武梨静
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
気に食わない。
「…お、お兄さん。ご、ご迷惑でなければ連絡先を、教えていただきたいんですけど…」
「…………は?」
なにがって、この状況が。
事の発端は、店こと"プティフール"が混み始めたため、静さんがホールに出ることになってしまったことがきっかけである。
武梨静という男は、笑顔を作ることが苦手であり接客に向いていない上に、本人が接客を嫌がるためあまりホールに出ることはないのだが…。
「すまないが武梨くん、ホールを手伝ってくれないか?」
柿崎さんのこの一言で、1人楽しくグラスを磨いていた静さんの顔が歪んだ。しかし、そんな彼でもお客さんを喜ばせたとある一件から、昔よりかは接客をそつなくこなすようになってきたのである。元々器用ではあるため、吸収するのも早いのだ。やる気がないだけで。
「…えーと、白身魚の、」
やる気がないだけで。
こうして今日も忙しないディナータイムを過ごしていると、サークルの活動で遅れるという連絡を入れていた和樹が漸くやってきた。
「すみません!遅れました!」
「和樹くん!今ちょっと忙しなくてね。急いで準備してもらってもいいかな?」
「はい!」
和樹がディナーのコース内容やキッチンの様子を見に行っている姿を目で追いつつも私も仕事をこなしていると、静さんが料理を提供しているお客様と何か話し込んでいるのが聞こえた。
「…すみません、お兄さんってこのお店のソムリエの方ですか?」
「はい。そうですけど」
「どうりであんまり見ない方だな〜って。あ、すみません」
「いえ」
そのまま会話を終わらせて料理を置いた静さんに、お客様はまた話しかける。
「……あ、あの、」
「なんでしょう」
「この料理に合うワインって……」
「ああ、それなら…」
いけない。私も仕事をしなくてはならない。和樹はとっくにホールに加わってきていて、余裕が出てきたけれど、キッチンの方は忙しいかもしれない。しっかりしないと、ちゃんと周りをみなくちゃ。
そう意気込んで意識を逸らそうとキッチンへと向かうと、勇さんとシャルが忙しなく料理を作っている姿が見えた。そして、山のように積まれたお皿もよく見える。
「皿洗い、手伝います!」
「ありがとうございます…!ちょうどお皿が足りてなくてなかったんですよ!」
「その様子じゃ、ホールはちょっと落ち着いたようだな」
「はい!」
集中してお皿を洗うも、何故かよぎるのはあのお客様の顔ばかり。考えすぎかもしれない。ワイン好きのお客様なら、ソムリエである静さんのことは気になるはず。でも、あのお客様の表情からどうしてか胸騒ぎがするのだ。考え事をしながらする作業はもちろん効率が悪く、真後ろから勇さんの声が聞こえて背筋が伸びた。
「おい」
「っっっは、す、すみません!」
「考え事してる暇あったら、手ェ動かせよ!」
「は、はい!」
いや、今は仕事中だし。こんなこと考えたって意味がない。大丈夫、大丈夫。どうせ仕事が終わった頃には忘れてるし、そんなに深く考えることじゃない。
「皿洗い!終わりました!」
「サンキューな。じゃあ、ホール戻っていいぞ」
「はーい」
そう返事しながら、ホールへと戻るとまだ静さんの姿がそこにはあった。先ほどのお客様にワインのご提供をしているみたいだった。
「あれ…まだ手足りてませんでした?」
「いや、あちらのテーブルのお客様がワインがお好きみたいで。武梨くんに質問を何度かしていてね」
「そ、そうなんですね」
「武梨さんがホールにまだいるって状況、珍しーよな」
「和樹、」
「前にワインの提供でお客様を唸らせたときはすっげえ嬉しそうにしてたし、接客も前より苦じゃなくなったのかな」
和樹から静さんへ視線を移すと、にこりとは言えなくとも少し口元に笑みを浮かべており、嬉しそうにワインの説明をしている姿が目に映る。
私、おこちゃま舌だし。ワイン、飲めないし。
