第十六楽章「a tempo」〈前編〉
「最近、どうですか?俺は変わらずイナゴの料理を作ったり、食べたり。メロちゃんはカボチャとか好きでしたよね。メトくんは、どうです?筋トレの成果は出ましたか?」
「え?うん……そう、だね。前より結構力ついたんじゃないかなぁ」
なんてことない、くだらない話が続く。僕は適当に相槌を打ちながら、一体この時間の目的はどこにあるんだろうかなどと考えていた。好きな食べ物、最近の趣味、起きる時間と寝る時間。……いやいや、待て。すっかりいつものラルシェのペースに巻き込まれた会話になっているが、こちらだって訊きたいことがあるのだ。今このラルシェという人間が、何を思ってドミナントという組織に身を置いているのか。そのあたり、いろいろ。
「ねぇ、僕からもちょっと訊きたいんだけど」
少々話の流れを切ってしまう形にはなってしまったが、仕方ないだろう。このままだとラルシェの話は底を尽きないということを僕らはよく知っている。ちらりとメトロの方も見たが、その表情からは概ね僕と似た考えをしているのがわかって安堵した。僕が先手を切らずとも、メトロがいずれ同じようにしただろう。
「あ、はい。なんですか?」
「そうだな。色々あるけど……まず、今日のお前の目的って、なに」
すっかりアイスブレイクされた空気でこそあったが、あくまで僕らはいま敵対する間柄に属しているため、探りを入れるような目でラルシェの方を見る。ラルシェは、すこしだけ先ほどよりも陰りのある表情をしたあとで、口を開いた。
「手紙に、書いた通りです。二人と話がしたくて」
さっきまでとは異なる静かな喋り口だった。返事をうまく見つけられず、僕は口をつぐんでしまう。ラルシェは話をつづける。
「そうですよね。幼馴染の間柄といっても、今現在はあくまで敵対組織同士。そんな状況で俺に急に呼び出されても不安になりますよね。配慮が足りずすみません。今日は本当に、俺のプライベートで二人と話がしたくてここに来ています。……ドミナントとしてでなく、ひとりの、アロンジェ・ラルシェという人間として」
罠じゃないんです、と言わんばかりにラルシェは両手を空中にぷらぷらとして見せる。僕たちは二人して黙り込む。
「なので、ひとまず今の二人はどんな感じなのかなと思いまして。ほら、最近はこうして直接話すことも難しかったですし。……だけど、そうですね。本題といいますか、きちんと伝えたいこともあるんです」
「伝えたい、こと……?」
メトロが少し不安げに言葉をオウム返しする。
「はい。だけど、その前に。メロちゃんも俺に訊きたいことがあるんでしたよね?まずはそれを、……答えられるのは可能な範囲にはなりますが、よかったらきかせてください」
ラルシェはまじめそうな目をして、うすく微笑みながら僕の方を見る。その表情の真意がわからなくて、底知れない恐怖に声が震えそうになったのをなんとか抑えつける。
「……お前は、僕らが組織に加入したのと同じくらいから、ずっとドミナントにいるんだよね。その時から、こういう……僕たちみたいなのとは戦うつもりでいたってわけ」
隣でメトロが息をのむ音がきこえた。ラルシェは一呼吸だけ間をおいてから話し始める。
「…そういうことになるのかもしれません。二人と幼馴染…すなわち親しい間柄であることには一切嘘偽りありませんが、俺は生まれながらにドミナントの立場にある人間です。そういった意味では、俺は組織の動向に従う他がない。……二人とは、生まれた世界が違ったんです。これは俺自身じゃどうにもできないことだから」
生まれながらにドミナントの立場。つまりラルシェは、ソープみたいなのとは違う、ってことか。それが妙なまでに胸にすとんと落っこちてきて、僕の感情はなんだかごちゃごちゃになってしまった。敵で、幼馴染で、敵。言葉を出せず黙っていれば、次はメトロが口を開く。その声もやはり、どこか震えている気がした。
「ねぇ、けどそれってラルの意思なのかな。いや、……僕にはその、ドミナントが目指すものはわからないけど、こうして今みたいに国の人たちを良くないように動かしたりして戦うのって、ほんとにラルの望んでいること……?勝手なこと言ってごめん、だけど僕は、僕の知ってるラルがそんなことを望んでるなんて思えないんだ」
哀しさと苦しさが混じったような、けど芯のある声色。ラルシェはメトロのその言葉に、確かに表情を歪めたように見えた。
「……えぇ、そう、ですね。俺もきっとまだ迷っているのかもしれません。立場があるとはいえ、二人は大切な友人ですから」
