第二部
夢小説設定
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発表会は大盛況だった。
「行方不明だった天才ピアニストが出演する」ということで、まずチケットの入手難易度が跳ね上がっていたらしい。広い講堂は満席、立ち見席まで設けられていた。
その話題性から大トリに配置された私たちではあったが、「まあそういうこともあるわな」という態度を最後まで貫いた。ここで揺らぐと「あら、やっぱり高一に大トリは早すぎるんじゃない?」と本来ラストを飾ると思われていた高三ペアにチクチク刺されるのだ。あの二人はめちゃくちゃ気が強いから困る。
プログラムは、前半は十二人のソロ、後半はペアでの演奏という編成になっている。
私のソロは前半のラスト、黒川さんはトップバッター。「今回の目玉はこの二人でございます」というのが非常にわかりやすい。他の出演者からの視線が痛い。
揃って出番と出番の間がかなり長く、正直言って時間を持て余していた。他の人の演奏はリハーサルで何度も聴いたし、お互いの練習はもうとっくに済ませている。黒川さんにとっては乾燥、私にとっては手の冷えが大敵となるばかりだ。
「乾燥やばいね」「待ちが長いね」と、私たちは控え室としてあてがわれた講堂近くの茶道室でひたすら折り紙を折りながら話した。黒川さんは何故か常に折り紙を持ち歩いているのだ。
「ほら見て変な鶴」
「脚生えててウケる」
「これを繋げて動かすと面白いよ」
「笑いすぎて化粧崩れそう」
既にお互い髪もドレスもメイクも完璧だ。ゴロゴロ転がるわけにもいかないしコルセットはきついし嫌になる。
ソロは全員クラシックと定められているから、私はベルガマスク組曲から「月の光」をチョイスした。理由はシンプル、「好きだから」である。寝る時には常に聴いているくらいだ。
そうしてお客様がほどよく落ち着いたところで休憩、ここで私たちも昼食を摂る。
ドレスが汚れないようにと私の母が持たせてくれた一口サイズのサンドイッチをサクッと食べ、りんごジュースのパックをどれだけ速く飲み切るかの競争をする。肺活量の神である黒川さんが圧勝だった。
後半のペア演奏は二曲、ジャンル関係なく選んでいいということになっている。
それでもやはりクラシックが多く占める中で、私たちはポップスを選択した。お客様にとって「知ってる曲か否か」は、結構大事なことなのだ。
二曲とも、オーエンの前で弾いたことがある。
赤いドレスを着た黒川さんの、小さな背中を見た。あの体の全ては楽器で、今ここにいる全ての人に、音と癒しと、少しの物悲しさを届けるためにある。
私だってそうだ。父にも母にも、私にとっての世界は全て、私のこの手のみを愛してきた。
全てを慈しんでくれたあの魔法使いは、もういない。でも、それでも私は、ここで生きなくてはいけない。この人たちに、音楽を手渡すために。
ピカピカの鍵盤が、私の指を映して沈む。今の私を見たら、あのひとはなんて言うだろう。
白地に黒いストライプの入ったドレスを着て、体のあちこちにその面影を残して、ただひとつ欠けた大切なものを未だに見つめる私に、あのひとはなんて声をかけるだろう。
いなくなってしまった。忘れられてしまった。
あれからもう、四ヶ月が過ぎる。
私は舞台の上で、そんなことを考えていた。
「良かったね〜!」
写真をたくさん撮った。お花もたくさん頂いた。なんと数通、ファンレターのようなものまで届いていた。
過去一の反響だ。父は「花瓶が足りない」と慌てて雑貨屋に走っていったし、母は「素晴らしい出来だった」と泣いた。先生方は「毎日聴くたびに表現力も技術も上がっている。きっと将来は世界に名を轟かせることになる」と褒めてくださった。
今私は打ち上げ会場のイタリアンレストランにいる。正式なフルコースを食べるのは久しぶりだ。
目の前には黒川さん、右隣には先生方がいる。
「美味しい……」
「ね、美味しい」
ナイフとフォークの扱いは元々得意な方だったけど、あちらの世界でさらに鍛えられた。全ての食事で使っていたからだ。
「本当に私達よくがんばったよね」
「ほんとそれ。めっちゃ頑張った」
帰ってきてからもうすぐ半年。その殆どの時間を練習に注ぎ込み、必死になって鍵盤を沈め、ペダルを踏んだ。日々ぐんぐんと力を伸ばす黒川さんに引けを取らないように、聴いた人に何かを残すために。
結果は上々。スタンディングオベーションを見た時は思わず力が抜けそうになって、隣に立っていた黒川さんに支えてもらった。嬉しかったのだ。
頑張って良かったと思えた。私にはまだまだ伸び代があることも、もっと頑張らなきゃいけないこともわかった。この上なく有意義で、素晴らしい時間だった。
でも、あのひとがいない。
それだけが悲しくて、気がかりで、心残りだった。この先どんなに弾いても思っても、もうなんの意味もないことも、わかっているから。
「あ、そろそろデザートくるって」
黒川さんがふわりと声の温度を上げる。広い会場を丸々響かせるような音を出すのに、日頃の彼女はとても可愛らしい、優しい声色で話す。
「デザートなにかな」
「あ、これに書いてあるよ。……なにこれ?」
「わかんない。私も初めて見たわこれ」
