうなふくふくとした毛並みをしている。
「やろう」
「えっ」
「昔、双子がアーサーへの土産に買ってきた物を再現した。……不格好かもしれないが」
思わず両手で受け取ったそれの首には、可愛らしい赤いリボンが結ばれている。ボタンで表現された目の高さが僅かに違ったり、鼻がほんの少し曲がっていたりするけれど、それが不思議な愛嬌になっていた。指先で小さな頭や耳を撫でると、想像通りのあたたかくて優しい手触りをしている。
「ぬいぐるみ、初めて貰いました」
親から与えられるおもちゃはどれも、知育玩具やパズルばかりだった。思えば、私の周りにあった物はどれも頭を良くすることに特化した品ばかりで、こういう可愛いものに触れたことなんてほとんどなかったのだ。
「可愛いですね」
「……気に入ったのなら、良い」
そういえば、私に与えられている賢者の部屋にも熊のぬいぐるみがあったなあと思い出した。いつ頃からあるのかすら不明のそれにも、埃を払う時くらいしか触れていない。立派な、所謂テディベアと呼ばれるあの子と比べれば、今私の手の中にあるこれは随分と小さくて馴染みやすい。持ち歩くことだってできそうだ。
「もふもふしてる……」
お腹も足も柔らかくて、撫でているとどんどん温かくなってくる。ぬいぐるみってかわいいんだな、と毛並みを撫でていると、部屋のドアがトントンと軽やかにノックされた。
「オズ、夕飯の時間だ」
「今行く」
もうそんな時間かと我に返ったタイミングで、カインがひょいと顔を覗かせた。飴玉のような瞳をぱちぱちと瞬かせて、驚いたように私を見る。
「賢者様!ここにいたんだな」
「は、はい」
「せっかくだから、賢者様も一緒に食べないか?いつもは深夜に一人で食事してるんだろ?」
明るい、華やかな声。人好きのする笑みを浮かべた爽やかな騎士様は、部屋の中にするりと入ってそっと私に視線を合わせた。内側からキラキラと力強く輝く瞳をじっと見ていると、横から静かな夜のような声が響く。
「行ってやれ、賢者」
「……わかりました」
「決まりだな。賢者様と夕飯を食べられるなんて嬉しいよ」
するりと、手袋越しの大きな手が腰にまわる。騎士らしいスマートなエスコートに内心慌てていると、真昼の太陽のような華やかな笑顔が上から降ってきた。そのまま部屋を出て、背後でオズが鍵と結界をかけたのを感じ取りながら廊下を進む。
「今日の飯はなんだろうな?賢者様は何がいい?」
「ネロのご飯は、なんでも美味しいですからね」
「はは、そうだな。何が出ても美味い」
大勢と会話や食事をするのは、あまり得意ではない。誰に視線を合わせればいいのかわからないし、話している時に誰かを仲間外れにしていたらどうしようと不安になるからだ。
「みんな、賢者様と話すのを楽しみにしてる。大丈夫だから」
カインはそう言って、明るく笑った。

お祭りは二日間行われるのだと、夕食の席でルチルが教えてくれた。
「明日は晴れるといいですね」
「ええ!でも、雨のお祭りもとっても素敵でしたよ。カラフルなランタンの光が雨に滲んで、石畳に写って……」
柔らかな輝きを帯びた若葉色が、まるで夢を見るように微笑む。彼は明日もお祭りに行くのだと、そう教えてくれた。弟のミチルやリケ、カイン、フィガロもどうやら一緒に行くらしい。
「賢者様は、明日ご予定はありますか?」
「予算会議が入ってます」
「あら!頑張ってくださいね」
ルチルという魔法使いは、どこか親近感を湧かせる存在だ。ソフトな話し方や中性的で綺麗な顔つき、どこかフェミニンなはしゃぎ方が可愛らしいからかもしれない。歳も近いし、私としては彼のようなふんわりした、尚且つ芯のある存在は魔法舎にとってとても有難いものだと思っている。
「賢者様、それちょうだい」
「あ、はい。どうぞ」
「……つまんないの」
デザートを横に座っていたオーエンに差し出し、自分の分のポトフを食べ進める。今まで食べたどの高級ディナーよりも、ネロが作ってくれる家庭料理の方が美味しかった。魔法を使わずにこの大人数分の調理を一人でこなしているのもすごいし、たくさんいる食べ盛り達のお腹を満たしている手腕もとんでもないと思う。この美味しいご飯の維持のためにも、明日の予算会議で必ず希望額の食費を手に入れなくては。
私は覚悟を決めて、ポトフを完食した。

