君のいる春を手放せない
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
あの子に電話をかける時はいつだって、エルダー酒を一口だけ飲む。
そうじゃないと緊張して会話なんて弾むはずもなかった。電話越しに普段のようなつんけんした態度は禁物。むしろ素直すぎるくらいでいいと、ここ数年の経験で学んだ。
息を三度吸って、受話器を外す。交換手に彼女の店の名前を告げて、取次を待つ。
この時間が一番緊張するのだ。彼女が出るか、どんな声をしているか。元気がなかったら、いいことが起きていそうだったら。色々なシュミレーションをするのに、どれもしっくりこない。
『はい』
「晶?僕だ」
『ああ、ファウスト』
彼女が呼ぶ僕の名前が好きだ。頭の響きが優しく、終わりが心の真ん中の柔らかいところにストンと落ちる。
「調子はどうだ?」
『ふふ。……少し前も、同じこと言ってましたよ』
「気になるんだ」
電話越しの仄かな笑い声。音質は良くないけれど、それでもふわふわと可愛らしい。
『元気ですよ。お店の方も順調です』
「そうか。ならよかった」
『そうだ、この前、ファウストのことを見たって子がいたんです。多分先月』
受話器を持つ指がぴくりと動いた。彼女に迷惑をかけてはいないだろうか。中央の国での僕は、それはそれは華やかに描かれているから。
『ファウストと恋人同士なのかって訊かれました。もちろん否定はしましたけど。……ファウスト?』
「ああ、聞いてるよ。ごめん、少し驚いただけだ」
喜びで気を失うかと思った。誰だその素敵な勘違いをした人は。
僕と彼女が恋人?是非ともそうなりたいと常々願っているよ、そんなの。決まってるじゃないか。
『ファウストはこっちだと英雄とか聖者とか、凄く尊敬されてますからね。こっちに来るとなると少し変装とかした方がいいのかなあ』
「英雄はきみも同じだろ。魂と引き換えに世界を救った聖なる賢者だと、大陸中がきみを崇めてる」
『やだなあ、大袈裟ですよ』
「大袈裟じゃない。きみは実際に、この世界を救った。もう月が満ちることも、落ちることも無い」
『あはは。でも、戦ったのは魔法使いの皆さんですから』
「指揮を執ったのはきみだろ。僕達は手足みたいなものだよ」
『え〜?』
ここでエルダー酒をまた一口。甘みとアルコールで喉は潤うけど、心の方はそうはいかない。僕に触れて。できたら愛して。きみの心の真ん中に、僕を写して。
言えない本音は吐く息に混ぜ込んで、そっと空気に溶かした。これが風に攫われて流れて、彼女のところではじければいいのに。
「なあきみ、膝かけは欲しいか?」
『膝かけ?』
「レノックスからまた羊の毛が送られてきたんでな。せっかくだから毛糸にして編んでるんだ」
『ファウスト、編み物できるんですか?』
「できるよ」
『本当になんでも出来ますね』
「こんな奥地で一人で暮らしてれば、大抵のことは出来るようになるよ。魔法もあるし」
『いいなあ。技術発展でまあまあ便利にはなってきましたけど、やっぱり魔法には敵いませんから』
なら君もどう?なんて口が裂けても言えない。
僕ならきみのためにいくらでも魔法を使う。不自由なんてさせないし、苦労もかけない。毎日笑って過ごせるようにするから。
それか、僕がそっちに行ってしまおうか。元賢者と同居なんてきっと大ニュースにはなってしまうけど、都市部で彼女と過ごすのは楽しいから。
「きみがいたところは、もっと便利なんだろう?」
『はい。電球ももっと持ちがいいし、スマホもパソコンもあるので。あ、パソコンはスマホの上位互換だと思ってください』
「本当にすごいな、その世界は」
『その分戦争が起きたら死者も多いんですよ。効率的に街を破壊して国力を削ぐやり方をするようになったので』
「……それは良くないな」
『ですね』
電話越しに彼女が相槌をうつ。あちらもなにか水分をとったのか、グラスがカランと鳴る音がした。
『あ、そうだ』
「なんだ?」
『いえ、なんでも』
「教えてくれないの?」
『今は内緒です。次にこっちに来たときにお見せしようと思ってるので』
くすくすと控えめな笑い声がかわいい。大きな声で笑っても十分に愛らしいのだけど、ここで音量を控えめにするのが彼女が彼女たる所以だ。
『その日になったら作り方も教えますよ。ファウストならすぐできます』
「そう?それは楽しみだな」
『ええ』
また酒を飲んだ。今日はなんだか飲みたい日みたいだ。
『そっちって今何時でしたっけ?』
「そろそろ日付が変わるよ」
『あ、そっか時差二時間だから』
「そうだね」
『ならそろそろ寝た方がいいですね。ファウスト、夜明けに起きるんでしょう?』
「ああ」
『じゃあ、私はこれで。おやすみなさい』
「おやすみ。……いい夢を」
「ファウストも。じゃあ失礼しますね」
今回はこれでおしまい。次に会えるのは二週間後になる。
「……足りないな」
全然足りない。もっと話がしたい。
彼女のあの声がもっと聞きたい。その身に触れることが叶わないなら、せめて。
恋は厄介だ。可愛らしい面をして、とんでもない獣を心に住まわせる。
そういえば、膝かけのことをちゃんと訊くのを忘れたな。まあいいか、持っていこう。
窓の外を見ると、すっかり遠くなった欠けた月がこちらを照らしている。
