第一部
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時刻は夜の十時。
私はシャイロックのバーにいた。
他にお客は誰もいない。ただ、シャイロックがグラスを磨いているだけだ。
目の前に置かれたノンアルコールのサラトガ・クーラーを手に持つと、氷が涼やかな音を奏でた。
さっぱりとした風味を楽しんで、またテーブルに置く。水滴がグラスを伝うのをぼんやりと見ていると、シャイロックがそっと口を開いた。
「賢者様」
「はい」
俯いたまま返事をするのが申し訳なくて顔を上げる。美しい彼は、口元に穏やかな笑みを浮かべていた。
「少し、お疲れですか」
「わかりますか」
「ええ」
長く生きる魔法使い相手に、誤魔化しや嘘は通じない。素直に認めた方が、後々楽。
それを知っている私は、静かに頷いた。
シャイロックは笑みを深め、私の不揃いの髪にそっと触れた。
「伸びましたね。明日、少し切りましょうか」
「そうですね」
魔法舎で切るのかな。外で切るのかな。
ぼけっとしている私に、彼は優しく問うた。
「オーエンと仲がいいご様子ですが……何か、されてはいませんか?」
「何も……。何故か優しくしてくれます。何故かはわからないんですけど」
「そうですか」
「私は凄く根暗だから、多分あのひと、それを嗅ぎつけて……魔力の提供が出来てるのかも」
オーエンは、人の思念から魔力を得る。
その中でも悪意や恐怖が大のお気に入りだ。だから、他人に酷いことを言う。
躁鬱で常に心が乱れている私は、もしかしたら彼にとってとてもいい素材なのかもしれない。
だとしたらそれは良いことだ。なんの役にも立てないなら、せめてそのくらいはしたい。
シャイロックはほう、といった様子でこちらを見た。
「賢者様は、根暗なんですか?」
「それはそれは……元の世界にいた時も、腹の中真っ黒とか不吉なもの背負ってるとか気の毒とか、散々な言われようで……」
「おやおや……」
ふふふ、という品のいい笑い声。彼のようになれたらそれはそれはモテるのだろうけど、残念ながら私のような小娘が一生かかっても会得できるものではない。まず、シャイロックはとても美人なのだ。
「ここでの生活には慣れましたか?」
「あ、はい!皆さん優しくしてくださいますし、体調もそんな悪くないし」
「この前頭痛で寝込まれていたと聞きましたが」
「嘘つきましたごめんなさい」
「ふふふ」
「でも、元の世界にいた時よりずっといいんです。前はご飯も辛かったから」
頭痛腹痛胸痛、肩凝り首凝り運動不足。
前はそれは酷かったのだ。今は規則正しい生活ができている方だし、まだマシというものだ。
気にかけてくれる人だってたくさんいる。起きれば笑顔で挨拶してくれるし、一緒に遊ぼうとか、勉強しようとか、誘ってくれることもたくさんある。
ただ、私が、疲れやすいだけで。
人に嫌われることに慣れてしまっていて、そうでは無い考え方が上手くできない。やっぱり好かれない想像をして泣いて、朝の「おはよう」の笑顔を見て罪悪感に貫かれる。
私が悪いだけだ。
サラトガ・クーラーを飲み干した。やっぱりシャイロックが作る飲み物は美味しい。
「もう寝ます。おやすみなさい」
「そうですね。おやすみなさい」
品のいい笑顔に見送られて、私はなるべく静かに席を立った。
夜は鬱の時間だ。
一人ではなかなか眠れなくて、ああ明日死のう、それとも今にしようか、なんてことしか考えられなくなってしまう。
でも私は今賢者で、二十一人の魔法使いを統率していて、世界の要人で。決して死ぬ訳にはいかない身分になっている。特に自殺なんて確実にアウトだ。大混乱させてしまう。
自分の命の処遇すら、自分で決められない。
「どうせ誰も気づかない」「悲しまない」が通用しないのだ。賢者の自殺は大ニュースだし、北の国以外の魔法使いはみんな悲しむだろう。責任感の強いアーサーやカイン、心優しいルチルやミチルやクロエは特に心配だ。歳若い魔法使いはきっと、離別にもまだ慣れていない。
その点、オーエンはとても楽だ。彼は私を傷つけることが目的だし、死んでもどうせ悲しみやしない。
彼の言葉は毒にもなるが、薬にもなり得る。「お前が思っていることは全て正しい」という、負の肯定だ。
でもさすがにこんな夜は、彼だって寝付く頃だろう。最近はタイミングよく現れて助けてくれる機会が連続したが、さすがにこう何度も、というわけにはいかない。
それに、私はどうせ忘れられる。
どんなに彼らが優しかろうと強かろうと、その記憶から私はいなくなってしまう。それも、来年。
私の頭からも、彼らのことが抜ける可能性だってある。どこかに行って、彼らのことも忘れて、どう生きていくのか検討もつかない。
帰ってきた部屋は当然真っ暗で、ベッドは冷たかった。甘い匂いも、冷たくて清廉な香りもしない。
いつか、私は独りになる。
こうして誰もいない場所に帰って、痛いのも苦しいのもひとりで耐えて、何とか生きて、そして死ぬ。
生まれたことに意味なんてないけれど、無いなりに楽しんで生きる、ということはおそらくできないだろう。
この世界にいる一年の間に、腑抜けないようにしないといけない。私はひとりだ。
