一次創作
「妊娠したァ?」
翔斗はスマホから顔を上げた。ビックマックを手に取って包装紙を剥きながら、こともなげに言う。
「堕ろせば?」
「ああ、まあ、うん」
あたしはテリヤキバーガーを噛みながら頷いた。どうすればいいかもわからないまま染めた茶色の髪が、傷んで肩に降りかかる。
「俺、避妊してたよな?」
「してた」
「マジの妊娠なの?それ」
「うん。ほらこれ」
あたしはスマホのフォルダから一枚の写真を選んで彼に見せた。妊娠検査薬、確かに入った二本の線。
「うわーマジか……どの日よ?」
「知らない」
「だよなあー……」
ヤりまくってたもんなあと何の感慨もない声がする。お前、今父親だけど。
「金なら出すよ」
「金欠って言ってなかったっけ?」
「バイト詰めるからさあ」
「ほんと?」
「ほんとほんと。こればっかりは守るよ」
こいつが?という顔をしてしまうあたしは何も悪くない。つい三日前に四度目の浮気であたしに金玉踏まれたの、誰だっけ。
「でもさ、その父親本当に俺なの?」
「翔斗としかしてないけど」
「本当に?」
「ほんとだよ。前の奴とはもう切れてる」
「はあー……」
爽健美茶を啜った。うま。
翔斗はあんまり品のない音を立ててコーラを吸う。やめてほしいって言ったのにな、その癖。
「ま、金は出すよ。だから堕ろせ」
「ウン」
「なに?お前まさか産みたいとか言わないよな」
「は?言うわけないじゃん。うちらまだ十七だよ」
「だよな」
彼は着崩したブレザーのポケットにスマホを突っ込んだ。AirPodsを耳に差し込んで席を立つ。
「じゃあな。俺、この後雄大達とスケボーすんの」
「ああ、うん。ばいばい」
クソ野郎。
長い家までの帰り道、だらだらと坂を登りながら悪態をついた。
彼女が自分の中出しで妊娠したっていうのにあの態度。スケボー?事故って死んじゃえばいい。首の骨でも折りゃいいんです。
なんであんなのと付き合ってんだろ、あたし。
溜息が濁った都会の住宅街に沁みる。クソみたいだ。ここも、あいつも、あたしも。
なんか、一度恋愛とかから身を引くべきなのかなあとは思う。でも気づいたらああいう顔にしか取り柄のないバカ男に引っかかって、股を開いて、その結果がこれで。はあマジ笑えん。ぴえん超えてぱおんどころの騒ぎじゃない。
「やばいなあー……」
妊娠検査薬は学校で試した。家だと箱のゴミでバレるから。
「ママになんて言おう……」
今日も仕事で遅いであろうあの姿を思い浮かべる。悪いことしちゃったな。怒るだろうな。
てかあいつ、金出すとか言ってたけど絶対嘘だよね。半年前から付き合ってるけど、約束なんて守ったことないし。あてにすると痛い目見そう。
「……ただいま」
案の定、家には誰もいない。暗い部屋に入ってベッドに倒れこもうとして、慌てて体を横にする。なんだ、これが母性本能とかいうんじゃないだろうな。
あたし、お腹の中に赤ちゃんがいるんだ。命が鳴る音も、衝撃も伝わってはこないけど。
妊娠って、こんな呆気ないものなのか。
もっと奇跡みたいな演出とかがあればわかりやすいのに。虹色に腹が輝くとか。いやそれはそれでキモいか。
「……ゆりちゃん」
おうどうしたよ。堕ろす予定の胎児に名前なんてつけて。
でも、何となく咄嗟にこの名前が出た。ゆりちゃん。可愛いし品がいいし、いい感じの名前なんじゃないだろうか。
「……ごめんね」
軽くお腹を叩く。これで死んでくれたりしないかな。死んでもどうやって排出すればいいのか分からないから、どちらにせよ病院には行かなきゃダメなのか。だる。
調べたらやっぱり親の同意は必要だし金は高いし手術はリスクもあると出てきた。絶望しかねえな。マジで。
男はいいわな。腰振って出して終わりなんだから。
「ああああああああぁぁぁ……」
ごろりと天井を向く。シミのついたそれが、何も言わずにあたしを見返した。
帰ってきたママに話をしたら、案の定彼女は大変ご立腹になった。
「あんたさ、自分の将来のこととか考えたことあるの?」
「……あんまない」
「だからだろうね。ママ、こんなバカ産んだと思うと恥ずかしいわ」
