Flavor of Life
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夏休みに入った。
当然学校はお休みだ。私は薬局のバイトを週三日に増やし、そして空いた時間は母に予備校の特別体験夏期講習を詰め込まれてしまった。せっかくの休みだというのに家からバイト先、そこから予備校の往復で全く遊べない。まあ蛍ちゃんと綾華ちゃんは部活に追われているしタルタリヤはここぞとばかりに連日働きまくっているらしいので、みんなあんまり休んではいないのだろう。バイト先のラーメン屋の賄いをインスタにあげたタルタリヤに、蛍ちゃんが「太れ」と呪詛のようなリプを飛ばしていたことは記憶に新しい。
私はとぼとぼと足を引きずるようにして、ターミナル駅の中を一人歩いていた。バイトと予備校をこなして体力がかなり消費され、「帰りたくない」と「眠い」と「お腹空いた」という感情が体内をぐるぐると渦巻いている。
家に帰ったらどうせまた理恋が何かやらかして怒られているし、それを私が宥めることになる。ボリュームたっぷりな宿題を上手くこなせずに泣く声は聞いていて胸を締め付けられるし、それを怒鳴る母の声はあまりにも不愉快だ。
でも家に帰らないと食事は無いし、眠ることもできない。そもそも未成年の私に逃げ道なんてないから、どうしたって帰るしかない。
何とか人並みを潜るようにして構内を進む。全国的にも有名な大規模な駅だから、改札までがなかなか遠い。お店も多いから、それを目当てにしているカップルなんかも多くみかける。
そういえばアルハイゼンくんはどうしているだろうか。連絡先も交換していないし家も知らないから、全く動向がわからない。
まあ彼のことだから、きっとクーラーの効いた家の中で本を読んでいるのだろう。暑いのは嫌いらしいから、きっと外にはあんまり出ていない気がする。
「あ、」
噂をすれば影、とはよく言ったものだ。私の少し先を、見知った銀髪の男性がスタスタと歩いていく。
まあ大きな駅だし、直結のデパートやモールもあるから彼がいるのは何もおかしいことでは無い。
外が好きそうではないけれど、買い物くらいするはずだ。
ヘッドホンをしているから話しかけても意味は無いだろうとそのまま黙って歩いていると、彼はぱたりと花屋の前で足を止めた。顎に手を当てて、何かを考えている。
お花、買うのかな。
疲れた頭でぼんやりとそう思ったところで、さらに聞き覚えのある、ありすぎる声が私の鼓膜を揺らした。
「理津」
「…………お父さん、と」
「こんばんは、理津ちゃん」
「……雪乃さん」
父は、現在私たちとほぼ別居状態にある。
彼と今一緒に暮らしているのが、隣にいる雪乃さん。元は父の会社の同僚で、今は独立してネイルサロンをやっているらしい。
父は母と理恋には全く会わないのに、私にだけは雪乃さんを紹介し、定期的にお小遣いやら彼女が選んだ服や化粧品を私に渡してくる。「お前は確実に俺の子だからな」なんて、酷いことを平気で言いながら。
「久しぶりだな、理津。春ぶりか?」
「そうだね」
「中間の結果はどうだった?」
「上々だったよ」
「お、それは頑張ったな。数学克服できたのか?」
「同じ委員会の人がアドバイスくれて、それで」
「おお、そうかそうか。偉いな、理津は」
私にだけ優しい父が嫌いだ。かつて理恋は「お父さんは?」と毎日私に訊いていたのに、今はもうすっかり何も言わない。
「理津ちゃんに似合うと思って買ったの、これ。ちょうどいいから今渡しちゃうね」
「え、あの」
「あそこのブランドの今年の限定色。ディオリビエラっていうんだけど、もう全色理津ちゃんによく合う色でね。すごく迷ったんだけど、それぞれ一個ずつに絞ったから」
「あの、それぞれって……」
彼女が渡してきた紙袋はまあまあな大きさがある。結構なお値段がするはずなのに。
「そういえばこの前あげたお洋服はどんな感じ?」
「友達と遊ぶ時に着てます。今は、その、バイトと予備校帰りだから……」
「うん、そんな感じよね。やっぱりお勉強は大変?無理してない?」
「大丈夫です。もらったアドバイスが本当に良くて、それでかなり楽になりました」
「そう、良かった。でもあんまり無理はしないでね」