私もワイン飲めたら、静さんも喜んでくれるかな。
「って、いやいやいやいや………」
「何独り言 言ってんだ?…あ、お客様見送ろうぜ」
「あ、はーい!」
和樹も数年ですっかり成長し、今では私のほうが抜けている気がするのは気のせいじゃないのだろう。実際、今みたいに別のことに夢中でお客様が帰られることに気づかない場合もある。
「ありがとうございました。またお越しください。」
こうして一組のお客様を見送っていると、ホールから静さんの姿が消えていた。恐らくいつもの定位位置に戻ったのだろう。
先程のお客様のテーブルでは、こそこそと女の子同士で話し合っている様子が見える。
…き、きになる。
いや、仕事だ。いや、仕事じゃなくても、盗み聞きとか良くない。
でも、どうしても彼女の熱を帯びた瞳が忘れられなくて不安になる。彼に愛されていないとは思っていないが、私自身が彼にふさわしいとは思えない。
小さなことでも、彼女といたほうが彼は幸せなんじゃないかと思ってしまう。我ながら、本当に面倒くさい。
「……はぁ」
「溜息厳禁。こっちの空気も重くなるし」
「っ?!…し、静さん」
「いい反応。ゴチ」
急に頬を引っ張られたと思ったら、目の前に静さんが立っていた。いつもと変わらず、くすりと悪戯な笑みを浮かべる静さんに胸がきゅんと鳴る。
「ちょっと、考え事してて」
「考え事?」
「か、課題提出の期限いつだったっけなぁ〜って…」
「……ふ〜ん」
課題の話題を出すと興味がなさそうに視線をそらす静さん。彼は大学に通っていなかったため、話題を出してもあまり分からないらしく、どこか不機嫌気味になる。一度、大学での生活や友人関係について聞かれたけれど、異性とほぼ関わらないと答えれば満足そうにしていたのでもう大学について用はないらしい。
「……あ、静さん」
目に映った、彼女の姿。
どこか不安げな表情をしながらもこちらに向けて手を挙げている。きっと、というか絶対に静さんに対してだと思ったから、静さんに声をかけた。
「…俺?」
「ワインの話楽しそうにしてたって、柿崎さんから聞いたので。多分ワインのことじゃないですか?お好きみたいですし」
「……」
待って。嫌味っぽかったかな。そんなつもりなんて、ないわけじゃないけど、ないに等しいくらいだったのに。
「なんか、アンタ…」
「お客様待たせないでくださいよ!」
にこりとバレバレであろう作り笑顔で彼の言葉の続きを阻止し、彼女の元へ行くことを促すと、彼は微妙に目を開いたがすぐに彼女のいるテーブルへと向かった。
「お待たせ致しました。先程提供したワインのことでしょうか」
「あ、すみません…ちがうんです」
聞いていない。私は聞いていない。
今はもうお客様も少なくて、静かだから聞こえないだけで。聞き耳を立てているわけじゃない。でも。
「あ、あの!断ってくださってもいいんです」
「……?」
気に食わない。
「お、お兄さん。ご、ご迷惑でなければ連絡先を、教えていた、だきたいんですけど…」
「…………は?」
なにがって、この状況が。
あの子の熱を帯びた視線とか。少し呆気にとられている静さんの表情だとか。タイミングを測っていたかのように空いている彼女のご友人の席だったり。全部全部、気に入らない。
見ることすらも嫌だなと思っていても、結局事の結末は気になってしまうもので。この場どころか、視線すらもずっと静さんを捉えたままだった。
恐らく周りは気がついていない。談笑を続ける他のお客様。明日のメニューを考える勇さんとシャル。恐らく裏で作業をしている柿崎さん。お皿を拭いている和樹。
いや、誰かが気づいていたって誰も間に入ることはしないだろう。誰にもそんな資格はないのだから。
私も、お皿拭いてこようかな。
漸く動き出した足で一歩踏み込もうとすると、静さんの声でまた止まってしまう。
「お客様、すみません」
「彼女、いるので」
淡々と告げられた静さんの言葉に体の力が抜ける。キュッと心臓を締め付けていた思いたちがなくなり、ツンと鼻奥が痛む。一呼吸置いてから、一度も二人を見ることなくキッチンへと向かった。
