第一部
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一時間ほど後、オーエンはゆっくりと目を覚ました。
「まだいたの」
「いました」
そろそろ夜明けだろうか。空が白んできている。ネロやカインなんかの早起き組ははきっともう起き出して、朝食の支度や鍛錬を始めるだろう。
「ねえ賢者様、こんな血みどろの男と一夜を過ごしたの?」
「はい」
「どんな気分?」
「最高ですよ」
「嘘つき」
彼は鼻で笑った。親指で白い頬から血を拭い、不快そうに手袋を外す。
「おまえ、ずっとそれを弾いてたの?」
「そうですよ」
私はカリンバを軽く振った。
オーエンは魔法を使って自身や周りを綺麗にすると、私の手にそっと触れる。
「冷たいね」
「オーエンも冷たいですよ」
「死んでたからね」
ふふ、と彼は笑った。どこか無邪気な微笑みだ。
「ねえ賢者様、次僕が死ぬ時にもそれを弾いてよ」
「いいですよ。気に入りました?」
「うん。音は、死んでからも少しだけ聴こえるんだ」
「そうなんですか」
「そうだよ」
彼は私の唇をなぞる。きっと、血がこびりついているだろう。
「今度、僕の血の色の口紅をあげる。きっとおまえにはよく似合うよ。変で嫌な色だからね」
「ありがとうございます」
今日のオーエンはなかなか熱烈だ。どうしたのかな。死に際を見られたからだろうか。
「ねえ賢者様、夜が明けるよ」
「はい」
花開くように薄くなる空を見る。鳥が高く澄んだ声で鳴き、音を立てて東へと飛び立った。
「賢者様にとっては、あの色が絶望なの?」
「……はい」
「……僕も、あんまり好きじゃない」
彼は俯いた。
さらりとした銀の髪が、まるで全てを拒絶するかのように仄かな夜の光を反射する。
「朝がくるね」
「はい」
「嫌だね」
「はい」
「ねえ、賢者様」
このままどこかへ逃げちゃおうか。
耳元で優しい声が震える。
革手袋に包まれていない掌が、静かに私の手を掴んでいた。
聞こえない心臓の音は、彼が死以外の全てから逃れられない証でもある。
「逃げたら、どこに行きますか」
「北がの国へ行こう。誰もこない最北端で、二人だけで、そしたら」
そこまで言って、オーエンは口を噤んだ。彼が生まれ持つ瞳が、ゆらりと悲しげに揺れる。
「……馬鹿みたい。僕ら、どうせどこにもいけないのにね」
「……はい」
「今日も、おまえはあの部屋にくる?」
あの部屋というのは、ピアノが置いてある部屋のことだ。私たちが唯一孤独を舐められる、甘やかで伸びやかで苦しいあの場所。
「行きますよ」
「……なら、いいや」
彼は微笑んだ。まるで世界の終わりのように、密やかに。
朝日が昇る。
逃げるように私の腰に手を回したオーエンを、拒むことは出来なかった。
魔法舎に戻って「今日は寝るので朝ごはんいらないです」とネロに告げた時、彼は「ああ」と苦笑していた。
「なあ賢者さん」
「はい?」
「オーエンと何かあったか?」
「いえ、何も。どうしてですか?」
「めちゃくちゃオーエンの匂いがするんだ」
「多分死に際に立ち会ったからじゃないですか?復活するまでそばにいたし」
「ずっとか?外にいたのか?」
「はい」
ネロは慌てて朝食の準備を止め、マグカップに大急ぎでココアを入れて渡してくれる。「寒かっただろ?」と笑いながら。
「賢者さんのその誰にでも寄り添うの、本当に凄いよな……」
「いえ」
「でも無理はすんなよ。賢者さんは人間だからな」
「お気遣いありがとうございます」
「お気遣いって……」
「ネロは優しいですね」
「優しくねえよ、別に」
ココアを有難く頂いて部屋に戻り、大急ぎでシャワーだけ浴びに行った。そしてベッドに滑り込んだ頃には、外から賑やかな声がする。
起きた時間はちょうどお昼時だった。
「賢者様、ヒースクリフです。お目覚めになりましたか?」
「起きましたよ。少し待ってくださいね」
髪の毛がまた伸びてきて、癖でうねるようになってしまった。
おざなりに結んで慌ただしく扉を開ける。眩いほどの美形の登場に思わず死にたくなる。
「お昼ご飯が出来ましたよ。行きましょう」
