第一部
夢小説設定
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賢者なんて無理だと思い続けて、もう数ヶ月が過ぎていた。
「やっぱ無理……」
夜、自室だと宛てがわれた部屋の扉を閉めながらぼそりと呟く。かけた鍵は、果たして魔法使いの前でどれほど役に立つのか。
「みんなめっちゃ輝きすぎてて辛い……引きこもりたい……」
私は、元いた世界でうつ病と診断されていた。
精神科帰りにこの夢と絶望と魔法に溢れた世界に飛ばされて、既にもらった一ヶ月分の精神安定剤が尽きるくらいの日数を過ごしている。
私のことを呼び出した「賢者の魔法使い」と呼ばれる麗しい見目の男たちは、一部を除いて皆良識的で心優しく、それぞれの美学に従いつつも私を慕ってくれている、らしい。伝聞調なのは、こちらに他人を信じるという機能が欠けてしまっているからだ。べつに彼らが悪いわけじゃない。
彼らは、「魔法使い」というわかりやすい属性で一括りにするには失礼だと思うほどに、個性に溢れている。
お医者さんもいれば、教団に閉じ込められていた「それ大丈夫なの?」と言いたくなる過去の人も、元騎士もいる。なんと本物の王子様や世界最強と呼ばれるひとまで名を連ねているのだ。
皆本当にそれぞれで、色とりどりの「個」を持って生きている。今、突然私の目の前に現れたこのひとも。
「こんばんは、賢者様。今日も嫌な夜だね」
「こんばんは、オーエン」
北の魔法使い、オーエン。フルネーム不明。好きな物は甘いもの、嫌いなものは「おまえ」、つまり私。非友好的な態度をとる数少ない魔法使いのうちの一人だ。
確実なのはとても強いことと、超がつく甘党だということくらいで、昔その身から引き剥がしたという心臓の在り処すらもわからない。歳若い魔法使いたちからは、その神出鬼没さと物騒な思想のせいで恐れられている。
「本当に、嫌な夜。希望に満ちた人の瞳みたいな輝きも、凪いだ湖みたいな厄災も、本当に」
「そうですね」
クソ雑翻訳します。このひと本当は月も星も綺麗ですねと言いたいんです。
オーエンは本当にツンデレというか天邪鬼だから、綺麗なものをあからさまに嫌い、グロテスクで醜いものを愛でようとする。でも、それはおそらく口先だけで、彼も気づかない心の奥では綺麗なものも好ましいと感じていると思う。本人が自覚していないだけだろうが、彼の内面はとても繊細なのだ。
「何か用事ですか?」
「なに?用事がなきゃ来ちゃいけないの?賢者様は僕が嫌い?」
口を開けばいつもこの調子だ。彼はどうやら人の悪意を吸収して魔力変換するタイプの珍しい魔法使いらしく、それ故こうして他人を不安にさせるようなことを言う。
「用事がなくても私はあなたを歓迎しますし、あなたのことを嫌っているわけではないですよ」
「じゃあ好き?」
「好きですよ」
「僕は賢者様を殺したいと思ってるのに?」
「いつでも殺してくださって結構ですよ」
私がそう言うと彼は「変なの」と床を小さく蹴った。
勝手にベッドにぽすんと腰掛けると、ポケットからチェスの駒を取り出してこちらに見せる。やっぱり、ナイト。
「これね、今日市場で見つけたの」
「そうなんですね」
「賢者様が持っててよ。早く死ぬ呪いをかけてあげるから」
「ありがとうございます」
どうやら、この世界には医学的な病名として確立されている「うつ病」は存在していないらしい。
概念となる言葉が存在しないから、オーエンは私の死を望む思考が理解できない。彼にとっても世界にとっても、いつだって生は眩しい、尊ぶべきものなのだろう。
だから彼は彼の不道徳のために私を脅す。殺しちゃうよ、呪っちゃうよ、僕はきみなんか大嫌い。
