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君の隣にいたいだけ

放課後の学校は昼間の喧騒を忘れ去ったように静かだ。聞こえる音と言えば、自分達の上履きが地面と擦れる音くらい。荷物運びを命じられた俺たちは、体育館裏にある倉庫を目指していた。抱えた学校の備品が腕から落ちそうになり持ち直すのは何度目だろう。正直重いし持ちにくいけれどこれを女子に持たせるわけにはいかない。隣で幾分持ちやすそうな荷物を抱える姿に目をやると、小さな頭がくるりとこちらを向いた。

「あれジェミンくんじゃない?」

そう言って彼女は昇降口の方へ顔を向ける。その目線の先を追えば、スマホをいじりながら壁に寄りかかるあいつの姿があった。

「ちょっと待ってて」

気づいた時にはそんなことを言って、重たい荷物を床に置いていた。昇降口の方へ駆け寄ると、ジェミンの顔がゆっくりと上がる。突然現れた俺に驚くことも、笑いかけることもしない。

「お前なにしてんの」

答えに薄々気づいていながらも、俺はそんなことを聞く。

「待ってた」

ジェミンはさも当然のようにそう言ってのけた。
今日はいつもより早く帰れそうだけど、そうは言ってもホームルームが終わってから三十分以上経っている。その間、ずっとここで待っていたというのだ。言いたいことは色々あったけれど、それを言う前にジェミンの口が開いた。

「もう終わる?」

「…うん、これ運んだら」

「じゃあ早く行ってきて」

そう言うとジェミンは再度液晶に目線を戻した。
記憶を遡るまでもなく、今日一緒に帰ろうなんて約束をした覚えはない。待っていてくれるんだったら連絡をくれればいいに。そうしたら、もっと急いで終わらせることも出来た。そんなことを考えてから、彼女を待たせていることを思い出す。
後ろを振り返れば俺を待つ小さな姿が見えた。荷物は手に持ったままである。
ジェミンに背を向けて彼女のもとに戻る。謝る俺に笑って返してくれたその子と目的である倉庫に向かった。















「それにしても実行委員は大変だねぇ」

感情が篭っているとは言い難い調子でジェミンが言う。

「ほんとに思ってんの?」

「思ってるよ〜」

出てくる言葉ひとつひとつがどうにも薄っぺらい。俺と話す時にそんなに適当でいられると思うなよ。その姿勢を崩してやりたくて、ジェミンの腕に身体を寄せる。

「あぁんジェミナ〜、もっとちゃんと慰めてよぅ!」

最大級に可愛こぶってジェミンを揺さぶる作戦だ。ほらジェミナ、こんなうざい絡み方、適当に流すなんて出来ないだろ?驚いたりダルがったり、面白い反応が返ってくるのにわくわくしながら、ジェミンの顔を覗き込だ。

「うんうん、ドンヒョガ〜がんばってるねぇ♡えらいねぇ〜♡」

そんな俺に返ってきたのは、あやすような猫なで声。凄まじいカウンターである。
たまに顔を出すこの人格に対して、俺の中にはまだ正しい対応策がない。そして、このよちよちモードに俺が毎度困惑するのをジェミンはたぶん楽しんでいる。つまり、この確信犯に俺はまんまとやられてしまったのだ。

「ドンヒョクはすごいねぇ、いい子だねぇ」

俺がごちゃごちゃと考えている間もジェミンの勢いは止まらない。とびっきり甘い声と顔面が迫ってくる。胸焼けしそうな程の糖度。俺はとっくに限界を迎えていた。

「ありがとジェミナ、もういいから」

大迫力のジェミンから距離を取り、心からの懇願をする。負けを認めたくはないけれど、これ以上何かがすり減っていくのは御免だ。

「なんでよ。ドンヒョクがやれって言ったんじゃない」

すっと元のテンションに戻って、ジェミンは不服そうな顔をした。
ジェミンは基本的には省エネタイプの人間だが、急にスイッチが入ったようにおかしなテンションになる。凄い笑い方で永遠に笑っていたり、はたまた声を荒らげてブチ切れたり。溜め込まれたエネルギーが爆発を起こしているのだろうか、感情の起伏が激しい。

「あの、思ってたより凄くて…」

「え〜?何がぁ?」

まだまだ闘えるというジェミンの意思表示に、縮こまることしか出来ない。こいつ、もしかして戦闘民族か?