「和樹、手伝うよ」
「おう、サン……って、な、なんかあったのか?!」
「…っえ、ええ?何が?」
「目赤いぞ、涙目だし」
鈍い和樹も私の変化には敏感なようで、大袈裟に言い出すものだから、話し込んでいた勇さんもシャルも私たちの方へと振り向いた。
「やだなー欠伸だよ。今日はお客様も多かったしね……ふはぁ」
無理矢理欠伸を引き出すと、何事もなかったかのように勇さんとシャルは話し出し、和樹も「そ、そうか?」と疑問を抱えつつもなんとか納得してくれたようで皿拭きを再開した。
勝手に悩んで想像して不安になって、勝手に解決して。本人になんの相談もせず、どこか逃げの態度をとってしまったことに落胆する。でも、流石に本人に嫉妬しましたとか言えるはずもない。しかもただの勝手な被害妄想だ。静さんはあの子と付き合いたいと一言も言っていないし、そんな態度も1ミリも見せていない。相手が静さんに好意を寄せていたからって、静さんに対して態度を変えたのは失礼だ。謝ろう。何に謝ってるんだとか思われそうだけど、謝ろう。スッキリしないままでいるのはごめんだ。
「ごめん和樹。ちょっと静さんに話すことあるから、任せてもいい?」
「ん?ああ、いいぜ。……って、またイチャイチャするんじゃ」
「しないってば!!っていうか、いつもしてないってば!!」
青ざめた和樹に反論の言葉を浴びせ、ワインカウンターへと向かうと、そこにはいつも通りワインのチェックをしている静さんがいた。
何事もなかったかのように平然としていて、大人の余裕を見せつけられている気分で少し落ち込む。
「…あ、アンタ」
「……お疲れ様です」
さっきの威勢はどうしたと言わんばかりのすぼみ方に、私自身も驚く。話題話題〜と探しているけれど、さっきのお客様と課題の話題しか思いつかない。謝りに来たのに、課題の話とかできるわけがない。
「さ、さっきのお客様、帰られたんですか?」
失敗した。急に本題投げちゃうし。しかも声が若干上擦ったし。動揺しまくりなのが目に見えてしまっている。
「帰ったけど。ていうか、もうお客様誰もいないし」
「そ、そうですか」
どうしよう。すぐに会話が終わっちゃった。いや、謝りに来たんだし。でも、どうやって?なにを?嫉妬して、変な態度とってごめんなさいって。
「あ、あの……!」
「なに」
ワインチェックの次はグラスを拭き始めた静さんに、圧倒的差を見せつけられたようですくんでしまう。あぁもう、どうしてこんなことも言えないのだろう。
息を整えて、一呼吸置いて。勢いよく頭を下げるも、静さんの一言でその角度は90°の予定が60°にもいかずに止まった。
「ご、ごめ」
「ゴメンナサイ」
「………え?」
思わず顔を上げると、拭き終わったワイングラスを置いた静さんはこちらに向かって歩いてくる。いつもなら後ろに動く足も、今は呆気にとられているせいで前進も後退もしない。言葉の意味を考えている内に、静さんは目の前に立っていて、手のひらをぽんと私の頭の上に置いた。
「…気づかなかった。といえば嘘になるけど、好意が向けられているって分かってる状況で迂闊に近づきすぎた。反省」
「気持ちを伝えられたのは、予想外だったけど」とぼそりと零す静さんに呆気にとられすぎて、開いた口が塞がらない。
「不安にさせて、ゴメン」
静さんは悪くないのに。勝手に、勝手に嫉妬して不安になった私が悪いのに。静さんは大人だ。自分のことだけじゃなくて、ちゃんと私のことも考えていて。静さんに合わせる顔がなくて俯く。
「し、静さんはなにも、悪くないです」
「私が、勝手に不安になっただけで」
「わ、私が!静さんは私より、あの子といるほうが幸せになれるんじゃないかって、勝手に思い込んで…!」
「…幸せ」
「私、取り柄ないし、あの子みたいにワインも飲めないし…!ああいう、話の合う子のほうがって……。し、静さんから充分愛情表現していただいてますけど!…ど、どうしても被害妄想を…」
