第二部
夢小説設定
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練習は順調だ。
黒川さんのパワーに押されないように弾くうちに、オーエンのこともピアノと向かい合う時は段々と薄れるようになった。
「やっぱり真木さんのピアノはいいなあ〜」
放課後のレッスン終わり。
すっかり暗くなった外を見ながら、彼女は笑った。
「真木さんのピアノは喋るんだよね」
「喋る?」
「うん。月とか空とか動物とか、そういう存在と話してるように感じる」
転入生ながら、その才覚と努力でここまでのし上がってきた黒川さん。彼女は柔らかな黒髪を耳にかけ、その小さな手で私の手を握った。だいぶ大きさに差があるな。
「その人、自然が好きだったりした?」
彼女はよく、オーエンのことを訊ねてくる。
単純な興味か、表現者としての好奇心か。そのどちらでも、私は構わなかった。彼女の聞き方はとても柔らかで、「多分この子には話してもいいんだろうな」と思わせるなにかがある。
「好きというか、動物にすごく好かれる人だった。自然も、あの人の語彙にはよく出てきたよ。嫌いではなかったんだと思う」
「うん」
精霊の力を借りて魔法を使うのが魔法使い。彼だって故郷の北の国の厳しく美しい世界を、きっと愛していただろう。本人がそれを自覚していなくても。
「でも、それと同じくらい人間の闇が好きな人だったよ。ずっと晒されてきたから、馴染み深いのかもね」
私の負の感情を、力に変えていたオーエン。もう、キスの仕方は忘れてしまった。
「大人だね」
「うん。私より、うんと年上」
約千二百歳。彼と対峙するには、年齢以外の何かが必要だった。
そして、彼は私の中にあった音楽を選んだ。傷だらけの心をそのまま晒して弾いた響きを、オーエンは「嫌いじゃない」と言ったのだ。あの、綺麗な綺麗な顔で。
「年上かあ〜……」
黒川さんは両手を合わせて胸元に当てた。彼女は一つ一つの仕草が可愛らしい。
「やっぱり余裕があったりする?こっちがすごく焦るとか」
私は一緒にいる時のオーエンを思い出した。
確かに彼の態度はいつも落ち着いていた。「は?」「殺すよ」とは何度も言うけれど、そのトーンは静かで、私を怖がらせるためのものではない。あれは癖みたいなものだ。
私だって、焦りがあったと言われると違う。彼には年不相応な部分があったし、私に泣き縋ったことすらある。
そういえば、私はオーエンの前で泣いたことがなかった。いつだってそういう時は独りで、後から彼がそれを見つけて。それがくるしいと泣いたのは、私の何倍も年上の、素直じゃない魔法使いの方だった。
「……あんまり、そういうのはなかったかな。確かに経験値とか、スペックとかは圧倒的にあっちの方が上で、そういうのは何度も痛感したけど」
それでも、オーエンは私から遠く離れることはなかった。
根底にある物悲しさを構成する材料のうちの何かが通じていたのだろう。そして、揃って心の何割かを壊してしまっていた。
私たちは、その部分を繕う方法は知らなかった。破壊は破壊、残留物は残留物として、あるがままにさせることしかわからなかった。慈しめばいいのか憎めばいいのか、それすらもわからずに。
千二百年と十六年。彷徨った年月は違えど、大切なことがわからないこどものままなのは同じだ。
私は今もわからない。どうすることが正解なのか、どの選択肢を選べば彼は私を忘れないと胸を張れるのか。私は彼のいない世界で、どう生きていけばいいのか。
オーエンは、果たして何かを掴めたのだろうか。
「そっっっかぁ……」
黒川さんはため息をついた。途方もない何かを見た時の、畏怖の音に聞こえる。
「すごいなあ……」
「そんなすごくないよ」
「すごいよ」
少し高めの声が凛と響いた。
「そういう経験をしっかり咀嚼して、人生に昇華できるのはすごいことだよ」
「……そうかな」
「うん」
「ありがとう」