「や…、それです、それ…」

語尾に向かってどんどん声が小さくなる。そんな俺を見て、ジェミンが声を上げて笑う。
俺たちの帰り道は大体いつもこんな感じだった。ふざけあったり、たわいもない話に花を咲かせたり。ただの友達だった頃から変わらない、くだらないやりとりをするのが好きだった。











しばらく歩いていると、見慣れたコンビニまでたどり着く。ここまで来るのに大体15分。空には得意げな顔で輝く太陽。今日はここ最近で最も暑い日だった。汗で湿る肌を冷ますようにパタパタとワイシャツを引っ張る。
隣に視線をやれば、同じことを考えていただろう。俺の思いはすぐに伝わった。こくりとひとつ頷いたジェミンと共に俺たちはオアシスへと吸い込まれていった。






冷房の効いたコンビニでアイスバーを齧れば、汗は一気に引いていく。外にいた時に感じた暑さをすっかり忘れて、甘くて冷たいそれを噛み締める。今年もこの季節がやってきたのだ。そんなことを思いぼんやりと空を見上げる。まだ青い空を眺めながら、横に座る男に言いたいことがあったのを思い出した。


「ジェミナ、まじで遅くなる時は待ってなくていいって」

ジェミンの方を見れば、カップのアイスをつついている最中だった。まだ硬そうな表面にがしがしとスプーンが突き立てていた手が止まる。

「そんなこと言ったら文化祭まで全然一緒に帰れないじゃん」

「実行委員になっちゃったんだからしょうがないだろ…」

実行委員というのは六月末に行う文化祭の運営を中心的に行う委員会で、これが結構忙しい。なんでそんな面倒くさそうなものをやっているかと言えば当然、ジャンケンに負けたからである。

「いっそ俺もやればよかったかな〜」

学校行事に乗り気なわけがないジェミンがそんなことを言うなんて。密かにいい気持ちになりながら、だけどちゃんと突っ込んでやる。

「実行委員って各クラス男女一人ずつだからね?」

「あれ、そうだっけ?」

ジャン負け実行委員の俺は確かに間抜けだがジェミンも大概だと思う。学校にいる時、時折ジェミンに視線を向ければ、大抵ぼうっとしているのだ。当然、先生の話も半分くらいしか聞いていない。だけどクラスメイトは色々と都合よく解釈しているため、ジェミンはクールでミステリアスなイケメンで通っている。笑える話である。
ジェミンの発言はひとまず流して、話を本題に戻す。

「とにかくさぁ、俺も待たせてると思うと申し訳ないし」

「嫌だ」

続く言葉はジェミンの一言で遮られてしまった。子供みたいにそう言ったジェミンがアイスの乗ったスプーンを俺の口元に押し付ける。その態度からは、有無を言わせないという意思がはっきりと感じられた。しょうがないので大人しくぱくりとそれを口に入れる。口の中でアイスがとろけて、目の前の顔が微笑んだ。

「あは、おいしい?」

「ん、おいし」

「学校じゃあこんなこともできないしね」

そう言って、ジェミンが俺の手首を掴む。そして、流れるように持っていたアイスバーが齧られた。形の良い唇の端についたチョコレートがぺろりと舐め取られる。それからもう一度、ジェミンの顔が俺の手元に近づく。

