君のいる春を手放せない
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「湯浴みをする」と言って浴室に向かったファウストを見送ったあと、私は本棚の前に立った。
「暇だろうから好きに見ていていい」と彼が言ったのだ。本棚は人の性格が表れるところでもあるから、この際じっくり見せてもらおう。
詩集に雑誌に実用本に小説と、まあまあバランスのいい取り合わせになっている。料理や手芸、DIY関連が多めか。
小説本はミステリ、古典、そして意外にも恋愛モノが占めている。それも純愛のハッピーエンドばかり。
私はそのうちの一冊を抜き出した。約百五十年前の恋愛小説だ。気になっていたのに絶版になってしまって、結局読みそびれてしまっていた。
ハードカバーの表紙を開くと、ひらりと古びた紙が一枚落ちる。栞かなと思ったけど、これは手紙だ。手書きの文字が透けている。
ファウスト宛のものだろう。人様の手紙を見るのは気が引けるからこれは戻して、見なかった振りをしておこうかな。
でも透けてる字に「賢者様」ってあるな。気になるな。
そう思ったら駄目だった。私は二つに折られていたその便箋を開き、カーペットが敷かれた床に座り込む。
ファウストへ
この手紙が届く頃には、もう俺は死んでると思う。すごいありがちな出だしにしちゃったね。でも本当なんだ。スノウ様かホワイト様がこの手紙をきみの元に運んでくる頃には、俺はもう石になってる。ついてきたマナ石がなによりの証拠だ。
双子先生に頼んで、きみには一番大きい欠片をあげることにしてあるんだよね。多分これについてきたマナ石、すごい大きさだと思うんだけどどう?食べられそう?残しとくと危ないからちゃんと完食してね。
なんでそんなことを託けたのか、きみは不思議に思うだろうね。ちゃんと理由はあるんだよ。
きみ、賢者様のことが好きでしょう?
他にも気づいてる魔法使いはいると思うよ。シャイロックに恋に効く言い伝えのあるカクテルとかもらったりしなかった?
賢者様は、もう人間じゃない。体の成長が止まり、魂は精霊を基盤とした全く別のものになった。彼女は現在、世界で唯一の「実体のある精霊」だ。
それを狙う輩が出てくることは、きみにも想像がつくだろう。彼女を媒体にすればどんな呪術も成功するからね。
だから、きみが守ってやりなさい。
幸いきみは魔法舎の年長の魔法使いの中では一番歳若くて、一途で素直な清純派だ。これから永遠を生きる賢者様のそばに、比較的長くいることができる。経験値も技術も申し分ない。
それに、好きな子は自分の手で守りたいだろ?
俺はこれでもきみの師匠だから、弟子の恋路は全力でサポートするよ。だから俺のマナ石を食べて魔力を増強して、賢者様を降りかかるであろう災難から守ってあげればいい。
じゃあね、ファウスト。魔法使いの魂に輪廻があるのかわからないけど、もし生まれ変わることがあったらまたきみに会いたいと思ってる。
その時までには賢者様と付き合えてるといいね。
フィガロより
追伸
ねえファウスト、ひとりで死ぬのは寂しいよ。
見送ってくれる誰かがいないのは辛い。俺、最近夕焼けを見る度に泣いてるの。もっと弱かったらルチルとかミチルに看取ってもらえたのにね。
ファウストはこんな終わり方しちゃダメだよ。ちゃんとその恋を叶えて、幸せになってね。
「フィガロ……」
フィガロ・ガルシア。南の優しいお医者さんになりたかった、かつての北の大魔法使い。
彼は今から百五十年前に亡くなった。
死期に瀕する力の強い魔法使いの慣習として、狙われないように身を隠して。最期に選んだ場所はマナエリアの北の海ではなく、暖かな南の湖のほとりだったという。
執り行われた葬式には、私も参列した。賢者の魔法使いが一同に集い、それに彼の患者だった人たちも大勢きていた記憶がある。
愛されたかった魔法使いが望んだ、大勢の人達の涙。優しい南のフィガロ先生として、彼は逝った。
