Flavor of Life
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「なんか怖い」と有名だった彼と私が本格的に関わるようになったのは、高校二年生の四月のことだった。
毎期恒例の図書委員会初顔合わせ、「二年生はここね」と指定されたテーブルの向かいの席に、彼は無表情で鎮座していたのだ。
「……………」
「……………」
図書委員は各クラスで一人ずつ選ばれる。一学年六クラス×三で、合計十八人。司書の先生は一人。
わりと大きなテーブルだからそんなに詰める必要は無いはずなのに、私を除いた四人は何故かぎゅうぎゅうに固まっている。明らかに彼を避けるためなのが解ってしまって、少し不快な気分になる。まるで見えないシールドでも張っているかのように、その周りにはぽっかりと空間が空いている。
A組のアルハイゼンくん。
それが、現在進行形で避けられている彼の名前だった。
学年どころか学校一整っていると言われる綺麗な面立ちに、満点で首席を維持し続ける頭脳と優れた運動神経を併せ持っている。偏差値の高い進学校のこの高校の中でも、文武両道眉目秀麗をここまで地で行く人は彼くらいだ。
そしてそんな彼は、「怖い」らしい。
先生ですら歯が立たない。頭が良すぎて言っていることが意味わからない。馬鹿にされてる気がする。お高くとまっている。関わらない方がいい。
こんな感じで、とにかく良くない噂が多い。その殆どが悪口じみたものだったり偏見に満ちたものばかりだったりするから、多分アテにはならないけども。
でも確かに、今目の前でヘッドホンを着けて黙々と本を読んでいる姿は不思議な気迫がある。大胆に組まれた脚も相まって、あまり態度はよろしくないように見えた。
それでも彼を解りやすく避ける他の子達のような振る舞いはしたくなくて、椅子を動かすことはせずにそのまま筆記用具とスケジュール帳を出す。多分、今日はカウンターのシフト決めが行われるはず。
「はい、じゃあそろそろ始めましょうか」
司書の先生がホワイトボードの前に立った。全員の視線がそちらに集中する。
一人を除いて。
アルハイゼンくんはヘッドホンを着けている。音楽を聴いているのかもしれないし、高そうな見た目だからノイズキャンセリング機能がついているのかもしれない。それに本に集中しているようだから、先生に気がつかなくてもまあ仕方がないと言えば仕方がない。
私は彼の視界に入るように、少し身を乗り出して指先を本の上に小さく出した。
「何?」というように顔を上げたタイミングで、先生の方を示して耳元をトントンと叩く。彼はヘッドホンを外して本を置き、こちらに会釈をして声が聞こえる方に体を向けた。これで良し。
「初回ですし、まずはそれぞれ自己紹介をしましょう!副委員長から書記、会計、その後に一年生の順でいきましょうか。あ、委員長はトリね」
「えー!」と委員長らしき人が大袈裟に反応し、それに追随して笑いが起こる。これは初回の風物詩だ。小学校の頃からこういうノリはあった。
言われた通りに自己紹介は進んでいく。項目は学年、クラス、名前、好きな本、経験者ならその旨。まあいつものやつだ。これはきっとどこも同じようなものだろう。
「じゃあ次二年生、A組からどうぞ」
面倒臭そうに立ち上がった彼に、すっと視線が集まる。どこからか「イケメンじゃん」「背高っ」「脚長っ」と声が聞こえた。
「二年A組、アルハイゼン。好きな本はニッポニカ」
「イケボ……」と三年の方から微かな悲鳴が聞こえた。低く響く不思議な純粋さのある声は、確かにそう評されるに相応しい。
最低限の項目だけを述べた彼は、これでいいだろうという風に着席した。拍手すら何故か控えめなのは、気迫に押されたからだろうか。イケメンの登場にモチベーションが上がったらしい三年のお姉様方は元気だけど。
あと、好きな本で百科事典挙げる人初めて見た。
「次、B組の方」
私の番だ。私は一年の時も図書委員をしているから、先生にも先輩方にも顔と名前は知られている。現に委員長は手を振ってくれているし、会計の先輩は「あの子うちらより詳しいよ」と笑っていた。
「二年B組の早瀬理津です。好きな本は『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』、一年生の前後期共に図書委員をやっていました。よろしくお願いします」
「はい、彼女がうちの図書館のヌシです」
