君のいる春を手放せない
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場所を移した。
外にある焚き火のスペースだ。エルダー酒の瓶とグラスを持って、彼女に椅子を勧める。
大人しく座った晶にグラスを持たせて酒を注ぎ、自分にも同じようにして一口飲む。アルコールの力を借りないと、とても話せそうになかった。
「きみがまだ賢者で、僕がまだ賢者の魔法使いだった頃の話だ」
二百年前の、ある春の日のことだった。
「ファウストや、ちょっとお願いがあるんじゃ」
「聞いてくれるかのう?」
スノウとホワイトが、下に昼食を取りにきた僕に話しかけてきた。
大きな瞳をうるうるさせて顎の下に手を当てる、この双子特有のポーズ。だいたいこれが出る時は厄介な事柄がある時だと、当時の僕は既に学習していた。
「嫌だ。別の人に頼んでくれ」
「ファウストじゃなきゃダメなんじゃ」
「他の魔法使いには出来ないようなことなんじゃ」
「賢者についてのお願いなんじゃ」
僕らを束ねるべき役職の名が出て、初めて足を止めた。
今年賢者として召喚されたのは地味な、話すことすらしない少女で。部屋を与えられてからはそこに引きこもり、食事すら摂りにこない有様だった。一体何をしているのか、検討もつかない。
当然、僕のところまで不満が漏れ聞こえている。「賢者なのだからもっと俺たちと関わってほしい」と。
「昨日、賢者が行きたいところがあると言い出したんじゃ」
「東の花畑に行きたいと言うんじゃ」
「行かせてやればいいだろう」
「そういう訳にもいかぬ」
「賢者は世界の要人じゃ。まだ来たばかりじゃし、一人で外に出すわけにもいかぬ」
「護衛が必要じゃ」
その護衛に僕を選んだというんだろう。
確かに僕は東の国の魔法使いだけど、何故。
「賢者はどうやら他人が酷く怖いようじゃ」
「終始透明になって彼女を見守らねばならん」
「透過魔法が安定して使え、かつ経験値が豊富で穏やかな魔法使いなどお主しかおらぬ」
なるほど、そういうことか。確かに僕は比較的魔法が安定しているし、 経験値もある。性格だってそこまで荒っぽくはない。
「お願いじゃファウスト」
「お願いじゃ」
「お駄賃あげるから」
「マナ石でどうじゃ」
うるうるうるうる。
双子はこちらを見上げてくる。外見は可愛らしいが、その実は強大な力を持つ北の魔法使いだ。
「……わかったよ。やる」
「ありがとうファウスト」
「お主ならそう言ってくれると思った」
折れた僕の周りをぴょんぴょん飛び跳ねる見た目なら十歳程度の二人。
僕はため息をついて、帽子の鍔を下げた。
一週間後。
僕は透明になって、前を歩く賢者の背中を追っていた。
どこで調達してきたのかみすぼらしいマントを羽織ってフードを被った彼女は、僕の存在に気づいていない。伝えていないから当然だ。
東の塔から出て早三十分、彼女は歩き続けている。随分と足が速い。
コツコツ鳴る靴はヒールだろうか。足元まで布が覆っていてよく見えないな。
急に止まったと思ったら、そばにあった宿屋に吸い込まれていく。慌てて後を追うと、店員らしき人物に彼女が何か話しかけている最中だった。
また外に出る。店の前には馬車が待機していて、僕はそこで彼女がこの宿屋に馬車の支度を頼んでいたことを知った。
馬車は小さな二頭立て。ガラガラと走るスピードはまあまあ速めだ。
「ふう……」
賢者が息をつく。持っていた鞄を置き、両手をぐっと伸ばした。随分と白い腕だ。
「……誰かいますよね」
僕は息を飲む。気配が漏れたか、魔法が不完全だったか。
「いいですよ、焦らなくて。一人で外出なんて無理なことくらい、私にもわかってます。ごめんなさい、余計な仕事を増やして」
ボソボソとした声。早口で、何を言ってるかあまり聞き取れない。
そうしてしばらくの時間、彼女は下を向いていた。フードで顔は見えない。初対面の時も彼女は下を向いて、髪で顔を隠していた覚えがある。
内気な子なのだろう。僕も顔を見られるのは好きじゃないから、気持ちはなんとなくわかる。
何かを察知したのか、彼女が窓を開ける。春の香りが馬車を満たして、重苦しいフードをさらって落とした。
「わあっ………!」
それは春雷だった。
春の女神の目覚めであり、花の女王の感嘆であり、風の妖精のいたずらだった。