「……つまり、俺からの愛情表現がまだまだってこと?」
「だから、そういうことじゃなく……って」
思わず顔を上げると、にやーりといつもの倍笑みを浮かべている静さんがそこにいた。
…あれ?なんか、不穏だ。
「し、静さん?」
「つまるところ愛が足りない。そういうこと」
「え?いやいや…」
いやな予感から冷や汗が背を伝う。目線は静さんから横にズレ、私と静さんの間に私の両手を挟んで距離をとろうと試みる。何故かこの後を予想できて、頬が熱くなってくる。これじゃあ彼の思うツボじゃないか。
「アンタ、どれだけ俺に愛されてるか知らないみたいだし」
「し、知ってますよ!!」
なんて恥ずかしいことを言わせるんだこの人はと思いながらも、この笑みの危険性を理解しているから、この際なんだっていい。両手を前に出しながら後ろに下がっていくが、静さんはその行為すらどうとも思わないのか、別に追い詰めてくるわけでもない。その余裕が、私の心をじわじわと追い詰めているのには変わりないのだが。
「し、静さんに愛されてるって、自覚してますから……!!」
「自覚してるなら、そんな変な妄想はしないし」
「…っう。……お、乙女心は複雑なんですよ」
「その複雑な乙女心を、デロデロに甘やかすのが俺の役目」
言い返しても言い返される。元々静さんに正論を言ったって通じやしないのだ。
「というか、もう家に連れて帰るの確定。そんな可愛いこと言われたら、タダで帰すわけないし」
「か、可愛いことなんて言ってませんけど!?」
「俺のことが好きで好きでたまらなくて嫉妬した、不安にさせないで、愛してほしい」
「勝手に改変しないでください!!そんなこと言ってないですから!!」
「でも、その気持ち自体は否定してないし。つまりもう言ったも同然、みたいな?」
図星すぎて、何も言えない。せめてもの反抗でキッと睨みつけるも、静さんにはなんのダメージもないみたいで、抗う術をどんどんと失っていくばかりだ。
「…そ、そもそも、急にお泊まりだってお母さんに言っても許してくれるわけ」
「お母さんにはもう連絡しといた」
「…っえ!?」
「もう逃げられないし」
そう言って、母からの返事のメールを見せてくる静さん。ご迷惑をおかけしますがなんちゃらかんちゃらと書いてある。メアドも母で間違いない。1文字たりとも間違ってはいない。間違っていてほしいと願ってしまった自分がアホらしいではないか。
「俺からの愛、たっぷりと受け取れば?」
「……っ」
思わず息を飲んで静さんを見ると、先程のにやりとした顔ではなく、真剣で、でも逃がしてくれる気はサラサラない表情をしていた。
本当に抵抗する術はなくなってしまった。ないわけではないが、もう逃れられないのは確定であろう。
「……本当に嫌だったら、嫌って言えばいい」
静さんは、結局こうやって選択肢をくれる。でも、この質問の解答はいつも同じである。それは静さん本人が一番わかっているだろう。だからこそ、彼はたちが悪い。
けど、そういうとこが好きだから困る。
「い、やじゃ、ない…です」
彼は先程の真剣な表情から一転、ふわりと優しい笑みになって上機嫌に私の手首を掴んだ。
「…え、っえ、し、静さん?!まだホールの掃除してな」
「うるさい黙って連れ去られろ」
和樹から言われた一言が不意によぎる。ごめんなさい、和樹。またイチャイチャ…?までは行かなくても、もうほぼその領域に達するところまでいった上に、掃除まで参加できなさそうです。
…あとで、謝罪の連絡しとこう。
「…他の人のこと考えてるし」
「いやだって、仕事終わってなっ」
グイグイと手首を引っ張り続ける静さんに反論していると、唇をふさがれる。
「アンタはいつも頑張りすぎだし。たまには他の人に甘えれば?」
私の肩に顎を乗せて耳元で呟かれたものだから急に体はガチガチと音を立てて固まりだす。きゅうっと胸が締まる音がする。
「もう先に帰るって連絡しといたし」そう言ってしてやったり顔で携帯をポケットにしまう静さんの姿を、私は見つめることしかできなかったのであった。
