Flavor of Life
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夏休みが終わって学校が再開し、前期最後の図書館シフトの日になった。
アルハイゼンくんがこうして隣にいるのも、おそらく今日が最後だろう。明日からほんの少しの秋休みを挟んで、学期は後期に切り替わる。そうしたらまた委員会はメンバーを変えるのだ。私はほぼ確実に続投になるけれど、彼はきっと今期限り。だって、一度委員をやった人はジャンケン対象から除かれるから。
「……ありがとね」
「何がだ?」
「本当に、一日もサボらずに来てくれて。シフト外の日にも……」
「仕事が楽だったし、ここは本を読むのに快適な場所だったからだよ。興味深い知見も得られた」
アルハイゼンくんは、本から僅かに顔を上げてこちらを見た。相変わらず表情は動かないけれど、眉と口元の辺りがほんの少し優しい。
「君は来期も図書委員か?」
「うん。他になる人いないし、三年の先輩から委員長引き継いでほしいってお願いされてるから」
「なるほど。確かに君ほどここを熟知している人もいないだろうからな」
彼は頷いた。ずっと一緒にいるうちに、はじめは固かった態度が少し柔らかくなっているのが嬉しい。
「ひとつ聞きたいんだが」
「なあに?」
「五月頃、君は前に恋人がいたと言っていたな」
「あー、うん。言ったね」
「その人は、どういう人だったんだ」
「えっ」
私は彼が今手に持っている本を見た。『こころ』。なるほど、あまりにもざっくりした捉え方にはなるけれど、一応恋愛に関する小説だ。
「優しくて、ちょっとドジっぽい人だったよ。中三の頃付き合ってて、高校が別れて、そのまま別れようってなっちゃったんだけどね」
「なるほど。他には?」
「背は私より少し高いくらいだった。三人兄弟の末っ子でね、笑うとちょっとだけえくぼが出る」
「ほう……」
私は二年前のことを思い出した。確か、体育祭の直前に告白されたんだったな。それまでは何となくいい人だとしか思ってなかったけど、「彼氏の一人くらい作っておくか」とかそんな理由で付き合って、それで。
「はじめはそんなにって感じだったのに、いつの間にかしっかり好きになってたな。振られた時に蛍ちゃんと空くんと傷心カラオケしたよ」
「振られた?君が?」
「うん」
アルハイゼンくんは目を丸くしている。そんなに意外なことだろうか。
「アルハイゼンくんはどうなの?」
「恋人の類がいたことはない。必要も感じなかった」
「そんな感じする」
「そうか?」
「うん」
彼はまた本に目を落とした。でも、読むという感じではない。何かを逡巡するような、そんな動きだった。
「……君は」
「うん」
「ホラー映画に興味はあるか」
急に話が飛んだな、と思った。もちろん私はホラー映画を愛好しているし、この夏に観ておきたい作品だっていくつもある。周りの友達はみんな苦手だと言うし、妹は年齢制限で見られないものも多いから、基本的には一人での視聴なのが寂しいところだ。
「俺の身元引受人は建築デザイナーだが、映画やドラマのセットの監修も行っている。その縁でチケットを譲り受けたんだ」
「それが、ホラー映画なの?」
「ああ。小説が原作なんだが、知ってるか?」
アルハイゼンくんは、鞄の中から原作本を取り出した。可愛らしい表紙に不思議な題名の、ネットに掲載されていたものをまとめた書籍だ。もちろん知っているし、あまりにおぞましくて消去されたという話もしっかり読んだ。
「その顔を見る限り、知っているようだな」
「もちろん。話題になったよね。アルハイゼンくんも読んだの?」
「少しな。……身元引受人が仕事のために買ったものだが、怖くて自室には置きたくないと言うんだ」
私は、なるほどなと頷いた。本当に怖い本は、表紙からも禍々しさが漏れている気がして、中々本棚に並べる気が起きないものだ。身元引受人の方の気持ちもわかる。
「……もしかして、チケットくれるの?」
「俺も一緒に観に行く。それが嫌でなければ、君にこれを渡したい」
無骨な指が鞄からムビチケを一枚取り出した。相変わらず明るい色合いの可愛らしい絵柄をしているが、作品の内容から考えればそれはほぼ悪意に満ちていると表現していいだろう。本当に最高であると言わざるを得ない。
「二人で行くの?」
「ああ。身元引受人……カーヴェに君のことを話したら、なら一緒に見たらどうかと」
「おお……」
カーヴェさんというのか。後で調べよう。
にしても、彼が私のことを保護者の方に話すこと自体がかなり意外なのに、わざわざチケットまで用立ててくれるなんて。仲良しだと思ってくれているのだろうか。それなら嬉しいな。
「うん、行くよ」
「……いいのか?」
「目をつけてた作品だから。それに、人と一緒にホラー観られるなんて初めて」
悪趣味だとすら、言われたことがある。
「なんで望んで怖いものを観るの?女の子らしくないよ、もっと可愛くてほのぼのしたのにしなさい」と、母は心底まともそうな顔をして私に言った。ママを見てるのになんでこんな悪趣味なものが好きなの、ママはこっちの方が好きだな。そうして渡される映画はどれも、犬や猫が活躍するか、濃厚な恋愛要素がたっぷり含まれているかのどちらかだ。
「いつ行く?わりとめちゃくちゃ楽しみなんだけど」
「俺はいつでも空いている。放課後でもいいし、休みの日でもいい」
アルハイゼンくんは、予定を紙で管理するタイプらしい。パッと広げられたスケジュール帳には、几帳面なくらい綺麗な文字が並んでいる。
「あ、ほんとだ空いてる」
「好きなところを選ぶといい」
