死滅回游
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〝じん〟
〝おい……仁〟
見知らぬ名前、聞き馴染みのない名前の筈なのに……何故だろう……いつかの昔、この名前を何処かで……
虎「!!」ハッ
突然虎杖の意識が戻る。状況把握の為起き上がり、辺りを軽く見回すと、すぐ傍に暗闇でも目立つ真っ赤な炎がパチパチと燃えていた。炎に目を奪われるも、その炎の奥に人が見える。
乙「……」
そこには瓦礫に腰掛けて炎を見つめる乙骨の姿があった。彼の様子を見て、虎杖は更に目を見開くこととなる。乙骨の膝の上には、憐が横抱きにされ座っていた。彼の胸元に体を預け、琥珀色の瞳は閉じられており、いまた意識が戻っていないことを悟る。
乙骨は炎に目を向けながらも、己の腕で大事そうに憐を抱えていた。時折切なげな視線を彼女に向け、抱えている腕とは逆の手で、彼女の頭を優しく撫でている。
しかし、虎杖が意識を取り戻した事に気づき彼女に向けていた視線を虎杖へと向けた。
虎「……あれ?俺……」
乙「よ……よかった〜〜〜〜」
虎「???」
意識を失う前の状況を思い出す。確か自分は、この人に刀で心臓を突き刺されたような……しかし、その当人は対峙していた時とは全く異なる表情を見せた。心の底から安堵している、気の抜けるような笑顔だったのだ。
虎(この人、本当にさっきの人と同じ人か?!)
死刑人の側面はなく、別人のように笑う乙骨を見て虎杖は少し混乱した。
乙「9月頃かな。五条先生がわざわざ会いに来てね。君の事を頼まれたんだ。それでやむを得ず芝居を打たせてもらった」
虎「芝居……!?」
しかし、そんな彼の様子も気にせず乙骨は、自身の状況を流暢に語り始めた。
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五『ちょーっと嫌な予感がしてさ。僕に何かあったら今の一、二年の事を憂太に頼みたくて……秤はまぁ大丈夫っしょ』
乙『何かって……女性関係ですか?』
五『……憂太も冗談言うようになったんだね』
乙『いや五条先生に〝何か〟って想像つかなくて……』
五『あのね〜僕には凛っていう世界で一番可愛い妻がいるんだから、他の女に現を抜かす訳ないでしょ!』
乙『あはは……ですよね』
それは9月頃、アフリカの地にやってきていた乙骨は百鬼夜行の時に敵対していた夏油派閥の一人、ミゲルという呪詛師と合流し、ある物を探していた。その探索途中、乙骨は本来日本にいるはずの五条と出会う。
五条がわざわざ日本から遠い土地にいる乙骨に会いに来た理由は、自分の身に何かあった時、呪術高専にいる一、二年生の事を頼む為だった。
それに異論はなく、素直に引き受ける乙骨。しかし、それを頼むためにわざわざ日本よりも遥か遠い地までやってきたのだと言うから、疑問符が浮かぶ。
五条悟……自分と同じく特級呪術師の肩書きを持つ男。同じ特級でも自分との実力は天と地ほどの差があると言っても過言では無い。……あまりにも強すぎて、最早この人に適う者などいるのだろうかと常日頃思っている乙骨には、五条の心配事がいまいち分からなかった。だから、動揺して〝有り得ない事象〟を口に出してしまった訳だが……
五『それに万が一……いや億が一!僕が浮気をしたとしよう……そしたら凛は僕の事が大好きなんだから、凄く悲しむよね。そしてその凛お姉ちゃんが悲しんでたら、お姉ちゃんっ子な憐も泣いちゃうと思うんだよね〜』
乙骨の言葉に対して態とおどけてみせるその蒼の瞳の中には一つの確信があった。彼は分かっていた……将来自分の義弟になるだろうこの男は、ある存在が関わると穏やかな性質が変容することを……
五『そしたら憂太……僕の事殺しにくるでしょ?』
好戦的な自分と違い、彼は戦うことに意味を見出していない。であるが故に無益な争いはしないと比較的穏やかな性質を持つ……ある1点を除いてのみ……
乙『やだなぁ先生……それこそ冗談ですよね?五条先生が凛先生の事を裏切る訳ないじゃないですか……。起きるはずもない可能性を考えても仕方ないですよ』
茶化すような物言いの五条に対して、困ったように笑う乙骨。自分が1年生の時から知っている五条夫婦……日頃から見ていた彼らの態度を見てそんなことは有り得ないと断言する。自身の最愛がその姉を託すのに問題ないと信頼を置く人物なのだ。……自分で言っといてなんだがあまりにも起こる可能性が低すぎて、不毛だと感じた。
しかし……有り得ない事は百も承知で彼はなんて事ないように笑って五条に告げる。
乙『それに僕の実力じゃ、先生を殺すことなんて無理ですよ。……でも、もし五条先生が何かの間違いで凛先生を裏切る事があれば、先生の言う通り凛先生だけじゃなく、憐も傷つくことになる。先生を信じて託した憐をも裏切る行為です。