先生が茶化した。休み時間も放課後もずっといて、学期末の自由登校期間にも蔵書整理をしていたからそんなあだ名がついてしまったのだ。
自己紹介の後は業務説明とシフト決定の時間だ。
膨大な蔵書数と高校としては異例な広さを誇るこの図書館は、カウンターが学年ごとに三つに別れている。そしてそのそれぞれを、各学年の図書委員が二人一組で担当するのだ。
「みんな何曜日に入れる?一応部活とかが優先で良いってなってるんだけど」
「あーあたしバレー部で結構忙しくて……月曜ならいけるかも」
「あ、あたしも月曜がいい」
「なら俺水曜入るわ。吹奏楽部その日は自主練だから」
「なら僕も水曜かなあ」
ほとんどの人が部活と並行して業務に当たることになる。だから、帰宅部の私は出来るだけ多めに入るようにしていた。
「なら余ったところは私が入るよ」
表に名前を書き込んでいく。月水が埋まったから、私は火木金か。
「アルハイゼンくんはシフトどうする?」
「君と同じで構わない」
花緑青の中に赭の混じったような、不思議な色合いの瞳がこちらをじっと見据えていた。下睫毛が随分と長い。
「わかった。出してくるね」
私は自分と同じところに彼の名前を書き込んで、席を立った。
あんまりやる気は無さそうなのに、週に三日も入るのか。まあ、業務そのものは一人でもこなせるからいいけど。
そして、私たちは早速翌日からの勤務だった。
アルハイゼンくんは、きちんと昼休みが始まってすぐに現れた。小脇には本を抱えている。
「業務内容の説明は必要?」
「昨日で一通りは理解したから大丈夫だ」
「了解。そんなに忙しくなることはないから、のんびり本読んでて大丈夫だよ。でもヘッドホンは外しててね」
私も先程借りた本を開いた。前年度の最後の最後に入ったもので、あまりにも入荷がギリギリだったせいで読めていなかったのだ。
「……そういえば、君だったんだな」
「何が?」
「新刊を常に最速で借りている生徒だ。貸出カードを見るといつも同じ人物の名前が一番上にあるから、少し気になっていた」
「ああ、うん、そうだよ」
委員特権だ。新刊エリアに並べた瞬間にまた取り、真っ先に借りて読む。一年生の頃からずっとやっているから、私が入学してからの新刊は全て私が最速で読破していた。
「一つ訊きたいことがある」
「なあに?」
「一年生の頃、君は毎日カウンターに座っていたな」
「うん、そうだね」
アルハイゼンくんも入学当初からこの図書館を積極的に利用している。だから、私は図書委員としては何度も彼と会っているのだ。ただきちんと話したことがなかっただけで。
「シフト制だというのに、ほとんど毎日君は一人で仕事をしていた。あれは何故だ?」
「あー、サボりがすごく多いからだね」
貴重な休み時間と放課後が確定で削られる図書委員は、部活や予備校で忙しい生徒たちには敬遠されがちだ。基本的に立候補者は現れず、ジャンケンで負けた人が渋々なる。やる気なんて当然ないから、シフトにはなかなか来ない。
「だから、暇な私がずっとやってるの。嫌いな作業でもないし」
「なるほど」
だから、アルハイゼンくんがきちんと姿を見せたことにとても驚いた。彼は明らかに合理主義で、こういった活動に興味は無さそうなのに。
「……ということは、月曜日と水曜日の担当者もサボる可能性が高いな」
「ああうん、サボると思う」
忙しくて体力を使う部活に入っている人は、基本的に来ないものとして認識している。
アルハイゼンくんは小さく溜息をついて、開いていた本に目を落とした。
「…………アルハイゼンくんも、面倒臭いなって思ったら無理して来なくても大丈夫だよ。私一人でも回るには回るし、週に三回もシフト入るのきついだろうし」
「俺は別に、面倒臭いとも無理をしているともきついとも思っていない。確かに図書委員になったのはジャンケンに負けたからだが」
パタリ、と本が閉じられる。アルハイゼンくんはこちらを見て、薄い作りの唇を開いた。
「そもそも俺がこの学校を選んだのは、この図書館があったからだ。委員になるつもりはなかったが、なってしまったものは仕方ない。それに、窓口が君一人ではあまりに不便だろう」
「カウンターは三つあるしな」と彼は続ける。不可思議な瞳孔がこちらをしっかりと見据えたから、その奥に一種の優しさが浮かんでいることに気づいた。
「……ありがとう」
「当たり前のことだ。礼を言われるようなものでもないさ」
アルハイゼンくんはまた本を開いた。