「っだったら…!ねぇ、ラル。君も僕たちのところに来るって訳にはいかないのかな。僕だって君と戦いたくなんてない……!」
そうだ、ラルシェだって僕らとの争いを望まないならこちら側に寝返ってしまったっていいのではないか。ソープがそうであるみたいに、お前もそうしてしまえば。二人の会話を聞きながらそんな淡い色した希望を抱いたが、ラルシェはそれをあっけなく否定した。
「ごめんなさいメトくん、それは出来ないんです。気持ちはすごく嬉しいのですが」
「……なんで?お前は、ソープみたいにはいかないわけ…?」
僕も、ただただ思ったことを言葉にする。するとラルシェはまた、こちらを見てかなしそうに笑う。
「はい。ソプラノさんは少しドミナントでも例外的だったというか……メジア神とマイナ神のことに関しては恐らく二人もすでに組織の中で名前があがって知っているんじゃないかと思うのですが、俺たちはマイナ神側。たまたま能力を買われて加入したソプラノさんや、二人とそちらの組織の方々は、メジア神側。かなしいですが、俺たちは根本から対立の間柄にあります。俺個人の力じゃ、もう、それは断ち切れないんです。それに、これまで背負ってきた立場にもやっぱり責任はあるから」
話をきく間、まるで何かで頭を殴られているような気分だった。
…それじゃあ、お前はどう足掻いてもドミナントとしてずっと誰かに刃を向け続けなければならないのか?たとえそれがお前自身の望まないことだったとしても。それって、そんなのって、あんまりだ。例えるならまるで、操り人形みたいな。
「……お前の気持ちは、ないがしろにされても仕方ないって言うの?」
「あはは、……そんなところかもしれません。けれど、俺は自分の父親が成しえなかったドミナントとしての目的も同時に背負っているから。全部が全部ないがしろって訳でもない。だから、俺のことはあまり心配しないでください」
「父親……?」
「うん。俺が加入するより前に、ドミナントにいたんです。今はいませんけど」
あまり触れたことのない話題だった。そういえば、ラルシェの身の上話なんてものはあまり聞いたことが無かった気がする。僕もメトロもそんなに自身の生い立ちやらの詳細について話したことはないので、お相子と言えばそうなのだけど。
ラルシェは傾き始めた太陽を背にまわし、一歩だけ後ずさって、僕ら二人をしっかりと見つめる。そして。
「自分の生まれ持った立場のこと、父親がドミナントとして目指したもの。それらを抱えているから、俺はドミナントからは降りません。……ごめんなさい、二人のことは大好きです。ずっと。けれど、それでいても二人と争うことになる立場から退けないこと、どうかゆるさないでいてほしい。シヴォルタとアルフィーネの争いを止めなかった組織に属する身でこんなことを言うなんておかしいのは承知ですが、二人は同じ世界に生まれているんです。だから、メトくんとメロちゃん、同じ世界の者同士これからもずっとふたりが仲良くいてくれたら、俺は嬉しいなって思います」
これが、俺が二人に伝えたかったこと。苦し紛れな顔をして、そんなことを言うのだ。名前を呼ぼうとして、それは当人の声で遮られる。
「そして、今日は二人にお別れの挨拶をさせてください。きっともうこんな風には話せない。俺は今この時を機に、ドミナントとして最期まで生きる覚悟を決めるから。今日、二人がここに来てくれて本当によかった!やさしいところはやっぱり変わらないですね。色々喋ってしまいましたが、これからはただの敵対組織の一人です。だから俺の気持ちがどうとか、あまり気にしないでください。それじゃあメトくん、メロちゃん。今日までありがとう!どうか、お元気で」
そう言って深く頭を下げて、ラルシェはそこを足早に立ち去ってしまう。最後の表情は逆光のせいでよく見えなかったけれど、話の最中には消えてしまいそうな顔をしていた幼馴染を、本当なら追いかけてでも捕まえて離さないでやろうかとすら思ったのに、足はすくんで一ミリも動かない。嵐が通るみたいに、話したいことだけ話して、こちらの返事もきかずに奴は去って行ってしまったのだ。ラル、と叫ぶ声が隣から聞こえた気がした。
ただ、奴は遠くに行ってしまったと、その事実だけが僕の心臓をひどく締め付けている。仲良くいてねなんて言い残して、僕から何かを伝える間なんてものはなく、あげく別れの挨拶までされてしまった。そのことになんだかひどく傷ついたような気分になって動けない。どれくらいの間立ち尽くしていたかも覚えていないが、気が付けば僕はその場にへたり込んでいた。
