君のいる春を手放せない
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パチパチと、薪が燃えている。
私の手元のエルダー酒は減っていない。空になったファウストのグラスに黙ってお酒を注ぎ、瓶を置く。「ありがとう」という声は掠れているけれど、どこかすっきりした響きをしていた。
「……それが、はじまりなんですか」
「ああ、そうだ」
私もあの日を覚えている。
全てに絶望していたところに飛ばされた異世界。右も左もわからぬところから少しだけ前進して、望むところに初めて行った。護衛についてきた魔法使いの目元が実直だったことも、彼の怪我が治ってほっとしたことも、きちんと頭で記憶している。
好意を向けられるのは、初めてじゃない。
でもここまで素直で、穏やかで、それでいて鮮烈な想いを見せられた経験はなかった。
そして、私はそれに静かに絶望した。
だって私は、今から彼に酷いことを言わなきゃいけないから。
「……ファウスト」
「なあに」
「今から言うこと、ちゃんと聞いておいてください」
「うん」
私は彼の左手を取った。何もしなくても綺麗でほっそりして整った指先を見て、涙が出そうになる。
そしてそれを、そっと私の目元に置いた。
「二重全切開、目頭切開、目尻切開、上瞼の脂肪除去」
「え」
戸惑う声。心の中が引き攣る。
「額形成、鼻プロテーゼ、小鼻縮小、鼻尖形成、人中短縮、顎プロテーゼ、エラ骨切り、唇縮小」
するすると、骨ばった手を動かしていく。
痛い。もう二百年以上前に消えたはずの傷跡が、じくじくと痛む。
そして最後に胸元にその手を当てた。「な、」と赤くなるその反応が苦しい。
「脂肪注入豊胸」
そう言って、私はその手をパタリと落とす。
「総額七百九十五万円」
「は……」
「私のこの見た目を作るのにかけた金額です」
私は真っ直ぐにファウストを見据えた。見て、私を、もっとちゃんと。あなたが愛したこの顔は、全部全部作り物なの。
「それは一体何なんだ?」
「美容整形手術といいます。異物を入れたり骨を削ったりして、理想の見た目に近づくためのものです」
彼の目が大きく見開かれる。そのはっきりした二重瞼も整った鼻梁も全部、本物だ。
「私、元々今とは全く違う顔をしていたんです。それはそれは醜い、酷い顔。体重も、今の倍近くありました」
思い出すだけで吐き気がしてくる。腫れぼったい一重瞼、潰れてぐちゃぐちゃの鼻、無様に膨れた唇、角張った輪郭。体は脂肪とセルライトでぶよぶよ、ニキビと蕁麻疹と乾燥で肌はボロボロに荒れていた。髪だって録に手入れもしないからバサバサだった。
目の前のファウストは美しい。彼だけじゃない、賢者の魔法使いのみんなは、どこをどう切りとっても花のように可憐で優雅で美しく整っている。
「ね、引いたでしょう」
「いや、」
「私の見た目は全部紛い物なんです。あなたのように、生まれながらに美しいわけじゃない。それに、そこまでのお金を稼ぐまでに……」
息が詰まる。今すぐ目前の火に飛び込めたらどんなにいいだろう。シリコンって燃えるかしら。
「私、元娼婦なんです」
「はっ?」
初めて知ってる単語が出てきたのだろう。ファウストはその美しい眉根を寄せた。忌み嫌われる職業。彼のように少し潔癖なところがある人にとっては、尚更。
「初めはデリヘル……えっと、家やホテルに出向いて男性に性的なサービスをする仕事をしてました。その後にソープに移って」
「そのソープというのは?」
「挿入ありのお店です。ここでいう娼館ですね」
「挿入って……」
「セックスのことです」
「女性があまりそういうことを言うな」
「でもそういう仕事をしてたんですよ。言うよりずっと下品でしょう」
彼は黙り込む。ごめんなさい、あなたの気持ちをふいにしてしまった。
でも、私はこれをきちんと伝えなきゃいけない。好きだと言ってくれた彼への、精一杯の誠意だ。
「私、あなたに好きになってもらえる女じゃないんです。しょうもない見た目に振り回されて、大金を稼ぐために体を売った」
「いくつからだ」
「十八からです」
ひゅっと息を飲む音。それは刃となって、過去の私を突き刺していく。