「ふふ」
彼女は笑う。その顔はどこかあの心優しい仕立て屋さんに似ていた。
黒川さんのパワーに押されないように弾くうちに、オーエンのこともピアノと向かい合う時は段々と薄れるようになった。
「やっぱり真木さんのピアノはいいなあ〜」
放課後のレッスン終わり。
すっかり暗くなった外を見ながら、彼女は笑った。
「真木さんのピアノは喋るんだよね」
「喋る?」
「うん。月とか空とか動物とか、そういう存在と話してるように感じる」
転入生ながら、その才覚と努力でここまでのし上がってきた黒川さん。彼女は柔らかな黒髪を耳にかけ、その小さな手で私の手を握った。だいぶ大きさに差があるな。
「その人、自然が好きだったりした?」
彼女はよく、オーエンのことを訊ねてくる。
単純な興味か、表現者としての好奇心か。そのどちらでも、私は構わなかった。彼女の聞き方はとても柔らかで、「多分この子には話してもいいんだろうな」と思わせるなにかがある。
「好きというか、動物にすごく好かれる人だった。自然も、あの人の語彙にはよく出てきたよ。嫌いではなかったんだと思う」
「うん」
精霊の力を借りて魔法を使うのが魔法使い。彼だって故郷の北の国の厳しく美しい世界を、きっと愛していただろう。本人がそれを自覚していなくても。
「でも、それと同じくらい人間の闇が好きな人だったよ。ずっと晒されてきたから、馴染み深いのかもね」
私の負の感情を、力に変えていたオーエン。もう、キスの仕方は忘れてしまった。
「大人だね」
「うん。私より、うんと年上」
約千二百歳。彼と対峙するには、年齢以外の何かが必要だった。
そして、彼は私の中にあった音楽を選んだ。傷だらけの心をそのまま晒して弾いた響きを、オーエンは「嫌いじゃない」と言ったのだ。あの、綺麗な綺麗な顔で。
「年上かあ〜……」
黒川さんは両手を合わせて胸元に当てた。彼女は一つ一つの仕草が可愛らしい。
「やっぱり余裕があったりする?こっちがすごく焦るとか」
私は一緒にいる時のオーエンを思い出した。
確かに彼の態度はいつも落ち着いていた。「は?」「殺すよ」とは何度も言うけれど、そのトーンは静かで、私を怖がらせるためのものではない。あれは癖みたいなものだ。
私だって、焦りがあったと言われると違う。彼には年不相応な部分があったし、私に泣き縋ったことすらある。
そういえば、私はオーエンの前で泣いたことがなかった。いつだってそういう時は独りで、後から彼がそれを見つけて。それがくるしいと泣いたのは、私の何倍も年上の、素直じゃない魔法使いの方だった。
「……あんまり、そういうのはなかったかな。確かに経験値とか、スペックとかは圧倒的にあっちの方が上で、そういうのは何度も痛感したけど」
それでも、オーエンは私から遠く離れることはなかった。
根底にある物悲しさを構成する材料のうちの何かが通じていたのだろう。そして、揃って心の何割かを壊してしまっていた。
私たちは、その部分を繕う方法は知らなかった。破壊は破壊、残留物は残留物として、あるがままにさせることしかわからなかった。慈しめばいいのか憎めばいいのか、それすらもわからずに。
千二百年と十六年。彷徨った年月は違えど、大切なことがわからないこどものままなのは同じだ。
私は今もわからない。どうすることが正解なのか、どの選択肢を選べば彼は私を忘れないと胸を張れるのか。私は彼のいない世界で、どう生きていけばいいのか。
オーエンは、果たして何かを掴めたのだろうか。
「そっっっかぁ……」
黒川さんはため息をついた。途方もない何かを見た時の、畏怖の音に聞こえる。
「すごいなあ……」
「そんなすごくないよ」
「すごいよ」
少し高めの声が凛と響いた。
「そういう経験をしっかり咀嚼して、人生に昇華できるのはすごいことだよ」
「……そうかな」
「うん」
「ありがとう」
「ふふ」
彼女は笑う。その顔はどこかあの心優しい仕立て屋さんに似ていた。