でも私にとってそれは助けてあげようか、きみの考えは間違ってないよ、と肯定する呪文にすら聞こえるのだ。変に慰められるより、こちらの方がずっといい。
「ねえ、今日小鳥が言ってたんだ。きみはここの魔法使いみんなに嫌われてるって」
「そうですか。ありがとうございます」
そんな想像何度もした。ずっとずっとずっと、私は嫌われてるんじゃないかと。
思わず微笑んだ私を、オーエンは感情の読めない目で見た。
「そんな気がしてました」
「……つまんないの……〈クァーレ・モリト〉」
呪文とともに出てきたのはティーカップと紅茶。「飲みなよ。毒を入れたけど」と押し付けられたそれに、私は躊躇なく口をつける。
「賢者様って、ほんとにつまらない」
「すみません。楽しませられなくて」
正常な精神じゃなくてすみません!と、心の中で自嘲する。祖国の発達した医療の力を借りても、私は元には戻れなかった。一度壊れたものは、どうせもう治らないのだ。
「オーエンなら、私がいた世界を壊せそうですね」
「なに、壊していいの?賢者様の宝物」
「いいですよ。私は彼らの悲しむ顔が見たいし、あの世界は宝物なんかじゃない」
「……変わってるね」
「そうですかね」
「やっぱり、変な賢者様」
オーエンは「甘いものが食べたい」と立ち上がった。今日はこれでおしまいだ。
「台所に、私が市場で買った砂糖まみれのドーナツがあります。全部食べていいですよ」
「本当に?」
「お菓子関連において私は嘘をつきません」
「なら信じる。またね、賢者様」
「死ねるといいね」と言って、彼はマントをそっと翻し、微かな光だけ残して消え去った。
またどうせ死ねないんだろうな、と思いながら、私は欠伸をする。
彼は天邪鬼だ。そう簡単に、願いを叶えてくれやしない。
「ねむ……さすがオーエン……」
さっきまであの白い魔法使いが座っていたベッドに潜り込んだ。冷たくて優しい、夢の気配を感じる。
「やっぱ無理……」
夜、自室だと宛てがわれた部屋の扉を閉めながらぼそりと呟く。かけた鍵は、果たして魔法使いの前でどれほど役に立つのか。
「みんなめっちゃ輝きすぎてて辛い……引きこもりたい……」
私は、元いた世界でうつ病と診断されていた。
精神科帰りにこの夢と絶望と魔法に溢れた世界に飛ばされて、既にもらった一ヶ月分の精神安定剤が尽きるくらいの日数を過ごしている。
私のことを呼び出した「賢者の魔法使い」と呼ばれる麗しい見目の男たちは、一部を除いて皆良識的で心優しく、それぞれの美学に従いつつも私を慕ってくれている、らしい。伝聞調なのは、こちらに他人を信じるという機能が欠けてしまっているからだ。べつに彼らが悪いわけじゃない。
彼らは、「魔法使い」というわかりやすい属性で一括りにするには失礼だと思うほどに、個性に溢れている。
お医者さんもいれば、教団に閉じ込められていた「それ大丈夫なの?」と言いたくなる過去の人も、元騎士もいる。なんと本物の王子様や世界最強と呼ばれるひとまで名を連ねているのだ。
皆本当にそれぞれで、色とりどりの「個」を持って生きている。今、突然私の目の前に現れたこのひとも。
「こんばんは、賢者様。今日も嫌な夜だね」
「こんばんは、オーエン」
北の魔法使い、オーエン。フルネーム不明。好きな物は甘いもの、嫌いなものは「おまえ」、つまり私。非友好的な態度をとる数少ない魔法使いのうちの一人だ。
確実なのはとても強いことと、超がつく甘党だということくらいで、昔その身から引き剥がしたという心臓の在り処すらもわからない。歳若い魔法使いたちからは、その神出鬼没さと物騒な思想のせいで恐れられている。