「ジェミナ、ストップ」

そう言えば、アイスバーに向かうジェミンの顔が止まる。アイスを見つめていた瞳が俺の顔を見上げる。

「そんな顔しても駄目!」

きゅるんとした顔をして、押し切ってしまおうという魂胆が透けて見える。ジェミンは、この顔をしすれば俺が折れると思っているのだ。だけどそれはあながち間違いでもなくて、こんな見え見えな策に俺は何度もひっかかっていた。その辺の女子たち同様、ジェミンの顔にめっぽう弱かった。

「ケチ!」

その顔が今日の俺には効かないことが分かった途端、ジェミンがそんな言葉を吐く。

「ケチじゃない!」

反射的に言い返した後、あまりにも小学生なやりとりをしている事に気づく。甘い雰囲気になっている所を見られるのは嫌だけど、店の中で馬鹿みたいな会話をする様子を冷めた目で見られるのも嫌だ。店の様子を見ようと振り返ってみる。俺の心配とは裏腹に、お店の人はこちらを見向きもせず、せっせと仕事に励んでいた。

「ジェミナ、」

ふてくされた顔で自分のアイスをつつく男の名前を呼ぶ。

「今週の土曜日さ、父さんも母さんも妹の大会見に行くって言ってて...」

唇をジェミンの耳に寄せる。内緒話をするみたいに声を潜めて。

「だからさ、続きは家でしよ」

耳元でそう言えば、ジェミンの口角が上がる。後を追うようにそよ風みたいな笑い声が聞こえてきた。

「ふふ、そうだね」

柔らかく微笑んだ顔を見て、胸の辺りが締め付けられる。その事を悟られないように、かぷりとチョコバーに歯を立てる。随分柔らかくなったそれが溶けるのを気にするフリをしながら、胸が鳴りやむのを待っていた。




















昼休みの教室は騒がしい。お弁当を食べながらざわざわと話す声で溢れかえる教室の中、とっくに食べ終えた俺は机と向かい合っていた。言っておくけれど課題を出し忘れたんじゃない。これも実行委員の仕事なのだ。

「このバンド何て読むのか書いてないんだけど」

隣に座る彼女の眉間に皺が寄る。手元のプリントを覗き込めば、確かに読みの部分が空欄になっている。しかも、そのアルファベットの羅列はおそらく英語読みではない。

「うわ〜後で聞きに行かなきゃじゃん…代表者何年?」

「三年だって」

「三年の教室とか行きたくねー」

「あたしもやだ、ドンヒョクが行ってきて」

「なんでだよ!」

くだらない言い合いをしながらプリントを整理していく。ここにあるプリントには文化祭の有志のステージに出場する団体名、人数、使用する備品などが記されている。記されている内容を考慮しながら順番を決めていく、云わばプログラムの土台作りをしているわけだ。そして、その土台部分の提出期限は明日の放課後なのである。今日は移動教室が重なったこともあり休み時間に作業が出来ていない。俺たちの中にはこの時間でキリのいいところまで終わらせてしまいたいという思いがあった。そうやって作業をしていれば、次第に周囲の笑い声もカフェのBGMと化していく。
そんな中、前触れもなく肩に手が置かれた。予想外のことに身体がびくりと跳ねる。バッと振り返ってみれば、そこにはスマホを手にしたジェミンがいた。

「びっっくりしたぁ〜…」

「ねぇドンヒョガ、ちょっとこれ聴いて」


そう言うやいなや、何か言う暇も与えられずに両耳にイヤホンが突っ込まれる。音楽が流れているわけでもなく、ガサゴソと何かが擦れる音がする。なんだか音質が悪い。そんなことを思っていると、小さく呻く声が聞こえてきた。




"うっ…あぁ、んぅ…すき、あんっ…"



脳内に流れ込むのは他でもない、自分自身の声だった。


"ふ、俺が好きなの?俺のが好きなの?"

