第一部
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この世界に来てから、私は日記をつけている。ら
賢者の書とはまた違う、極めてプライベートな事項をまとめたものである。ノートはルチルに付き添ってもらって行った文房具屋で購入した、真っ白なハードカバーを使っている。
書く内容はその日食べたものだとか教わったことだとか、本当に取り留めもないような事柄ばかりだ。例えば今日ならこんな感じ。
『7時に起床。ヒースとパンケーキを頂いたあと、9時からルチルに文字を教わる。12時に昼食のガレットを食べ、少し休憩。14時から16時までオーエンのところでピアノを弾き、おやつもそのまま一緒に食べる。19時に夕食のポトフを食べ、20時に風呂。
今日は基礎的な単語を復習した。ルチルは褒めてくれているがまだまだ記憶には定着しきれていない。
ヒースはシノと昨夜喧嘩をしてしまったとのことなので、話しかける時には話題を選ぶこと。すぐ仲直りしてくれるといいが。
オーエンは本当に高難易度の楽曲を好むため、弾く前にはよく指を動かして慣らしておくこと。一緒に食べたトレスレチェスは彼的には甘さがいまいちだったようだが、私としてはとても甘い。魔法使いに糖尿病は無いのだろうか。』
本当にこんな感じ。しょーもない!
なんで日記なのにこんなガッチガチの文体なんだろう?もっとナチュラルでいいはずなのに。
しかも、やたらとオーエンの登場率が高い。泊まりがけの任務がない時以外毎日会ってればそりゃそうなるしても、驚くくらいめちゃくちゃ出てくる。
見返すと、どんだけ仲良いんだよ……と突っ込みたくなってしまう程に毎日オーエン尽くしだ。
よくここまで会ってて殺されないな。いや、あの人は私が死にたいのを知ってるからそうしないだけか。天邪鬼だから。
最近、「オーエンと仲がいいですね」「付き合ってるんですか?」「入籍はまだかの?」と、他の魔法使いからも言われるようになった。
仲がいいですねはわかる。確かに毎日二時間二人で閉じこもっているのだから。
付き合ってはない。オーエンと付き合うってどうやるの?死なない?そもそもあのひとそういう欲求あるの?あと入籍はしません。
しかし、魔法舎で最も難易度が高いと言ってもいいであろうオーエンと打ち解けられたのは大きい。なんせ彼は世界第三位の実力の持ち主。任務に協力してくれるとなったらこの上なく心強い人なのだ。
オーエンは他の魔法使い相手にはかなり手厳しいけど、私にはまあまあ優しい。
机の上に、ここ最近彼から貰った物を並べてみた。
クイーンのチェス駒、お菓子の匂いがするから買ったけど僕には合わないと言っていた香水、古い楽譜、ピアノを弾くなら爪は大事だろと渡されたネイルオイル。これならいつでも弾けると言って買ってくれたカリンバ。
「多分不器用なだけなんだよなあ……」
それでも彼は他の魔法使いの誕生日は祝うし、プレゼントだって渡す。任務で本当に危機に陥れば助けるし、ケーキだって奢られにいく。
少しずつ、変化は出てきている。
まあそれでもミスラに絡むと殺されるし悪巧みして双子にお仕置きされるしで、相変わらずなところもあるんだけど。
日記帳を閉じて窓を開けると、ふわりと冷たい風が舞い込んできた。
もう冬が終わる。私がこの世界にきてから、もうすぐ半年が経つ。
つまり、あともう半年もすれば、私はこの世界から消えてしまうのだ。
ネロのご飯を食べられるのも、オーエンとピアノを弾くのも、あと半分。
元の世界に戻ればまた精神科に通ってピアノを弾いて、またあの日々に巻き込まれていくのだろうか。
いっそのことここにいた記憶が無くなってしまえばいいとすら思う。傷だらけでも私には優しかったこの世界を経験した私にとって、あの灰色のジャングルに帰るのはあまりにも苦しい。