「本当に、嫌な夜。希望に満ちた人の瞳みたいな輝きも、凪いだ湖みたいな厄災も、本当に」
「そうですね」
クソ雑翻訳します。このひと本当は月も星も綺麗ですねと言いたいんです。
オーエンは本当にツンデレというか天邪鬼だから、綺麗なものをあからさまに嫌い、グロテスクで醜いものを愛でようとする。でも、それはおそらく口先だけで、彼も気づかない心の奥では綺麗なものも好ましいと感じていると思う。本人が自覚していないだけだろうが、彼の内面はとても繊細なのだ。
「何か用事ですか?」
「なに?用事がなきゃ来ちゃいけないの?賢者様は僕が嫌い?」
口を開けばいつもこの調子だ。彼はどうやら人の悪意を吸収して魔力変換するタイプの珍しい魔法使いらしく、それ故こうして他人を不安にさせるようなことを言う。
「用事がなくても私はあなたを歓迎しますし、あなたのことを嫌っているわけではないですよ」
「じゃあ好き?」
「好きですよ」
「僕は賢者様を殺したいと思ってるのに?」
「いつでも殺してくださって結構ですよ」
私がそう言うと彼は「変なの」と床を小さく蹴った。
勝手にベッドにぽすんと腰掛けると、ポケットからチェスの駒を取り出してこちらに見せる。やっぱり、ナイト。
「これね、今日市場で見つけたの」
「そうなんですね」
「賢者様が持っててよ。早く死ぬ呪いをかけてあげるから」
「ありがとうございます」
どうやら、この世界には医学的な病名として確立されている「うつ病」は存在していないらしい。
概念となる言葉が存在しないから、オーエンは私の死を望む思考が理解できない。彼にとっても世界にとっても、いつだって生は眩しい、尊ぶべきものなのだろう。
だから彼は彼の不道徳のために私を脅す。殺しちゃうよ、呪っちゃうよ、僕はきみなんか大嫌い。
でも私にとってそれは助けてあげようか、きみの考えは間違ってないよ、と肯定する呪文にすら聞こえるのだ。変に慰められるより、こちらの方がずっといい。
「ねえ、今日小鳥が言ってたんだ。きみはここの魔法使いみんなに嫌われてるって」
「そうですか。ありがとうございます」
そんな想像何度もした。ずっとずっとずっと、私は嫌われてるんじゃないかと。
思わず微笑んだ私を、オーエンは感情の読めない目で見た。
「そんな気がしてました」
「……つまんないの……〈クァーレ・モリト〉」
呪文とともに出てきたのはティーカップと紅茶。「飲みなよ。毒を入れたけど」と押し付けられたそれに、私は躊躇なく口をつける。
「賢者様って、ほんとにつまらない」
「すみません。楽しませられなくて」
正常な精神じゃなくてすみません!と、心の中で自嘲する。祖国の発達した医療の力を借りても、私は元には戻れなかった。一度壊れたものは、どうせもう治らないのだ。
「オーエンなら、私がいた世界を壊せそうですね」
「なに、壊していいの?賢者様の宝物」
「いいですよ。私は彼らの悲しむ顔が見たいし、あの世界は宝物なんかじゃない」
「……変わってるね」
「そうですかね」
「やっぱり、変な賢者様」
オーエンは「甘いものが食べたい」と立ち上がった。今日はこれでおしまいだ。
「台所に、私が市場で買った砂糖まみれのドーナツがあります。全部食べていいですよ」
「本当に?」
「お菓子関連において私は嘘をつきません」
「なら信じる。またね、賢者様」
「死ねるといいね」と言って、彼はマントをそっと翻し、微かな光だけ残して消え去った。
またどうせ死ねないんだろうな、と思いながら、私は欠伸をする。
彼は天邪鬼だ。そう簡単に、願いを叶えてくれやしない。
「ねむ……さすがオーエン……」
さっきまであの白い魔法使いが座っていたベッドに潜り込んだ。冷たくて優しい、夢の気配を感じる。