「…お、お兄さん。ご、ご迷惑でなければ連絡先を、教えていただきたいんですけど…」
「…………は?」
なにがって、この状況が。
事の発端は、店こと"プティフール"が混み始めたため、静さんがホールに出ることになってしまったことがきっかけである。
武梨静という男は、笑顔を作ることが苦手であり接客に向いていない上に、本人が接客を嫌がるためあまりホールに出ることはないのだが…。
「すまないが武梨くん、ホールを手伝ってくれないか?」
柿崎さんのこの一言で、1人楽しくグラスを磨いていた静さんの顔が歪んだ。しかし、そんな彼でもお客さんを喜ばせたとある一件から、昔よりかは接客をそつなくこなすようになってきたのである。元々器用ではあるため、吸収するのも早いのだ。やる気がないだけで。
「…えーと、白身魚の、」
やる気がないだけで。
こうして今日も忙しないディナータイムを過ごしていると、サークルの活動で遅れるという連絡を入れていた和樹が漸くやってきた。
「すみません!遅れました!」
「和樹くん!今ちょっと忙しなくてね。急いで準備してもらってもいいかな?」
「はい!」
和樹がディナーのコース内容やキッチンの様子を見に行っている姿を目で追いつつも私も仕事をこなしていると、静さんが料理を提供しているお客様と何か話し込んでいるのが聞こえた。
「…すみません、お兄さんってこのお店のソムリエの方ですか?」
「はい。そうですけど」
「どうりであんまり見ない方だな〜って。あ、すみません」
「いえ」
そのまま会話を終わらせて料理を置いた静さんに、お客様はまた話しかける。
「……あ、あの、」
「なんでしょう」
「この料理に合うワインって……」
「ああ、それなら…」
いけない。私も仕事をしなくてはならない。和樹はとっくにホールに加わってきていて、余裕が出てきたけれど、キッチンの方は忙しいかもしれない。しっかりしないと、ちゃんと周りをみなくちゃ。
そう意気込んで意識を逸らそうとキッチンへと向かうと、勇さんとシャルが忙しなく料理を作っている姿が見えた。そして、山のように積まれたお皿もよく見える。
「皿洗い、手伝います!」
「ありがとうございます…!ちょうどお皿が足りてなくてなかったんですよ!」
「その様子じゃ、ホールはちょっと落ち着いたようだな」
「はい!」
集中してお皿を洗うも、何故かよぎるのはあのお客様の顔ばかり。考えすぎかもしれない。ワイン好きのお客様なら、ソムリエである静さんのことは気になるはず。でも、あのお客様の表情からどうしてか胸騒ぎがするのだ。考え事をしながらする作業はもちろん効率が悪く、真後ろから勇さんの声が聞こえて背筋が伸びた。
「おい」
「っっっは、す、すみません!」
「考え事してる暇あったら、手ェ動かせよ!」
「は、はい!」
いや、今は仕事中だし。こんなこと考えたって意味がない。大丈夫、大丈夫。どうせ仕事が終わった頃には忘れてるし、そんなに深く考えることじゃない。
「皿洗い!終わりました!」
「サンキューな。じゃあ、ホール戻っていいぞ」
「はーい」
そう返事しながら、ホールへと戻るとまだ静さんの姿がそこにはあった。先ほどのお客様にワインのご提供をしているみたいだった。
「あれ…まだ手足りてませんでした?」
「いや、あちらのテーブルのお客様がワインがお好きみたいで。武梨くんに質問を何度かしていてね」
「そ、そうなんですね」
「武梨さんがホールにまだいるって状況、珍しーよな」
「和樹、」
「前にワインの提供でお客様を唸らせたときはすっげえ嬉しそうにしてたし、接客も前より苦じゃなくなったのかな」
和樹から静さんへ視線を移すと、にこりとは言えなくとも少し口元に笑みを浮かべており、嬉しそうにワインの説明をしている姿が目に映る。
私、おこちゃま舌だし。ワイン、飲めないし。
私もワイン飲めたら、静さんも喜んでくれるかな。
「って、いやいやいやいや………」