同じ月明かりが彼女の元にあるなら、そのまま穏やかに降り注いでいてほしい。
あの子が明日、笑って過ごせるように。
そうじゃないと緊張して会話なんて弾むはずもなかった。電話越しに普段のようなつんけんした態度は禁物。むしろ素直すぎるくらいでいいと、ここ数年の経験で学んだ。
息を三度吸って、受話器を外す。交換手に彼女の店の名前を告げて、取次を待つ。
この時間が一番緊張するのだ。彼女が出るか、どんな声をしているか。元気がなかったら、いいことが起きていそうだったら。色々なシュミレーションをするのに、どれもしっくりこない。
『はい』
「晶?僕だ」
『ああ、ファウスト』
彼女が呼ぶ僕の名前が好きだ。頭の響きが優しく、終わりが心の真ん中の柔らかいところにストンと落ちる。
「調子はどうだ?」
『ふふ。……少し前も、同じこと言ってましたよ』
「気になるんだ」
電話越しの仄かな笑い声。音質は良くないけれど、それでもふわふわと可愛らしい。
『元気ですよ。お店の方も順調です』
「そうか。ならよかった」
『そうだ、この前、ファウストのことを見たって子がいたんです。多分先月』
受話器を持つ指がぴくりと動いた。彼女に迷惑をかけてはいないだろうか。中央の国での僕は、それはそれは華やかに描かれているから。
『ファウストと恋人同士なのかって訊かれました。もちろん否定はしましたけど。……ファウスト?』
「ああ、聞いてるよ。ごめん、少し驚いただけだ」
喜びで気を失うかと思った。誰だその素敵な勘違いをした人は。
僕と彼女が恋人?是非ともそうなりたいと常々願っているよ、そんなの。決まってるじゃないか。
『ファウストはこっちだと英雄とか聖者とか、凄く尊敬されてますからね。こっちに来るとなると少し変装とかした方がいいのかなあ』
「英雄はきみも同じだろ。魂と引き換えに世界を救った聖なる賢者だと、大陸中がきみを崇めてる」
『やだなあ、大袈裟ですよ』
「大袈裟じゃない。きみは実際に、この世界を救った。もう月が満ちることも、落ちることも無い」
『あはは。でも、戦ったのは魔法使いの皆さんですから』
「指揮を執ったのはきみだろ。僕達は手足みたいなものだよ」
『え〜?』
ここでエルダー酒をまた一口。甘みとアルコールで喉は潤うけど、心の方はそうはいかない。僕に触れて。できたら愛して。きみの心の真ん中に、僕を写して。
言えない本音は吐く息に混ぜ込んで、そっと空気に溶かした。これが風に攫われて流れて、彼女のところではじければいいのに。
「なあきみ、膝かけは欲しいか?」
『膝かけ?』
「レノックスからまた羊の毛が送られてきたんでな。せっかくだから毛糸にして編んでるんだ」
『ファウスト、編み物できるんですか?』
「できるよ」
『本当になんでも出来ますね』
「こんな奥地で一人で暮らしてれば、大抵のことは出来るようになるよ。魔法もあるし」
『いいなあ。技術発展でまあまあ便利にはなってきましたけど、やっぱり魔法には敵いませんから』
なら君もどう?なんて口が裂けても言えない。
僕ならきみのためにいくらでも魔法を使う。不自由なんてさせないし、苦労もかけない。毎日笑って過ごせるようにするから。
それか、僕がそっちに行ってしまおうか。元賢者と同居なんてきっと大ニュースにはなってしまうけど、都市部で彼女と過ごすのは楽しいから。
「きみがいたところは、もっと便利なんだろう?」
『はい。電球ももっと持ちがいいし、スマホもパソコンもあるので。あ、パソコンはスマホの上位互換だと思ってください』
「本当にすごいな、その世界は」
『その分戦争が起きたら死者も多いんですよ。効率的に街を破壊して国力を削ぐやり方をするようになったので』
「……それは良くないな」
『ですね』
電話越しに彼女が相槌をうつ。あちらもなにか水分をとったのか、グラスがカランと鳴る音がした。
『あ、そうだ』
「なんだ?」
『いえ、なんでも』
「教えてくれないの?」
『今は内緒です。次にこっちに来たときにお見せしようと思ってるので』
くすくすと控えめな笑い声がかわいい。大きな声で笑っても十分に愛らしいのだけど、ここで音量を控えめにするのが彼女が彼女たる所以だ。
『その日になったら作り方も教えますよ。ファウストならすぐできます』
「そう?それは楽しみだな」
『ええ』
また酒を飲んだ。今日はなんだか飲みたい日みたいだ。
『そっちって今何時でしたっけ?』
「そろそろ日付が変わるよ」
『あ、そっか時差二時間だから』
「そうだね」
『ならそろそろ寝た方がいいですね。ファウスト、夜明けに起きるんでしょう?』
「ああ」
『じゃあ、私はこれで。おやすみなさい』
「おやすみ。……いい夢を」
「ファウストも。じゃあ失礼しますね」
今回はこれでおしまい。次に会えるのは二週間後になる。
「……足りないな」
全然足りない。もっと話がしたい。
彼女のあの声がもっと聞きたい。その身に触れることが叶わないなら、せめて。
恋は厄介だ。可愛らしい面をして、とんでもない獣を心に住まわせる。
そういえば、膝かけのことをちゃんと訊くのを忘れたな。まあいいか、持っていこう。
窓の外を見ると、すっかり遠くなった欠けた月がこちらを照らしている。
同じ月明かりが彼女の元にあるなら、そのまま穏やかに降り注いでいてほしい。
あの子が明日、笑って過ごせるように。