没分暁漢
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汀紫鶴さんは、うちの店の常連だ。
住んでいるアパートから近いというので、贔屓にしていただいている。
「そうだ、響子ちゃん」
「はい」
「縁談が決まりそうなんだって?」
商売人は噂が回るのが早い。
もう何処かから情報が漏れているのだろう。
「縁談が漸くきたというだけですよ。まだ何も決まっていません」
「それでも、ほぼ確定のものなんだろう?残念だなあ、響子ちゃんが誰かのものになるなんて」
彼は優雅に笑った。
この人は誰に対してもこうなのだ。
「ありがとうございます」
「ふふ。でも君、尾崎くんのことはいいの?」
ああ、この人にもばれていたのか。
私は先日の薔子さんのあの言葉を思い出した。
「……きちんと葬って、弔うつもりでいます」
「ほう?」
紫鶴さんは興味深そうにこちらを覗き込む。
「叶わぬ恋というものは、きちんとお墓を作って弔ってあげなくてはならないものだそうです」
「成程。確かに一理あるな」
彼は変愛小説の作家だ。やっぱり、そういう考えがわかるのだろう。
「………で、君はどうやってその恋に決着をつけるんだい?」
「まだ分かりません。どうしたらいいのかも、全く」
「そうかそうか。まあ、そう簡単にはいかないものだからね」
紫鶴さんは私の長い髪をくるくると弄んだ。
パッと離すとそれは黒々と渦を巻いて、胸元で回って止まる。
「……君は最近、苦しげな顔をしている」
「そうでしょうか?」
「うん。君にそんな思いをさせている尾崎くんが憎らしいくらいには」
本当に、呼吸をするようにサラサラと口説き文句が出てくる人だ。
先程私の髪を弄った手からは、彼のように情熱的な物語が紡がれる。
「じゃあ、私があの人を私と同じくらい苦しませるのは?」
気づいたら口をついて出ていたのは、そんなグロテスクな願望だった。
私と同じ渦の中に、彼を連れ込むことは出来ない。
でもその脳髄の片隅に居座って、一生引き摺る呪いをかけることなら?
紫鶴さんはくすりと笑った。
「良いじゃないか。グロテスクで美しくて凄絶で、 誇り高い。君が最後に彼に贈るものとして相応しいと思うよ」
「そうでしょうか」
「ああ。次に書く話の参考にしても?」
「どうぞ」
「ありがとう」
書き上がったらあげるよ、と彼は手をヒラヒラさせて去っていった。
「……柄にも無いことを言ってしまった気がするわ」
私は店の奥にあるカウンターで頭を抱えた。
でも、本当なのだ。
ふとした瞬間に私を思い出すような、鮮烈な印象を残して去りたい。他の誰かと幸せになっても、それでも染み付いて離れないような、ささやかで残酷な呪いをかけてしまいたい。
自分はこんなにも身勝手な人間だったのかと、私は己の思考に少し怯えた。
なんて恐ろしい、利己的な願望なのだろう。こんなのに好かれたあの人が、心底気の毒になってしまう。
でも仕方無い。こちらはこんなに好きなのだ。
あの人そのものを奪う気は無い。ただ、彼の記憶に残り続けたい。
強大な時の流れに負けないくらいに強く、清廉に。毎年咲く花のように。
「……怖いなあ」
私はカウンターから抜け出し、 側に並べてあった新刊を手に取った。
著者名は「汀紫鶴」。さっき帰った、あの美貌の作家先生のものだ。
彼の物語は、最後は必ず死をもって終わる。
それが彼らにとって最高に幸せなのだと、かつて話していた通りに。
私にとっての幸せって、何なのだろう。
彼の記憶に残ること、彼と結ばれること。彼と死ぬこと。
物語のような「最高の幸せ」が叶わないのなら、現実を生きる私達はどうしたら幸せになれるのだろう。
そんなことを考えていても仕方無いからと頭を振ったけれど、どうしても何だか変な気持ちが拭えない。