「何独り言 言ってんだ?…あ、お客様見送ろうぜ」
「あ、はーい!」
和樹も数年ですっかり成長し、今では私のほうが抜けている気がするのは気のせいじゃないのだろう。実際、今みたいに別のことに夢中でお客様が帰られることに気づかない場合もある。
「ありがとうございました。またお越しください。」
こうして一組のお客様を見送っていると、ホールから静さんの姿が消えていた。恐らくいつもの定位位置に戻ったのだろう。
先程のお客様のテーブルでは、こそこそと女の子同士で話し合っている様子が見える。
…き、きになる。
いや、仕事だ。いや、仕事じゃなくても、盗み聞きとか良くない。
でも、どうしても彼女の熱を帯びた瞳が忘れられなくて不安になる。彼に愛されていないとは思っていないが、私自身が彼にふさわしいとは思えない。
小さなことでも、彼女といたほうが彼は幸せなんじゃないかと思ってしまう。我ながら、本当に面倒くさい。
「……はぁ」
「溜息厳禁。こっちの空気も重くなるし」
「っ?!…し、静さん」
「いい反応。ゴチ」
急に頬を引っ張られたと思ったら、目の前に静さんが立っていた。いつもと変わらず、くすりと悪戯な笑みを浮かべる静さんに胸がきゅんと鳴る。
「ちょっと、考え事してて」
「考え事?」
「か、課題提出の期限いつだったっけなぁ〜って…」
「……ふ〜ん」
課題の話題を出すと興味がなさそうに視線をそらす静さん。彼は大学に通っていなかったため、話題を出してもあまり分からないらしく、どこか不機嫌気味になる。一度、大学での生活や友人関係について聞かれたけれど、異性とほぼ関わらないと答えれば満足そうにしていたのでもう大学について用はないらしい。
「……あ、静さん」
目に映った、彼女の姿。
どこか不安げな表情をしながらもこちらに向けて手を挙げている。きっと、というか絶対に静さんに対してだと思ったから、静さんに声をかけた。
「…俺?」
「ワインの話楽しそうにしてたって、柿崎さんから聞いたので。多分ワインのことじゃないですか?お好きみたいですし」
「……」
待って。嫌味っぽかったかな。そんなつもりなんて、ないわけじゃないけど、ないに等しいくらいだったのに。
「なんか、アンタ…」
「お客様待たせないでくださいよ!」
にこりとバレバレであろう作り笑顔で彼の言葉の続きを阻止し、彼女の元へ行くことを促すと、彼は微妙に目を開いたがすぐに彼女のいるテーブルへと向かった。
「お待たせ致しました。先程提供したワインのことでしょうか」
「あ、すみません…ちがうんです」
聞いていない。私は聞いていない。
今はもうお客様も少なくて、静かだから聞こえないだけで。聞き耳を立てているわけじゃない。でも。
「あ、あの!断ってくださってもいいんです」
「……?」
気に食わない。
「お、お兄さん。ご、ご迷惑でなければ連絡先を、教えていた、だきたいんですけど…」
「…………は?」
なにがって、この状況が。
あの子の熱を帯びた視線とか。少し呆気にとられている静さんの表情だとか。タイミングを測っていたかのように空いている彼女のご友人の席だったり。全部全部、気に入らない。
見ることすらも嫌だなと思っていても、結局事の結末は気になってしまうもので。この場どころか、視線すらもずっと静さんを捉えたままだった。
恐らく周りは気がついていない。談笑を続ける他のお客様。明日のメニューを考える勇さんとシャル。恐らく裏で作業をしている柿崎さん。お皿を拭いている和樹。
いや、誰かが気づいていたって誰も間に入ることはしないだろう。誰にもそんな資格はないのだから。
私も、お皿拭いてこようかな。
漸く動き出した足で一歩踏み込もうとすると、静さんの声でまた止まってしまう。
「お客様、すみません」
「彼女、いるので」
淡々と告げられた静さんの言葉に体の力が抜ける。キュッと心臓を締め付けていた思いたちがなくなり、ツンと鼻奥が痛む。一呼吸置いてから、一度も二人を見ることなくキッチンへと向かった。
