第十三楽章「pianissimo」
「降りますか」
感情の見えない静かな声色で少女は言葉を紡ぐ。
ふと視線をそちらへとやれば、変わらず陰った瞳が自分を見ていた。動きを止めた汽車の中はまるで時が止まったようにすら感じる。窓の外を見れば、汽車は確かに自分が降りようと思っていた場所に辿り着いていた。
「…あぁ、そうだな。降りよう。だが、君は?」
「私も降りようと思います。…先ほどはお見苦しい姿を見せてしまって、すみませんでした」
二人揃って汽車を降りる。ソプラノはこちらを向き、にこりと笑む。その仕草に光はない。そのまま、彼女は足早に立ち去ろうとする。私は、慌ててその手を掴み引き留める。
「……君、行き先は?」
彼女は驚いた顔で私を見上げた。つい力を込めてしまったような気がして、慌てて手を離す。
「特にない、…ですけど……。や、ほら、政府の方に戻る気もありませんし、実家に帰ろうかなぁ、なんて…あ、でもお母さんにどういえばいいんだろ、あはは……」
早口で声色だけ明るくそういうと、ソプラノは次第に顔を俯かせた。きっと大した考えもなしに出てきたのだろう。彼女の身に起こった事柄を思えば、仕方のないことだとは思うが。一人の大人としてはどう声を掛けるべきか頭を悩ませていると、自分より先に少女が場を取り繕うように喋り始める。
「でもほんと、大丈夫です!家に帰らなくたって適当に野宿でも何でもしますし、それこそ田舎者の本領発揮!みたいな…」
「野宿って…本気か?」
「…………」
さも呆れたかのような声色で口にすれば、少女はすぐに口ごもる。汽車は、次の目的地を目指してとっくに行ってしまっていた。
「ふむ、私らの拠点でよければ、君を泊めることも出来るが」
言うと、ソプラノは逸らしていた目をこちらに向ける。
「泊め……って、アルフィーネの…?」
「いや。訳あって我々だけではないが…まぁ、君ならみんな見知った顔だろう」
そう伝えると何かを察したような(ないし傷ついたような)顔をし、彼女はすぐにぶんぶんとちぎれんばかりに首を振る。
「そんな訳にはいかないです!だ…って、そうなさっている理由はわた…ドミナントでしょう?そんなところに私が行っていいはずないですし、それに今私の顔なんてみんな見たくないと思います…!」
「ふむ。まぁ一理あるが…、まったく味方が居ないとも言い切れないだろう。むしろ、心配している者も一定数いる」
これは想定外の返答だったのか、赤い目を大きく見開いて少女はわかりやすく動揺する。
「………うちの副指揮官なんか、特にな。君自身からの潔白を証明する言葉を待ち望んでいるんじゃないか?まあ…なんだ、私だって、そうさ」
傷つけないよう、なるべく優しく言葉にしていく。少女の瞳は潤んだような気がした。
これは、ある種の賭けだった。この子は仮にもドミナントにそれなりの期間在籍している。現状はともかく、この少女が知っている情報は今の我々にとって有益だろう。底の見えないドミナントに居た一人の少女は、向こうにとってはちっぽけなものでも、我々にとっては大きな存在だ。それを引き入れることが出来るのならば、この少女すら仕掛けられた罠だったとしても構わない。
しかし、この子は強靭で、靡かせるのは容易くない。
「っでも……、そうだったとしても、みんなに合わせる顔なんてないんです…!だって私、もう、っ人を助けられない!見かけたんです、苦しそうな人。息も絶え絶えで、本当にしんどそうだった。助けなきゃって、出来ることないかなって、思ったけど、……でも、足動かなくて…!今更だって分かってますけど、大体、自分じゃ何もできるはずなかったんです。今も前も、私に出来ることなんてない。何もかも弱すぎたんです。ドミナントに入ったことで、能力も評価されて、…勝手に私は正義の味方だ、って舞い上がってました。それだけ、なんです……」
じぶんがいやになりました。そう言った少女の目は、涙が空を反射することでやっと光を宿す。それを見て、ようやく今朝は晴れていることを認知する。青を孕んだ瞳は既に純粋な赤ではないが、それもまた風情。もう一押し出来るだろうか。
ふ、と口だけで笑んだ。出来ることがない?そんなはずはないと、その瞳を見つめて口にする。少女は何も言わずにこちらを見つめ返す。私はおもむろに口を開いた。
「君の話をききたい。何でも構わないさ、君が知っている些細なことだっていい。…これはソプラノ、君にしか頼めないことだ。どうか、我々に助力してはくれないだろうか」
素直な少女は動揺を隠さない。しかし、その目は確実にこちら側に揺れたように見えた。