雪乃さんはニコニコと笑っている。
その笑顔を見る度に、なんで私はこの人とこんな出会い方をしなきゃいけなかったのかと運命を呪って、やるせない気持ちになってしまう。
「あの、私、そろそろ……」
「理津」
場違いな、でもどこか落ち着く低い声。
お父さんじゃない。「あら、」という雪乃さんの声に後ろを向くと、そこには無表情で、ただ静かにその場に佇むアルハイゼンくんがいた。
「理津、その人は……」
「学校の人。アドバイスくれた同じ委員会の」
アルハイゼンくんはちらりと父と雪乃さんを見た。表情筋は全く仕事をしていないけど、その目は明らかに疑問を浮かべている。
「男……」
「翔一さん、行きましょ。またね理津ちゃん」
「あ、はい……」
何かを勘違いしたらしい雪乃さんが父の腕を引いて改札の方に消えていく。これからどこかへ行くのか、それとも。
「理津」
「へぁっ、はい」
「今、時間はあるか」
「え、えっと」
腕時計をちらりと見る。十八時四十二分。
母は確か今日は家にいるだろう。
「ちょっと連絡確認していい?」
「ああ」
大急ぎでスマホを開いた。母とのトークルームをタッチすると、『理恋がまた塾サボってた』『どうしようもないねあの子は』『お月謝いくらすると思ってるんだろうね』という文字列が浮かぶ。それが届いたのが、十八時三十五分。
『ママ疲れたからもうご飯作りたくない』
『友達に会ったから帰るの少し遅れる。ご飯いらない』
ジャストで届いた文にそう返信し、スマホをしまう。
「大丈夫だよ」
「なら行こう」
スマホの画面が見えていたのだろうか。アルハイゼンくんは目を細めて、くるりと踵を返した。
アルハイゼンくんが私を連れてきたのは、駅から少し離れたところにあるファミレスだった。駅ナカだと人が多すぎるからだろう。
「何にする」
「ガパオライスで」
「ドリンクバーは」
「つけようかな」
「デザートは」
「大丈夫」
「俺の奢りだ」
「じゃあクラシックショコラで」
アルハイゼンくんは明らかに慣れた人の速さでタブレットを操作している。結構鳴ってるからわりとたくさん頼んでいそうだ。
「デザートは後で頼んだ方がいいと思うよ」
「そうだな」
ピッピッピッ。デザート減らしたんだな、多分。
当然学校はお休みだ。私は薬局のバイトを週三日に増やし、そして空いた時間は母に予備校の特別体験夏期講習を詰め込まれてしまった。せっかくの休みだというのに家からバイト先、そこから予備校の往復で全く遊べない。まあ蛍ちゃんと綾華ちゃんは部活に追われているしタルタリヤはここぞとばかりに連日働きまくっているらしいので、みんなあんまり休んではいないのだろう。バイト先のラーメン屋の賄いをインスタにあげたタルタリヤに、蛍ちゃんが「太れ」と呪詛のようなリプを飛ばしていたことは記憶に新しい。
私はとぼとぼと足を引きずるようにして、ターミナル駅の中を一人歩いていた。バイトと予備校をこなして体力がかなり消費され、「帰りたくない」と「眠い」と「お腹空いた」という感情が体内をぐるぐると渦巻いている。
家に帰ったらどうせまた理恋が何かやらかして怒られているし、それを私が宥めることになる。ボリュームたっぷりな宿題を上手くこなせずに泣く声は聞いていて胸を締め付けられるし、それを怒鳴る母の声はあまりにも不愉快だ。
でも家に帰らないと食事は無いし、眠ることもできない。そもそも未成年の私に逃げ道なんてないから、どうしたって帰るしかない。
何とか人並みを潜るようにして構内を進む。全国的にも有名な大規模な駅だから、改札までがなかなか遠い。お店も多いから、それを目当てにしているカップルなんかも多くみかける。
そういえばアルハイゼンくんはどうしているだろうか。連絡先も交換していないし家も知らないから、全く動向がわからない。
まあ彼のことだから、きっとクーラーの効いた家の中で本を読んでいるのだろう。暑いのは嫌いらしいから、きっと外にはあんまり出ていない気がする。
「あ、」
噂をすれば影、とはよく言ったものだ。私の少し先を、見知った銀髪の男性がスタスタと歩いていく。
まあ大きな駅だし、直結のデパートやモールもあるから彼がいるのは何もおかしいことでは無い。
外が好きそうではないけれど、買い物くらいするはずだ。