「和樹、手伝うよ」
「おう、サン……って、な、なんかあったのか?!」
「…っえ、ええ?何が?」
「目赤いぞ、涙目だし」
鈍い和樹も私の変化には敏感なようで、大袈裟に言い出すものだから、話し込んでいた勇さんもシャルも私たちの方へと振り向いた。
「やだなー欠伸だよ。今日はお客様も多かったしね……ふはぁ」
無理矢理欠伸を引き出すと、何事もなかったかのように勇さんとシャルは話し出し、和樹も「そ、そうか?」と疑問を抱えつつもなんとか納得してくれたようで皿拭きを再開した。
勝手に悩んで想像して不安になって、勝手に解決して。本人になんの相談もせず、どこか逃げの態度をとってしまったことに落胆する。でも、流石に本人に嫉妬しましたとか言えるはずもない。しかもただの勝手な被害妄想だ。静さんはあの子と付き合いたいと一言も言っていないし、そんな態度も1ミリも見せていない。相手が静さんに好意を寄せていたからって、静さんに対して態度を変えたのは失礼だ。謝ろう。何に謝ってるんだとか思われそうだけど、謝ろう。スッキリしないままでいるのはごめんだ。
「ごめん和樹。ちょっと静さんに話すことあるから、任せてもいい?」
「ん?ああ、いいぜ。……って、またイチャイチャするんじゃ」
「しないってば!!っていうか、いつもしてないってば!!」
青ざめた和樹に反論の言葉を浴びせ、ワインカウンターへと向かうと、そこにはいつも通りワインのチェックをしている静さんがいた。
何事もなかったかのように平然としていて、大人の余裕を見せつけられている気分で少し落ち込む。
「…あ、アンタ」
「……お疲れ様です」
さっきの威勢はどうしたと言わんばかりのすぼみ方に、私自身も驚く。話題話題〜と探しているけれど、さっきのお客様と課題の話題しか思いつかない。謝りに来たのに、課題の話とかできるわけがない。
「さ、さっきのお客様、帰られたんですか?」
失敗した。急に本題投げちゃうし。しかも声が若干上擦ったし。動揺しまくりなのが目に見えてしまっている。
「帰ったけど。ていうか、もうお客様誰もいないし」
「そ、そうですか」
どうしよう。すぐに会話が終わっちゃった。いや、謝りに来たんだし。でも、どうやって?なにを?嫉妬して、変な態度とってごめんなさいって。
「あ、あの……!」
「なに」
ワインチェックの次はグラスを拭き始めた静さんに、圧倒的差を見せつけられたようですくんでしまう。あぁもう、どうしてこんなことも言えないのだろう。
息を整えて、一呼吸置いて。勢いよく頭を下げるも、静さんの一言でその角度は90°の予定が60°にもいかずに止まった。
「ご、ごめ」
「ゴメンナサイ」
「………え?」
思わず顔を上げると、拭き終わったワイングラスを置いた静さんはこちらに向かって歩いてくる。いつもなら後ろに動く足も、今は呆気にとられているせいで前進も後退もしない。言葉の意味を考えている内に、静さんは目の前に立っていて、手のひらをぽんと私の頭の上に置いた。
「…気づかなかった。といえば嘘になるけど、好意が向けられているって分かってる状況で迂闊に近づきすぎた。反省」
「気持ちを伝えられたのは、予想外だったけど」とぼそりと零す静さんに呆気にとられすぎて、開いた口が塞がらない。
「不安にさせて、ゴメン」
静さんは悪くないのに。勝手に、勝手に嫉妬して不安になった私が悪いのに。静さんは大人だ。自分のことだけじゃなくて、ちゃんと私のことも考えていて。静さんに合わせる顔がなくて俯く。
「し、静さんはなにも、悪くないです」
「私が、勝手に不安になっただけで」
「わ、私が!静さんは私より、あの子といるほうが幸せになれるんじゃないかって、勝手に思い込んで…!」
「…幸せ」
「私、取り柄ないし、あの子みたいにワインも飲めないし…!ああいう、話の合う子のほうがって……。し、静さんから充分愛情表現していただいてますけど!…ど、どうしても被害妄想を…」
「……つまり、俺からの愛情表現がまだまだってこと?」
