第十三楽章「pianissimo」
メトロを振り払うようにして出てきてしまった。
本意はさすがにバレているだろうか。僕は今ありえないほどに動揺しているし、冷静じゃない。どうしても一人になりたかった。フローラの体調のことだってあるから、本当ならあの場を離れるのはいい選択ではない。シュー兄さんもきっとそれを知ったうえで泳がしてくれている。僕が一人になろうとしていたことくらい、お見通しなんだろう。
砂利道はわずかに歩きにくい。ブーツが細かな石を踏みつける感覚が、静かに体力を削っていく。整備された道が無いわけじゃないが遠回りになる。仮にも急いでいるのだから、選ぶべき経路は明白だろう。やり場のない苛立ちを、小石とともに蹴り飛ばしながら先を急ぐ。
この国で一番大きな教会が破壊された。実行したのはドミナント。この国における中立的な政府直属の組織だ。そのせいで、僕らの認識と日常は大きく崩れた。いっそ、教会を壊したのがアルフィーネの連中ならよかったのに。そうしたら、きっと日常は変わらず続いてくれたのに。
いつからか僕はこの日々に甘えていたのだろう。アルフィーネに腹を立てて、シヴォルタで笑いあい、時折顔を合わせるドミナントの人たちとなんてことない言葉を交わす。それが存外楽しかった。僕らの普通だった。歩きながら、ここまでの出来事をダイジェストみたいに振り返る。
どうしてこんなことになっているのだろうか。死んでもアルフィーネと協力なんてしたくないし、同じ空間で平静を保っていられる気がしない。でも、恐らく、本当の敵はドミナントだったのだ。憎きアルフィーネではなく。無理やり自分に言い聞かせて、ようやくそれは僕の中で現実味を帯びてくる。なんで彼らがこんなことをしたのかはまだ分からない。だから、答えを探していかなくちゃならない。続くと思っていた日常はもうそこにはないから。
そこまで考えて、でも、と一度立ち止まる。もしあの日々が続いたとして、僕の目指す終着点は一体どこだったんだろう。…どうなればシヴォルタの勝利だった?単純にアルフィーネを全員殺してしまえばよかったのだろうか。惨い文章に見えるが、だってこれは戦争だ。でも隠れて息をする残党がいればその勝利は意味をなさない。だったら、何が勝利で、何が敗北だ?
あらためて考えなおすとすべてが曖昧だった。どうして僕たちは今までそこを話題にしなかったんだろう。混乱した脳みそはおかしな感覚に陥る。…思えば、この二つの組織における戦争の全てを把握し、指示してきたのはなんだかんだ言っていつもドミナントだった。止めようと思えば民衆など政府の権限でいくらでも取り締まれたんじゃなかったのか?わからない。今まで一切そういった考えに及ばなかった自分が恐ろしい。まるで洗脳されているみたいだ。何も、手の届く範囲に解答がない。僕らはずっと、知らぬ間にドミナントの掌で踊らされていたのだろうか。ずっと、…いつから?考えてみてぞっとした。事態は想像の何千倍も深刻なのかもしれない。
夜が深くなり、自然と冷えた空気は僕の頬を撫でて通り過ぎていく。はあ、とため息がこぼれた。これからどうなっちゃうんだろう。アルフィーネと協力して、うまいことドミナントに立ち向かっていくんだろうか。それとも、ドミナントでもない別の何かが待ち構えていたりするのか。
「…なんもわかんないや」
ぼやいた声は空に吸い込まれて消える。雲に隠された月の明かりは頼りない。漠然とした不安はじんわりと僕を苛む。そういえば、ソープはどうしているだろうか。あの子も敵、…に、なるのかな。とてもそうとは思えなかったけど。なんて、今までドミナントを敵側だと気づけなかった僕のセリフじゃないよなぁ。自嘲気味に笑ったところで、ようやく色んな感情が追い付いてきて、苦しさがこみ上げる。
「もう、ほんと、っわかんないよ…」
幼い少女みたいに膝を抱え込んでうずくまる。だって、敵だなんて思いたくなかったんだ。でも現実は見なきゃいけない。目をそらし続けるわけにはいかない、しっかりしなくちゃ。僕はシヴォルタの副指揮官だ。頼りないかもしれないけど、それでも。思った以上に弱い僕は、座り込んでそのまま立ち上がれずに縮こまる。こんなんじゃ駄目なのに。いっそ、一人なのをいいことに声でもあげて泣いてしまおうか。そんな考えが過ったその時だった。
「フォルテ!」
明るくあたたかい声に発音された名前は、夜の静寂を切り裂いて僕に耳にまっすぐ届く。反射で顔を上げて振り向くと、そこには息を切らした一人の青年が立っていた。月明かりに照らされた顔は、瞳がきらきらと眩しい。
「…メトロ………?」
対して、僕の声は随分と弱々しい。そんなことを頭のどこかでぼんやりと思っていた。