憐を傷つける者は、誰であろうと許さない……例え先生であっても……』
────── それは自分と同じように、いっとう大切に彼が護っている存在……
────── 彼が唯一向ける甘く蕩ける〝愛〟を……〝呪い〟のような深くドロドロした想いを一身に注ぎ、彼自身が〝最愛〟と表する存在……
────── 彼の幼馴染でもあり、友人でもあって、恋人になり、婚約者になっている女の子……
────── その女の名は神崎憐……
自分が愛してやまない伴侶、五条凛の歳の離れた妹にあたる存在だ。
乙骨の目は笑っていなかった……深淵を彷彿とさせる黒い眼が五条を見つめていた。
乙『僕は憐の為なら、先生相手でも容赦なく刀を振るいます……そのつもりでお願いしますね……』
これは冗談ではなく、〝本気〟の忠告だと実感した五条の口元は弧を描く。彼の本気を出させるなら、憐の話題が一番だ。
五『……ほんと。かっこいい事言うようになっちゃって……そんな展開、有り得ないと思うけど一応肝に銘じとくよ。でもさ、一丁前な事言う前に、まずは僕に圧勝出来る実力になってから言ってくれる〜?』
乙『うっ!……はい』
意地の悪い笑みを浮かべる五条、立場が逆転され言葉を詰まらせる乙骨。彼等の階級は同じ特級だが、その実師弟関係にある二人。
五『憐に何かあったら、僕だって困るんだよね〜。大事な生徒だし、彼女の姉であり僕の可愛い可愛い凛も悲しんじゃうからさ〜
だから憂太にはさ、せめて僕の所まで来て貰わないと困るんだよね……』ギロッ
乙『っ!(……先生の本気の殺気)』
1年前に乙骨が、高専に入学したあの日から、乙骨は里香の件で、自分の〝愛〟は〝呪い〟のように深く重い事を知る……。〝親愛〟の情を向けていた〝里香〟を引き留める為、自分の他に憐も引き留めようとしたとはいえ、少女の〝里香〟を〝呪い〟の姿にしてしまった。それなら〝最愛〟と表する憐が、もし自分の手の届かぬ場所へ……自分を残し、里香のいる天国へと逝ってしまった時、今度こそどうなるか分からない……。
乙(……呪っては駄目だと分かっていても、彼女と離れるのは耐えられない。きっと僕は……)
それに、自分と同じように深く重い愛を唯一の存在に向けている人を知った……。
〝愛ほど歪んだ呪いはない〟
彼の心に今だ根強く残されているこの言葉は、隣にいる五条が、自分に教えてくれたもの……日頃から妻である凛を大切にしている所を見て、少し憧れた部分もある……自分達もいつかこのように仲睦まじく、唯一無二の関係になれたらと……
互いに愛するパートナー達は、仲の良い姉妹だ。五条は姉の凛と籍を入れている立派な呪術師夫婦で、乙骨は妹の憐と籍こそ入れていないが、結婚の約束をしている……つまり婚約関係あたる。順調にいけばそう遠くない未来に、愛する憐と結婚し、民法が定める婚姻の意思を合致させて法律上の手続き(婚姻届の提出)を完了させた男女の結合関係……つまり正式な夫婦となる。
己の愛するパートナーの家族は、自分とは血こそ繋がらない者でも、法律や結婚によって家族となる……義理の兄弟となる日も近い。
だからこそ、他の者達よりも特別でより強固な関係となる……元々遠縁にあたる二人の家系図の位置が、より近くなるのだ。
五『だから頼んだよ……憂太』
乙『はい!』
乙骨に向けられた鋭い殺気が徐々に和らいでいく。ずっしりとのしかかるプレッシャーに押し潰されぬよう、乙骨は珍しく覇気のある返事を返した。
五『特に一年の虎杖悠仁……あの子は憂太と同じで一度秘匿死刑が決まった身だ。注意を払って貰えると助かる』
乙『虎杖悠仁くん……』
自分と同じ秘匿死刑になりながらも、恩師のお陰で生きて呪術師をやっている人間。憐から送られてくるメッセージには高確率で出てくる今年入ってきた一年の後輩……。
彼が何者なのか……呪いの王、両面宿儺の器となった少年。底抜けに明るい少年だと憐から聞いている。逆にそれぐらいしか知らない……。自分と似たような境遇の、己の最愛が信頼する人間……いつか……面と向かって話してみたい。そんな考えが、密かに乙骨の中に芽生え始めていた。
五『……ミゲルは?』
乙『先生には会いたくないそうです』
ちなみに乙骨と同行している呪詛師ミゲルの所在を五条に尋ねるが、気を遣う事もなく、相手から拒否されていることをあっさりと暴露する乙骨だった。
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乙「……こんな訳で、他に執行人を立てられたり、虎杖くんの情報を断たれるよりは、こう立ち回るのがベストだと判断した」
