第八楽章
『親愛なるメータ、ルーシェへ』
古い紙、かすかなインクのにおい。いやに静かな雨の降る日に、まだ鮮やかな色をした記憶を辿る。
『お誕生日おめでとう。プレゼント、気に入ってくれたかな。この間三人でみつけた、テルなんとかの街の、花畑の傍にあったお店。あそこにメータと僕でもう一度行ってね、二人でおかねを出して買ったんだよ。ルーシェ、欲しそうにしていたから。』
覚えたての、たどたどしくて拙い文字。彼女は、俺たちとこの交換日記をしたいがために本を読んで沢山の文字を覚えたらしい。少し読みにくいのも、そのせい。微かに読みとれるその努力の痕跡に思わず笑みすら出るものだ。
メータ、ルーシェというのはメロちゃんが幼い頃俺たちに付けてくれた呼び名だった。独特な音の伸ばし方なんかは、彼女が以前少しだけ住んでいた集落の呼び名の付け方に倣ったものらしい。
『先週、遊びに行くのを断っちゃったのはそのせいなんだ。内緒にしてて、ごめんね。』
メロちゃんは、ちゃんと謝ることの出来る人だった。
俺も、二人に…いや、三人に謝らなくてはいけませんね。とはいえそれはまだ出来ない、ことなんだけれど。
ポケットにしのばせた、いつかの誕生日に貰ったままの懐中時計。もうそれはきっと動くことはない。治し方を、知らない。いつか、三人でまた笑える日が来たら、その時にでも。
その時にでも、一緒に治し方を調べましょうね。
どこかが痛むのを見ないふりして、いつしか俺で止まってしまっていた交換日記を酷く静かに、閉じる。
栞にしていたはずのエーデルワイスの押し花は、いつの間にか落としてしまっていたようだった。