「ごめん」
「ごめんじゃないよ。中絶にいくらかかると思ってんの?」
「……ごめん」
テーブルをネイルされた長い爪がコツコツと叩く。あたし、この音、嫌い。
「はあ……相手の男は?言ったの?」
「言った。金は出すって言ってたけど、あんま信用できない」
「なんで?」
「三日前も浮気した。四度目」
「なんでそんなバカに体開くかな」
「……ごめんなさい」
「あー……もう本当にやだ。お前もう出ていっていいよ」
ママの短い茶髪がバサバサとかき乱される。
「……パパには内緒にしといてあげるから」
「……ありがとう。ごめんなさい……」
涙は我慢した。流す権利なんて、ないと思ったから。
病院の先生は優しかった。
学校で友達に協力してもらってとっ捕まえた翔斗に書かせた同意の署名を出して、診察して。
「辛かったでしょう」と言われた。「よくお母さんに言えたね。偉いね」とも。
ママは泣いていた。「まさか孫をこんな形で見送ることになるなんて」と、ハンカチに顔を埋めていた。
あたしは、なんにも思えなかった。
辛いとも、悲しいとも、苦しいとも。なんかどれもちっとも当てはまらないのだ。
ほっとはした。翔斗は「ごめん、これで許して」と五万円をくれたし、ママはそれと合わせて費用の十二万円を払ってくれた。パパには内緒で、というのももちろん守られている。
「……ママ」
病院からの帰り、タクシーの中であたしは声を出した。なんか、喉が重くて上手く話せない。
「……あたしのこと、嫌いになった?」
「…………なってないよ」
何言ってんだろ。あたし、こんなことが訊きたかったんだっけ。
「でも、その彼氏とは別れなさい。あんたのこと大事に思ってないのはハッキリしてるでしょ」
「うん……」
あたし、大事に、思われて、ない。
分かっていた事実をはっきり別の人に声に出されるのって、結構辛い。
「……あんたなんで泣いてんの」
「うん……ごめんなさい」
「謝らなくていいから。不安よね、手術」
そうじゃない。そうじゃないの。
あたし、これから先、もう誰にも愛されないんじゃないかって。
高校生なのに中絶なんかしてだらしないって、そう思われてるんじゃないかって。
それだけが、あまりに不安なの。
でもママにそんなこと言えなくて、あたしは涙をブレザーの袖で拭った。
学校を休むのは久しぶりだった。小学生のインフルエンザ以来だと思う。
手術室に入る直前、ママは私の手を握って言った。
「気に病みすぎちゃダメよ。もう同じことしなきゃいいだけなんだから。失敗は誰にでもあることだし」
「うん……」
あたし、そうは思えなかった。
みんなこんなことしてないんじゃないかな。するとしても、あたしみたいにだらしない人だけなんじゃないかな。
麻酔をかけられる前まで、そんなことを考えていた。
お腹が空になっても、何も感じなかった。
昨日までいた赤ちゃんはいない。どこにも。もうゴミとして出されたのかな。それともなにかお弔いがされたのかな。
「……茜」
「ママ」
眠りから覚めた後、ママがジュースをくれた。手術の後は緊張が解けて体が不安定になるしお腹が空くかららしい。
「次はもうしなきゃいいだけだから。自分の体を大事にして、素敵な人と結ばれてくれれば、ママはそれでいいから」
「うん……ありがとう、ママ」
でもママ、素敵な人と結ばれるってどうやるの?
あたし、翔斗のこと本当に好きだったはずなんだよ。はじめはあいつだってかっこよかったし優しかったの。はじめだけだけど。
体を大事にして、捨てられたらどうすればいいの?あたし、愛されたいだけなの。
ねえママ、今はそんなに優しいけど、明日になったらあたしのこと、叩いたりしない?
「茜、タクシーきたよ」
「うん」
ママは笑っている。多分あたしが本当に傷ついて、反省して、もうこんなことしないって思ってるんだ。
でも、多分あたしはまた繰り返す気がする。
体を差し出す以外の愛され方が解らないから。
素敵な人なんて、現れっこないから。
だからあたしは取り敢えずタクシーに乗って、お家に帰る。
ねえ、あたし、体をとったら何が残ると思う?
