第十五楽章「teneramente」
「え?なに、ゾンビ?」
二人の話を聞けば、シューツェの顔はたちまち疑問に歪む。などと言いながら僕も、はてと首を傾げている。
「そう!そうなんです!なんというか、動き…挙動がおかしいっていうか、まるで怪物のようで。見てもらえれば分かると思うんですけど、おぞましすぎて一目散に逃げてきちゃったからなぁ…」
「しかし、それは確かにここの国民だっていうのか?…いや、重要なのがそこかもよくわからないが」
「あ、それは本当にそうだと思います!なんていうか、この国のファッションて他の国とは違う独特な感じあるじゃないですか。婦人の方の胸元のリボンも、五線譜をあしらった様なものだったし。…目の前を通る一瞬のことだったから、ちゃんと確認できたのかって言われればそこまで自信ないけどさ。あでもメトロノーム投げてきたしやっぱ国民じゃない?ほんとびっくりした…」
「なるほどね…ここの国民を装った、模していた、なんて可能性もありそうだけれど」
「うん…。て言っても、何のためにって話にはなるんだよね…」
フォルテのその言葉に、手を動かすことすら忘れて四人でうーんと考え込んでしまう。
「…じゃあ仮にそのゾンビ人間を国民としよう。なんだって、ただの国民がそんなことになる?一連の暴動で気をおかしくしたにしろ限度があると思うが…少なくともゾンビになる病気なんて俺は知らんな」
そう言ってシューツェは首の後ろに手をやりながら苦笑を浮かべる。二人の話を信じていないのではなく、信じたうえでその謎にお手上げなんだろう。
ふむ、ゾンビになる病気か。確かに僕も、そんな話は家でおとなしく勉強させられていたかつての記憶を辿っても思い当たる節はない。あえていうなら精神の病が近いのだろうが、僕が読んだ本にあったのはもっと違う症状だったように思う。少なくともゾンビにはならない。
「うん、僕もそんな病は聞いたことがないけれど…あぁそうだ、病と言えば。シューツェ、政府本部のあたりに集められたひとたちはみな同じような症状の不調に苦しんでいると言っていなかったかい?あれと何かしら関係があるとはいえないのかな」
「ん?…あぁ、それは一理あるな……全部ドミナント周りのせいにするのも都合がよすぎるが、この状況においちゃあそれが一番可能性として高いと言えるのも確かだ。なあフォルテ、その国民ゾンビはお前たち二人に対してやけに攻撃的な姿勢だったということで相違ないか?」
まとう空気を一転させ真剣な表情でシューツェがそう問えば、フォルテもそれと似た顔をしてこくりと頷く。合わせてメトロもこくこくとする。
「絶対に僕らを狙ってた。まるで我も忘れたみたいだったんだ、攻撃してくるって感じはわかったけど、意思が、…心が、ないみたいなんだ。だから、怪物だって言った。…あれは真っ当な人間なんかじゃ、ない」
フォルテとメトロのその眼がすべてを物語っていた。恐怖に塗れたその瞳が、この話の現実味のなさを相殺していく。
果たして人間であってそうでない何か、とは何なのか。
自分から口にしておいて、これもまたドミナントの仕掛けた罠の一つであるかもしれないことに全身が震え立つ。ヴィートロイメントの大部分をつかさどっていたとされる教会の破壊、それにより発生しているこの国の数多の故障。把握しきれていない数々のバグが、どんどん自分たちを蝕んでいる感覚が恐ろしい。
数秒間は沈黙が保たれた後で、フォルテが口を開く。
「っあの、ごめんなさい!僕、みんなのことそんな怖がらせるつもりじゃなくて、その」
申し訳なさそうにそう言うフォルテの頭に、指揮官はぽんと掌をのせてふ、と笑う。
「なーに、この状況を怖がらない方がおかしいよ。気にするな」
突然のことに驚いているフォルテをよそに、シューツェはけらけらと笑いながら「お前たちも、安心して怖がっとけ」などと言って次はメトロの、その次は僕の頭に手を伸ばす。
「し、シューさん、僕らもうそんな歳じゃないですって…!」
「そうだよ!てか、なんか恥ずかしーんですけど…」
「あーうるさいうるさい、若いのはおとなしく撫でられてろ!報告ありがとうな。ほら、さっさと片して飯にするぞ~」
シューツェがそう言えば、二人はぷりぷりと年相応に照れながら荷物を抱えて先に走って行ってしまう。その様子がなんだかかわいらしくて、残された僕たちも顔を合わせてつい笑ってしまう。
「…ねぇシューツェ、僕はもういい大人だと思うんだけれど」
「あ?はは、つったって俺がメトロくらいの年の時にゃメルもまだチビ助だろ?たまには年下らしく年長者に甘えたっていいだろうよ」
「ははっ、なるほどね。…けどうん、僕よりも背の低い君に頭を撫でられるというのもなんだか新鮮でいいかもしれない」
「おーおーかわいくねぇ後輩だな……」
じろりと下から睨まれ、僕も上からふふと笑い返す。
「それは悪かったね。…しかしシューツェ、こんな大荷物をフォルテ一人に任せるつもりだったのかい?この量は……ちょっと酷じゃないかなと思うのだけれど」
久々に腹を抱えるほど笑ってしまいそうなのを苦し紛れでこらえながら、荷物の量を見てずっと考えていたことを尋ねた。すると指揮官は、あー、とばつが悪そうに口を開く。
「いや、な。後から俺がこっそり追いかけて、一人にしないでやろうかと思っていたんだが……かわいい若者に先を越されちまったようでな」
「おや。…それは残念だったね?」
「……そうでもないよ。ただ、なんか塞ぎこんじまいそうな雰囲気を感じたもんだから、誰か支えてやった方がいいんじゃないかと思ってね、けどメトロのやつがそれを気づいて先に行動してくれてたって訳だ。だからいいんだよ、実際昨晩よりマシな顔してるだろフォルテも。綺麗さっぱりとまではいかないだろうけどな」
シューツェはあくまで嬉しそうにしている。そういうことか、と僕も自然に口角が上がった。何か理由あってのことと踏んではいたが、うん。
「君は本当にいいリーダーだね」
思ったままに言えば、シューツェははぁ?とこちらを睨む。もっとも、それが照れ隠しゆえなのも理解しているので僕はそれに笑い返してしまうのだが。
はぁ、とため息をつかれたのが分かって、念のためごめんとだけ付け足す。
「…いや、何も謝るこたないがさ。なぁメル」
「うん?」
「……お前もここの副指揮官として色々気をまわしてくれてるだろ、分かりやすくこそないが。そういうところをさすがだなと思うよ、俺は。お前の責任感のデカさだって相当なもんだ。つってもこの状況だし、俺だってお前のしっかりさには助けられるてる身だが、くれぐれも無理なんてしすぎないようにしてくれよ。それこそ年上を頼れ。スタッガルドもいる」
いいな、とシューツェはまるでいたずらの成功した子どものようにこちらに笑顔を向ける。今度はこっちが思わず照れてしまった。なるほど、かなわないな。
「えぇ、えぇ。そうさせていただきますね、指揮官」
そう笑い返せば、ちょうど向こうからメトロとフォルテの呼ぶ声が聞こえる。今行くよ、と返事をして僕とシューツェは声のする方へと足を動かした。