そしてその強大な力を宿すマナ石は、彼の遺言通りに分けられたと聞いている。
私のところにも小さな一欠片がきた。「石」というからどんな味かと身構えたけど、食べてみるとまるで琥珀糖のような、儚い口触りをしていたのを覚えている。二千年を超える年月は、今は私の体内で精霊との調和を維持し、もう死ねない体をさらに丈夫にする役割を果たしている。
フィガロのマナ石はもうこの世にはない。世界のパワーバランスを保つため、比較的穏やかで優しく、力を悪用しないであろう魔法使いたちが全て責任持って完食した。
一番大きな欠片を食べたのがファウストだとは知らなかったけど。
「あがったぞ。……何読んでるんだ?」
「……ファウスト」
湯上りでほこほこしたファウストが私の手元を覗き込む。柔らかなアメジストがサッと文章を読んで固まり、震えるテノールが「それ、」と呟いた。
「読んだのか」
「……はい。ごめんなさい、勝手に」
「いや、いいんだ。多分僕がそこらの本に挟んで置いて忘れていたんだろう」
ファウストは私から受け取った手紙を魔法でどこかに収納した。そして、「気づいてた?」と髪を揺らして私の手をとって、自分の胸に当てる。
「……なにがですか」
「僕がきみを好きだってこと」
手から伝わる心音は、やっぱり少し早い。
思えばいつだって、彼はそうだった。
「……そんな感じはしてました」
私だって子供じゃない。この世界にきた時はもう既に二十歳だったし、ある程度の恋愛だってしている。処女でもない。
この美しい魔法使いの瞳がサングラスで遮られていた時から、ずっと。
その視線の色が淡いことを、その声が苦しさに揺れていることを、感じてはいた。
「でも私、あなたに好かれるような人間じゃない」
酷いことを言っている。
目の前の彼は少なくとも百五十年前までは、私のことを好きだったのだ。
「……いつからですか」
「きみの外出に同行した日からだ。覚えてるか?」
「ああ……」
あの日か。
確か春の日だった。今でもあの時の花畑は好きで、時々行っている。
私はファウストの小さな唇が何かを語ろうと開くのを、ぼんやりと見つめていた。
「暇だろうから好きに見ていていい」と彼が言ったのだ。本棚は人の性格が表れるところでもあるから、この際じっくり見せてもらおう。
詩集に雑誌に実用本に小説と、まあまあバランスのいい取り合わせになっている。料理や手芸、DIY関連が多めか。
小説本はミステリ、古典、そして意外にも恋愛モノが占めている。それも純愛のハッピーエンドばかり。
私はそのうちの一冊を抜き出した。約百五十年前の恋愛小説だ。気になっていたのに絶版になってしまって、結局読みそびれてしまっていた。
ハードカバーの表紙を開くと、ひらりと古びた紙が一枚落ちる。栞かなと思ったけど、これは手紙だ。手書きの文字が透けている。
ファウスト宛のものだろう。人様の手紙を見るのは気が引けるからこれは戻して、見なかった振りをしておこうかな。
でも透けてる字に「賢者様」ってあるな。気になるな。
そう思ったら駄目だった。私は二つに折られていたその便箋を開き、カーペットが敷かれた床に座り込む。
ファウストへ
この手紙が届く頃には、もう俺は死んでると思う。すごいありがちな出だしにしちゃったね。でも本当なんだ。スノウ様かホワイト様がこの手紙をきみの元に運んでくる頃には、俺はもう石になってる。ついてきたマナ石がなによりの証拠だ。
双子先生に頼んで、きみには一番大きい欠片をあげることにしてあるんだよね。多分これについてきたマナ石、すごい大きさだと思うんだけどどう?食べられそう?残しとくと危ないからちゃんと完食してね。
なんでそんなことを託けたのか、きみは不思議に思うだろうね。ちゃんと理由はあるんだよ。
きみ、賢者様のことが好きでしょう?
他にも気づいてる魔法使いはいると思うよ。シャイロックに恋に効く言い伝えのあるカクテルとかもらったりしなかった?
