短編

任務帰りのことだった。
寒い北の国での、激しい戦闘を伴う任務。業火を吹き知能を持つ怪物相手に、流石の魔法使い達も苦戦を強いられたようだった。
そして最期、体力を削られ続けてとうとう死ぬ間際となった怪物は、奥で守られていた私に目をつけたのだ。
火傷。そう思った時にはもう遅くて、私の手足は燃える炎に舐められ、そのまま力を失って地に伏せた。
そこまでは、覚えている。

回復には少し時間を要すると、アルシムの扉からやってきたフィガロは言った。
「誰か一人護衛をつけて、他の面子は帰った方がいいかもな。今の賢者様は動かせない」
「アルシムで帰れないんですか?」
「この火傷は魔法によるものだからね。強い魔法を浴びると、また悪化しちゃうことがあるんだよ。あと、倒れた時に頭を打ったでしょ」
「そんな……」
確かに、フィガロは処置で魔法を一切使わなかった。そういうことだったのか。
「誰が護衛に着く?強くて信頼できる人がいいな」
「なら俺でしょう」
「まあ強さなら申し分ないけどね?」
「強さも信頼も俺が一番です。ですよね、賢者様?」
「え、あ、はい」
隣に立っていたミスラがこともなげに言った。
彼は自分を疑わない。だからこそ強いのかもしれないと、少し思った。
「賢者様、ミスラでいい?」
「はい。よろしくお願いします」
「なら他の人は帰ろっか。実は依頼が立て込んでてさ。東の人達はまたすぐ出発だよ。魔物討伐だってさ」
「行く。早く帰ろう」
「シノ……」
呆れた声を出すヒースクリフに、休みのなさを嘆いたのか宙を仰いだネロ。ファウストは私にお守りを渡してくれた。「これを身につけていれば多少の災いからは身を守れる」そうだ。
「じゃあ、お大事に。賢者様」
「はい。皆さんもお気をつけて」
アルシムで開いた扉をみんながくぐっていく。最後にフィガロが手を振って、空間が閉じた。

「賢者様」
「は、はい」
「二人っきりですね」
「そ、そうですね……?」
扉をしまったミスラがこちらを向く。脚の様子を見て「あなた、本当に弱いですね」と呟いた。
「ヘマしちゃってすみません」
「いえ、あの魔物をさっさと殺さなかったのが良くなかったんです。まあ賢者様がもう少し強くなってくれればいいんですけど」
「あはは……そうですよね」
「でもまあ、今そんなこと言っても仕方ないんで。さっさと治して帰りましょう」
ミスラは私が横たわるダブルベッドに、ごろりと横になった。「手、貸してください」と言われたので、大人しく右手を差し出す。
「騒がしい奴らもオズもいないし、今日はゆっくり寝られそうです」
「あ、確かにそうですね。ミスラにとってはいい環境かも」
「なら、早く寝ましょう。おやすみなさい」

私が動けるようになるまでに、一週間かかった。
ミスラは意外と紳士に世話を焼いてくれた。宿の人から食事を受け取り、服を魔法で洗濯し、フィガロが置いていった煎じ薬をきちんと飲ませる。
こんな一面があったのかと驚いてしまったら、彼は「看病も俺が一番ですから」と若干胸を張って言った。
宿から出て魔法舎に帰る前、フィガロから通達があった。曰く、「賢者様になにかあったらいけないから、アルシムせずに交通機関を使って帰るように」と。
ミスラは「面倒臭いですね。仕方ないですけど」と言って、大人しく列車のチケットをとった。随分と手間取って、最終的には駅員さんに指示されるがままだったけど。私はベンチに座らされていただけだったので何も言えない。そもそも文字も読めないのだ。
「賢者様、この列車、夜行列車だそうです」
「はい」
「せっかくなので一番いい席を取りました」
「え、いいんですか?」
「はい。俺以外の奴が一番いい席に座るのはムカつくので」
「あ、そうなんですね……」
「はい。当然でしょう?」
相変わらずだ。彼の一番に対するこだわりは、どこからくるんだろうか。