私は紙面に視線を落とした。肩が触れ合うことなんて、もう気にはならなかった。
アルハイゼンくんがこうして隣にいるのも、おそらく今日が最後だろう。明日からほんの少しの秋休みを挟んで、学期は後期に切り替わる。そうしたらまた委員会はメンバーを変えるのだ。私はほぼ確実に続投になるけれど、彼はきっと今期限り。だって、一度委員をやった人はジャンケン対象から除かれるから。
「……ありがとね」
「何がだ?」
「本当に、一日もサボらずに来てくれて。シフト外の日にも……」
「仕事が楽だったし、ここは本を読むのに快適な場所だったからだよ。興味深い知見も得られた」
アルハイゼンくんは、本から僅かに顔を上げてこちらを見た。相変わらず表情は動かないけれど、眉と口元の辺りがほんの少し優しい。
「君は来期も図書委員か?」
「うん。他になる人いないし、三年の先輩から委員長引き継いでほしいってお願いされてるから」
「なるほど。確かに君ほどここを熟知している人もいないだろうからな」
彼は頷いた。ずっと一緒にいるうちに、はじめは固かった態度が少し柔らかくなっているのが嬉しい。
「ひとつ聞きたいんだが」
「なあに?」
「五月頃、君は前に恋人がいたと言っていたな」
「あー、うん。言ったね」
「その人は、どういう人だったんだ」
「えっ」
私は彼が今手に持っている本を見た。『こころ』。なるほど、あまりにもざっくりした捉え方にはなるけれど、一応恋愛に関する小説だ。
「優しくて、ちょっとドジっぽい人だったよ。中三の頃付き合ってて、高校が別れて、そのまま別れようってなっちゃったんだけどね」
「なるほど。他には?」
「背は私より少し高いくらいだった。三人兄弟の末っ子でね、笑うとちょっとだけえくぼが出る」
「ほう……」
私は二年前のことを思い出した。確か、体育祭の直前に告白されたんだったな。それまでは何となくいい人だとしか思ってなかったけど、「彼氏の一人くらい作っておくか」とかそんな理由で付き合って、それで。
「はじめはそんなにって感じだったのに、いつの間にかしっかり好きになってたな。振られた時に蛍ちゃんと空くんと傷心カラオケしたよ」
「振られた?君が?」
「うん」
アルハイゼンくんは目を丸くしている。そんなに意外なことだろうか。
「アルハイゼンくんはどうなの?」
「恋人の類がいたことはない。必要も感じなかった」
「そんな感じする」
「そうか?」
「うん」
彼はまた本に目を落とした。でも、読むという感じではない。何かを逡巡するような、そんな動きだった。
「……君は」
「うん」
「ホラー映画に興味はあるか」
急に話が飛んだな、と思った。もちろん私はホラー映画を愛好しているし、この夏に観ておきたい作品だっていくつもある。周りの友達はみんな苦手だと言うし、妹は年齢制限で見られないものも多いから、基本的には一人での視聴なのが寂しいところだ。
「俺の身元引受人は建築デザイナーだが、映画やドラマのセットの監修も行っている。その縁でチケットを譲り受けたんだ」
「それが、ホラー映画なの?」
「ああ。小説が原作なんだが、知ってるか?」
アルハイゼンくんは、鞄の中から原作本を取り出した。可愛らしい表紙に不思議な題名の、ネットに掲載されていたものをまとめた書籍だ。もちろん知っているし、あまりにおぞましくて消去されたという話もしっかり読んだ。
「その顔を見る限り、知っているようだな」
「もちろん。話題になったよね。アルハイゼンくんも読んだの?」
「少しな。……身元引受人が仕事のために買ったものだが、怖くて自室には置きたくないと言うんだ」
私は、なるほどなと頷いた。本当に怖い本は、表紙からも禍々しさが漏れている気がして、中々本棚に並べる気が起きないものだ。身元引受人の方の気持ちもわかる。
「……もしかして、チケットくれるの?」
「俺も一緒に観に行く。それが嫌でなければ、君にこれを渡したい」
無骨な指が鞄からムビチケを一枚取り出した。相変わらず明るい色合いの可愛らしい絵柄をしているが、作品の内容から考えればそれはほぼ悪意に満ちていると表現していいだろう。本当に最高であると言わざるを得ない。
「二人で行くの?」
「ああ。身元引受人……カーヴェに君のことを話したら、なら一緒に見たらどうかと」
「おお……」
カーヴェさんというのか。後で調べよう。
にしても、彼が私のことを保護者の方に話すこと自体がかなり意外なのに、わざわざチケットまで用立ててくれるなんて。仲良しだと思ってくれているのだろうか。それなら嬉しいな。
「うん、行くよ」
「……いいのか?」
「目をつけてた作品だから。それに、人と一緒にホラー観られるなんて初めて」
悪趣味だとすら、言われたことがある。
「なんで望んで怖いものを観るの?女の子らしくないよ、もっと可愛くてほのぼのしたのにしなさい」と、母は心底まともそうな顔をして私に言った。ママを見てるのになんでこんな悪趣味なものが好きなの、ママはこっちの方が好きだな。そうして渡される映画はどれも、犬や猫が活躍するか、濃厚な恋愛要素がたっぷり含まれているかのどちらかだ。
「いつ行く?わりとめちゃくちゃ楽しみなんだけど」
「俺はいつでも空いている。放課後でもいいし、休みの日でもいい」
アルハイゼンくんは、予定を紙で管理するタイプらしい。パッと広げられたスケジュール帳には、几帳面なくらい綺麗な文字が並んでいる。
「あ、ほんとだ空いてる」
「好きなところを選ぶといい」
私は紙面に視線を落とした。肩が触れ合うことなんて、もう気にはならなかった。
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