翔斗はスマホから顔を上げた。ビックマックを手に取って包装紙を剥きながら、こともなげに言う。
「堕ろせば?」
「ああ、まあ、うん」
あたしはテリヤキバーガーを噛みながら頷いた。どうすればいいかもわからないまま染めた茶色の髪が、傷んで肩に降りかかる。
「俺、避妊してたよな?」
「してた」
「マジの妊娠なの?それ」
「うん。ほらこれ」
あたしはスマホのフォルダから一枚の写真を選んで彼に見せた。妊娠検査薬、確かに入った二本の線。
「うわーマジか……どの日よ?」
「知らない」
「だよなあー……」
ヤりまくってたもんなあと何の感慨もない声がする。お前、今父親だけど。
「金なら出すよ」
「金欠って言ってなかったっけ?」
「バイト詰めるからさあ」
「ほんと?」
「ほんとほんと。こればっかりは守るよ」
こいつが?という顔をしてしまうあたしは何も悪くない。つい三日前に四度目の浮気であたしに金玉踏まれたの、誰だっけ。
「でもさ、その父親本当に俺なの?」
「翔斗としかしてないけど」
「本当に?」
「ほんとだよ。前の奴とはもう切れてる」
「はあー……」
爽健美茶を啜った。うま。
翔斗はあんまり品のない音を立ててコーラを吸う。やめてほしいって言ったのにな、その癖。
「ま、金は出すよ。だから堕ろせ」
「ウン」
「なに?お前まさか産みたいとか言わないよな」
「は?言うわけないじゃん。うちらまだ十七だよ」
「だよな」
彼は着崩したブレザーのポケットにスマホを突っ込んだ。AirPodsを耳に差し込んで席を立つ。
「じゃあな。俺、この後雄大達とスケボーすんの」
「ああ、うん。ばいばい」
クソ野郎。
長い家までの帰り道、だらだらと坂を登りながら悪態をついた。
彼女が自分の中出しで妊娠したっていうのにあの態度。スケボー?事故って死んじゃえばいい。首の骨でも折りゃいいんです。
なんであんなのと付き合ってんだろ、あたし。
溜息が濁った都会の住宅街に沁みる。クソみたいだ。ここも、あいつも、あたしも。
なんか、一度恋愛とかから身を引くべきなのかなあとは思う。でも気づいたらああいう顔にしか取り柄のないバカ男に引っかかって、股を開いて、その結果がこれで。はあマジ笑えん。ぴえん超えてぱおんどころの騒ぎじゃない。
「やばいなあー……」
妊娠検査薬は学校で試した。家だと箱のゴミでバレるから。
「ママになんて言おう……」
今日も仕事で遅いであろうあの姿を思い浮かべる。悪いことしちゃったな。怒るだろうな。
てかあいつ、金出すとか言ってたけど絶対嘘だよね。半年前から付き合ってるけど、約束なんて守ったことないし。あてにすると痛い目見そう。
「……ただいま」
案の定、家には誰もいない。暗い部屋に入ってベッドに倒れこもうとして、慌てて体を横にする。なんだ、これが母性本能とかいうんじゃないだろうな。
あたし、お腹の中に赤ちゃんがいるんだ。命が鳴る音も、衝撃も伝わってはこないけど。
妊娠って、こんな呆気ないものなのか。
もっと奇跡みたいな演出とかがあればわかりやすいのに。虹色に腹が輝くとか。いやそれはそれでキモいか。
「……ゆりちゃん」
おうどうしたよ。堕ろす予定の胎児に名前なんてつけて。
でも、何となく咄嗟にこの名前が出た。ゆりちゃん。可愛いし品がいいし、いい感じの名前なんじゃないだろうか。
「……ごめんね」
軽くお腹を叩く。これで死んでくれたりしないかな。死んでもどうやって排出すればいいのか分からないから、どちらにせよ病院には行かなきゃダメなのか。だる。
調べたらやっぱり親の同意は必要だし金は高いし手術はリスクもあると出てきた。絶望しかねえな。マジで。
男はいいわな。腰振って出して終わりなんだから。
「ああああああああぁぁぁ……」
ごろりと天井を向く。シミのついたそれが、何も言わずにあたしを見返した。
帰ってきたママに話をしたら、案の定彼女は大変ご立腹になった。
「あんたさ、自分の将来のこととか考えたことあるの?」
「……あんまない」
「だからだろうね。ママ、こんなバカ産んだと思うと恥ずかしいわ」
「ごめん」
「ごめんじゃないよ。中絶にいくらかかると思ってんの?」