「整形そのものは十五からしてました。私の容姿を哀れんだ両親が、お金を出してくれていたんです」
「哀れむって……」
「そんな顔で産んでごめんなさいって。何度も謝られて、」
涙に震えそうになる声を、何とか留めて修正した。拳を握って、痛みで叫び出したくなる気持ちを抑える。
「目と鼻プロテーゼは親のお金です。それ以外は自分で稼ぎました」
地獄のように這いずり回ったあの日々を思い出す。どこにも行きたくなかった、外にすら出たくなかった、陽の光すら怖かった人生。
「賢者になりたての時に顔を隠していたのは、最後にした整形のダウンタイム中だったからです。腫れが酷くて、とても見せられる顔じゃなかった」
ファウストが護衛についたあの日は、ようやくそれが治ったタイミングだったのだ。
「クズみたいな生き物なんですよ、私。二百年も騙しててごめんなさい」
嗤う。
酷い笑顔だ。私は自分の顔が嫌いで、嫌いで。
でも過去の私は、そうしないと生きていけなかった。
涙は出ない。残ったのは、どうにかして目の前の人物を夢から醒めさせておきたいという、醜い欲望だけだ。
「ブスなんですよ、私」
ファウストは何も言わない。
私はずっと自分を恥じていた。愛されたくて、でもどうしてもそれが叶わなくて、なんでなんでと泣き続けて。
叶わない理由を作るために体を売って、顔をどんどん変え続けた。ソープ嬢だから愛されないんだと、整形女だから捨てられるんだと、そう思えば納得できた。
男はみんな見た目に騙されて酔ってくる。そうしてチヤホヤしてこちらが整形だと分かったら「話が違う」と怒鳴って消える。
そうしているうちに、愛されることが気持ち悪くなった。
好かれる自分が解釈違い。愛なんて存在しないものを向けようとする奴も、それに喜びそうになる自分も大嫌い。
死んでしまいたいと、ずっとずっと思っていた。
そして私は今も、眼前で燃え盛る炎に焼かれたいと願っている。
「ねえファウスト、幻滅したでしょう。こんな女早く追い出して忘れた方がいいですよ、録なことにならないから」
捨てて。私を、今すぐに。今まで私の上を通り過ぎていった奴らと同じように。
そしたら私も忘れられる。私が悪いと今まで通りに諦めて、静かにこの世の終わりを待てる。
「……痛かっただろう」
なのに彼は、私の頬に手を伸ばした。
「手術も怖かっただろう。娼婦としての仕事も、不快なことが多いと聞くよ」
「なにを……」
「きみはそこまでして綺麗になったんだな。良かったよ、僕は今まできみを完璧な女性とばかり思っていたから」
「えっと……?」
「きみは過去の自分を恥じているようだけど、僕はそれだってきみの努力だと思うよ。痛い思いも怖い思いも、きみはたくさんしたはずだ。耐えたきみは凄いよ。努力家なんだな、やっぱり」
紫水晶が火に温められて緩く細められる。
「幻滅しないんですか」
「まさか。むしろもっと好きになった」
口角が上がって、頬にあった手が頭にするりと移動した。ふわふわと緩慢な動きで撫でられる。
「もっとって」
「そのくらいで僕の気持ちが変わるわけないだろ。好きだよ、今までも、これからも」
ファウストは笑う。
「返事がききたいな」
グラスを置いた手が、私の手を取る。すいっと近づいた体は薄くて、それでも私とは違う固さがある。
「……あの」
「うん」
「えっと」
「うん」
受け入れてもらえるのだろうか。
明日になったらやっぱ無理とか、そういうことはないだろうか。
でも、それを聞くのはあまりにも失礼だと、彼の体温が物語っている。
「……私が自分を好きになれたら、で、いいですか」
あなたが愛する私を、私はちゃんと知りたかった。
私から見た私じゃないものを、あなたのアメジストを通した私を、きちんと確かめたい。
「自分に自信が持てるようになったら、私、あなたにちゃんと言います」
このまま彼の隣に並ぶのは、きっとお互いのためにならない。
ファウストは微笑んで、「わかった」と言った。
「でも、一つだけ頼んでいいか?」
「なんでもどうぞ」
「会うの、月二回に増やしたい」
あんまり可愛いことを言うものだから、私は笑ってしまった。
「もちろんいいですよ」
心から、伝えられる日までは。