淡々と話される過去の出来事に、幾つか突っ込みたい所を抑えて、虎杖は口を挟まず聞いていた。……というか今聞くべき空気ではない事くらい、彼にも分かっている。
乙「あっちも馬鹿じゃないから総監部とは執行人として認めてもらう代わりに、虎杖くんを〝殺す〟っていう縛りを結んだんだ。だから一度殺した。本当にごめんね」
虎「……いや、じゃあ何で俺は生きてんだ?」
虎杖の疑問は至極当然のように放たれる。この世の生命である限り、基本的に〝死〟は平等に訪れるもの。例外があるとすれば〝呪い〟等は呪力を持ってして殺さなければ、完全に消滅しない。しかし、それ以外は基本的に生命の核である心臓を突き刺されば例外なく死ぬ。
あの時確かに乙骨は、折れた刀身で虎杖の心臓を一突きで止めた。普通の人間ならば刀を人体に刺すという事は、相手を傷つけることを目的としていると考える。それならば何故虎杖悠仁は生存しているのか……。
それは、刺した本人の乙骨憂太が他の呪術師とは違い、秀でた才能の持ち主であることを証明する事に他ならない。
乙「反転術式だよ。君の心臓を止まると同時に反転術式で一気に治癒した。僕が正のエネルギーをそのままアウトプットできることを知ってる人は少ないしね。以前の君の話を聞いていたからいけると思ってね」
以前の話……それは少年院での出来事を指していると分かった。宿儺に心臓を抉り取られ確かに一度死んだあの日……宿儺との交わされた契約により生き返った。その話を五条から聞いていた乙骨は、自分でも出来るのではないかと考えて実行に移す。
そもそも反転術式を扱える術師は数少ない。その中で、他人に利用出来る術師となるとごく一部の者に限られてくる。現在確認出来るのは五条、凛の同期である家入硝子、虎杖の心臓を治した両面宿儺、そして乙骨憂太の3人だけ。
乙「そう……君の死を偽装するのはこれで二度目だ。すぐにバレるかもしれないけど、状況が状況だしね。虎杖くんの死刑はとりあえず執行済で処理されるハズだ」
自分が生きている原理は分かった。だが理由が分からない……
虎「……どうしてそこまでして……」
俺を助けようとするのか……困惑を隠せない。
乙「僕が大切にしている人達が、君を大切にしているからだよ」
乙骨には虎杖が動揺している事が伝わっていた。誰でもない、乙骨だから虎杖に伝えられる事がある……。抱えている彼女の温かさを感じながら、乙骨は真剣な表情をして口を開く。
乙「僕も一度身に余る大きな力を背負ったんだ。背負わされたと思っていた力は、僕自身が招いたモノだった。君とは違う……君の背負った力は君の力じゃない……。
────── 君は悪くない」
似ているようで圧倒的に異なる部分が一つ……僕と違い、虎杖くんの力は間違いなく……彼自身に背負わされてしまったものだ。その身に余る強大な力に人生が狂わされている。
虎「……違うんだ。俺のせいとかそういう問題じゃなくって……俺は……人を……」
伏「虎杖」
虎杖が再度否定しようとした時、会話の中に入ってきた人物がいた。
虎「伏黒……」
割って入ってきたのは同期の伏黒恵だった。
伏「何してんだ。さっさと高専戻るぞ」
彼の目的は他の先輩呪術師と合流する為に高専に戻る事を推奨する。だが、虎杖は自分の罪をなかったことのように振る舞う伏黒に苦言を呈す。虎杖と伏黒のやり取りを、乙骨は静かに見守っていた。時折自分で抱えている意識のない憐に視線を向け、優しく頭を撫でながら虎杖の心中を察する。
乙(あぁは言っても虎杖くんは迷っているんだろうな。自分が存在しても良いのか……だから僕との戦闘で最後までボルテージが上がらなかった)
自分との戦闘中、彼は言っていた。
〝まだ死ぬわけにはいかねぇんだわ〟
だけどいくら意識がなかったとはいえ、この身が宿儺に乗っ取られ、気づいた時には多くの人間を殺してしまった。それはどんなことがあろうとも、許さらざる大罪だと彼は考えている……そんな自分が存在していいのかすらも迷ってしまっている。……かつて、自分と彼女が呪ってしまった幼馴染の女の子が、異形の姿となり、自分に仇なす者を襲っていた。自分が生きているだけで、周りに迷惑をかけてしまう……それならいっそ、この世から消えてしまおうと、自ら命を絶とうとした1年前の自分……境遇が似ているからこそ、今の虎杖が抱いている罪悪感が分かってしまう。
乙(……でもね、虎杖くん。それでも君は生きて良いんだ……僕はまだ君の事をよく知らないけど、僕の大好きな友達が君を信頼している……僕の大切な憐が、自分の身を犠牲にしてまで君を守ろうとした……だから僕は信じるよ)
己の中で明確に答えを出している乙骨は、目の前で行われている虎杖と伏黒の問答を見守っていた。