「え?うん……そう、だね。前より結構力ついたんじゃないかなぁ」
なんてことない、くだらない話が続く。僕は適当に相槌を打ちながら、一体この時間の目的はどこにあるんだろうかなどと考えていた。好きな食べ物、最近の趣味、起きる時間と寝る時間。……いやいや、待て。すっかりいつものラルシェのペースに巻き込まれた会話になっているが、こちらだって訊きたいことがあるのだ。今このラルシェという人間が、何を思ってドミナントという組織に身を置いているのか。そのあたり、いろいろ。
「ねぇ、僕からもちょっと訊きたいんだけど」
少々話の流れを切ってしまう形にはなってしまったが、仕方ないだろう。このままだとラルシェの話は底を尽きないということを僕らはよく知っている。ちらりとメトロの方も見たが、その表情からは概ね僕と似た考えをしているのがわかって安堵した。僕が先手を切らずとも、メトロがいずれ同じようにしただろう。
「あ、はい。なんですか?」
「そうだな。色々あるけど……まず、今日のお前の目的って、なに」
すっかりアイスブレイクされた空気でこそあったが、あくまで僕らはいま敵対する間柄に属しているため、探りを入れるような目でラルシェの方を見る。ラルシェは、すこしだけ先ほどよりも陰りのある表情をしたあとで、口を開いた。
「手紙に、書いた通りです。二人と話がしたくて」
さっきまでとは異なる静かな喋り口だった。返事をうまく見つけられず、僕は口をつぐんでしまう。ラルシェは話をつづける。
「そうですよね。幼馴染の間柄といっても、今現在はあくまで敵対組織同士。そんな状況で俺に急に呼び出されても不安になりますよね。配慮が足りずすみません。今日は本当に、俺のプライベートで二人と話がしたくてここに来ています。……ドミナントとしてでなく、ひとりの、アロンジェ・ラルシェという人間として」
罠じゃないんです、と言わんばかりにラルシェは両手を空中にぷらぷらとして見せる。僕たちは二人して黙り込む。
「なので、ひとまず今の二人はどんな感じなのかなと思いまして。ほら、最近はこうして直接話すことも難しかったですし。……だけど、そうですね。本題といいますか、きちんと伝えたいこともあるんです」
「伝えたい、こと……?」
メトロが少し不安げに言葉をオウム返しする。
「はい。だけど、その前に。メロちゃんも俺に訊きたいことがあるんでしたよね?まずはそれを、……答えられるのは可能な範囲にはなりますが、よかったらきかせてください」
ラルシェはまじめそうな目をして、うすく微笑みながら僕の方を見る。その表情の真意がわからなくて、底知れない恐怖に声が震えそうになったのをなんとか抑えつける。
「……お前は、僕らが組織に加入したのと同じくらいから、ずっとドミナントにいるんだよね。その時から、こういう……僕たちみたいなのとは戦うつもりでいたってわけ」
隣でメトロが息をのむ音がきこえた。ラルシェは一呼吸だけ間をおいてから話し始める。
「…そういうことになるのかもしれません。二人と幼馴染…すなわち親しい間柄であることには一切嘘偽りありませんが、俺は生まれながらにドミナントの立場にある人間です。そういった意味では、俺は組織の動向に従う他がない。……二人とは、生まれた世界が違ったんです。これは俺自身じゃどうにもできないことだから」
生まれながらにドミナントの立場。つまりラルシェは、ソープみたいなのとは違う、ってことか。それが妙なまでに胸にすとんと落っこちてきて、僕の感情はなんだかごちゃごちゃになってしまった。敵で、幼馴染で、敵。言葉を出せず黙っていれば、次はメトロが口を開く。その声もやはり、どこか震えている気がした。
「ねぇ、けどそれってラルの意思なのかな。いや、……僕にはその、ドミナントが目指すものはわからないけど、こうして今みたいに国の人たちを良くないように動かしたりして戦うのって、ほんとにラルの望んでいること……?勝手なこと言ってごめん、だけど僕は、僕の知ってるラルがそんなことを望んでるなんて思えないんだ」
哀しさと苦しさが混じったような、けど芯のある声色。ラルシェはメトロのその言葉に、確かに表情を歪めたように見えた。
「……えぇ、そう、ですね。俺もきっとまだ迷っているのかもしれません。立場があるとはいえ、二人は大切な友人ですから」
