episode.0 Alhaitham
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月鈴はきちんと台車を持ってアルハイゼンの元に訪れた。
時刻は常識的な午後五時。彼女は昨日よりは落ち着いた様子で、指の絆創膏もきちんと貼り替えてある。今日は平和だったらしい。
「これ、助かりました。ありがとうございました」
「ああ、そこに置いておいてくれ」
見れば見るほど顔立ちの整った、可愛らしい少女だ。変人だと揶揄されがちなアルハイゼンも、彼女のことは相当の美人だと思う。特に、唇と肌が目を引く。
「あとこれ、地元のお菓子です。こちらの気温と湿度でも三ヶ月くらい持つので是非。……ご迷惑じゃなかったらですけれど」
「地元というと、璃月か」
「はい。璃月港の出身なんです」
璃月といえば美食で有名だ。スメールからは遠く、輸送費や諸々の関係であちらから輸入するものにはなかなかいい値段がつけられている。
つまり、今アルハイゼンの前に差し出されている菓子は貴重品なのだ。
「……頂こう」
「よかったです」
ほ、と月鈴が笑う。
「少し聞きたいんだが」
「はい」
「君は、なんであの時間にあの場所にいたんだ?」
本来、研究員棟には学生は入ることが出来ないルールになっている。
今の彼女は受付に事実を上手く隠して説明し、特別に許可を得た上でここに来ているのだ。
「昨日、先輩が予想した通りです。論点や前提を調べるために、そもそも遅くまで残って調べ物をしていました」
「ふむ。その後は?」
「……担任の先生に特別課題を頂いていて、それの説明を受けていたんです。凝り性のようだからそれが発揮できるものをって、ご配慮をいただいて……」
変な間があった。
アルハイゼンはそれを逃しはしなかった。昨日月鈴がパニックを起こしかけていたのは、おそらくその時に何かあったからだ。その直後にまた別の男に声をかけられて混乱し、この部屋の近くまで逃げてきた、そんなところだろう。
でもまだ、自分はこの子の事情に足を踏み入れるべき人間ではない。これらの憶測が事実かどうか確かめることは、アルハイゼンはしなかった。
「昨日のレポートはまだあるか?今日出された課題もあるなら見せてみろ」
「え、あ、はい、ここに……」
ゴソゴソと広げられた紙面に目を落とす。膨大な量だ。
「確かに、君の担任は君の特性を理解している」
「はあ……」
「これを見る限り、君は論点や課題、前提を相当細かく突き詰めて書くタイプだ。こちらの今日出されたものは、君のそれらの癖を上手く伸ばしつつ、弱点である理論の展開と考察の整理を訓練させるという目的に合致する」
「こことか、文章にねじれが生じているだろう」とアルハイゼンは指で示す。それを覗き込んだ月鈴からは、微かに花のような香りがした。
「事前に提示した情報が多すぎて整理しきれていないのだろうと、先生からは言われました」
「まあ、その通りだな」
「でも、どうしてもここは削りたくなくて」
「ほう」
「必要でしょう。三項の記述の後付けになるから」
「確かにな」
スメール人とは違う色素の濃い瞳は切実で、それでいて強い輝きを宿している。それは幼い面立ちには似合わぬ、大人びた理性の為せる凛とした光だった。
アルハイゼンは目を細めた。あまり、直視されたくない。
「ならば、ここの結論に至るまでの経路をもう少し整理しなくてはいけないな」
「はい。一応こっちに思考のルートを整理した時のメモはあるんですけど」
「見せてみろ」
そうして一時間ほど、アルハイゼンは月鈴のレポートの面倒を見た。
「ありがとうございました。これならきっと通ります」
「ああ」
華奢な指先がトントンと書類を揃えてクリップで留める。右手の人差し指に巻かれた絆創膏が痛々しいが、彼女は特段気にしてはいないようだった。
「……これからも、気になることがあるなら聞きにくるといい」
「えっ」
「君の研究題材は目新しいが、俺なら知論派の先達として色々と教えられることもあるだろう。あと、単純にそのテーマに興味がある」
アルハイゼンは先程まで考察の書き出しに使っていた紙をまとめながらそう言った。
そうして彼は一言付け加える。この時何の気なしに放ったこの言葉が、後の自分を酷く苦しめることになるとは思いもせずに。
「『友達だ』と、研究員棟の受付にはそう説明しろ。そうすれば深くは問われないはずだ」
「変人」と揶揄され「(非公式)教令院関わりたくない人物ランキング」二位に食い込む自分と友達であれば、おそらくこの少女の身の安全は保証しやすくなるだろう。
類稀なる美貌のせいで既に目立ちまくっているであろう彼女が勉学に集中出来るようにするための、アルハイゼンなりの配慮だった。
その意図をきちんと正しく理解した月鈴は、ふわ、と蕾が綻ぶような笑顔を見せる。
