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第十五楽章「teneramente」




「…ん、これ。何かのジャムか?」
「あぁそれは…ラズベリーだったかな。さわやかで美味しいですよね」
「へぇ。後で俺も食べようっと…ほらほら、政府の嬢ちゃんももっと食いなさいな」
「は、はぁ…」
そう促せば、控えめに少女はもう一つのサンドイッチを手に取る。ハムサンドの残り一口を飲み込んだところで、俺も件のジャムサンドに手を伸ばした。


「…いやいやいや。なんか呑気におしゃべりしちゃってるけどさ、話したい内容があってここに来たんじゃなかった訳?」
なごやかな空気に痺れを切らしたのか、赤マフラーの子がうんざりした様子でそう口にする。ラズベリーに舌鼓をうちながら、俺はあぁと答えた。

「なに、話しやすい空気感も大事だろ。…つっても、そうだな。そろそろ本題に入ろう」
その言葉で、政府の子がすこし肩を強張らせたのが分かった。まぁ、さっきあんな切り上げ方をしてしまったから無理もないだろう。やわらかいパンを、咀嚼して、飲み込む。ラズベリーのほどよい酸味は、存外口の中をしっかり満足させてくれた。


「で、君。…ソプラノと言ったか。今はもう、向こうの組織に戻るつもりはないってことでいいのか」
「…はい。というか、戻れません。あそこに私の居場所はありませんから…」
そう言って、赤い瞳は何かを思い出しているかのように伏せられる。
「居場所がないってのは?自分から出てきたって言ってたよな」
「ん…と。ない、って言うか。言われたんです、副指揮官に」

なんて、と訊ねるまでもなくソプラノは続きを紡ぐ。

「お前も所詮はあちら側なんだな、みたいな。…それ以外にも、まるで私は元からあそこの、ドミナントの人間とは全く異なる存在であるかのような言い回しを、されて。……それがどういう意味かまではちゃんとわかりませんでしたけど、少なくとも私は、あの組織にいるべきじゃないんだな…って。それだけは理解しました」

ソプラノはすこし自嘲するようにわらう。話に出てきたドミナント副指揮官とやらの言葉になにか引っ掛かるものを感じて考え込む。
見れば、向かいに座るスタッガルドも似たような顔をしていた。考えていることは同じだろう、おそらく。それを見越して、向かいの人間に言葉を投げた。

「なぁ。それじゃあまるで、この子もメジア側の人間と分かっての発言だな。そうだろ、スタッガルド?」
「ふん…そのようだな。まったく、どこまで計算されてのことなんだか…」
「え…、え?メジア、側…?」
「あ、…うん。なんかこの国って二つの神がいるみたいなんだけどね?」
なんのはなしだと言わんばかりに目をぱちくりするソプラノに、赤マフラーの子が説明を始める。

「その二つのうちの一つで、広く知られているのがメジア。僕たちみたいな能力者はみんな、その神から特別な力を受けているとされているんだ。…なんだけど、そのもう片方。マイナ、だっけ?ていうのもいて、実はドミナントはその神の力を悪用しようとしてんじゃないのーって話になってたんだよ。あ、でもそれだけじゃソープがメジア側どうこうの話とは特に繋がんないのか…?」

そこで、いや、とメルヴィンが小さく挙手する。
「案外そんなこともないかもしれないよ。ねぇ君、それまでにどこか体調におかしなところはなかったかな」
そう訊ねられれば、ソプラノはええと、と少し考えてから答える。
「…あ!そういえば、本部傍の教会が破壊された瞬間、ひどい頭痛がしました。それにその後なんてろくに能力も発動できなかったし…」

それを聞いて、スタッガルドはやはりなとため息をつく。
「…加えてだ。少し前に君に電話をしたとき、あまり体調がすぐれないと言っていなかったか?」
「ええと、はい。そのあたりから能力を使うたびにどんどん疲労が増えたって言うか、調子は良くなかったと思います。……疲れてるのかなって思ってたんですけど、そうじゃないんですか…?」
「うん。もちろんそれもあるかもだけど、それ以外にも大きな要因ってところかな。……ね、お父さん、その電話ってもしかして第十二教会が壊された時の?」