「っだったら…!ねぇ、ラル。君も僕たちのところに来るって訳にはいかないのかな。僕だって君と戦いたくなんてない……!」
そうだ、ラルシェだって僕らとの争いを望まないならこちら側に寝返ってしまったっていいのではないか。ソープがそうであるみたいに、お前もそうしてしまえば。二人の会話を聞きながらそんな淡い色した希望を抱いたが、ラルシェはそれをあっけなく否定した。
「ごめんなさいメトくん、それは出来ないんです。気持ちはすごく嬉しいのですが」
「……なんで?お前は、ソープみたいにはいかないわけ…?」
僕も、ただただ思ったことを言葉にする。するとラルシェはまた、こちらを見てかなしそうに笑う。
「はい。ソプラノさんは少しドミナントでも例外的だったというか……メジア神とマイナ神のことに関しては恐らく二人もすでに組織の中で名前があがって知っているんじゃないかと思うのですが、俺たちはマイナ神側。たまたま能力を買われて加入したソプラノさんや、二人とそちらの組織の方々は、メジア神側。かなしいですが、俺たちは根本から対立の間柄にあります。俺個人の力じゃ、もう、それは断ち切れないんです。それに、これまで背負ってきた立場にもやっぱり責任はあるから」
話をきく間、まるで何かで頭を殴られているような気分だった。
…それじゃあ、お前はどう足掻いてもドミナントとしてずっと誰かに刃を向け続けなければならないのか?たとえそれがお前自身の望まないことだったとしても。それって、そんなのって、あんまりだ。例えるならまるで、操り人形みたいな。
「……お前の気持ちは、ないがしろにされても仕方ないって言うの?」
「あはは、……そんなところかもしれません。けれど、俺は自分の父親が成しえなかったドミナントとしての目的も同時に背負っているから。全部が全部ないがしろって訳でもない。だから、俺のことはあまり心配しないでください」
「父親……?」
「うん。俺が加入するより前に、ドミナントにいたんです。今はいませんけど」
あまり触れたことのない話題だった。そういえば、ラルシェの身の上話なんてものはあまり聞いたことが無かった気がする。僕もメトロもそんなに自身の生い立ちやらの詳細について話したことはないので、お相子と言えばそうなのだけど。
ラルシェは傾き始めた太陽を背にまわし、一歩だけ後ずさって、僕ら二人をしっかりと見つめる。そして。
「自分の生まれ持った立場のこと、父親がドミナントとして目指したもの。それらを抱えているから、俺はドミナントからは降りません。……ごめんなさい、二人のことは大好きです。ずっと。けれど、それでいても二人と争うことになる立場から退けないこと、どうかゆるさないでいてほしい。シヴォルタとアルフィーネの争いを止めなかった組織に属する身でこんなことを言うなんておかしいのは承知ですが、二人は同じ世界に生まれているんです。だから、メトくんとメロちゃん、同じ世界の者同士これからもずっとふたりが仲良くいてくれたら、俺は嬉しいなって思います」
これが、俺が二人に伝えたかったこと。苦し紛れな顔をして、そんなことを言うのだ。名前を呼ぼうとして、それは当人の声で遮られる。
「そして、今日は二人にお別れの挨拶をさせてください。きっともうこんな風には話せない。俺は今この時を機に、ドミナントとして最期まで生きる覚悟を決めるから。今日、二人がここに来てくれて本当によかった!やさしいところはやっぱり変わらないですね。色々喋ってしまいましたが、これからはただの敵対組織の一人です。だから俺の気持ちがどうとか、あまり気にしないでください。それじゃあメトくん、メロちゃん。今日までありがとう!どうか、お元気で」
そう言って深く頭を下げて、ラルシェはそこを足早に立ち去ってしまう。最後の表情は逆光のせいでよく見えなかったけれど、話の最中には消えてしまいそうな顔をしていた幼馴染を、本当なら追いかけてでも捕まえて離さないでやろうかとすら思ったのに、足はすくんで一ミリも動かない。嵐が通るみたいに、話したいことだけ話して、こちらの返事もきかずに奴は去って行ってしまったのだ。ラル、と叫ぶ声が隣から聞こえた気がした。
ただ、奴は遠くに行ってしまったと、その事実だけが僕の心臓をひどく締め付けている。仲良くいてねなんて言い残して、僕から何かを伝える間なんてものはなく、あげく別れの挨拶までされてしまった。そのことになんだかひどく傷ついたような気分になって動けない。どれくらいの間立ち尽くしていたかも覚えていないが、気が付けば僕はその場にへたり込んでいた。