第三楽章
「本当、どうかしてるんじゃないの?」
寝てる?と明るい緑髪をぴょこぴょこと揺らす彼に尋ねる。
「うん…最近はあんまり寝れてない、かなぁ。仕事とかも結構溜めこんじゃって、寝るのも最近夜中だしね。…その、居眠りの件はほんと、ごめん…」
香りのいい紅茶を淹れながら、娯楽室の椅子に腰掛けて申し訳なさそうに項垂れる彼を見やる。ただの疲労、なのだろうか。シヴォルタ副指揮官としてももちろん心配なのだが、これは一個人フォルテ・ド・クロッキーとしての心配である。
「別にいいよ、疲れてるんでしょ。ほら、これ飲んで少し頭冷やして」
彼の前に先ほど淹れたばかりの紅茶を置く。ありがとう、と彼は紅茶を口に含む。
「っていうか頭冷やせ、って絶対怒ってるんじゃん…」
「…それはまあ、ええと……ジョークだから気にしないでいいよ。ていうか、そんな居眠り常習犯になるほど疲れも仕事も溜めこむメトロが悪いんだって」
心配しているだけなのについ怒っているような口調になってしまう。まったくもって損な性分だ。ただそれにしても、彼は仕事やら何やら溜めこみすぎだ。もう少し周りを頼ってはくれないものだろうか。
「それに、なんかメトロ最近ほんと元気ないよ。何かあったの?」
そう訊ねた後でピアノの前に腰掛ける。娯楽室はシヴォルタ全員の娯楽や趣味のための部屋なので、それぞれの好きなものは大抵ここに用意してある。フローラのかすてらも、僕のキャンバスやピアノも。
「いや、別に何かあったってわけじゃないよ。…仕事をしててあんまり寝れてなくて、疲れが溜まってるってだけ」
「本当に?」
本当に理由はそれだけなのだろうか。よく寝れてない理由は本当に仕事だけ?心配のあまりか、うっかりそんな疑いの目を向けてしまう。メトロは、少しふいと視線を僕から外す。何か、後ろめたいことでもあるのだろうか。
自身の気持ちが少し波立ってきていることが自分でもわかった。だから、自分を落ち着かせるために白と黒の鍵盤に手を伸ばす。あくまで波立つ心を落ち着けるためなので、インテンポよりも少々ゆっくりめにシューマンのトッカータを弾き始める。
「何かあったなら、僕にも言ってよ」
「ごめん」
なんで、謝るの?
「…頼ってほしいんだよ」
思わず涙すら出そうになる。メトロは何も言わない。もう、僕ってそんなに頼りない副指揮官だったの?気持ちが昂る。ついテンポが走ってしまう。
「…仕事してて寝る時間が減ってる、っていうのは本当だよ。………ただ、寝る前に色々考え込んじゃうんだ。それで、眠れない」
ってだけだよ、と少し寂しそうな笑みを浮かべながら言う。その『色々』が一番気になるんだけどなぁ。
「何、考えてるの?…アルフィーネとの戦争のこととか?メトロ、平和主義だもんね」
メトロの方を見ながら話す。テンポは落ち着いてきている。
「うん。…それとか、この戦争が終わったらどうなるんだろう、とか。日によって様々だよ、結構」
彼は優しいのだ。誰に対してでもほとんど平等にその優しさを振りまく。だから、好かれる。お人好しすぎるくらいだよ、全く。こないだはアルフィーネ肯定派のガキのことも助けちゃうし。そんでもってめちゃくちゃ火傷はしてくるし。そりゃそんな暮らしをしてたら疲れが溜まって当然だ。僕だったら、あんなアルフィーネ側の奴らなんて皆殺しにしたいくらいなんだけど。
「ほんと、どうかしてるよ」
「えっ…今のって罵倒される流れだったの?」
僕の返しに対して間抜けな声をあげたメトロにふふ、と笑いが零れる。テンポは依然安定している。
「メトロは優しいねって言ってんの」
そうかな、と言って彼はどこか照れ臭そうに苦笑いをする。そして彼はあのさ、とこちらに声を掛ける。何、と小さく返す。
「その、さ。昨日の事…なんだけど」
依然鍵盤を叩きながら彼の方をちらりと見やると、彼の表情は少しぎこちなく見えた。テンポが落ちる。
「フォルテには言っておかなきゃ、って思って」
少し暗い声に対してもう一度だけ何、と返す。
「向こうの…アルフィーネの副指揮官の子、」
あ、これ多分僕が今一番訊きたいと思ってた話だ。
メトロの声が小さな室内によく響く。
ピアノを弾く手はいつの間にか止まっていた。
「幼馴染なんだ」