スタッガルドがうなずく。…なるほど、やはり。

「ほぼほぼ確定だな。ソプラノ、君も立派なメジア側の人間だ。その身にここ最近起きている不調は、おそらく能力の根源とされる神の力がどんどん攻撃されてることによるもんだろう。俺たちの仲間が起こしている不調とどうにも似ている部分もあるしな」
「は、はぁ……」

「…まぁそんな急に色々言われてもややこしいか。っていうか思ったんだけど、仮に僕らがメジア側の力を受けてる人間だとしてさ、そうじゃない人間もいるってことなの?」
「うん。仮説の域をすぎないけれど、どうやらそこに位置するのが今の…ソプラノさんを除く、ドミナントの面々かもしれないんだ」
メルヴィンの言葉に赤マフラーの子が息をのむ。そのどきりとしたような表情がどこか印象的だった。


「それこそ、我々がメジア側であるのに対して、向こうはマイナ側なのだろうなという話になるわけだ。あの時のソプラノ以外のドミナントの様子を見るに、あいつらは極めてぴんぴんしていた。
比べてどうだ、最後の教会が破壊されたあの瞬間。私たちや国民は誰しも何かしらの不調に苛まれていたろう。あやつら以外のほとんどの人間がメジア側の力によって支えられていたとすれば理屈としては通る。マイナ側の存在はほとんど知られていなかった少数派らしいということも相まってな」
スタッガルドはそう静かに語り終えた後で、先ほどから食べかけのままのサンドイッチを口にする。


「そ、…うなんだ。じゃあ私、本当に場違いな存在だったってことかもしれないんですね。なぁんだ……あの、よければ今度、その神様たちのこととか。皆さんが調べていたこと、色々私にも教えていただけませんか…?もちろん私も、知ってることは情報提供します!」
「あぁ、それがいい。とはいえ、私たちも未知のことばかりなんだ。共に学んでいけたらと思うよ」
「そうそう、僕だっているしね!」
「僕も、力になれることがあれば何でも言ってくれると嬉しいな」
そんな風に笑う三人に対してソプラノも、驚いたような顔をしながら、
「……ありがとう、ございます」
と言って、静かにすこしだけ口角をあげた。笑顔とまでいかないが、さっきより随分やわらかな顔をしていると思う。
それを眺めながら、俺はマーマレードのサンドをひとつ口に放り込んだ。



「……さて。せっかくリーダーの面々が概ね揃っているのでひとつ相談なんだが、今後の動きを大まかに決めたいと思う。まず俺が気がかりなのはあの民衆の謎の病のような症状だ」
四人の目を順繰りに見ながら話す。俺は昨日スタッガルドと見た、狂ったように泣き叫ぶ民衆の姿を思い出していた。

「ふむ、そうだな。あれも恐らく例の教会破壊による不調と同系統のものだと察しはつくが、それにしたって異常な空気を放っていた」
「民衆の、不調…。あ、…関係あるかわかりませんけど、道中で私も体調不良に苦しむ様子の親子をみかけました……!」
「…なるほどな。気をおかしくしただけなら……っていうのもあれだが、原因が原因だし、明確に体調が悪そうなのはさすがに放っておけないな。こんな中じゃあろくに機能している医療も少ないだろう」
考え込むような姿勢を取れば、メルヴィンがそれなら、と口を開く。

「この近くに集会所のような建物があったはずだし、体調が優れない方なんかはひとまずそこへ避難してもらうというのはどうだろう?ドミナントが何を仕掛けてくるかも分からない今は、そこで僕たちが様子を見させてもらう方がいいんじゃないかな」
そういや、そんな場所もあったかもしれないなと相槌を打つ。とはいえ一か所に大勢を集めるというのはいささか集中攻撃がこわいところだが、この状況で他に取れる手段があるのかというとそういう訳でもない。リスクは策を講じればどうにかできるだろうか。

「たしかに一理ある。それに関しては安全策も同時進行で考えながらといったところだな」
「あぁ。僕の方でも何か考えてみるよ。国のひとたちにも、何か最近おかしなことが無かったかも聞きたいところだしね」
「おう、頼む。……そして、それとゾンビだな」
「……は?」