きっと、あんまり遠くない。
私の手元のエルダー酒は減っていない。空になったファウストのグラスに黙ってお酒を注ぎ、瓶を置く。「ありがとう」という声は掠れているけれど、どこかすっきりした響きをしていた。
「……それが、はじまりなんですか」
「ああ、そうだ」
私もあの日を覚えている。
全てに絶望していたところに飛ばされた異世界。右も左もわからぬところから少しだけ前進して、望むところに初めて行った。護衛についてきた魔法使いの目元が実直だったことも、彼の怪我が治ってほっとしたことも、きちんと頭で記憶している。
好意を向けられるのは、初めてじゃない。
でもここまで素直で、穏やかで、それでいて鮮烈な想いを見せられた経験はなかった。
そして、私はそれに静かに絶望した。
だって私は、今から彼に酷いことを言わなきゃいけないから。
「……ファウスト」
「なあに」
「今から言うこと、ちゃんと聞いておいてください」
「うん」
私は彼の左手を取った。何もしなくても綺麗でほっそりして整った指先を見て、涙が出そうになる。
そしてそれを、そっと私の目元に置いた。
「二重全切開、目頭切開、目尻切開、上瞼の脂肪除去」
「え」
戸惑う声。心の中が引き攣る。
「額形成、鼻プロテーゼ、小鼻縮小、鼻尖形成、人中短縮、顎プロテーゼ、エラ骨切り、唇縮小」
するすると、骨ばった手を動かしていく。
痛い。もう二百年以上前に消えたはずの傷跡が、じくじくと痛む。
そして最後に胸元にその手を当てた。「な、」と赤くなるその反応が苦しい。
「脂肪注入豊胸」
そう言って、私はその手をパタリと落とす。
「総額七百九十五万円」
「は……」
「私のこの見た目を作るのにかけた金額です」
私は真っ直ぐにファウストを見据えた。見て、私を、もっとちゃんと。あなたが愛したこの顔は、全部全部作り物なの。
「それは一体何なんだ?」
「美容整形手術といいます。異物を入れたり骨を削ったりして、理想の見た目に近づくためのものです」
彼の目が大きく見開かれる。そのはっきりした二重瞼も整った鼻梁も全部、本物だ。
「私、元々今とは全く違う顔をしていたんです。それはそれは醜い、酷い顔。体重も、今の倍近くありました」
思い出すだけで吐き気がしてくる。腫れぼったい一重瞼、潰れてぐちゃぐちゃの鼻、無様に膨れた唇、角張った輪郭。体は脂肪とセルライトでぶよぶよ、ニキビと蕁麻疹と乾燥で肌はボロボロに荒れていた。髪だって録に手入れもしないからバサバサだった。
目の前のファウストは美しい。彼だけじゃない、賢者の魔法使いのみんなは、どこをどう切りとっても花のように可憐で優雅で美しく整っている。
「ね、引いたでしょう」
「いや、」
「私の見た目は全部紛い物なんです。あなたのように、生まれながらに美しいわけじゃない。それに、そこまでのお金を稼ぐまでに……」
息が詰まる。今すぐ目前の火に飛び込めたらどんなにいいだろう。シリコンって燃えるかしら。
「私、元娼婦なんです」
「はっ?」
初めて知ってる単語が出てきたのだろう。ファウストはその美しい眉根を寄せた。忌み嫌われる職業。彼のように少し潔癖なところがある人にとっては、尚更。
「初めはデリヘル……えっと、家やホテルに出向いて男性に性的なサービスをする仕事をしてました。その後にソープに移って」
「そのソープというのは?」
「挿入ありのお店です。ここでいう娼館ですね」
「挿入って……」
「セックスのことです」
「女性があまりそういうことを言うな」
「でもそういう仕事をしてたんですよ。言うよりずっと下品でしょう」
彼は黙り込む。ごめんなさい、あなたの気持ちをふいにしてしまった。
でも、私はこれをきちんと伝えなきゃいけない。好きだと言ってくれた彼への、精一杯の誠意だ。
「私、あなたに好きになってもらえる女じゃないんです。しょうもない見た目に振り回されて、大金を稼ぐために体を売った」
「いくつからだ」
「十八からです」
ひゅっと息を飲む音。それは刃となって、過去の私を突き刺していく。
「整形そのものは十五からしてました。私の容姿を哀れんだ両親が、お金を出してくれていたんです」
「哀れむって……」