「あ、あれですね」
駅に入ってきた電車を、長い指が示す。濃紺で塗られた車体、読めない文字で書かれた車名。素敵な旅の始まりですよと言わんばかりの様子だ。
「なかなかいいじゃないですか。これ」
指定された座席に落ち着いたミスラは興味深そうにシートを撫でる。車体と揃いの濃紺のそれは、ふかふかと心地よく私たちの体を受け止めた。
「ここ、こんな感じの駅に止まるそうです」
差し出されたパンフレットを見て、私はほお、と目を見張った。美しい砂漠があるのだ。
「ああ、そこですか」
ミスラは興味なさげに言う。「『星月夜の砂漠』っていうところらしいですよ」と。
「綺麗ですね!」
「そうですね。あなたが言うなら」
「それより駅弁はここが美味しいそうです」と、彼はその先の駅を示した。ここなら、ちょっと遅い晩ご飯になるだろうか。
「発車しますよ」
「え、わあっ」
ガタン、と微かな重力と揺れが伝わる。
「おっ、と」
ミスラの長い腕が体を支えた。脚が不自由であまりバランスが取れないのを気にしてくれていたのか、動きはかなり素早い。
「気をつけてくださいよ」
「すみません」
「まあ、いいですけど」
彼は興味もなさそうに、動き出した窓の外を眺め出した。

時刻は夜九時。
列車は星月夜の砂漠を走っていた。
「わあっ、凄い綺麗ですね!」
「そうですね」
ミスラはお腹が空いたのか、ずっとこちらを見つめている。窓の外に夢中な私なんか見て、何が楽しいのだろう。
「この砂漠結構大きいんで、まあまあ楽しめると思いますよ」
「え、そうなんですか?やった、嬉しいな」
「まあ、あなたが楽しそうならいいです」
大きな満月がこちらを照らす。息を飲む美しさを、私は黙って目を見開いて享受した。
音が鳴りそうなほど眩い星々に、溶けるような濃紺の空。微かに紫がかって見えるのは、涙のようなミルキーウェイ。
そしてそれらを支配するかのように浮かぶ、大いなる厄災。忌々しいと彼は言うけど、月を愛でる文化のある国から来た私から見れば、やっぱりそれは圧倒的な美しさだった。
この月を見たら、祖国の先人たちはなんて言うだろう。月を愛し、それを詩に読み取った彼らは。
ああそういえば、月にまつわる告白の言葉もあったな。「I love you」を「我君を愛す」と訳した生徒に向かって、かの有名な文豪が言った言葉だ。
日本人はそのようには言わない。

「月が綺麗ですね」

「……え?」
聞き慣れた低い声が、そう告げた。
「ミスラ?」
「はい」
「今、「月が綺麗ですね」って」
「言いました。綺麗だったんで」
「ああ」と彼は呟く。「賢者様の国では、この言葉は愛の告白になるんでしたっけ」
「そ、そうです」
「俺のは違いますよ。単純に、月が綺麗だったから」
「あの、ミスラ」
私はやや矢継ぎ早に繰り出されるこの声を遮った。どうしても、気になることがあったからだ。
「……さっきから、窓の外なんて見てないですよね?」
「な、」
息を飲む音。だって彼は、さっきから私の顔しか見ていない。
「……知りませんよ」
ふい、とそっぽを向く横顔が、月に照らされる。
耳元が僅かに赤いのは、取り敢えず黙っておいてあげよう。
私はそう決めて、彼の視線を預かった月を見た。
星が瞬く。
「……「死んでもいいわ」って、言ってくれないんですか」
「……言ってほしいですか?」
そう問うと、「はい」と静かに彼が頷く。
すう、と常磐色だけが私を見た。その奥に宿るのは、まさか。
「……ね、言ってください」
「……はは」
負けた。顔も声もロケーションも良すぎる。
「一回しか言いませんからね」
「いいですよ。それでも」
耳を撫でる声が優しい。
私はすう、と息を吸った。
星が瞬いた。
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