賢者様は、もう人間じゃない。体の成長が止まり、魂は精霊を基盤とした全く別のものになった。彼女は現在、世界で唯一の「実体のある精霊」だ。
それを狙う輩が出てくることは、きみにも想像がつくだろう。彼女を媒体にすればどんな呪術も成功するからね。
だから、きみが守ってやりなさい。
幸いきみは魔法舎の年長の魔法使いの中では一番歳若くて、一途で素直な清純派だ。これから永遠を生きる賢者様のそばに、比較的長くいることができる。経験値も技術も申し分ない。
それに、好きな子は自分の手で守りたいだろ?
俺はこれでもきみの師匠だから、弟子の恋路は全力でサポートするよ。だから俺のマナ石を食べて魔力を増強して、賢者様を降りかかるであろう災難から守ってあげればいい。
じゃあね、ファウスト。魔法使いの魂に輪廻があるのかわからないけど、もし生まれ変わることがあったらまたきみに会いたいと思ってる。
その時までには賢者様と付き合えてるといいね。
フィガロより
追伸
ねえファウスト、ひとりで死ぬのは寂しいよ。
見送ってくれる誰かがいないのは辛い。俺、最近夕焼けを見る度に泣いてるの。もっと弱かったらルチルとかミチルに看取ってもらえたのにね。
ファウストはこんな終わり方しちゃダメだよ。ちゃんとその恋を叶えて、幸せになってね。
「フィガロ……」
フィガロ・ガルシア。南の優しいお医者さんになりたかった、かつての北の大魔法使い。
彼は今から百五十年前に亡くなった。
死期に瀕する力の強い魔法使いの慣習として、狙われないように身を隠して。最期に選んだ場所はマナエリアの北の海ではなく、暖かな南の湖のほとりだったという。
執り行われた葬式には、私も参列した。賢者の魔法使いが一同に集い、それに彼の患者だった人たちも大勢きていた記憶がある。
愛されたかった魔法使いが望んだ、大勢の人達の涙。優しい南のフィガロ先生として、彼は逝った。
そしてその強大な力を宿すマナ石は、彼の遺言通りに分けられたと聞いている。
私のところにも小さな一欠片がきた。「石」というからどんな味かと身構えたけど、食べてみるとまるで琥珀糖のような、儚い口触りをしていたのを覚えている。二千年を超える年月は、今は私の体内で精霊との調和を維持し、もう死ねない体をさらに丈夫にする役割を果たしている。
フィガロのマナ石はもうこの世にはない。世界のパワーバランスを保つため、比較的穏やかで優しく、力を悪用しないであろう魔法使いたちが全て責任持って完食した。
一番大きな欠片を食べたのがファウストだとは知らなかったけど。
「あがったぞ。……何読んでるんだ?」
「……ファウスト」
湯上りでほこほこしたファウストが私の手元を覗き込む。柔らかなアメジストがサッと文章を読んで固まり、震えるテノールが「それ、」と呟いた。
「読んだのか」
「……はい。ごめんなさい、勝手に」
「いや、いいんだ。多分僕がそこらの本に挟んで置いて忘れていたんだろう」
ファウストは私から受け取った手紙を魔法でどこかに収納した。そして、「気づいてた?」と髪を揺らして私の手をとって、自分の胸に当てる。
「……なにがですか」
「僕がきみを好きだってこと」
手から伝わる心音は、やっぱり少し早い。
思えばいつだって、彼はそうだった。
「……そんな感じはしてました」
私だって子供じゃない。この世界にきた時はもう既に二十歳だったし、ある程度の恋愛だってしている。処女でもない。
この美しい魔法使いの瞳がサングラスで遮られていた時から、ずっと。
その視線の色が淡いことを、その声が苦しさに揺れていることを、感じてはいた。
「でも私、あなたに好かれるような人間じゃない」
酷いことを言っている。
目の前の彼は少なくとも百五十年前までは、私のことを好きだったのだ。
「……いつからですか」
「きみの外出に同行した日からだ。覚えてるか?」
「ああ……」
あの日か。
確か春の日だった。今でもあの時の花畑は好きで、時々行っている。
私はファウストの小さな唇が何かを語ろうと開くのを、ぼんやりと見つめていた。