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第十二楽章「tenuto」〈前編〉

「指揮官、本日の紅茶はいかがいたします?」

慣れた手つき、滲み出てくる癖。それはきっと目にも馴染んだ光景であって、今までと何ら変わらない。ふむそうだな、考える仕草を横目に見る。それから少し間を置いて彼女は、

「セイロンの気分なのでそれを。」

と、それだけ答える。私もはい、と簡素で普段通りの返事をする。
そしていつもの分量だけ砂糖をすくったところで手を止めた。手元に向けていた視線を指揮官の方へ移してみれば、自然と目が合ったのでそのまま言葉を口にする。

「…たまには砂糖ではなくジャムを入れてみては?」
「いや、砂糖だ。」

間髪も入れないで飛んでくる言葉に小さくため息をつく。フルーツジャムの方が砂糖塗れの紅茶よりも幾分かは健康に良いのでは、と思案したうえでの提案だったのだが、どうやら彼女はそんなこと気にも留めていないらしい。きっと誰が言ったって譲らないのだろう。
「お身体にはくれぐれも気を付けてくださいね、指揮官」
「私が身体を壊してもお前は面倒を見てくれるだろう?」
「…それは、そうですけれど」
ならいいじゃないか、なんて彼女は言うのだが、それはちょっとあまりにも無責任で犠牲的ではないだろうか。そういうところばかりはどうにも心配になる。

かくしていつもの如く砂糖に埋もれたその一杯は完成する。どうぞ、と彼女のデスクに置くと、いかにも満足げな表情で指揮官はこちらに微笑んだ。その表情はつい一昨日くらいまでと何も変わらなくて、やはり彼女は彼女であるということを再認識させられる。

味と温度加減はいかがですか。あぁ、いつも通り最高…いやまて砂糖の量がいつもより少ないんじゃないか?おや、気付かれてしまいましたか。……何も変わらない、なんてことの無い会話。怒られながら、もう一つだけ角砂糖を赤い液体の中に落とす。甘ったるいんだろうな、見ているだけの私ですら満腹になりそうな程に多量な砂糖が入ったそれは。

「……ソプラノさん、出て行かれたみたいですね」

ひとりごとを言うみたいに声を出す。
彼女がいない空間は、思いのほかがらんどうだ。少なくとも、味気は無くなった、と感じる。

「当然だろうな。」

彼女の声は、静かな部屋によく響く。にぎやかな少女が戻ることはないこの部屋に、よく。持ち主を失ったデスクのうえにあらためて目線をやると、物が少しだけ減っている。
……ような気が、した。


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