「すごい!綺麗……!」
窓の外は確かに美しい花畑が広がっている。ピンク、白、赤、青、黄色。華やかな花々が並んで、光の中で揺れていた。
それでも僕は、目の前の女の子から目が離せなかった。
複雑に編み込まれた艶やかな髪に、露のように丸い大きな瞳。細く通った鼻筋に、さくらんぼのような唇。咲き染めた桜のように可愛らしくて鮮やかで華やかな、この日の全てを総べる可憐な女の子。
僕はその時初めて、髪を抑えるその手が細く美しいことと、爪が桜貝のように可愛らしくて整っていることに気づいた。
こんな春風みたいな子が、僕の命を救ったのか。
そう思うと変な心地がした。何故彼女はあんなに下を向いて、引きこもっているんだろう。
柔らかい手がマントのボタンを外した。
瞬間の白は、僕の目に焼き付いて離れない。
ワンピースだった。リボンもフリルも多めの、甘いデザインの洋服。
よく似合っていた。これ以上相応しい服などないくらいに、完璧に彼女に寄り添っていた。
ヘーゼルの瞳がこちらを向く。光が飛び散って眩しい。
「そこにいる方、見えてます?外、とっても綺麗ですよ」
鈴のような声。華やかで爽やかで優しい、花弁を乗せた風の声。
解けたように笑う頬に浮かぶえくぼが少し幼い。それを向けられて知ったのは、この賢者がとんでもない美女で、この場には僕と彼女しか居ないということだった。
どうしよう。異様な緊張で胃がおかしくなりそうだ。
「……透明だと、誰かも分かりませんね」
「私のためですよね。ごめんなさい、わざわざ」と彼女は申し訳なさそうに眉を下げた。そんな顔をしないでほしい。きみには笑顔の方が似合う。
「お姿拝見してもいいですか?私、怖がらないから」
首を傾げる仕草が何だか眩しい。さっきから目がチカチカする。
黙って魔法を解除すると、彼女はぽん、と手を合わせた。
「ファウストさん、ですよね」
「あ、ああ」
この声で僕の名を呼ぶとこんな風になるのか、なんて、馬鹿なことを考えた。そうでもしないと気がおかしくなってしまいそうで。
「あの後、お身体大丈夫でしたか?とっても辛そうでしたけど……」
「だ、大丈夫だ。おかげさまでな」
「……よかった」
彼女は笑った。風が小さく吹き込んで、その髪を揺らす。
陽光が白い肌を照らした。白い指が耳に髪をかけて、そのまま窓の外を見て微笑む。
時よ止まれ、きみはあまりにも美しい。
胸が跳ねる。息が苦しい。むせ返るような春に、きっと僕は酔っている。
「着きましたよ」
鞄とマントを持って、彼女が言う。降りる時に僕が差し出した手は、「ありがとうございます」という密やかなお礼とともにとられた。
ふんわりとした温もりが僕の手を撫でて離れていく。追いたいのに、その勇気は出なかった。
「なんで、ここに?」
「来てみたかったんです。本で読んで」
「もうこっちの文字が読めるようになったのか?」
「はい。頑張りました」
少し恥ずかしそうに笑う。くるりとスカートを翻す姿は天使か、それとも。
「ここに咲く花に、肌荒れに効く薬草があるらしいんですよね。それをちょっと貰って帰ろうと思って」
彼女はふわりとしゃがむ。「これかな」と白魚のような手が示したのは、小さな紫色の花だった。
「ああ、それか」
「ご存知ですか?」
「ああ。うちの庭にもよく咲くんだ」
「お庭があるんですか?」
「ある」
「そうなんですね。いいなあ……」
ガーデニングが趣味なのだろうか。この手からはそうも思えないけど。
もしかして、水仕事をしつつ綺麗な手を保つためにここまできたのか。
「私すぐ肌が荒れちゃうから……」
「そうなのか?」
「はい。お恥ずかしながら」
とてもそうは思えない。出ている部分の肌はどこもかしこも白くて柔らかそうだ。
努力家な子なんだな、と思った。
文字を読めるようになる速度といい、肌といい。この編み込みだって、魔法も使わずにやるとしたらそうとう難しいんじゃないか。
何だか一気に目の前の彼女が尊く思える。今日の僕はどうかしているらしい。
「私はちょっとここの頂いてくるので、ここで待っててください」
「手伝うよ。ここ、他にもいい薬草があるんだ」
「え、そうなんですか?」
「ああ。これなんかは風邪によく効く」
