没分暁漢
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かといって、そう簡単に諦めきれる程恋というものは優しくはなかった。
「はあ……」
口に出せない「好き」の代わりに、自室で小さく溜息を着く。時が過ぎれば過ぎるほど想いは募っていくから、こんなことではとても全てを出し切ることなんて出来ないのだけれど。
本棚に数冊ある流行りの恋愛小説の恋は、全てハッピーエンドだった。素敵な殿方と電撃的な出会いをして幸せな恋をして結婚、というのはやはり何処の乙女も好むのだ。
私だって勿論そうでありたかった。でも相手は国に仕える眉目秀麗で優秀で爽やかな男性で、此方は何の取り柄も無いただの娘。しかも根暗で地味で、自分で自分を傷つけては自分一人で慰める、惨めな人間だ。
無理に決まっている。本当に、あんなに素敵な人なのに。
私なんて彼の記憶の片端にも残らない。女の子を花に例えることは多いけれど、私なんてただの地面の塵。咲く咲かないの問題ですら無い。吹けば飛ぶ、陰気で汚らしい存在なのだ。
寝ている間に忘れられるのが関の山だろう。
ノックの音が響いた。
「響子、入るわよ」
「はい」
母がつかつかと入ってきた。
「結婚の話が来てるわ」
心無しか嬉しそうな彼女を見て、私は思わず尾崎さんの顔を思い浮かべた。慌てて消去する。
「シンジュクの大きな本屋の息子さんよ。良かったわね」
「ええ……」
大きな本屋と繋がりが出来れば、家の得になる。確かに両親からしてみれば良い縁談だった。
「あなたは家の仕事があるから、二ヶ月後くらいに段取りを組んでるわ。その間に色々片付けてもう一回お父さんに引き継げるようにしておきなさい。解ったわね」
「はい」
「よろしい。じゃあね」
時間が無い。
私はまだ尾崎さんを諦められていないのに、どうしたらいいのだろう。
こんな気持ちのままお嫁に行きたくはない。不完全燃焼なんて嫌だ。
それでも、私に告白なんてする勇気はない。仕事上最低限の会話しか出来ていないのに、そんな大それたことは無理だ。
でも二ヶ月なんてあっという間に終わる。通常業務に加えて仕事の引き継ぎをしていたら、気持ちを整理する時間が取れるかどうかも分からない。
どうしよう。どうしたらいい。
彼を諦めるために必要なこと。私が納得して嫁ぐために大切なこと。
私は頭を抱えながらベッドに倒れ込んだ。
無理だ。わからない。
深雪みたいに「無理だよね」と笑える強さがあったら良かったのに。そしたら直ぐに諦めて、お見合いの支度に身を入れるのに。
「どうしましょう……」
小さくそう呟いて、私は蹲った。
「気持ちを伝えれば良いのではないの?」
翌日。
頼まれた小説を届けに訪れたナハティガルの豪奢な部屋で、四木沼薔子さんはふふふと笑った。
「お見合いの話が来ているので、二ヶ月後には父に仕事を引き継ぎます」と伝えただけで、彼女は「でも、貴女には恐らく好きな方がいらっしゃるのでは?」と看破したのだ。流石、あの四木沼喬さんの奥方だけある。勘が鋭い。
「……諦めることにしています。あまりにも高望みなので」
「勿体無いことをするのね」
薔子さんは紅茶の入ったカップを置き、こちらを見た。
「本当に、諦めてしまっていいの?」
「……はい」
仕方の無いことだ。彼と私の物語は決して交わらない運命になっている。
「なら、何故そんな顔をしているのかしら」
「何か変な顔をしてますか、私」
「変ではないの。でも、とても悲しそうな顔をしているわ」
「お食べなさい」と示されたクッキーを摘んで、私は俯いた。そうか、顔に出てしまっていたのか。
「結婚をする前に、気持ちを整理した方が良いと思うわ。そうしないと、貴女はきっと一生後悔する」
薔子さんは悲しげに眉をひそめた。……私にも、こんな妖艶さと美しさがあったなら。
「全ては物語のようにはいかないけれど、大切な恋ならきちんと葬ってあげなくてはいけないわ。私、貴女にあんな思いをしてほしくないの」
「葬る……ですか」
「ええ。人が死ねばお墓を立てるように、恋にも弔いが必要なのよ」
彼女は、私が今日届けた本に手を滑らせた。
巷で話題の恋愛小説。女の子達の間で大人気の、可愛らしくて甘ったるくて幸せな物語だ。
「……協力しましょう」
「はい?」
「貴女の恋のお弔いに」
その可愛らしい鈴のような声が、淡い花柄の壁に吸収された。
「私、貴女のことが大切なのよ。あまり外に出ない私にわざわざ本を届けに来てくれて、こうしてお茶にも付き合ってくださって。本当に感謝しているの」
「それは……ありがとうございます」
「だから、私がお手伝いをするわ。貴女が、恋に別れを告げるのを」
薔子さんは少女のような笑みを浮かべて、私の手を静かに握る。
「どうするのかは、貴女が次に来るまでに考えていて。丁度来週また新刊が出るわ」
「……分かりました」
恋を葬る。