「ここで死ねたらなあ……」
それでも明日は来る。
そして私はまた彼らと生きて眠って、また明日がきて。
そうして日々を消費して、いつか消えて忘れられてしまうのだ。
それならいっそここで死んで、適当なところで養分になりたい。ミスラに操られたっていいし、オーエンのトランクに閉じ込められたっていい。
寒い夜だ。どこかでドンパチ喧嘩をしている気配がする。
私は汚れてもいい服に着替え、丈夫なコートを羽織って部屋を出た。風呂に入る前で良かった。
大破した庭の片隅に行くと、案の定そこにはミスラが佇んでいる。声をかけると、いつもの眠そうな眼差しがこちらを向いた。
「賢者様」
「相手は?」
「オーエンです」
「そんなことだろうと思ってました」
「結構出血してるので、もう死ぬと思います」
「分かりました。……ミスラは今日は眠れそうですか?」
「無理そうです。これからシャイロックのバーにでも行こうかと」
「ついてる血だけ綺麗にしてってくださいね」
「わかりました」
ミスラを見送ってから血の匂いを辿る。森の中か。
なぎ倒された木々を横目に歩くと、開けた場所に赤黒い液体を流して倒れる生き物を発見した。重傷者一名、確保。
「こんばんは、オーエン。何だか血の匂いがする夜ですね」
「……最悪」
「酷いですね」
「はっ……」
腹に見事な穴が空いている。こりゃダメだ。
「どうでしたか、今回の大乱闘は」
「最悪だよ……ケルベロスもちょっとやられた」
オーエンは血塗れた手でそばに転がったトランクを指した。大切な魔道具なので近くに寄せておく。
「ケルベロスの方はご無事ですか」
「まあなんとか……今はその中で大人しくしてるよ」
「オーエンの方は」
「これが大丈夫に見える?」
「死にかけに見えます」
「ふふ、正解」
木の枝に引っかかっていた帽子を取り、トランクの上に重ねた。白かったスーツはもう元の色が分からない程に汚染されている。よく見たら左脚が無くなっていた。
「痛いですか」
「当然」
血にまみれても、彼のその顏は美しい。柘榴のような赤と蜂蜜のような琥珀が、月の光を受けて輝いた。
「……おまえ、死に際に見ると美人に見えるね」
「あら、ありがとうございます。ずっと死にかけててください」
「最低だねおまえ」
「ふふ、冗談ですよ」
「多分それ視覚がもうダメなんだと思いますよ」と、私は彼の手を握った。冷たい、血の感触。
「冷たいですね」
「……そう、だね」
「そろそろですね」
「うん……」
彼の声にもいよいよ生気が無くなってきた。
不意にオーエンが動いた。濡れた右の親指が、私の唇をそっとなぞる。
「……ふふ」
「……口紅ですか?」
「そうだよ。……おまえはいい子だね」
「ありがとうございます」
「よく似合うよ、その色」
「ふふ」
夜の森で死に際の美青年に血を唇に塗られる。
なんだかとんでもないシーンだな、と思う。この上なくグロテスクでファンタジックでロマンチックな、絵本の一ページ。
「……ねえ、賢者様」
「なんですか」
「そばにいて」
「いいですよ」
いよいよオーエンが瞼を閉じる。息が痛みに震え、握った手が重くなる。
「……今日は、明るいね」
「はい」
「冷たいけど、寂しくはないな。……変なの」
「ふふ」
「笑うなよ」
薄い唇が釣り上がる。紅に彩られたそれは、白銀の光の中で怪しく艶めいた。
「ねえ……賢者様」
「なんですか」
「きみのこと、ずっと前から大好きだよ。……愛してる」
「嘘ですね」
「……ふふ。バレたか」
それが最後だった。
二つ並んでいた息が、密やかに一つになる。血が土に染み込み、握っていた手は力を無くして落ちた。
私は懐からカリンバを取り出した。
選んだのはG線上のアリア。特に意味は無い。ただなんとなくだ。