ベッドに倒れ込んだ。どうせ今夜も眠れない。
私はシャイロックのバーにいた。
他にお客は誰もいない。ただ、シャイロックがグラスを磨いているだけだ。
目の前に置かれたノンアルコールのサラトガ・クーラーを手に持つと、氷が涼やかな音を奏でた。
さっぱりとした風味を楽しんで、またテーブルに置く。水滴がグラスを伝うのをぼんやりと見ていると、シャイロックがそっと口を開いた。
「賢者様」
「はい」
俯いたまま返事をするのが申し訳なくて顔を上げる。美しい彼は、口元に穏やかな笑みを浮かべていた。
「少し、お疲れですか」
「わかりますか」
「ええ」
長く生きる魔法使い相手に、誤魔化しや嘘は通じない。素直に認めた方が、後々楽。
それを知っている私は、静かに頷いた。
シャイロックは笑みを深め、私の不揃いの髪にそっと触れた。
「伸びましたね。明日、少し切りましょうか」
「そうですね」
魔法舎で切るのかな。外で切るのかな。
ぼけっとしている私に、彼は優しく問うた。
「オーエンと仲がいいご様子ですが……何か、されてはいませんか?」
「何も……。何故か優しくしてくれます。何故かはわからないんですけど」
「そうですか」
「私は凄く根暗だから、多分あのひと、それを嗅ぎつけて……魔力の提供が出来てるのかも」
オーエンは、人の思念から魔力を得る。
その中でも悪意や恐怖が大のお気に入りだ。だから、他人に酷いことを言う。
躁鬱で常に心が乱れている私は、もしかしたら彼にとってとてもいい素材なのかもしれない。
だとしたらそれは良いことだ。なんの役にも立てないなら、せめてそのくらいはしたい。
シャイロックはほう、といった様子でこちらを見た。
「賢者様は、根暗なんですか?」
「それはそれは……元の世界にいた時も、腹の中真っ黒とか不吉なもの背負ってるとか気の毒とか、散々な言われようで……」
「おやおや……」
ふふふ、という品のいい笑い声。彼のようになれたらそれはそれはモテるのだろうけど、残念ながら私のような小娘が一生かかっても会得できるものではない。まず、シャイロックはとても美人なのだ。
「ここでの生活には慣れましたか?」
「あ、はい!皆さん優しくしてくださいますし、体調もそんな悪くないし」
「この前頭痛で寝込まれていたと聞きましたが」
「嘘つきましたごめんなさい」
「ふふふ」
「でも、元の世界にいた時よりずっといいんです。前はご飯も辛かったから」
頭痛腹痛胸痛、肩凝り首凝り運動不足。
前はそれは酷かったのだ。今は規則正しい生活ができている方だし、まだマシというものだ。
気にかけてくれる人だってたくさんいる。起きれば笑顔で挨拶してくれるし、一緒に遊ぼうとか、勉強しようとか、誘ってくれることもたくさんある。
ただ、私が、疲れやすいだけで。
人に嫌われることに慣れてしまっていて、そうでは無い考え方が上手くできない。やっぱり好かれない想像をして泣いて、朝の「おはよう」の笑顔を見て罪悪感に貫かれる。
私が悪いだけだ。
サラトガ・クーラーを飲み干した。やっぱりシャイロックが作る飲み物は美味しい。
「もう寝ます。おやすみなさい」
「そうですね。おやすみなさい」
品のいい笑顔に見送られて、私はなるべく静かに席を立った。
夜は鬱の時間だ。
一人ではなかなか眠れなくて、ああ明日死のう、それとも今にしようか、なんてことしか考えられなくなってしまう。
でも私は今賢者で、二十一人の魔法使いを統率していて、世界の要人で。決して死ぬ訳にはいかない身分になっている。特に自殺なんて確実にアウトだ。大混乱させてしまう。
自分の命の処遇すら、自分で決められない。
「どうせ誰も気づかない」「悲しまない」が通用しないのだ。賢者の自殺は大ニュースだし、北の国以外の魔法使いはみんな悲しむだろう。責任感の強いアーサーやカイン、心優しいルチルやミチルやクロエは特に心配だ。歳若い魔法使いはきっと、離別にもまだ慣れていない。
その点、オーエンはとても楽だ。彼は私を傷つけることが目的だし、死んでもどうせ悲しみやしない。
彼の言葉は毒にもなるが、薬にもなり得る。「お前が思っていることは全て正しい」という、負の肯定だ。
でもさすがにこんな夜は、彼だって寝付く頃だろう。最近はタイミングよく現れて助けてくれる機会が連続したが、さすがにこう何度も、というわけにはいかない。
それに、私はどうせ忘れられる。
どんなに彼らが優しかろうと強かろうと、その記憶から私はいなくなってしまう。それも、来年。
私の頭からも、彼らのことが抜ける可能性だってある。どこかに行って、彼らのことも忘れて、どう生きていくのか検討もつかない。
帰ってきた部屋は当然真っ暗で、ベッドは冷たかった。甘い匂いも、冷たくて清廉な香りもしない。
いつか、私は独りになる。
こうして誰もいない場所に帰って、痛いのも苦しいのもひとりで耐えて、何とか生きて、そして死ぬ。
生まれたことに意味なんてないけれど、無いなりに楽しんで生きる、ということはおそらくできないだろう。
この世界にいる一年の間に、腑抜けないようにしないといけない。私はひとりだ。
ベッドに倒れ込んだ。どうせ今夜も眠れない。