第二部
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
コンサートに向けての練習が始まった。
今回の選抜はピアノ科、声楽科、その他合わせて十二人。例年よりやや少ない人数の選抜となった。最低年齢は高一、中学生は今回はいない。
この十二人が現段階での我が校の精鋭だ。その自覚もあってか、ミーティングも練習も非常にピリピリしている。
「真木さん、今のとこもう一回お願い」
「わかった」
そんな中で、黒川さんは常にほわほわとしていた。
珍しいくらいだ。実力は申し分ないから影で血の滲むような努力を積んでいることは明らかなのに、その苦痛を欠片も見せやしない。
それでも声楽科の誰よりも上手い。私のピアノもバランスが取れるようにはしているけど、それでも押されがちかなと思うほどだ。
「真木さんのピアノ、歌いやすい」
「そう?」
「うん。誰かに聴かせることが前提の演奏って感じ。聴いてて気持ちいい」
彼女はよく私の演奏をそう評価する。向かいや隣に誰かがいる、と。
私はそういう時にオーエンを思い出すのだ。隣で私の音をいつも聴いていた、あの白皙の魔法使いを。
彼に聴かせるのも一緒に弾くのも、いつだってずっと楽しかった。「おまえのピアノは嫌いじゃない」なんて言って、よく目を瞑っていたっけ。
そして私はそれを、とても嬉しく思ったんだっけ。
もう同じ空を見ることすら叶わないとは思えないくらい、頭の中にその存在が残っている。
私はこれから、あの人がいない世界で生きなくちゃいけないのに。
もう声も忘れてしまった。体のあちこちに残る残骸だけが、私の上を渡ったあの日々を裏付けている。
「ねえ、真木さんって好きな人いる?」
「え?」
菫色が私をじっと見ていた。
彼女は一流の表現者だ。そしてそういう人はいつも、他人をよく観察している。
「昼間の月、好きなの?」
「……うん」
あの人を思い出せるなら、何でも良かった。目眩がするほど甘いスイーツでも、不規則に転がったチェスの駒でも。
「それは、そのピアスと首元の絆創膏とも関係ある?」
「……うん、あるよ」
体に残された痕は、親が毎朝泣きそうになりながら大判の絆創膏を貼って隠している。ピアスはやっぱりどこの製作所のものかすら特定できず、それでも証拠だからと継続して着けることを警察から義務づけられた。とることもできないから。
「……素敵な人だった?」
「…………とても」
「そっか」
素敵な人。意地悪で優しくて天邪鬼で素直で、可愛い人。
でも私、もうあの人には会えない。
「ずっと一緒にいたの」
この世界では空白になっている一年間、私の傍には常にオーエンがいた。空白の白は、あの人の色だ。
それなのに、最後の瞬間だけが離れ離れになってしまった。この耳が最後に聞き取ったのは、最強の魔法使いの呪文。
でもそれを決断したのは私だ。仕方の無いことだとわかっていた。あの世界を終わらせないために、大好きな人を生かすために、必要だったことだと。
それでもずっと胸の奥の柔らかい部分が泣いていた。会いたい、せめて最後に声が聞きたい、許されるなら、少しだけ強く抱き締めて。
でも、渡る世界はあまりにも遠かった。私にとっての「厄災」は、その呪われた距離そのものだ。
「……真木さん」
「うん」
「その人は、月の裏側にいる?」
菫は全てを見通すように、ただ澄んでいる。
「いるのかもしれない。少なくとも、私のいる場所にはいないことは確か」
「そっか。ありがとう、教えてくれて」
緩やかな黒髪が揺れた。制服のポケットからそっと何かを出して、私に差し出す。
「これは?」
「練り香水。嗅ぐとちょっと気分が安定するの。手首に塗るといいよ」
言われた通りに、白いそれを繰り出して手首に塗布する。優しい、なにかの香り。
「いつか、会えるといいね」
「うん。ありがとう。ごめんね、練習中に」
「いいよいいよ。そこまで切羽詰まってるわけでもないし」
黒川さんに練り香水を返し、私は目の前の鍵盤に照準を定めた。
指を置き、一つだけ音を出す。
澄んだ、少し低い音。ねえオーエン、あなた、確かこんな音でしたよね。
「よし、練習再開」