もう誰もいなくなった森に、ころりとした音色が無邪気に響く。
ほら、早く帰っといで。
賢者の書とはまた違う、極めてプライベートな事項をまとめたものである。ノートはルチルに付き添ってもらって行った文房具屋で購入した、真っ白なハードカバーを使っている。
書く内容はその日食べたものだとか教わったことだとか、本当に取り留めもないような事柄ばかりだ。例えば今日ならこんな感じ。
『7時に起床。ヒースとパンケーキを頂いたあと、9時からルチルに文字を教わる。12時に昼食のガレットを食べ、少し休憩。14時から16時までオーエンのところでピアノを弾き、おやつもそのまま一緒に食べる。19時に夕食のポトフを食べ、20時に風呂。
今日は基礎的な単語を復習した。ルチルは褒めてくれているがまだまだ記憶には定着しきれていない。
ヒースはシノと昨夜喧嘩をしてしまったとのことなので、話しかける時には話題を選ぶこと。すぐ仲直りしてくれるといいが。
オーエンは本当に高難易度の楽曲を好むため、弾く前にはよく指を動かして慣らしておくこと。一緒に食べたトレスレチェスは彼的には甘さがいまいちだったようだが、私としてはとても甘い。魔法使いに糖尿病は無いのだろうか。』
本当にこんな感じ。しょーもない!
なんで日記なのにこんなガッチガチの文体なんだろう?もっとナチュラルでいいはずなのに。
しかも、やたらとオーエンの登場率が高い。泊まりがけの任務がない時以外毎日会ってればそりゃそうなるしても、驚くくらいめちゃくちゃ出てくる。
見返すと、どんだけ仲良いんだよ……と突っ込みたくなってしまう程に毎日オーエン尽くしだ。
よくここまで会ってて殺されないな。いや、あの人は私が死にたいのを知ってるからそうしないだけか。天邪鬼だから。
最近、「オーエンと仲がいいですね」「付き合ってるんですか?」「入籍はまだかの?」と、他の魔法使いからも言われるようになった。
仲がいいですねはわかる。確かに毎日二時間二人で閉じこもっているのだから。
付き合ってはない。オーエンと付き合うってどうやるの?死なない?そもそもあのひとそういう欲求あるの?あと入籍はしません。
しかし、魔法舎で最も難易度が高いと言ってもいいであろうオーエンと打ち解けられたのは大きい。なんせ彼は世界第三位の実力の持ち主。任務に協力してくれるとなったらこの上なく心強い人なのだ。
オーエンは他の魔法使い相手にはかなり手厳しいけど、私にはまあまあ優しい。
机の上に、ここ最近彼から貰った物を並べてみた。
クイーンのチェス駒、お菓子の匂いがするから買ったけど僕には合わないと言っていた香水、古い楽譜、ピアノを弾くなら爪は大事だろと渡されたネイルオイル。これならいつでも弾けると言って買ってくれたカリンバ。
「多分不器用なだけなんだよなあ……」
それでも彼は他の魔法使いの誕生日は祝うし、プレゼントだって渡す。任務で本当に危機に陥れば助けるし、ケーキだって奢られにいく。
少しずつ、変化は出てきている。
まあそれでもミスラに絡むと殺されるし悪巧みして双子にお仕置きされるしで、相変わらずなところもあるんだけど。
日記帳を閉じて窓を開けると、ふわりと冷たい風が舞い込んできた。
もう冬が終わる。私がこの世界にきてから、もうすぐ半年が経つ。
つまり、あともう半年もすれば、私はこの世界から消えてしまうのだ。
ネロのご飯を食べられるのも、オーエンとピアノを弾くのも、あと半分。
元の世界に戻ればまた精神科に通ってピアノを弾いて、またあの日々に巻き込まれていくのだろうか。
いっそのことここにいた記憶が無くなってしまえばいいとすら思う。傷だらけでも私には優しかったこの世界を経験した私にとって、あの灰色のジャングルに帰るのはあまりにも苦しい。
「ここで死ねたらなあ……」