ヘッドホンをしているから話しかけても意味は無いだろうとそのまま黙って歩いていると、彼はぱたりと花屋の前で足を止めた。顎に手を当てて、何かを考えている。
お花、買うのかな。
疲れた頭でぼんやりとそう思ったところで、さらに聞き覚えのある、ありすぎる声が私の鼓膜を揺らした。
「理津」
「…………お父さん、と」
「こんばんは、理津ちゃん」
「……雪乃さん」
父は、現在私たちとほぼ別居状態にある。
彼と今一緒に暮らしているのが、隣にいる雪乃さん。元は父の会社の同僚で、今は独立してネイルサロンをやっているらしい。
父は母と理恋には全く会わないのに、私にだけは雪乃さんを紹介し、定期的にお小遣いやら彼女が選んだ服や化粧品を私に渡してくる。「お前は確実に俺の子だからな」なんて、酷いことを平気で言いながら。
「久しぶりだな、理津。春ぶりか?」
「そうだね」
「中間の結果はどうだった?」
「上々だったよ」
「お、それは頑張ったな。数学克服できたのか?」
「同じ委員会の人がアドバイスくれて、それで」
「おお、そうかそうか。偉いな、理津は」
私にだけ優しい父が嫌いだ。かつて理恋は「お父さんは?」と毎日私に訊いていたのに、今はもうすっかり何も言わない。
「理津ちゃんに似合うと思って買ったの、これ。ちょうどいいから今渡しちゃうね」
「え、あの」
「あそこのブランドの今年の限定色。ディオリビエラっていうんだけど、もう全色理津ちゃんによく合う色でね。すごく迷ったんだけど、それぞれ一個ずつに絞ったから」
「あの、それぞれって……」
彼女が渡してきた紙袋はまあまあな大きさがある。結構なお値段がするはずなのに。
「そういえばこの前あげたお洋服はどんな感じ?」
「友達と遊ぶ時に着てます。今は、その、バイトと予備校帰りだから……」
「うん、そんな感じよね。やっぱりお勉強は大変?無理してない?」
「大丈夫です。もらったアドバイスが本当に良くて、それでかなり楽になりました」
「そう、良かった。でもあんまり無理はしないでね」
雪乃さんはニコニコと笑っている。
その笑顔を見る度に、なんで私はこの人とこんな出会い方をしなきゃいけなかったのかと運命を呪って、やるせない気持ちになってしまう。
「あの、私、そろそろ……」
「理津」
場違いな、でもどこか落ち着く低い声。
お父さんじゃない。「あら、」という雪乃さんの声に後ろを向くと、そこには無表情で、ただ静かにその場に佇むアルハイゼンくんがいた。
「理津、その人は……」
「学校の人。アドバイスくれた同じ委員会の」
アルハイゼンくんはちらりと父と雪乃さんを見た。表情筋は全く仕事をしていないけど、その目は明らかに疑問を浮かべている。
「男……」
「翔一さん、行きましょ。またね理津ちゃん」
「あ、はい……」
何かを勘違いしたらしい雪乃さんが父の腕を引いて改札の方に消えていく。これからどこかへ行くのか、それとも。
「理津」
「へぁっ、はい」
「今、時間はあるか」
「え、えっと」
腕時計をちらりと見る。十八時四十二分。
母は確か今日は家にいるだろう。
「ちょっと連絡確認していい?」
「ああ」
大急ぎでスマホを開いた。母とのトークルームをタッチすると、『理恋がまた塾サボってた』『どうしようもないねあの子は』『お月謝いくらすると思ってるんだろうね』という文字列が浮かぶ。それが届いたのが、十八時三十五分。
『ママ疲れたからもうご飯作りたくない』
『友達に会ったから帰るの少し遅れる。ご飯いらない』
ジャストで届いた文にそう返信し、スマホをしまう。
「大丈夫だよ」
「なら行こう」
スマホの画面が見えていたのだろうか。アルハイゼンくんは目を細めて、くるりと踵を返した。
アルハイゼンくんが私を連れてきたのは、駅から少し離れたところにあるファミレスだった。駅ナカだと人が多すぎるからだろう。
「何にする」
「ガパオライスで」
「ドリンクバーは」
「つけようかな」
「デザートは」
「大丈夫」
「俺の奢りだ」
「じゃあクラシックショコラで」
アルハイゼンくんは明らかに慣れた人の速さでタブレットを操作している。結構鳴ってるからわりとたくさん頼んでいそうだ。
「デザートは後で頼んだ方がいいと思うよ」
「そうだな」
ピッピッピッ。デザート減らしたんだな、多分。