ページを捲る音と古びた紙の匂いに、嗅ぎ慣れない柔軟剤が混ざって溶けて、心の隅に落ちた。
毎期恒例の図書委員会初顔合わせ、「二年生はここね」と指定されたテーブルの向かいの席に、彼は無表情で鎮座していたのだ。
「……………」
「……………」
図書委員は各クラスで一人ずつ選ばれる。一学年六クラス×三で、合計十八人。司書の先生は一人。
わりと大きなテーブルだからそんなに詰める必要は無いはずなのに、私を除いた四人は何故かぎゅうぎゅうに固まっている。明らかに彼を避けるためなのが解ってしまって、少し不快な気分になる。まるで見えないシールドでも張っているかのように、その周りにはぽっかりと空間が空いている。
A組のアルハイゼンくん。
それが、現在進行形で避けられている彼の名前だった。
学年どころか学校一整っていると言われる綺麗な面立ちに、満点で首席を維持し続ける頭脳と優れた運動神経を併せ持っている。偏差値の高い進学校のこの高校の中でも、文武両道眉目秀麗をここまで地で行く人は彼くらいだ。
そしてそんな彼は、「怖い」らしい。
先生ですら歯が立たない。頭が良すぎて言っていることが意味わからない。馬鹿にされてる気がする。お高くとまっている。関わらない方がいい。
こんな感じで、とにかく良くない噂が多い。その殆どが悪口じみたものだったり偏見に満ちたものばかりだったりするから、多分アテにはならないけども。
でも確かに、今目の前でヘッドホンを着けて黙々と本を読んでいる姿は不思議な気迫がある。大胆に組まれた脚も相まって、あまり態度はよろしくないように見えた。
それでも彼を解りやすく避ける他の子達のような振る舞いはしたくなくて、椅子を動かすことはせずにそのまま筆記用具とスケジュール帳を出す。多分、今日はカウンターのシフト決めが行われるはず。
「はい、じゃあそろそろ始めましょうか」
司書の先生がホワイトボードの前に立った。全員の視線がそちらに集中する。
一人を除いて。
アルハイゼンくんはヘッドホンを着けている。音楽を聴いているのかもしれないし、高そうな見た目だからノイズキャンセリング機能がついているのかもしれない。それに本に集中しているようだから、先生に気がつかなくてもまあ仕方がないと言えば仕方がない。
私は彼の視界に入るように、少し身を乗り出して指先を本の上に小さく出した。
「何?」というように顔を上げたタイミングで、先生の方を示して耳元をトントンと叩く。彼はヘッドホンを外して本を置き、こちらに会釈をして声が聞こえる方に体を向けた。これで良し。
「初回ですし、まずはそれぞれ自己紹介をしましょう!副委員長から書記、会計、その後に一年生の順でいきましょうか。あ、委員長はトリね」
「えー!」と委員長らしき人が大袈裟に反応し、それに追随して笑いが起こる。これは初回の風物詩だ。小学校の頃からこういうノリはあった。
言われた通りに自己紹介は進んでいく。項目は学年、クラス、名前、好きな本、経験者ならその旨。まあいつものやつだ。これはきっとどこも同じようなものだろう。
「じゃあ次二年生、A組からどうぞ」
面倒臭そうに立ち上がった彼に、すっと視線が集まる。どこからか「イケメンじゃん」「背高っ」「脚長っ」と声が聞こえた。
「二年A組、アルハイゼン。好きな本はニッポニカ」
「イケボ……」と三年の方から微かな悲鳴が聞こえた。低く響く不思議な純粋さのある声は、確かにそう評されるに相応しい。
最低限の項目だけを述べた彼は、これでいいだろうという風に着席した。拍手すら何故か控えめなのは、気迫に押されたからだろうか。イケメンの登場にモチベーションが上がったらしい三年のお姉様方は元気だけど。
あと、好きな本で百科事典挙げる人初めて見た。
「次、B組の方」
私の番だ。私は一年の時も図書委員をしているから、先生にも先輩方にも顔と名前は知られている。現に委員長は手を振ってくれているし、会計の先輩は「あの子うちらより詳しいよ」と笑っていた。
「二年B組の早瀬理津です。好きな本は『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』、一年生の前後期共に図書委員をやっていました。よろしくお願いします」
「はい、彼女がうちの図書館のヌシです」
先生が茶化した。休み時間も放課後もずっといて、学期末の自由登校期間にも蔵書整理をしていたからそんなあだ名がついてしまったのだ。
自己紹介の後は業務説明とシフト決定の時間だ。