"じぇみ、な、あぁ…!じぇみなが、すきっ…"







「…っジェミン!」

思わず叫ぶと周りの数人が視線を向ける。だけど、そんなことを気にしていられる余裕はなかった。

「どうしたのドンヒョク」

ジェミンは白々しく笑った。怒りと羞恥が頭の中でぐるぐると混ざる。血管を流れる血液が沸いているように熱い。

「お前、まじで…!ちょっと来い!」

ジェミンの腕を掴む。睨みつけた視線の先の表情は、先程から崩れず笑みをたたえたままだ。

「ごめんね、ちょっとドンヒョク借りる」

俺の横で呆然と一部始終を眺めていた彼女を覗き込んでジェミンはそう言った。










人が行き交う廊下をずんずんと進み、階段を上っていく。鍵がかけられている屋上の前まで来た時、ジェミンの方を振り返った。

「ドンヒョガ、速いって」

何歩か遅れて階段を上りきったジェミンが小さく息を整えている。ゆっくり息を吸って吐いたその後、その唇が遠慮がちに動いた。

「…怒ってる?」

教室での様子から一転、俺の様子を伺っているようだ。一応こうなることは分かっていてあれを聞かせたらしい。

「なんだよさっきの、」

出来るだけ冷静に、声を荒らげないように。感情を押し殺してそう言った。楽譜上に休符が現れた時のように一瞬の静寂が訪れた後、ジェミンの口がおもむろに開かれる。

「…この前ドンヒョクん家でした時の」

「分かってんだよそんなことは!」

つい先週の記憶を忘れるわけがない。あの日のことが脳裏を一気に駆け巡って顔が熱くなる。あの日の俺はなんだか変で、思い出して顔を覆いたくなるような余計なことをべらべらと喋った記憶がある。よりにもよってその音声がジェミンの端末に記録されているだなんて。

「録ってたの知らなかったんだけど」

こんな虚勢を張ったってなんの意味も無いことは自分でも分かっていた。だけどなんとなく、ここで焦っていることがバレたら負けなような気がして平静を装った。

「ごめんね、ドンヒョガ。でも本当に誰かに聞かせたりとかしてないから安心して」

「お前のスマホにあんなのが入ってるってだけでもう安心とか無理だろ!」

「まあ、確かに…」

「消せ!今すぐ!」

ジェミンの目がふいっと逸れる。この男、この期に及んで渋っているのだ。録られていることを知った俺が、みすみす見逃してやるわけがないのに。

「はぁ、早くスマホ出せって」

そう催促すると、ジェミンは渋々とポケットからスマホを取り出した。画面にはまだ、さっき開いていた録音ファイルがそのままに残っている。

「俺が消すから」

手のひらを向ければ抵抗するのを諦めたジェミンは素直にスマホを差し出した。ゴミ箱マークをタップし、二度と復元出来ないようにゴミ箱からも消去した。

「これだけ?」

「うん」

ファイルを一通り漁ってみたが、それらしき物は見つけられなかった。
ため息が出る。急にあんな物を聞かされて、心臓が握り潰されそうな気分だった。なんだかどっと疲れたみたいで、身体の力が抜ける。正直これ以上何か喋る気力は無かった。だけど、問い詰めないなんて選択肢はもっと無い。ジェミンがどういうつもりでこんな事をしたのか、俺には皆目見当もつかないのだから。

「なんであんなの録ってたんだよ…」

単刀直入にそう聞けば、ジェミンは目をパチクリさせて言う。

「だってあの日のドンヒョク可愛いこといっぱい言うから…」

「うああああ!」

ジェミンの声と記憶をかき消すように叫ぶ。その声が思ったよりも廊下に響いて、ぱっと口を手で抑えた。誰かがこちらに向かってくる音はしない。恐る恐る手を離して、それからジェミンの方を見る。ひとつめの疑問は、まぁ、解決した。だけど俺が理解が出来なかったのは寧ろもうひとつの方だった。