「はい」
ヒースは微笑んだ。魔法舎屈指の美青年は、私の歩幅に合わせて歩き出す。
ネロ作の美味しいフレンチトーストを速やかに食べ、着替えてから私は例の部屋へ向かった。
「遅かったねえ」
「すみません」
食事中に思いついた、ちょっと不思議で楽しいこと。今日は、彼にそれを見せたいのだ。
「オーエン、こっちに座ってくれませんか?」
横に広い椅子の左側により、彼を呼ぶ。
「僕は弾けないよ」
「大丈夫です。魔法の伴奏があります」
「おまえ、人間でしょ」
「ふふふ」
首を傾げながら大人しく私の隣に座ったオーエンの手を取り、革手袋を外す。私より一回り大きなこの手なら、きっとやれるはずだ。
「今から私が伴奏するので、適当に黒鍵だけ引いてください」
「黒鍵?」
「黒い鍵盤です。ほら、これ」
ファのシャープを押す。頷いた彼がなんだかとても可愛くて、少しだけ笑った。
「この黒いとこだけ押せばいいんだよね?」
「そうですよ。じゃあいきますね」
さん、に、いち。
息をすっと吸って、昔覚えたコードを弾いていく。
ペンタトニックスケール。
理論的にはとても簡単な、人間にも使える優しい魔法だ。
隣の彼が使うそれと比べればあまりにも規模は小さいけど、それでも楽しんでくれればいい。
「合う……なんで」
オーエンはその細い指で黒鍵を押していく。規則性はない。完全にランダムだ。
「賢者様、本当に魔法が使えるの?」
「さあ、どうでしょう」
いつもの通り、ピアノの上には小箱が載っている。あの箱に私以外の音が入るのは、きっと初めてのことだろう。
ねえ、オーエン。
私たち、確かに独りぼっちです。
でも、独りぼっち同士が少しでも交われば、孤独じゃないと思うんです。だから、あんなに寂しそうな顔、できればあんまりしないでください。朝日から逃げたら、曇りの午後におやつを食べましょう。
ねえ、オーエン。
私たち、いつか別れてしまうけど。
でも、こうして音に守られていれば、きっとどこかに残ると思うんです。
だから、どうか今だけはできるだけ楽しんでください。
こうして二人で響かせて、優しい夜を待ちましょう。
「まだいたの」
「いました」
そろそろ夜明けだろうか。空が白んできている。ネロやカインなんかの早起き組ははきっともう起き出して、朝食の支度や鍛錬を始めるだろう。
「ねえ賢者様、こんな血みどろの男と一夜を過ごしたの?」
「はい」
「どんな気分?」
「最高ですよ」
「嘘つき」
彼は鼻で笑った。親指で白い頬から血を拭い、不快そうに手袋を外す。
「おまえ、ずっとそれを弾いてたの?」
「そうですよ」
私はカリンバを軽く振った。
オーエンは魔法を使って自身や周りを綺麗にすると、私の手にそっと触れる。
「冷たいね」
「オーエンも冷たいですよ」
「死んでたからね」
ふふ、と彼は笑った。どこか無邪気な微笑みだ。
「ねえ賢者様、次僕が死ぬ時にもそれを弾いてよ」
「いいですよ。気に入りました?」
「うん。音は、死んでからも少しだけ聴こえるんだ」
「そうなんですか」
「そうだよ」
彼は私の唇をなぞる。きっと、血がこびりついているだろう。
「今度、僕の血の色の口紅をあげる。きっとおまえにはよく似合うよ。変で嫌な色だからね」
「ありがとうございます」
今日のオーエンはなかなか熱烈だ。どうしたのかな。死に際を見られたからだろうか。
「ねえ賢者様、夜が明けるよ」
「はい」
花開くように薄くなる空を見る。鳥が高く澄んだ声で鳴き、音を立てて東へと飛び立った。
「賢者様にとっては、あの色が絶望なの?」
「……はい」
「……僕も、あんまり好きじゃない」
彼は俯いた。
さらりとした銀の髪が、まるで全てを拒絶するかのように仄かな夜の光を反射する。
「朝がくるね」
「はい」
「嫌だね」
「はい」
「ねえ、賢者様」
このままどこかへ逃げちゃおうか。
耳元で優しい声が震える。
革手袋に包まれていない掌が、静かに私の手を掴んでいた。
聞こえない心臓の音は、彼が死以外の全てから逃れられない証でもある。
「逃げたら、どこに行きますか」