突如俺の口から飛び出た場違いワードに、アルフィーネ二人の素っ頓狂な声がきれいにユニゾンする。ソプラノも声にこそ出さなかったが、そう言いたげな顔をでこちらを見ている。
「え、なに、ゾンビって。いるの?まさか。ドミナントってゾンビも作れる訳…」
「シューツェ、さすがに言葉足らずだよ。…いやね、僕たちもまだ人伝で聞いただけなのだけれど、どうやらゾンビのごとく狂った人が出現したようなんだ。なんでも、人間らしからぬ挙動をし、挙句の果てにはメトロノームを投げてきた…と」
「はは、そういうこった。しかしこれも笑い事じゃねえんだよな、もしそれが本当に国民の変わり果てた姿なんだとしたら、ただの国民すらも俺らの敵と化してるかもしれないってことだからよ」

どれもこれもドミナントの仕組んだ罠。いちいちそれにひっかかってちゃあ命も足りない。だというのに、タスクは次から次へと顔を出してくるんだから、困る。

「で…そのゾンビとやらはこの近くで確認されたのか?」
スタッガルドはにわかには信じられんが、とでも言わんばかりの声色で問う。
「どうもそうらしい。ただ、もしこれも教会破壊なんかが原因だってならこの辺だけでとどまってくれる話でもなさそうなのが厄介ってとこなんだよな……」
「えぇー…じゃあそれ、国のいろんなところにそういうのが誕生しちゃってないか確認とかしに行く感じ?骨が折れるなぁ」
ほんとの骨も折られるかもしれないしな、と笑えば、それは軽く流される。

けどまぁ、もし国民さえも脅威になりうるならば、ある程度は抑止しておきたい。なんでもフォルテたちの見たそれは確実に二人に攻撃を仕掛けたというのだから。これもドミナントの罠の内であるならば、俺らの誰がが出くわしたとて確実に攻撃をくらうだろう。


「でも、それって…仮にも国民の方が相手なら、あまりへたに攻撃もしにくいんじゃないですかね…?」
ソプラノが心配そうな表情をにじませて言う。
「うん、僕も同意見だ。なるべく傷つけない手段でどうにかできないのかも調べてみよう」
「そうだな。ソプラノの勉強も含めて、情報収集というのが改めて重要になるだろう。私も拠点からいくつか参考になりそうなものをもってきている。役目を交代しながらにもなりそうだが、それらも遠慮せず互いに役立てていこう」
「あぁ、助かるよ」

よし、ひとまずこんなところだろうか。
サンドイッチも用意した分は食べ切ったことだし、早速なにか参考になりそうなものでも探しにいこうか。俺が立ち上がれば、それに倣うように後の四人も立ち上がる。



「……あの」
「ん?」
そんな最中、ソプラノに呼び止められて振り返る。


「私、…皆さんのところに置かせていただいてもいい、のでしょうか……」

その少しちいさな声で、思えば先ほどの彼女のお願いに対して明確な答えを出していなかったことに気がついた。


「あぁ、いいだろうよ」
極めてフランクな態度で言う。そして、しっかりとソプラノの方へと向き直って言葉を続けた。

「正直、あんたのことはドミナントの面々が自ら切り捨てたも同然だと俺は思ってる。そして仮にそうじゃなくとも、…あんたが逆に何かしらの仕掛け罠としておくりこまれた存在だったとしてもだ。そもそもあんたにその気はない、だろう?だから、俺は別に構わんよ、ソプラノさん」

そう目を見て告げれば、たしかにその瞳は安堵にゆるんだように見えた。
構成員が何を言うかはわからんが、両組織指揮官から滞在の許可を貰えたとなると、失踪してきた身としては安心感も桁違いといったところだろう。


実際、この少女が悪事に加担できるような人間じゃないのも様子や状況を顧みるに既に分かりきったことだった。スタッガルドが連れて帰ってきたのも、そこを信じての(というか、理解しての)ことだろう。これでもしそれに裏切られるような展開になるならば、その時はその時だ。念のため覚悟だけはしておこうか。むろん、必要になるとも思っていないが。



「…さて!つーわけだ、スタッガルド。俺らも休戦協定といかないか」

に、と口角をあげて握りこぶしを突き出す。スタッガルドもやれやれと言わんばかりに笑って、

「構わん。そうしよう」

などと言うのだった。かたいこぶしが、俺のそれにこつりとぶつけられた。それはどうにも、随分かんたんな儀式だなと思わないでもないが。


これにて、俺たちはついに一旦、しずかな間柄になるのである。



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