第十六楽章「a tempo」〈前編〉
「……どう、思う?」
ふと頭上から声がして、目線だけずい、と上にやる。前髪が視界に重なってるせいかしっかり目が合っている感じはしない。真意が汲めずに言葉を発せないままでいると、メトロは続けて話し始めた。
「ラルのこと。僕は、このままじゃきっと、よくないんじゃないかなって。……いや、よくないと思うんだ。なんていうか、うまく言えないんだけど」
ううん、とか、えーと、とか、そんな声を出した後でメトロははっきりと言葉を紡ぎだす。
「ラルは、あんなこと言ってたけどさ」
あんなこと。色々思うことはあるが究極自分のことは何も気にするなという、あの辺のことを言っているのだろうと思ってじっと耳を傾ける。
「やっぱり彼のこと、放っておきたくないんだ。どんなに気にするなって言われても、僕にはそんなことできないと思う。……できないんだ。あんな苦しそうな顔見て、構うなだなんて無理な話だよ。絶対に何か、もっと最善の道があるんじゃないかって、どうにかしてそこにたどり着けないのかなって、思ってる」
他にあるはずの、最善の道。僕だってほとんど同じ考えだった。ラルシェの話をきいてからきっと気持ちは冷静であるはずがないのに、思考そのものは恐ろしいほど落ち着いている。もう正直、争いなんてさほど興味が無くて、それぞれが望む場所で望むように過ごせたらそれが一番だって、そんな風に思えてしまっているのだ。けれど、それを伝えるための言葉は空気になって口から外へ抜けていく。それから少しだけ間があいて、メトロはでも、と続けた。
「……でもそれはさ、どうにかしたいって言っても、僕一人じゃきっといろいろ難しいと思うんだ。だから、」
静かでつよい声が響く。瞬間、ぶわ、と風が前髪を横によけ、視界がひらける。そうして見えたメトロの瞳は、僕の知らない強さをたしかに孕んでいた。そして、まっすぐに僕の目を見て、言う。
「メロにも、協力してほしい。……幼馴染として、仲間として」
言って、座り込んだままのこちらに手まで伸ばしてくるのだ。照りつける斜陽がきらきらとまぶしい。流れでそろりと手を出せば、そのままぐい、と引き上げられ、僕はすっくと立ちあがる。ほんの少しぐらつく。見れば、目の前の幼馴染は凛とした表情でこちらを見据えていた。揺らぎのない眼だった。しかしそうかと思えば、メトロはぱ、と僕の手を放し、
「……あぁいや、けど色んなことが急な流れで動いてる中だし、さっきのラルの話もまだ受け止めきれてない部分はあると思うから!僕だって、そうだし。だから……今すぐじゃなくてもいいんだけど、君の考えていることを教えてほしい。……言葉で、直接。急にこんなこと言って、ごめん」
そう言って、そろそろ拠点に戻らないとまずいよね、などと来た道を戻ろうとする。それを見て、慌てて僕は口を開いた。
「待って!!!」
存外大きな声が出て、メトロも驚いたのかぴたりと足を止めてこちらに向き直る。
慌てたあまり、随分と見切り発車的に呼び止めてしまった。無計画すぎて、続く言葉がびっくりするほど出てこない。話さなくてはならないことなんて山ほどあるのに。僕も今ラルシェに対してメトロと同じような考えを抱いていること、……いや、それよりも先に、これまでの様々を謝りたいこと。僕自身のこれまでのこと、自分でもなんだか訳がわからないままでいること。
黙り込む僕を、メトロは待ってくれている。ラルシェも言ったように、そんなやさしさは昔から変わらないものだなと言葉に詰まった焦りもよそにそんなことを思う。何秒か何分かすらもわからないが、それなりに沈黙をひきずったすえ、俯いたままだった僕はようやく声を絞り出した。
「ごめん」
と、たった一言だけ。それもさっきと比べ物にならないほどに小さい声だ。フォルテピアノの譜面じゃないんだから、と自分でも呆れてしまう。何の謝罪、なんて問われてしまう前に次の言葉で無理くり間を埋める。ずっと地面を見つめている。
「その……今までのこと、色々。急に二人と距離を置いたのも、それからずっとひどい態度なのも」
声が震えるのをいなすように、ぎゅ、と服の袖を千切れそうなほど握りしめる。
「自分でもわかんないんだ、自分のこと。シヴォルタとか、神にまつわる何もかもに対して確かに死ぬほど苛ついたのに、今は、なんか。ないんだ、あんまり。…そういうの」
途切れ途切れで拙い言葉。空白をつくりたくなくて勢い任せに喋っていたが、これじゃまるで言い訳みたいだと心の中で自嘲する。結局話の続け方とか着地点に迷ってしまって、うーとか、あーとか、言葉になれない声がぐずぐずと漏れる。すると、メトロがふ、と笑む音がきこえた。
「協力してくれるって、受け取っていいのかな」
顔を上げたら、眉を下げてやわらかく口角を上げたメトロと目が合った。僕はぱちくりと三回ほどかそれ以上まばたきをする。協力。協力、彼に。頭の中で反芻し、咀嚼する。
それから、ほとんど無意識的に僕は頷いていたと思う。それを見て、メトロは、
「よかった」
と笑うのだった。