「……ごめん」
テーブルをネイルされた長い爪がコツコツと叩く。あたし、この音、嫌い。
「はあ……相手の男は?言ったの?」
「言った。金は出すって言ってたけど、あんま信用できない」
「なんで?」
「三日前も浮気した。四度目」
「なんでそんなバカに体開くかな」
「……ごめんなさい」
「あー……もう本当にやだ。お前もう出ていっていいよ」
ママの短い茶髪がバサバサとかき乱される。
「……パパには内緒にしといてあげるから」
「……ありがとう。ごめんなさい……」
涙は我慢した。流す権利なんて、ないと思ったから。
病院の先生は優しかった。
学校で友達に協力してもらってとっ捕まえた翔斗に書かせた同意の署名を出して、診察して。
「辛かったでしょう」と言われた。「よくお母さんに言えたね。偉いね」とも。
ママは泣いていた。「まさか孫をこんな形で見送ることになるなんて」と、ハンカチに顔を埋めていた。
あたしは、なんにも思えなかった。
辛いとも、悲しいとも、苦しいとも。なんかどれもちっとも当てはまらないのだ。
ほっとはした。翔斗は「ごめん、これで許して」と五万円をくれたし、ママはそれと合わせて費用の十二万円を払ってくれた。パパには内緒で、というのももちろん守られている。
「……ママ」
病院からの帰り、タクシーの中であたしは声を出した。なんか、喉が重くて上手く話せない。
「……あたしのこと、嫌いになった?」
「…………なってないよ」
何言ってんだろ。あたし、こんなことが訊きたかったんだっけ。
「でも、その彼氏とは別れなさい。あんたのこと大事に思ってないのはハッキリしてるでしょ」
「うん……」
あたし、大事に、思われて、ない。
分かっていた事実をはっきり別の人に声に出されるのって、結構辛い。
「……あんたなんで泣いてんの」
「うん……ごめんなさい」
「謝らなくていいから。不安よね、手術」
そうじゃない。そうじゃないの。
あたし、これから先、もう誰にも愛されないんじゃないかって。
高校生なのに中絶なんかしてだらしないって、そう思われてるんじゃないかって。
それだけが、あまりに不安なの。
でもママにそんなこと言えなくて、あたしは涙をブレザーの袖で拭った。
学校を休むのは久しぶりだった。小学生のインフルエンザ以来だと思う。
手術室に入る直前、ママは私の手を握って言った。
「気に病みすぎちゃダメよ。もう同じことしなきゃいいだけなんだから。失敗は誰にでもあることだし」
「うん……」
あたし、そうは思えなかった。
みんなこんなことしてないんじゃないかな。するとしても、あたしみたいにだらしない人だけなんじゃないかな。
麻酔をかけられる前まで、そんなことを考えていた。
お腹が空になっても、何も感じなかった。
昨日までいた赤ちゃんはいない。どこにも。もうゴミとして出されたのかな。それともなにかお弔いがされたのかな。
「……茜」
「ママ」
眠りから覚めた後、ママがジュースをくれた。手術の後は緊張が解けて体が不安定になるしお腹が空くかららしい。
「次はもうしなきゃいいだけだから。自分の体を大事にして、素敵な人と結ばれてくれれば、ママはそれでいいから」
「うん……ありがとう、ママ」
でもママ、素敵な人と結ばれるってどうやるの?
あたし、翔斗のこと本当に好きだったはずなんだよ。はじめはあいつだってかっこよかったし優しかったの。はじめだけだけど。
体を大事にして、捨てられたらどうすればいいの?あたし、愛されたいだけなの。
ねえママ、今はそんなに優しいけど、明日になったらあたしのこと、叩いたりしない?
「茜、タクシーきたよ」
「うん」
ママは笑っている。多分あたしが本当に傷ついて、反省して、もうこんなことしないって思ってるんだ。
でも、多分あたしはまた繰り返す気がする。
体を差し出す以外の愛され方が解らないから。
素敵な人なんて、現れっこないから。
だからあたしは取り敢えずタクシーに乗って、お家に帰る。
ねえ、あたし、体をとったら何が残ると思う?
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