翌日。
予算会議はグランウェル城の一室で行われた。王子であり賢者の魔法使いでもあるアーサーやドラモンドさんやクックロビンさんなど、馴染みのある顔ぶれも多くいる。その他の如何にも厳格そうな予算決定権を持つ人達に向けて、私は資料を出し、正確なデータで応じることにした。
「ここの枠は少し多くとりすぎなのでは?」
「魔法舎にはまだ若く、食べ盛りの少年も複数在籍しています。それに私を除く全員が男性で、尚且つ最も胃腸が活発に動く二十代の姿で成長が止まっているんです。食費が嵩むのは当然かと」
「この任務の際の報酬は……」
「任務達成のために体を張ることも多いんです。特にこの北の魔法使いのオーエンなどは、時には命すら失うことがある。適切な報酬が支払われるのは当たり前のことでしょう」
魔法使いである彼らに、お金は実はあまり必要ない。価値はマナ石の方が高いし、給料なんてあってもほとんど使わないタイプもいる。
しかし、魔法が無から有を生み出すことができない以上、必ずどこかから元になるモノを調達してこなくてはいけないのだ。例えば食事の材料や、クロエが作ってくれる服の布。それを手に入れるためには、当然お金が必要になる。
「これらは全て、賢者の魔法使いたちが世界を救うことに対して前向きになるために必要なものです。どうかご承認を」
「……わかった。他に、この予算案を承認する者は挙手するように」
上座に座っていたヴィンセント殿下が、ゆっくりと頷く。彼は前の賢者が着任するまで、魔法そのものにあまり良い顔をしていなかったと聞く。私がこうやってスムーズに話を通すことができるのも、顔すら知らない先代のおかげだった。
偉大な人だったのだなと思う。普通の女性らしい筆跡から感じ取れる優しさと芯の強さは、きっと多くの人の心を動かした。先々代の賢者の書と総合すると、彼女の代から魔法舎全体のシステムや任務の形態が大きく変わっている。激変した環境の中で個性豊かな魔法使いたちをまとめあげるのに、一体どれほど心を砕いたのだろう。
会議の終了を告げるヴィンセント殿下の声にそっと中央の国式のお辞儀をしながら、私は心の中で小さくため息をついた。

「……オズ?」
「ああ」
整然とした、シンメトリーな美しさのある城の前庭。帰りのための馬車を待っていた私のところにふわりと舞い降りたのは、中途半端な薄暮を背負うにはあまりにも凛々しい世界最強の魔法使いだった。
「迎えにきてくれたんですか?」
「ああ」
私は普段、こちらに用がある時はお城の人たちに送迎を頼んでいた。だから、こうして魔法使いがわざわざ来てくれるのは初めてのことだ。しかもそれがオズだなんて、こちらは想像すらしていない。一体どういう風の吹き回しだろう。
「アーサーは一緒じゃないですよ?まだ公務があるとかで」
「知っている。おまえを迎えに来た」
彼は至極当たり前のことのようにそう言った。空を満たすどの輝きよりも静謐で眩しい色を湛えた瞳は、真っ直ぐにこちらを見下ろしている。その顔から読み取れる感情は、強いて言うなら厚意だろうか。
「……じゃあ、お願いします」
「ああ」
箒に乗るのは未だに慣れない。魔法使いたちは突然のようにこの交通手段を使っているけれど、私はまず座り方にすら迷ってしまうような状態だった。跨るのか横座りなのかおどおどしていると、オズはそっと手にしていた箒の柄をほんの少し伸ばし、ふわりと空中にそれを浮かす。
「座れ」
「は、はい」
棒一本に体を預けるのは、随分と恐ろしい。覚悟を決めて腰掛けると、臀部にかかる負荷とは別に、腰周りががっちりと固定されるような感覚があった。魔法だ、と気づくのと同時に、隣に座ったオズがそっと柄の上に置いていた私の手に触れた。
「そろそろ夜ですもんね」
「……ああ」
賢者と手を繋げば、彼は夜でも魔法が使える。世界最強と呼ばれたひとにとって酷く屈辱的なことではないかと一時は心配していたけれど、本人はとっくにそのことに関しては乗り越えていたらしい。きっと、先代のサポートが良かったのだろう。
大きな手が、すっぽりと私のそれを包む。ふわりと足の裏が浮く感覚に思わず体を固くすれば、隣からそっと「案ずるな。落ちることはない」と優しい声が響いた。