「だから、そういうことじゃなく……って」
思わず顔を上げると、にやーりといつもの倍笑みを浮かべている静さんがそこにいた。
…あれ?なんか、不穏だ。
「し、静さん?」
「つまるところ愛が足りない。そういうこと」
「え?いやいや…」
いやな予感から冷や汗が背を伝う。目線は静さんから横にズレ、私と静さんの間に私の両手を挟んで距離をとろうと試みる。何故かこの後を予想できて、頬が熱くなってくる。これじゃあ彼の思うツボじゃないか。
「アンタ、どれだけ俺に愛されてるか知らないみたいだし」
「し、知ってますよ!!」
なんて恥ずかしいことを言わせるんだこの人はと思いながらも、この笑みの危険性を理解しているから、この際なんだっていい。両手を前に出しながら後ろに下がっていくが、静さんはその行為すらどうとも思わないのか、別に追い詰めてくるわけでもない。その余裕が、私の心をじわじわと追い詰めているのには変わりないのだが。
「し、静さんに愛されてるって、自覚してますから……!!」
「自覚してるなら、そんな変な妄想はしないし」
「…っう。……お、乙女心は複雑なんですよ」
「その複雑な乙女心を、デロデロに甘やかすのが俺の役目」
言い返しても言い返される。元々静さんに正論を言ったって通じやしないのだ。
「というか、もう家に連れて帰るの確定。そんな可愛いこと言われたら、タダで帰すわけないし」
「か、可愛いことなんて言ってませんけど!?」
「俺のことが好きで好きでたまらなくて嫉妬した、不安にさせないで、愛してほしい」
「勝手に改変しないでください!!そんなこと言ってないですから!!」
「でも、その気持ち自体は否定してないし。つまりもう言ったも同然、みたいな?」
図星すぎて、何も言えない。せめてもの反抗でキッと睨みつけるも、静さんにはなんのダメージもないみたいで、抗う術をどんどんと失っていくばかりだ。
「…そ、そもそも、急にお泊まりだってお母さんに言っても許してくれるわけ」
「お母さんにはもう連絡しといた」
「…っえ!?」
「もう逃げられないし」
そう言って、母からの返事のメールを見せてくる静さん。ご迷惑をおかけしますがなんちゃらかんちゃらと書いてある。メアドも母で間違いない。1文字たりとも間違ってはいない。間違っていてほしいと願ってしまった自分がアホらしいではないか。
「俺からの愛、たっぷりと受け取れば?」
「……っ」
思わず息を飲んで静さんを見ると、先程のにやりとした顔ではなく、真剣で、でも逃がしてくれる気はサラサラない表情をしていた。
本当に抵抗する術はなくなってしまった。ないわけではないが、もう逃れられないのは確定であろう。
「……本当に嫌だったら、嫌って言えばいい」
静さんは、結局こうやって選択肢をくれる。でも、この質問の解答はいつも同じである。それは静さん本人が一番わかっているだろう。だからこそ、彼はたちが悪い。
けど、そういうとこが好きだから困る。
「い、やじゃ、ない…です」
彼は先程の真剣な表情から一転、ふわりと優しい笑みになって上機嫌に私の手首を掴んだ。
「…え、っえ、し、静さん?!まだホールの掃除してな」
「うるさい黙って連れ去られろ」
和樹から言われた一言が不意によぎる。ごめんなさい、和樹。またイチャイチャ…?までは行かなくても、もうほぼその領域に達するところまでいった上に、掃除まで参加できなさそうです。
…あとで、謝罪の連絡しとこう。
「…他の人のこと考えてるし」
「いやだって、仕事終わってなっ」
グイグイと手首を引っ張り続ける静さんに反論していると、唇をふさがれる。
「アンタはいつも頑張りすぎだし。たまには他の人に甘えれば?」
私の肩に顎を乗せて耳元で呟かれたものだから急に体はガチガチと音を立てて固まりだす。きゅうっと胸が締まる音がする。
「もう先に帰るって連絡しといたし」そう言ってしてやったり顔で携帯をポケットにしまう静さんの姿を、私は見つめることしかできなかったのであった。
1/3ページ