「…何で教室であれを聞かせてきたわけ?」

俺たちは付き合っているけれど、今日みたいにジェミンの思考を理解出来ないときがある。たぶん、それはジェミンも同じだろう。根本の部分がかなり違うのだ。だけどジェミンを分かりたいと思う気持ちはちゃんとあって、だからこういう時はいつも真意を確かめる。
ジェミンは一瞬目を見開いて、当たり前のようにさらりと言った。

「なんかムカついたから」

清々しいくらい簡潔で、だけどしっかりと毒を含んでいる。

「…は?」

「肩寄せあってさ、休み時間の度に一緒にいるんだもん」

そう言ったジェミンは拗ねている時の顔をしていた。ああ、そういうことか。答えはとても単純だったのだ。
だけど、最近のジェミンの様子を思い返してみても、俺が女の子といるのを気にしている素振りなんて全く見せていなかったと思う。凄まじいポーカーフェイスぶりに関心しつつ、だんだんと頭が状況を理解していく。ジェミンが嫉妬ていたという事実がじわじわとせり上がってきて、色々な感情が忙しく混ざり合う。

「ジェミンさんでもそんなこと思うんですね」

混乱の末にぎこちない敬語を零した俺を気にすることなくジェミンは続けた。

「当たり前じゃん。俺の事なんだと思ってんの」

拗ねたような口ぶりのジェミンは顔に似合わずとても人間らしい。口を尖らせるジェミンを見れば笑いを抑えることは出来なかった。へそを曲げたようなその顔が、俺の目にはとても可愛らしく映っていた。















帰りのホームルームが終わる。ここ数日休み時間を潰して作業をしたかいもあり、プログラムは期限までに完成させることが出来た。先生のチェックを受け終わり、今日はいつもより早く帰ることが出来そうだった。

「先生もさ、締切今日なのにプリント渡すの遅すぎない?」

終わったからもう良いけどさ、なんて言いながらつらつらと文句が続く。彼女の言う通り、先生の伝達が遅すぎたのが原因で苦しめられたのは事実で、俺も概ね同じ気持ちだった。
隣を歩く彼女、うちのクラスのもう一人の実行委員は小さくて可愛い普通の女の子だ。細身の身体、つやんとした黒髪、笑うと顔がくしゃっとなるのが印象的。以前は名前を知っている程度の関係だったが、実行委員になってから結構仲良くなった気がする。

「まじで俺たちよくやってるよ」

「ね〜」

愚痴を言い合いながら、励まし合いながら。俺たちはやらなければならない仕事はきちんとこなしていた。自分で言うのもなんだけど、もっと褒められたっていいと思う。

「ドンヒョクももう帰るでしょ?」

「うん、今日は早く終わると思ってジェミナに待っててもらってる」

ジェミンはどんなに帰りが遅くなる日でも俺を待っていた。昇降口で待っている姿はご主人を待つ犬を見ているようで心が痛むので、遅くなる日は図書室に居てくれと頼み込んだ。放課後の仕事の後、俺が図書室にいるジェミンを迎えに行き毎日一緒に帰っていることをこの子は知らない。

「二人ってホントに仲良しだよね、」

何気なく発された一言にどくんと身体が脈打った。反射的に、俺たちに何か不自然なところがあったのではないかと考えてしまう。こんな一言で考えすぎだと自分でも思うけれど、なんだか嫌な予感がしたのだ。

「まぁ、中学から一緒だし…」

言ってから、なんとなく弁明臭くなってしまったことを心の中で反省した。しかし、彼女は特に何か思ったわけではないらしい。

「ふ〜ん」

返ってきたのは気の抜けたような返事だった。なんとなく踏み込んだ事を言われるのではないかと身構えていた身体が緩まる。相手の間や声色から俺の脳は不穏な予兆を感じていたが、それも気のせいだったのかもしれない。ジェミンと付き合ってからというもの、何かと敏感になっているところがある。付き合う前以上に見られ方気にするようになった。外でくっつく事が出来なくてジェミンは若干拗ねている。だからこそ、誰にも見られないお互いの家は俺たちの楽園だった。ベッドの上で並んで映画を見て、そういう気分になったら唇を押し付けられる場所。今日だってこれからゲームをする予定がある。