そのために、先ずどうしたら良いのか。
ナハティガルを後にしながら、私は必死で思考を巡らせるのだった。
「はあ……」
口に出せない「好き」の代わりに、自室で小さく溜息を着く。時が過ぎれば過ぎるほど想いは募っていくから、こんなことではとても全てを出し切ることなんて出来ないのだけれど。
本棚に数冊ある流行りの恋愛小説の恋は、全てハッピーエンドだった。素敵な殿方と電撃的な出会いをして幸せな恋をして結婚、というのはやはり何処の乙女も好むのだ。
私だって勿論そうでありたかった。でも相手は国に仕える眉目秀麗で優秀で爽やかな男性で、此方は何の取り柄も無いただの娘。しかも根暗で地味で、自分で自分を傷つけては自分一人で慰める、惨めな人間だ。
無理に決まっている。本当に、あんなに素敵な人なのに。
私なんて彼の記憶の片端にも残らない。女の子を花に例えることは多いけれど、私なんてただの地面の塵。咲く咲かないの問題ですら無い。吹けば飛ぶ、陰気で汚らしい存在なのだ。
寝ている間に忘れられるのが関の山だろう。
ノックの音が響いた。
「響子、入るわよ」
「はい」
母がつかつかと入ってきた。
「結婚の話が来てるわ」
心無しか嬉しそうな彼女を見て、私は思わず尾崎さんの顔を思い浮かべた。慌てて消去する。
「シンジュクの大きな本屋の息子さんよ。良かったわね」
「ええ……」
大きな本屋と繋がりが出来れば、家の得になる。確かに両親からしてみれば良い縁談だった。
「あなたは家の仕事があるから、二ヶ月後くらいに段取りを組んでるわ。その間に色々片付けてもう一回お父さんに引き継げるようにしておきなさい。解ったわね」
「はい」
「よろしい。じゃあね」
時間が無い。
私はまだ尾崎さんを諦められていないのに、どうしたらいいのだろう。
こんな気持ちのままお嫁に行きたくはない。不完全燃焼なんて嫌だ。
それでも、私に告白なんてする勇気はない。仕事上最低限の会話しか出来ていないのに、そんな大それたことは無理だ。
でも二ヶ月なんてあっという間に終わる。通常業務に加えて仕事の引き継ぎをしていたら、気持ちを整理する時間が取れるかどうかも分からない。
どうしよう。どうしたらいい。
彼を諦めるために必要なこと。私が納得して嫁ぐために大切なこと。
私は頭を抱えながらベッドに倒れ込んだ。
無理だ。わからない。
深雪みたいに「無理だよね」と笑える強さがあったら良かったのに。そしたら直ぐに諦めて、お見合いの支度に身を入れるのに。
「どうしましょう……」
小さくそう呟いて、私は蹲った。
「気持ちを伝えれば良いのではないの?」
翌日。
頼まれた小説を届けに訪れたナハティガルの豪奢な部屋で、四木沼薔子さんはふふふと笑った。
「お見合いの話が来ているので、二ヶ月後には父に仕事を引き継ぎます」と伝えただけで、彼女は「でも、貴女には恐らく好きな方がいらっしゃるのでは?」と看破したのだ。流石、あの四木沼喬さんの奥方だけある。勘が鋭い。
「……諦めることにしています。あまりにも高望みなので」
「勿体無いことをするのね」
薔子さんは紅茶の入ったカップを置き、こちらを見た。
「本当に、諦めてしまっていいの?」
「……はい」
仕方の無いことだ。彼と私の物語は決して交わらない運命になっている。
「なら、何故そんな顔をしているのかしら」
「何か変な顔をしてますか、私」
「変ではないの。でも、とても悲しそうな顔をしているわ」
「お食べなさい」と示されたクッキーを摘んで、私は俯いた。そうか、顔に出てしまっていたのか。
「結婚をする前に、気持ちを整理した方が良いと思うわ。そうしないと、貴女はきっと一生後悔する」
薔子さんは悲しげに眉をひそめた。……私にも、こんな妖艶さと美しさがあったなら。
「全ては物語のようにはいかないけれど、大切な恋ならきちんと葬ってあげなくてはいけないわ。私、貴女にあんな思いをしてほしくないの」
「葬る……ですか」
「ええ。人が死ねばお墓を立てるように、恋にも弔いが必要なのよ」
彼女は、私が今日届けた本に手を滑らせた。
巷で話題の恋愛小説。女の子達の間で大人気の、可愛らしくて甘ったるくて幸せな物語だ。
「……協力しましょう」
「はい?」
「貴女の恋のお弔いに」
その可愛らしい鈴のような声が、淡い花柄の壁に吸収された。
「私、貴女のことが大切なのよ。あまり外に出ない私にわざわざ本を届けに来てくれて、こうしてお茶にも付き合ってくださって。本当に感謝しているの」
「それは……ありがとうございます」
「だから、私がお手伝いをするわ。貴女が、恋に別れを告げるのを」
薔子さんは少女のような笑みを浮かべて、私の手を静かに握る。
「どうするのかは、貴女が次に来るまでに考えていて。丁度来週また新刊が出るわ」
「……分かりました」
恋を葬る。
そのために、先ずどうしたら良いのか。
ナハティガルを後にしながら、私は必死で思考を巡らせるのだった。