膨大な蔵書数と高校としては異例な広さを誇るこの図書館は、カウンターが学年ごとに三つに別れている。そしてそのそれぞれを、各学年の図書委員が二人一組で担当するのだ。
「みんな何曜日に入れる?一応部活とかが優先で良いってなってるんだけど」
「あーあたしバレー部で結構忙しくて……月曜ならいけるかも」
「あ、あたしも月曜がいい」
「なら俺水曜入るわ。吹奏楽部その日は自主練だから」
「なら僕も水曜かなあ」
ほとんどの人が部活と並行して業務に当たることになる。だから、帰宅部の私は出来るだけ多めに入るようにしていた。
「なら余ったところは私が入るよ」
表に名前を書き込んでいく。月水が埋まったから、私は火木金か。
「アルハイゼンくんはシフトどうする?」
「君と同じで構わない」
花緑青の中に赭の混じったような、不思議な色合いの瞳がこちらをじっと見据えていた。下睫毛が随分と長い。
「わかった。出してくるね」
私は自分と同じところに彼の名前を書き込んで、席を立った。
あんまりやる気は無さそうなのに、週に三日も入るのか。まあ、業務そのものは一人でもこなせるからいいけど。
そして、私たちは早速翌日からの勤務だった。
アルハイゼンくんは、きちんと昼休みが始まってすぐに現れた。小脇には本を抱えている。
「業務内容の説明は必要?」
「昨日で一通りは理解したから大丈夫だ」
「了解。そんなに忙しくなることはないから、のんびり本読んでて大丈夫だよ。でもヘッドホンは外しててね」
私も先程借りた本を開いた。前年度の最後の最後に入ったもので、あまりにも入荷がギリギリだったせいで読めていなかったのだ。
「……そういえば、君だったんだな」
「何が?」
「新刊を常に最速で借りている生徒だ。貸出カードを見るといつも同じ人物の名前が一番上にあるから、少し気になっていた」
「ああ、うん、そうだよ」
委員特権だ。新刊エリアに並べた瞬間にまた取り、真っ先に借りて読む。一年生の頃からずっとやっているから、私が入学してからの新刊は全て私が最速で読破していた。
「一つ訊きたいことがある」
「なあに?」
「一年生の頃、君は毎日カウンターに座っていたな」
「うん、そうだね」
アルハイゼンくんも入学当初からこの図書館を積極的に利用している。だから、私は図書委員としては何度も彼と会っているのだ。ただきちんと話したことがなかっただけで。
「シフト制だというのに、ほとんど毎日君は一人で仕事をしていた。あれは何故だ?」
「あー、サボりがすごく多いからだね」
貴重な休み時間と放課後が確定で削られる図書委員は、部活や予備校で忙しい生徒たちには敬遠されがちだ。基本的に立候補者は現れず、ジャンケンで負けた人が渋々なる。やる気なんて当然ないから、シフトにはなかなか来ない。
「だから、暇な私がずっとやってるの。嫌いな作業でもないし」
「なるほど」
だから、アルハイゼンくんがきちんと姿を見せたことにとても驚いた。彼は明らかに合理主義で、こういった活動に興味は無さそうなのに。
「……ということは、月曜日と水曜日の担当者もサボる可能性が高いな」
「ああうん、サボると思う」
忙しくて体力を使う部活に入っている人は、基本的に来ないものとして認識している。
アルハイゼンくんは小さく溜息をついて、開いていた本に目を落とした。
「…………アルハイゼンくんも、面倒臭いなって思ったら無理して来なくても大丈夫だよ。私一人でも回るには回るし、週に三回もシフト入るのきついだろうし」
「俺は別に、面倒臭いとも無理をしているともきついとも思っていない。確かに図書委員になったのはジャンケンに負けたからだが」
パタリ、と本が閉じられる。アルハイゼンくんはこちらを見て、薄い作りの唇を開いた。
「そもそも俺がこの学校を選んだのは、この図書館があったからだ。委員になるつもりはなかったが、なってしまったものは仕方ない。それに、窓口が君一人ではあまりに不便だろう」
「カウンターは三つあるしな」と彼は続ける。不可思議な瞳孔がこちらをしっかりと見据えたから、その奥に一種の優しさが浮かんでいることに気づいた。
「……ありがとう」
「当たり前のことだ。礼を言われるようなものでもないさ」
アルハイゼンくんはまた本を開いた。
ページを捲る音と古びた紙の匂いに、嗅ぎ慣れない柔軟剤が混ざって溶けて、心の隅に落ちた。
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