「…かっこいいよね、ジェミンくんって」



隣からぽつりとそんな声が聞こえた。彼女の表情は下を向いていてよく見えなかったが、そんなものを見なくたって分かってしまう。俺は結構察しのいい方だから。
なぁジェミナ、お前が嫉妬してた相手はお前のことが好きみたい。

「睫毛とかやばいよねあいつ」

何か言葉を発さなければならないと思って、頭に浮かんだ適当なことが口から滑り落ちる。

「そう!睫毛!綺麗だよねぇ…羨ましくなるくらい…」

思ったより食い付きが良くてほっとする。うっとりとそう言う彼女を見ればジェミンに憧れていることが痛いほど伝わってきた。今までの沢山の子達と同じように、ジェミンに幻想を抱いているこの子に言ってやりたくなる。あいつは王子様でもなんでもないんだってこと。だけどジェミンの変な所を、かっこいいのと同じくらい可愛い所を誰にも教えたくなかったりするのだ。

















その日の休み時間もまた、俺たちは職員室に呼ばれていた。それ自体は日常茶飯事になりつつあるので、別に苦ではない。

「ドンヒョガ、行くよ」

頭上からそんな声が降り注ぐ。その顔を見上げれば、いつも通りの彼女がいる。昨日の恋バナの時の照れたような表情を思い出して、なんだか気が重くなる。そんな俺を見て、彼女は訝しげに顔を歪めた。

「なぁに?眠いの?」

「眠くない、今の授業寝てたし」

「じゃあ早くして!」

お母さんみたいだ、なんて言ったらちょっと怖いので大人しく席を立った。
先生の机の下には 備品の入ったダンボールが二つ。体育館まで運んでね、なんてにっこりと言われ、俺たちは荷物を腕に職員室を後にする。

「あっ、」

人が行き交う廊下を歩いていると突然、彼女が驚いたような声を上げて足を止める。視線を上げればさっきまで教室にいたはずの男がいる。正直あまり会いたくはなかった。

「…ジェミナ、」

「先生に呼ばれたってこれのこと?」

また荷物運びじゃん、なんてけらけらと笑った後、

「持つよ、重いでしょ」

俺の目の前でジェミンはさらりとそう言った。差し伸べられた手の先にいるのは勿論俺ではない。彼女の手からジェミンが荷物を掬い取ろうとする。

「え…!大丈夫、これくらい持ってけるよ!」

その声がいつもより上ずっているのが分かる。彼女の目に映るジェミンは王子さまそのものなのだろう。クラスの気になる男子に重い荷物を持ってもらうなんて少女漫画顔負けのシチュエーション、ときめかない方がおかしい。

「無理しないで。いつも色々持たされてるんだし、今日くらい俺に任せてよ」

その子が口ごもったタイミングでジェミンが彼女の手から荷物を奪い取る。

「ほら、行こうドンヒョク」

颯爽と俺の前を歩くジェミンの後を追った。彼女を振り返らないで、ただその背中だけを見ていた。














ジェミンの部屋に通され、リュックを隅に置く。もう何度も来たことのある勝手知った部屋。ジェミンはいつものようにベッドを背にしてクッションをふたつ並べた。俺は用意されたクッションに腰を下ろし、それからジェミンの身体に腕を巻き付ける。


「なぁに、ドンヒョガ。今日は機嫌悪いのかと思ったのに」

「ん、」

帰り道の間もずっと、ジェミンにくっつきたくて仕方がなかった。この体温が俺のものだって確認して、安心したくて堪らなかった。
女の子がジェミンに恋する姿を見るのには慣れている。中学の頃からモテてている所を見てきたから。でも、だからといってそれは、そんな所を見て平気でいられるという事ではなかった。ジェミンは俺のものなのに。そんなことを思う時もあれば、はたまた弱気になったりもする。女の子と付き合えば、ジェミンはもっと楽になれるんじゃないか。外での距離感を気にしなければならないことに拗ねるジェミンを思い出す。女の子とだったらどこにいても堂々と手を繋いでしまえるのに。
抱きついたまま、ふとジェミンを見上げる。それに気づいたジェミンが瞬きをした。