「そんな顔で産んでごめんなさいって。何度も謝られて、」
涙に震えそうになる声を、何とか留めて修正した。拳を握って、痛みで叫び出したくなる気持ちを抑える。
「目と鼻プロテーゼは親のお金です。それ以外は自分で稼ぎました」
地獄のように這いずり回ったあの日々を思い出す。どこにも行きたくなかった、外にすら出たくなかった、陽の光すら怖かった人生。
「賢者になりたての時に顔を隠していたのは、最後にした整形のダウンタイム中だったからです。腫れが酷くて、とても見せられる顔じゃなかった」
ファウストが護衛についたあの日は、ようやくそれが治ったタイミングだったのだ。
「クズみたいな生き物なんですよ、私。二百年も騙しててごめんなさい」
嗤う。
酷い笑顔だ。私は自分の顔が嫌いで、嫌いで。
でも過去の私は、そうしないと生きていけなかった。
涙は出ない。残ったのは、どうにかして目の前の人物を夢から醒めさせておきたいという、醜い欲望だけだ。
「ブスなんですよ、私」
ファウストは何も言わない。
私はずっと自分を恥じていた。愛されたくて、でもどうしてもそれが叶わなくて、なんでなんでと泣き続けて。
叶わない理由を作るために体を売って、顔をどんどん変え続けた。ソープ嬢だから愛されないんだと、整形女だから捨てられるんだと、そう思えば納得できた。
男はみんな見た目に騙されて酔ってくる。そうしてチヤホヤしてこちらが整形だと分かったら「話が違う」と怒鳴って消える。
そうしているうちに、愛されることが気持ち悪くなった。
好かれる自分が解釈違い。愛なんて存在しないものを向けようとする奴も、それに喜びそうになる自分も大嫌い。
死んでしまいたいと、ずっとずっと思っていた。
そして私は今も、眼前で燃え盛る炎に焼かれたいと願っている。
「ねえファウスト、幻滅したでしょう。こんな女早く追い出して忘れた方がいいですよ、録なことにならないから」
捨てて。私を、今すぐに。今まで私の上を通り過ぎていった奴らと同じように。
そしたら私も忘れられる。私が悪いと今まで通りに諦めて、静かにこの世の終わりを待てる。
「……痛かっただろう」
なのに彼は、私の頬に手を伸ばした。
「手術も怖かっただろう。娼婦としての仕事も、不快なことが多いと聞くよ」
「なにを……」
「きみはそこまでして綺麗になったんだな。良かったよ、僕は今まできみを完璧な女性とばかり思っていたから」
「えっと……?」
「きみは過去の自分を恥じているようだけど、僕はそれだってきみの努力だと思うよ。痛い思いも怖い思いも、きみはたくさんしたはずだ。耐えたきみは凄いよ。努力家なんだな、やっぱり」
紫水晶が火に温められて緩く細められる。
「幻滅しないんですか」
「まさか。むしろもっと好きになった」
口角が上がって、頬にあった手が頭にするりと移動した。ふわふわと緩慢な動きで撫でられる。
「もっとって」
「そのくらいで僕の気持ちが変わるわけないだろ。好きだよ、今までも、これからも」
ファウストは笑う。
「返事がききたいな」
グラスを置いた手が、私の手を取る。すいっと近づいた体は薄くて、それでも私とは違う固さがある。
「……あの」
「うん」
「えっと」
「うん」
受け入れてもらえるのだろうか。
明日になったらやっぱ無理とか、そういうことはないだろうか。
でも、それを聞くのはあまりにも失礼だと、彼の体温が物語っている。
「……私が自分を好きになれたら、で、いいですか」
あなたが愛する私を、私はちゃんと知りたかった。
私から見た私じゃないものを、あなたのアメジストを通した私を、きちんと確かめたい。
「自分に自信が持てるようになったら、私、あなたにちゃんと言います」
このまま彼の隣に並ぶのは、きっとお互いのためにならない。
ファウストは微笑んで、「わかった」と言った。
「でも、一つだけ頼んでいいか?」
「なんでもどうぞ」
「会うの、月二回に増やしたい」
あんまり可愛いことを言うものだから、私は笑ってしまった。
「もちろんいいですよ」
心から、伝えられる日までは。
きっと、あんまり遠くない。
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