「ありがとうございます、先輩」
「先輩」。面と向かってそう呼ばれたのは、アルハイゼンにとっては初めてのことだった。
時刻は常識的な午後五時。彼女は昨日よりは落ち着いた様子で、指の絆創膏もきちんと貼り替えてある。今日は平和だったらしい。
「これ、助かりました。ありがとうございました」
「ああ、そこに置いておいてくれ」
見れば見るほど顔立ちの整った、可愛らしい少女だ。変人だと揶揄されがちなアルハイゼンも、彼女のことは相当の美人だと思う。特に、唇と肌が目を引く。
「あとこれ、地元のお菓子です。こちらの気温と湿度でも三ヶ月くらい持つので是非。……ご迷惑じゃなかったらですけれど」
「地元というと、璃月か」
「はい。璃月港の出身なんです」
璃月といえば美食で有名だ。スメールからは遠く、輸送費や諸々の関係であちらから輸入するものにはなかなかいい値段がつけられている。
つまり、今アルハイゼンの前に差し出されている菓子は貴重品なのだ。
「……頂こう」
「よかったです」
ほ、と月鈴が笑う。
「少し聞きたいんだが」
「はい」
「君は、なんであの時間にあの場所にいたんだ?」
本来、研究員棟には学生は入ることが出来ないルールになっている。
今の彼女は受付に事実を上手く隠して説明し、特別に許可を得た上でここに来ているのだ。
「昨日、先輩が予想した通りです。論点や前提を調べるために、そもそも遅くまで残って調べ物をしていました」
「ふむ。その後は?」
「……担任の先生に特別課題を頂いていて、それの説明を受けていたんです。凝り性のようだからそれが発揮できるものをって、ご配慮をいただいて……」
変な間があった。
アルハイゼンはそれを逃しはしなかった。昨日月鈴がパニックを起こしかけていたのは、おそらくその時に何かあったからだ。その直後にまた別の男に声をかけられて混乱し、この部屋の近くまで逃げてきた、そんなところだろう。
でもまだ、自分はこの子の事情に足を踏み入れるべき人間ではない。これらの憶測が事実かどうか確かめることは、アルハイゼンはしなかった。
「昨日のレポートはまだあるか?今日出された課題もあるなら見せてみろ」
「え、あ、はい、ここに……」
ゴソゴソと広げられた紙面に目を落とす。膨大な量だ。
「確かに、君の担任は君の特性を理解している」
「はあ……」
「これを見る限り、君は論点や課題、前提を相当細かく突き詰めて書くタイプだ。こちらの今日出されたものは、君のそれらの癖を上手く伸ばしつつ、弱点である理論の展開と考察の整理を訓練させるという目的に合致する」
「こことか、文章にねじれが生じているだろう」とアルハイゼンは指で示す。それを覗き込んだ月鈴からは、微かに花のような香りがした。
「事前に提示した情報が多すぎて整理しきれていないのだろうと、先生からは言われました」
「まあ、その通りだな」
「でも、どうしてもここは削りたくなくて」
「ほう」
「必要でしょう。三項の記述の後付けになるから」
「確かにな」
スメール人とは違う色素の濃い瞳は切実で、それでいて強い輝きを宿している。それは幼い面立ちには似合わぬ、大人びた理性の為せる凛とした光だった。
アルハイゼンは目を細めた。あまり、直視されたくない。
「ならば、ここの結論に至るまでの経路をもう少し整理しなくてはいけないな」
「はい。一応こっちに思考のルートを整理した時のメモはあるんですけど」
「見せてみろ」
そうして一時間ほど、アルハイゼンは月鈴のレポートの面倒を見た。
「ありがとうございました。これならきっと通ります」
「ああ」
華奢な指先がトントンと書類を揃えてクリップで留める。右手の人差し指に巻かれた絆創膏が痛々しいが、彼女は特段気にしてはいないようだった。
「……これからも、気になることがあるなら聞きにくるといい」
「えっ」
「君の研究題材は目新しいが、俺なら知論派の先達として色々と教えられることもあるだろう。あと、単純にそのテーマに興味がある」
アルハイゼンは先程まで考察の書き出しに使っていた紙をまとめながらそう言った。
そうして彼は一言付け加える。この時何の気なしに放ったこの言葉が、後の自分を酷く苦しめることになるとは思いもせずに。
「『友達だ』と、研究員棟の受付にはそう説明しろ。そうすれば深くは問われないはずだ」
「変人」と揶揄され「(非公式)教令院関わりたくない人物ランキング」二位に食い込む自分と友達であれば、おそらくこの少女の身の安全は保証しやすくなるだろう。
類稀なる美貌のせいで既に目立ちまくっているであろう彼女が勉学に集中出来るようにするための、アルハイゼンなりの配慮だった。
その意図をきちんと正しく理解した月鈴は、ふわ、と蕾が綻ぶような笑顔を見せる。
「ありがとうございます、先輩」
「先輩」。面と向かってそう呼ばれたのは、アルハイゼンにとっては初めてのことだった。