遠くに残照が消えていく。夜闇が全てを飲み込み、厄災が空を支配した。頬に触れる風は冷たいけれど、私の背筋を震わせるには至らない。きっと、オズが魔法で守ってくれているのだ。恐ろしい真実と不器用で温かい優しさを一緒に孕んだこの魔法使いは、何も言わずにただこちらのことを考えていてくれる。
「綺麗ですね」
「ああ」
遥か下には、街の灯りが小さな建物の間を縫うように輝いている。私の故郷とは違い火や石炭を使ったランタンが多く使われているこの世界は、その輝きすら揺らぎと柔らかさを備えていた。
雲ひとつない快晴だった。星に手が届きそうなほど明るい夜空の中、オズは静かに箒を止める。
「……そろそろだな」
「え?」
「花火だ」
そういえば、今私たちはかなり上空にいる。ただ魔法舎に帰るだけならば、こんなに高く飛ばなくても良いのではないだろうか。
まさか、と思うのとそれは同時だった。
光の束が、こちらに向けて飛んでくる。パン、と弾けるような音が耳介を貫き、星と呼ぶにはあまりに儚い輝きが足元で弾けた。目を丸くした私が思わず隣のオズに視線を向けると、いつもより幾分か柔らかい光を湛えた瞳がこちらを見て僅かに微笑む。何かを慈しむようなその表情に固まっていると、彼は低く穏やかな声で言葉を紡いだ。
「保護と目眩しの魔法はかけた」
「え?」
「行くぞ」
「え?オズ、あの……わぁっ」
箒がぐっと下がる。
弾ける光の渦の中に体が突っ込んだ。強ばった手を包む掌が、安心させるように力を込める。これまでの安定した穏やかな飛行とは打って変わって、箒はくるくると目まぐるしく花火の中をくぐり抜けて夜空を駆けた。目と鼻の先に火花が散り、破裂音が耳元で響く。オズの保護魔法はどうやら鼓膜にまでしっかりかかっているらしく、間近で大きな音を聞いても特に負担にはならなかった。
ぐるん、と箒が急回転する。そしてまた跳ね上がり、一気に光の中を横切って舞う。箒の早乗りといえばルチルだったけれど、どうやらオズもかなりの技術を持っているようだった。そういえば、アーサーをあやすのに箒で急上昇と降下を繰り返すカーケンメテオルごっことやらをしていたらしいし、その名残だろうか。
ぱちり、と火花が散った。姿を晦ます魔法もかけられているから、私とオズが誰かに見られる心配はない。
赤い閃光が走る。オズの瞳の色とよく似たそれが一瞬にして消えていくのを見て、何となく手を伸ばして掴もうとしてみる。ぐるんと方向が代わり、今度は緑とオレンジが目の前に迫って弾けた。
「わ、ぱちぱちだ」
思わず漏れた独り言は、彼の耳にきちんと届いていたらしい。オズは私の方をちらりと見て、「ぱちぱちか」と小さく復唱した。まるで、子供の言葉をそのまま受け止める父親のように。
「はい、ぱちぱちしてます!火花が」
紫、ピンク、赤、白。あらゆる色が飛び跳ねて消えていき、上を見ればそれを星空が見守っている。まるで、今だけ無敵になったようだ。
「気に入ったか」
「はい!とっても!」
視界に入る全てが、キラキラしている。足の下の街も、遠くに見える海も、月も。文字通り手が届くほどの距離にいるオズの瞳にそれら全てが写りこんで、花火が全てを散らすようにぱちりと弾ける。
フィナーレを告げるアナウンスが、下から微かに聞こえた。それに合わせて、オズは優しく箒を操って高度を上げる。アトラクションの終わりのような柔らかい着地に思わず一息つくと、彼は風に乱れた私の髪に控えめに手を伸ばした。
「……楽しんでくれたのなら、よかった」
オズは背の高いひとだけれど、魔法で生活の全てを賄うせいかその指先は細くて白い。それが、短く切り揃えられた毛先をそっと梳いて整えた。静かなその仕草に、私は自分が思っていた以上にはしゃいでいたことに気づく。心臓が酷く鳴っていて、たくさん笑ったせいかほんの少し息切れすらしていた。
「私の中のおまえはどう笑うのかと、おまえは問うたな」
「は、はい」
この前の話だ。あんなに些細な雑談を、彼は覚えていたのか。
頷いた私を見て、オズは微笑んだ。湖の上を吹くささやかな風に揺らされた水面のような、静謐で、それでいて何かが始まりそうな笑みだった。
「……今日、わかった。おまえはそのように笑うのだと」
足元で最後の花火が盛大に咲く。遥か下の歓声も、ここまでは届かなかった。
パラパラと散る火花の最後のひとつを見届けてから、オズは「帰るか」とまた箒を操り始める。穏やかな飛行に、魔法のために重ねられた手。大きな掌から伝わる温もりと、風に靡く長い夜色の髪。彼は、とても美しい男の人だった。

その後、オズは私に小さなガラスのドームをくれた。何もしなくても常に火花がぱちぱちと弾けるそれは、私のマナエリアの代わりだという。気に入ったと言っていたからと言って、彼はこれを渡してすぐに去ってしまった。
「オズちゃん、照れてるんじゃよ」
「可愛いところもあるのう」
昼間の図書館、スノウとホワイトに挟まれて報告書を書いていた砌。
両隣でクスクスと笑う声を聞きながら、私は手の中にある小さなあの夜を思い出していた。
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