その日は花を摘んで作ってきたというサンドイッチを食べて、魔法舎に直帰した。
そして多分、僕はこの日に始まった。
外にある焚き火のスペースだ。エルダー酒の瓶とグラスを持って、彼女に椅子を勧める。
大人しく座った晶にグラスを持たせて酒を注ぎ、自分にも同じようにして一口飲む。アルコールの力を借りないと、とても話せそうになかった。
「きみがまだ賢者で、僕がまだ賢者の魔法使いだった頃の話だ」
二百年前の、ある春の日のことだった。
「ファウストや、ちょっとお願いがあるんじゃ」
「聞いてくれるかのう?」
スノウとホワイトが、下に昼食を取りにきた僕に話しかけてきた。
大きな瞳をうるうるさせて顎の下に手を当てる、この双子特有のポーズ。だいたいこれが出る時は厄介な事柄がある時だと、当時の僕は既に学習していた。
「嫌だ。別の人に頼んでくれ」
「ファウストじゃなきゃダメなんじゃ」
「他の魔法使いには出来ないようなことなんじゃ」
「賢者についてのお願いなんじゃ」
僕らを束ねるべき役職の名が出て、初めて足を止めた。
今年賢者として召喚されたのは地味な、話すことすらしない少女で。部屋を与えられてからはそこに引きこもり、食事すら摂りにこない有様だった。一体何をしているのか、検討もつかない。
当然、僕のところまで不満が漏れ聞こえている。「賢者なのだからもっと俺たちと関わってほしい」と。
「昨日、賢者が行きたいところがあると言い出したんじゃ」
「東の花畑に行きたいと言うんじゃ」
「行かせてやればいいだろう」
「そういう訳にもいかぬ」
「賢者は世界の要人じゃ。まだ来たばかりじゃし、一人で外に出すわけにもいかぬ」
「護衛が必要じゃ」
その護衛に僕を選んだというんだろう。
確かに僕は東の国の魔法使いだけど、何故。
「賢者はどうやら他人が酷く怖いようじゃ」
「終始透明になって彼女を見守らねばならん」
「透過魔法が安定して使え、かつ経験値が豊富で穏やかな魔法使いなどお主しかおらぬ」
なるほど、そういうことか。確かに僕は比較的魔法が安定しているし、 経験値もある。性格だってそこまで荒っぽくはない。
「お願いじゃファウスト」
「お願いじゃ」
「お駄賃あげるから」
「マナ石でどうじゃ」
うるうるうるうる。
双子はこちらを見上げてくる。外見は可愛らしいが、その実は強大な力を持つ北の魔法使いだ。
「……わかったよ。やる」
「ありがとうファウスト」
「お主ならそう言ってくれると思った」
折れた僕の周りをぴょんぴょん飛び跳ねる見た目なら十歳程度の二人。
僕はため息をついて、帽子の鍔を下げた。
一週間後。
僕は透明になって、前を歩く賢者の背中を追っていた。
どこで調達してきたのかみすぼらしいマントを羽織ってフードを被った彼女は、僕の存在に気づいていない。伝えていないから当然だ。
東の塔から出て早三十分、彼女は歩き続けている。随分と足が速い。
コツコツ鳴る靴はヒールだろうか。足元まで布が覆っていてよく見えないな。
急に止まったと思ったら、そばにあった宿屋に吸い込まれていく。慌てて後を追うと、店員らしき人物に彼女が何か話しかけている最中だった。
また外に出る。店の前には馬車が待機していて、僕はそこで彼女がこの宿屋に馬車の支度を頼んでいたことを知った。
馬車は小さな二頭立て。ガラガラと走るスピードはまあまあ速めだ。
「ふう……」
賢者が息をつく。持っていた鞄を置き、両手をぐっと伸ばした。随分と白い腕だ。
「……誰かいますよね」
僕は息を飲む。気配が漏れたか、魔法が不完全だったか。
「いいですよ、焦らなくて。一人で外出なんて無理なことくらい、私にもわかってます。ごめんなさい、余計な仕事を増やして」
ボソボソとした声。早口で、何を言ってるかあまり聞き取れない。
そうしてしばらくの時間、彼女は下を向いていた。フードで顔は見えない。初対面の時も彼女は下を向いて、髪で顔を隠していた覚えがある。
内気な子なのだろう。僕も顔を見られるのは好きじゃないから、気持ちはなんとなくわかる。
何かを察知したのか、彼女が窓を開ける。春の香りが馬車を満たして、重苦しいフードをさらって落とした。
「わあっ………!」
それは春雷だった。
春の女神の目覚めであり、花の女王の感嘆であり、風の妖精のいたずらだった。
「すごい!綺麗……!」