「うん!」
私は楽譜をちらりと見て、黒川さんが息を吸うのと同時に指先に力を込めた。
今回の選抜はピアノ科、声楽科、その他合わせて十二人。例年よりやや少ない人数の選抜となった。最低年齢は高一、中学生は今回はいない。
この十二人が現段階での我が校の精鋭だ。その自覚もあってか、ミーティングも練習も非常にピリピリしている。
「真木さん、今のとこもう一回お願い」
「わかった」
そんな中で、黒川さんは常にほわほわとしていた。
珍しいくらいだ。実力は申し分ないから影で血の滲むような努力を積んでいることは明らかなのに、その苦痛を欠片も見せやしない。
それでも声楽科の誰よりも上手い。私のピアノもバランスが取れるようにはしているけど、それでも押されがちかなと思うほどだ。
「真木さんのピアノ、歌いやすい」
「そう?」
「うん。誰かに聴かせることが前提の演奏って感じ。聴いてて気持ちいい」
彼女はよく私の演奏をそう評価する。向かいや隣に誰かがいる、と。
私はそういう時にオーエンを思い出すのだ。隣で私の音をいつも聴いていた、あの白皙の魔法使いを。
彼に聴かせるのも一緒に弾くのも、いつだってずっと楽しかった。「おまえのピアノは嫌いじゃない」なんて言って、よく目を瞑っていたっけ。
そして私はそれを、とても嬉しく思ったんだっけ。
もう同じ空を見ることすら叶わないとは思えないくらい、頭の中にその存在が残っている。
私はこれから、あの人がいない世界で生きなくちゃいけないのに。
もう声も忘れてしまった。体のあちこちに残る残骸だけが、私の上を渡ったあの日々を裏付けている。
「ねえ、真木さんって好きな人いる?」
「え?」
菫色が私をじっと見ていた。
彼女は一流の表現者だ。そしてそういう人はいつも、他人をよく観察している。
「昼間の月、好きなの?」
「……うん」
あの人を思い出せるなら、何でも良かった。目眩がするほど甘いスイーツでも、不規則に転がったチェスの駒でも。
「それは、そのピアスと首元の絆創膏とも関係ある?」
「……うん、あるよ」
体に残された痕は、親が毎朝泣きそうになりながら大判の絆創膏を貼って隠している。ピアスはやっぱりどこの製作所のものかすら特定できず、それでも証拠だからと継続して着けることを警察から義務づけられた。とることもできないから。
「……素敵な人だった?」
「…………とても」
「そっか」
素敵な人。意地悪で優しくて天邪鬼で素直で、可愛い人。
でも私、もうあの人には会えない。
「ずっと一緒にいたの」
この世界では空白になっている一年間、私の傍には常にオーエンがいた。空白の白は、あの人の色だ。
それなのに、最後の瞬間だけが離れ離れになってしまった。この耳が最後に聞き取ったのは、最強の魔法使いの呪文。
でもそれを決断したのは私だ。仕方の無いことだとわかっていた。あの世界を終わらせないために、大好きな人を生かすために、必要だったことだと。
それでもずっと胸の奥の柔らかい部分が泣いていた。会いたい、せめて最後に声が聞きたい、許されるなら、少しだけ強く抱き締めて。
でも、渡る世界はあまりにも遠かった。私にとっての「厄災」は、その呪われた距離そのものだ。
「……真木さん」
「うん」
「その人は、月の裏側にいる?」
菫は全てを見通すように、ただ澄んでいる。
「いるのかもしれない。少なくとも、私のいる場所にはいないことは確か」
「そっか。ありがとう、教えてくれて」
緩やかな黒髪が揺れた。制服のポケットからそっと何かを出して、私に差し出す。
「これは?」
「練り香水。嗅ぐとちょっと気分が安定するの。手首に塗るといいよ」
言われた通りに、白いそれを繰り出して手首に塗布する。優しい、なにかの香り。
「いつか、会えるといいね」
「うん。ありがとう。ごめんね、練習中に」
「いいよいいよ。そこまで切羽詰まってるわけでもないし」
黒川さんに練り香水を返し、私は目の前の鍵盤に照準を定めた。
指を置き、一つだけ音を出す。
澄んだ、少し低い音。ねえオーエン、あなた、確かこんな音でしたよね。
「よし、練習再開」
「うん!」
私は楽譜をちらりと見て、黒川さんが息を吸うのと同時に指先に力を込めた。