それでも明日は来る。
そして私はまた彼らと生きて眠って、また明日がきて。
そうして日々を消費して、いつか消えて忘れられてしまうのだ。
それならいっそここで死んで、適当なところで養分になりたい。ミスラに操られたっていいし、オーエンのトランクに閉じ込められたっていい。
寒い夜だ。どこかでドンパチ喧嘩をしている気配がする。
私は汚れてもいい服に着替え、丈夫なコートを羽織って部屋を出た。風呂に入る前で良かった。
大破した庭の片隅に行くと、案の定そこにはミスラが佇んでいる。声をかけると、いつもの眠そうな眼差しがこちらを向いた。
「賢者様」
「相手は?」
「オーエンです」
「そんなことだろうと思ってました」
「結構出血してるので、もう死ぬと思います」
「分かりました。……ミスラは今日は眠れそうですか?」
「無理そうです。これからシャイロックのバーにでも行こうかと」
「ついてる血だけ綺麗にしてってくださいね」
「わかりました」
ミスラを見送ってから血の匂いを辿る。森の中か。
なぎ倒された木々を横目に歩くと、開けた場所に赤黒い液体を流して倒れる生き物を発見した。重傷者一名、確保。
「こんばんは、オーエン。何だか血の匂いがする夜ですね」
「……最悪」
「酷いですね」
「はっ……」
腹に見事な穴が空いている。こりゃダメだ。
「どうでしたか、今回の大乱闘は」
「最悪だよ……ケルベロスもちょっとやられた」
オーエンは血塗れた手でそばに転がったトランクを指した。大切な魔道具なので近くに寄せておく。
「ケルベロスの方はご無事ですか」
「まあなんとか……今はその中で大人しくしてるよ」
「オーエンの方は」
「これが大丈夫に見える?」
「死にかけに見えます」
「ふふ、正解」
木の枝に引っかかっていた帽子を取り、トランクの上に重ねた。白かったスーツはもう元の色が分からない程に汚染されている。よく見たら左脚が無くなっていた。
「痛いですか」
「当然」
血にまみれても、彼のその顏は美しい。柘榴のような赤と蜂蜜のような琥珀が、月の光を受けて輝いた。
「……おまえ、死に際に見ると美人に見えるね」
「あら、ありがとうございます。ずっと死にかけててください」
「最低だねおまえ」
「ふふ、冗談ですよ」
「多分それ視覚がもうダメなんだと思いますよ」と、私は彼の手を握った。冷たい、血の感触。
「冷たいですね」
「……そう、だね」
「そろそろですね」
「うん……」
彼の声にもいよいよ生気が無くなってきた。
不意にオーエンが動いた。濡れた右の親指が、私の唇をそっとなぞる。
「……ふふ」
「……口紅ですか?」
「そうだよ。……おまえはいい子だね」
「ありがとうございます」
「よく似合うよ、その色」
「ふふ」
夜の森で死に際の美青年に血を唇に塗られる。
なんだかとんでもないシーンだな、と思う。この上なくグロテスクでファンタジックでロマンチックな、絵本の一ページ。
「……ねえ、賢者様」
「なんですか」
「そばにいて」
「いいですよ」
いよいよオーエンが瞼を閉じる。息が痛みに震え、握った手が重くなる。
「……今日は、明るいね」
「はい」
「冷たいけど、寂しくはないな。……変なの」
「ふふ」
「笑うなよ」
薄い唇が釣り上がる。紅に彩られたそれは、白銀の光の中で怪しく艶めいた。
「ねえ……賢者様」
「なんですか」
「きみのこと、ずっと前から大好きだよ。……愛してる」
「嘘ですね」
「……ふふ。バレたか」
それが最後だった。
二つ並んでいた息が、密やかに一つになる。血が土に染み込み、握っていた手は力を無くして落ちた。
私は懐からカリンバを取り出した。
選んだのはG線上のアリア。特に意味は無い。ただなんとなくだ。
もう誰もいなくなった森に、ころりとした音色が無邪気に響く。
ほら、早く帰っといで。