窓の外は確かに美しい花畑が広がっている。ピンク、白、赤、青、黄色。華やかな花々が並んで、光の中で揺れていた。
それでも僕は、目の前の女の子から目が離せなかった。
複雑に編み込まれた艶やかな髪に、露のように丸い大きな瞳。細く通った鼻筋に、さくらんぼのような唇。咲き染めた桜のように可愛らしくて鮮やかで華やかな、この日の全てを総べる可憐な女の子。
僕はその時初めて、髪を抑えるその手が細く美しいことと、爪が桜貝のように可愛らしくて整っていることに気づいた。
こんな春風みたいな子が、僕の命を救ったのか。
そう思うと変な心地がした。何故彼女はあんなに下を向いて、引きこもっているんだろう。
柔らかい手がマントのボタンを外した。
瞬間の白は、僕の目に焼き付いて離れない。
ワンピースだった。リボンもフリルも多めの、甘いデザインの洋服。
よく似合っていた。これ以上相応しい服などないくらいに、完璧に彼女に寄り添っていた。
ヘーゼルの瞳がこちらを向く。光が飛び散って眩しい。
「そこにいる方、見えてます?外、とっても綺麗ですよ」
鈴のような声。華やかで爽やかで優しい、花弁を乗せた風の声。
解けたように笑う頬に浮かぶえくぼが少し幼い。それを向けられて知ったのは、この賢者がとんでもない美女で、この場には僕と彼女しか居ないということだった。
どうしよう。異様な緊張で胃がおかしくなりそうだ。
「……透明だと、誰かも分かりませんね」
「私のためですよね。ごめんなさい、わざわざ」と彼女は申し訳なさそうに眉を下げた。そんな顔をしないでほしい。きみには笑顔の方が似合う。
「お姿拝見してもいいですか?私、怖がらないから」
首を傾げる仕草が何だか眩しい。さっきから目がチカチカする。
黙って魔法を解除すると、彼女はぽん、と手を合わせた。
「ファウストさん、ですよね」
「あ、ああ」
この声で僕の名を呼ぶとこんな風になるのか、なんて、馬鹿なことを考えた。そうでもしないと気がおかしくなってしまいそうで。
「あの後、お身体大丈夫でしたか?とっても辛そうでしたけど……」
「だ、大丈夫だ。おかげさまでな」
「……よかった」
彼女は笑った。風が小さく吹き込んで、その髪を揺らす。
陽光が白い肌を照らした。白い指が耳に髪をかけて、そのまま窓の外を見て微笑む。
時よ止まれ、きみはあまりにも美しい。
胸が跳ねる。息が苦しい。むせ返るような春に、きっと僕は酔っている。
「着きましたよ」
鞄とマントを持って、彼女が言う。降りる時に僕が差し出した手は、「ありがとうございます」という密やかなお礼とともにとられた。
ふんわりとした温もりが僕の手を撫でて離れていく。追いたいのに、その勇気は出なかった。
「なんで、ここに?」
「来てみたかったんです。本で読んで」
「もうこっちの文字が読めるようになったのか?」
「はい。頑張りました」
少し恥ずかしそうに笑う。くるりとスカートを翻す姿は天使か、それとも。
「ここに咲く花に、肌荒れに効く薬草があるらしいんですよね。それをちょっと貰って帰ろうと思って」
彼女はふわりとしゃがむ。「これかな」と白魚のような手が示したのは、小さな紫色の花だった。
「ああ、それか」
「ご存知ですか?」
「ああ。うちの庭にもよく咲くんだ」
「お庭があるんですか?」
「ある」
「そうなんですね。いいなあ……」
ガーデニングが趣味なのだろうか。この手からはそうも思えないけど。
もしかして、水仕事をしつつ綺麗な手を保つためにここまできたのか。
「私すぐ肌が荒れちゃうから……」
「そうなのか?」
「はい。お恥ずかしながら」
とてもそうは思えない。出ている部分の肌はどこもかしこも白くて柔らかそうだ。
努力家な子なんだな、と思った。
文字を読めるようになる速度といい、肌といい。この編み込みだって、魔法も使わずにやるとしたらそうとう難しいんじゃないか。
何だか一気に目の前の彼女が尊く思える。今日の僕はどうかしているらしい。
「私はちょっとここの頂いてくるので、ここで待っててください」
「手伝うよ。ここ、他にもいい薬草があるんだ」
「え、そうなんですか?」
「ああ。これなんかは風邪によく効く」
その日は花を摘んで作ってきたというサンドイッチを食べて、魔法舎に直帰した。
そして多分、僕はこの日に始まった。