「北がの国へ行こう。誰もこない最北端で、二人だけで、そしたら」
そこまで言って、オーエンは口を噤んだ。彼が生まれ持つ瞳が、ゆらりと悲しげに揺れる。
「……馬鹿みたい。僕ら、どうせどこにもいけないのにね」
「……はい」
「今日も、おまえはあの部屋にくる?」
あの部屋というのは、ピアノが置いてある部屋のことだ。私たちが唯一孤独を舐められる、甘やかで伸びやかで苦しいあの場所。
「行きますよ」
「……なら、いいや」
彼は微笑んだ。まるで世界の終わりのように、密やかに。
朝日が昇る。
逃げるように私の腰に手を回したオーエンを、拒むことは出来なかった。
魔法舎に戻って「今日は寝るので朝ごはんいらないです」とネロに告げた時、彼は「ああ」と苦笑していた。
「なあ賢者さん」
「はい?」
「オーエンと何かあったか?」
「いえ、何も。どうしてですか?」
「めちゃくちゃオーエンの匂いがするんだ」
「多分死に際に立ち会ったからじゃないですか?復活するまでそばにいたし」
「ずっとか?外にいたのか?」
「はい」
ネロは慌てて朝食の準備を止め、マグカップに大急ぎでココアを入れて渡してくれる。「寒かっただろ?」と笑いながら。
「賢者さんのその誰にでも寄り添うの、本当に凄いよな……」
「いえ」
「でも無理はすんなよ。賢者さんは人間だからな」
「お気遣いありがとうございます」
「お気遣いって……」
「ネロは優しいですね」
「優しくねえよ、別に」
ココアを有難く頂いて部屋に戻り、大急ぎでシャワーだけ浴びに行った。そしてベッドに滑り込んだ頃には、外から賑やかな声がする。
起きた時間はちょうどお昼時だった。
「賢者様、ヒースクリフです。お目覚めになりましたか?」
「起きましたよ。少し待ってくださいね」
髪の毛がまた伸びてきて、癖でうねるようになってしまった。
おざなりに結んで慌ただしく扉を開ける。眩いほどの美形の登場に思わず死にたくなる。
「お昼ご飯が出来ましたよ。行きましょう」
「はい」
ヒースは微笑んだ。魔法舎屈指の美青年は、私の歩幅に合わせて歩き出す。
ネロ作の美味しいフレンチトーストを速やかに食べ、着替えてから私は例の部屋へ向かった。
「遅かったねえ」
「すみません」
食事中に思いついた、ちょっと不思議で楽しいこと。今日は、彼にそれを見せたいのだ。
「オーエン、こっちに座ってくれませんか?」
横に広い椅子の左側により、彼を呼ぶ。
「僕は弾けないよ」
「大丈夫です。魔法の伴奏があります」
「おまえ、人間でしょ」
「ふふふ」
首を傾げながら大人しく私の隣に座ったオーエンの手を取り、革手袋を外す。私より一回り大きなこの手なら、きっとやれるはずだ。
「今から私が伴奏するので、適当に黒鍵だけ引いてください」
「黒鍵?」
「黒い鍵盤です。ほら、これ」
ファのシャープを押す。頷いた彼がなんだかとても可愛くて、少しだけ笑った。
「この黒いとこだけ押せばいいんだよね?」
「そうですよ。じゃあいきますね」
さん、に、いち。
息をすっと吸って、昔覚えたコードを弾いていく。
ペンタトニックスケール。
理論的にはとても簡単な、人間にも使える優しい魔法だ。
隣の彼が使うそれと比べればあまりにも規模は小さいけど、それでも楽しんでくれればいい。
「合う……なんで」
オーエンはその細い指で黒鍵を押していく。規則性はない。完全にランダムだ。
「賢者様、本当に魔法が使えるの?」
「さあ、どうでしょう」
いつもの通り、ピアノの上には小箱が載っている。あの箱に私以外の音が入るのは、きっと初めてのことだろう。
ねえ、オーエン。
私たち、確かに独りぼっちです。
でも、独りぼっち同士が少しでも交われば、孤独じゃないと思うんです。だから、あんなに寂しそうな顔、できればあんまりしないでください。朝日から逃げたら、曇りの午後におやつを食べましょう。
ねえ、オーエン。
私たち、いつか別れてしまうけど。
でも、こうして音に守られていれば、きっとどこかに残ると思うんです。
だから、どうか今だけはできるだけ楽しんでください。
こうして二人で響かせて、優しい夜を待ちましょう。