時刻は午後六時半。
少し早めに店仕舞いをしようと、私は腰を上げた。
住んでいるアパートから近いというので、贔屓にしていただいている。
「そうだ、響子ちゃん」
「はい」
「縁談が決まりそうなんだって?」
商売人は噂が回るのが早い。
もう何処かから情報が漏れているのだろう。
「縁談が漸くきたというだけですよ。まだ何も決まっていません」
「それでも、ほぼ確定のものなんだろう?残念だなあ、響子ちゃんが誰かのものになるなんて」
彼は優雅に笑った。
この人は誰に対してもこうなのだ。
「ありがとうございます」
「ふふ。でも君、尾崎くんのことはいいの?」
ああ、この人にもばれていたのか。
私は先日の薔子さんのあの言葉を思い出した。
「……きちんと葬って、弔うつもりでいます」
「ほう?」
紫鶴さんは興味深そうにこちらを覗き込む。
「叶わぬ恋というものは、きちんとお墓を作って弔ってあげなくてはならないものだそうです」
「成程。確かに一理あるな」
彼は変愛小説の作家だ。やっぱり、そういう考えがわかるのだろう。
「………で、君はどうやってその恋に決着をつけるんだい?」
「まだ分かりません。どうしたらいいのかも、全く」
「そうかそうか。まあ、そう簡単にはいかないものだからね」
紫鶴さんは私の長い髪をくるくると弄んだ。
パッと離すとそれは黒々と渦を巻いて、胸元で回って止まる。
「……君は最近、苦しげな顔をしている」
「そうでしょうか?」
「うん。君にそんな思いをさせている尾崎くんが憎らしいくらいには」
本当に、呼吸をするようにサラサラと口説き文句が出てくる人だ。
先程私の髪を弄った手からは、彼のように情熱的な物語が紡がれる。
「じゃあ、私があの人を私と同じくらい苦しませるのは?」
気づいたら口をついて出ていたのは、そんなグロテスクな願望だった。
私と同じ渦の中に、彼を連れ込むことは出来ない。
でもその脳髄の片隅に居座って、一生引き摺る呪いをかけることなら?
紫鶴さんはくすりと笑った。
「良いじゃないか。グロテスクで美しくて凄絶で、 誇り高い。君が最後に彼に贈るものとして相応しいと思うよ」
「そうでしょうか」
「ああ。次に書く話の参考にしても?」
「どうぞ」
「ありがとう」
書き上がったらあげるよ、と彼は手をヒラヒラさせて去っていった。
「……柄にも無いことを言ってしまった気がするわ」
私は店の奥にあるカウンターで頭を抱えた。
でも、本当なのだ。
ふとした瞬間に私を思い出すような、鮮烈な印象を残して去りたい。他の誰かと幸せになっても、それでも染み付いて離れないような、ささやかで残酷な呪いをかけてしまいたい。
自分はこんなにも身勝手な人間だったのかと、私は己の思考に少し怯えた。
なんて恐ろしい、利己的な願望なのだろう。こんなのに好かれたあの人が、心底気の毒になってしまう。
でも仕方無い。こちらはこんなに好きなのだ。
あの人そのものを奪う気は無い。ただ、彼の記憶に残り続けたい。
強大な時の流れに負けないくらいに強く、清廉に。毎年咲く花のように。
「……怖いなあ」
私はカウンターから抜け出し、 側に並べてあった新刊を手に取った。
著者名は「汀紫鶴」。さっき帰った、あの美貌の作家先生のものだ。
彼の物語は、最後は必ず死をもって終わる。
それが彼らにとって最高に幸せなのだと、かつて話していた通りに。
私にとっての幸せって、何なのだろう。
彼の記憶に残ること、彼と結ばれること。彼と死ぬこと。
物語のような「最高の幸せ」が叶わないのなら、現実を生きる私達はどうしたら幸せになれるのだろう。
そんなことを考えていても仕方無いからと頭を振ったけれど、どうしても何だか変な気持ちが拭えない。
時刻は午後六時半。
少し早めに店仕舞いをしようと、私は腰を上げた。