「睫毛長いねジェミナ」

「うん。目に入るし邪魔」

本人にとってはそう言えてしまうくらい取るに足らないものなのだろう。だけどそれは俺やあの子にとっては気になって仕方ないものだった。女の子も羨むような長い睫毛。ジェミンの顔を華やかに飾り立てるそれは華奢な装飾品のようだ。

「俺は好きだけど」

ジェミンの服に顔を押し付けてもごもごと喋る。ジェミンの身体がこちらを向いたのに気づいたけれど、顔は服から離さなかった。

「そうなの?」

「…っそうだよ!」

「じゃあ睫毛長くて良かったかも」

声を弾ませてそう言ったジェミンが可愛くて、なんでか笑いが込み上げてきた。

「ふふふ、」

さっきよりも腕に込める力を強める。

「もう元気になったの?」

ジェミンの声が聞こえて、ひょこりと顔を上げる。綺麗に並んだ長い睫毛に縁取られた瞳。細められた瞳が分かりやすく愛を語っていたから、言わないようにと思っていたことがぽろぽろ口からこぼれ落ちる。

「今日のさ…荷物運んだ時のやつ…」

「うん」

「あの子がお前のこと好きになっちゃったらどうするんだよ…」

実際には、あの子はもうジェミンに恋をしているのだけれど。そんなことを聞くのは不毛だと頭では理解していたし、何よりジェミンにめんどくさいと思われたくなかったのに。これも全部ジェミンのせいだ。そう思っていると、ジェミンの身体が揺れた。あはは、後から声がして笑っているのだと分かった。

「まぁそれをちょっと狙ってたりもするよね」

ジェミンは楽しそうだった。子供みたいに純粋な顔で笑っていた。

「そしたらあの子、ドンヒョクのこと好きになることないじゃん」

「…こわ、」

「えー嬉しくないの?」

呑気なことを言いながらジェミンが笑う。ジェミンは思っていたよりも陰湿だった。王子様のイメージからの落差が凄い。だけど、それを責めることが俺には出来ない。ジェミンの言動に引きつつも、正直に嬉しいと思ってしまったから。

「まあそれもある事にはあるんだけどさ、普通にドンヒョクの横に居たかっただけかも。仕事だって分かってるけどさ〜あの子ばっかりずるいじゃん」

ずるいって。ジェミンは駄々を捏ねる時に途端に幼くなるな、なんて思いつつ、

「でも俺、誰かにジェミンを好きになられるの嫌だ」

ジェミンの身体に回した腕を解いて、その目を見つめる。いつもなら見られたくないと思う部分をさらけ出せるのは、ジェミンが先に見せてくれたからかも。
ジェミンの身体が俺の方にまっすぐ向く。その後、真正面からジェミンの体に包まれた。ぽすりと腕の中に収まると、ふわりとジェミンの香りがした。爽やかでどこか甘い俺の好きな香り。包まれている間だけはジェミンのものになれた気がした。

「かわいい」

耳元で言われればとても擽ったいその言葉をジェミンは躊躇いもなく言う。
しばらくの間、俺たちはそうやって抱き合っていた。ずっとそうしていたようでもあるし、あっという間だった気もする。冷房を付けたばかりの冷えきらない部屋の中。ワイシャツ越しに汗が滲む。だけどそんなこと、取るに足らなかった。ジェミンを抱きしめ、ジェミンに抱きしめられている間はそのこと以外何もかもどうでもよくなる。ずっとこうしていたい。微睡むくらい緩やかな瞬間をいつまでも享受していたかった。









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