カチャカチャと食器の鳴る音が、疲れた体と消えない穴が空いた心を通過した。
「行方不明だった天才ピアニストが出演する」ということで、まずチケットの入手難易度が跳ね上がっていたらしい。広い講堂は満席、立ち見席まで設けられていた。
その話題性から大トリに配置された私たちではあったが、「まあそういうこともあるわな」という態度を最後まで貫いた。ここで揺らぐと「あら、やっぱり高一に大トリは早すぎるんじゃない?」と本来ラストを飾ると思われていた高三ペアにチクチク刺されるのだ。あの二人はめちゃくちゃ気が強いから困る。
プログラムは、前半は十二人のソロ、後半はペアでの演奏という編成になっている。
私のソロは前半のラスト、黒川さんはトップバッター。「今回の目玉はこの二人でございます」というのが非常にわかりやすい。他の出演者からの視線が痛い。
揃って出番と出番の間がかなり長く、正直言って時間を持て余していた。他の人の演奏はリハーサルで何度も聴いたし、お互いの練習はもうとっくに済ませている。黒川さんにとっては乾燥、私にとっては手の冷えが大敵となるばかりだ。
「乾燥やばいね」「待ちが長いね」と、私たちは控え室としてあてがわれた講堂近くの茶道室でひたすら折り紙を折りながら話した。黒川さんは何故か常に折り紙を持ち歩いているのだ。
「ほら見て変な鶴」
「脚生えててウケる」
「これを繋げて動かすと面白いよ」
「笑いすぎて化粧崩れそう」
既にお互い髪もドレスもメイクも完璧だ。ゴロゴロ転がるわけにもいかないしコルセットはきついし嫌になる。
ソロは全員クラシックと定められているから、私はベルガマスク組曲から「月の光」をチョイスした。理由はシンプル、「好きだから」である。寝る時には常に聴いているくらいだ。
そうしてお客様がほどよく落ち着いたところで休憩、ここで私たちも昼食を摂る。
ドレスが汚れないようにと私の母が持たせてくれた一口サイズのサンドイッチをサクッと食べ、りんごジュースのパックをどれだけ速く飲み切るかの競争をする。肺活量の神である黒川さんが圧勝だった。
後半のペア演奏は二曲、ジャンル関係なく選んでいいということになっている。
それでもやはりクラシックが多く占める中で、私たちはポップスを選択した。お客様にとって「知ってる曲か否か」は、結構大事なことなのだ。
二曲とも、オーエンの前で弾いたことがある。
赤いドレスを着た黒川さんの、小さな背中を見た。あの体の全ては楽器で、今ここにいる全ての人に、音と癒しと、少しの物悲しさを届けるためにある。
私だってそうだ。父にも母にも、私にとっての世界は全て、私のこの手のみを愛してきた。
全てを慈しんでくれたあの魔法使いは、もういない。でも、それでも私は、ここで生きなくてはいけない。この人たちに、音楽を手渡すために。
ピカピカの鍵盤が、私の指を映して沈む。今の私を見たら、あのひとはなんて言うだろう。
白地に黒いストライプの入ったドレスを着て、体のあちこちにその面影を残して、ただひとつ欠けた大切なものを未だに見つめる私に、あのひとはなんて声をかけるだろう。
いなくなってしまった。忘れられてしまった。
あれからもう、四ヶ月が過ぎる。
私は舞台の上で、そんなことを考えていた。
「良かったね〜!」
写真をたくさん撮った。お花もたくさん頂いた。なんと数通、ファンレターのようなものまで届いていた。
過去一の反響だ。父は「花瓶が足りない」と慌てて雑貨屋に走っていったし、母は「素晴らしい出来だった」と泣いた。先生方は「毎日聴くたびに表現力も技術も上がっている。きっと将来は世界に名を轟かせることになる」と褒めてくださった。
今私は打ち上げ会場のイタリアンレストランにいる。正式なフルコースを食べるのは久しぶりだ。
目の前には黒川さん、右隣には先生方がいる。
「美味しい……」
「ね、美味しい」
ナイフとフォークの扱いは元々得意な方だったけど、あちらの世界でさらに鍛えられた。全ての食事で使っていたからだ。
「本当に私達よくがんばったよね」
「ほんとそれ。めっちゃ頑張った」
帰ってきてからもうすぐ半年。その殆どの時間を練習に注ぎ込み、必死になって鍵盤を沈め、ペダルを踏んだ。日々ぐんぐんと力を伸ばす黒川さんに引けを取らないように、聴いた人に何かを残すために。
結果は上々。スタンディングオベーションを見た時は思わず力が抜けそうになって、隣に立っていた黒川さんに支えてもらった。嬉しかったのだ。
頑張って良かったと思えた。私にはまだまだ伸び代があることも、もっと頑張らなきゃいけないこともわかった。この上なく有意義で、素晴らしい時間だった。
でも、あのひとがいない。
それだけが悲しくて、気がかりで、心残りだった。この先どんなに弾いても思っても、もうなんの意味もないことも、わかっているから。
「あ、そろそろデザートくるって」
黒川さんがふわりと声の温度を上げる。広い会場を丸々響かせるような音を出すのに、日頃の彼女はとても可愛らしい、優しい声色で話す。
「デザートなにかな」
「あ、これに書いてあるよ。……なにこれ?」
「わかんない。私も初めて見たわこれ」
カチャカチャと食器の鳴る音が、疲れた体と消えない穴が空いた心を通過した。