内戦後

聴取

 廊下に差し込む光は窓ごとに切り取られていて、その明暗の中を二人の影が順番に横切っていった。
 石を切り出して敷いた床は、どこまでも均一だった。継ぎ目が規則正しく並び、その上を案内役の革靴の音が一定の間隔で刻まれた。
 王都アルバーナの宮殿。その一室へと通されるまでの廊下は、やけに長く感じられた。
 コーザはただの平民でありながら、王宮に出入りする子供時代を送った時期がある。
 広大な宮殿の中で子供の侵入を許していた場所などたかが知れていたと今は思う。見覚えのない区間。ここまでは来られなかった。来たことがなかった。
 前を歩く案内役は、コーザの足音が乱れても、歩調を緩めなかった。
 踏み出す一歩ごとに、身体の奥に残った疲労と痛みがわずかに遅れて追いついてくる。案内役はコーザへ言葉をかけることもない。足取りの揺れにも、呼吸の浅さにも、何一つ触れないまま、ただ前へ進む。無関心さが、この先にあるものの性質をすでに示していた。
 やがてたどり着いた扉の前で案内役が立ち止まった。ノックをして、返答を待たずに開ける。身体ごと脇に退いて、目だけで中を示した。
 室内は整然としていた。
 余計なものは一切なく、配置は正確で、温度だけが抜け落ちている。窓はあったが、光は壁に吸われて広がらず、白く四角く床に切り落とされていた。長机と椅子と、記録のための道具。机の端に水差しと伏せた杯が置かれているが、それはこれからの時間が長く及ぶ可能性を示しす設置かのように見えた。それだけで構成された部屋は、最初から誰かを裁くために存在しているような顔をしていた。
 部屋の大きさに対して遠く距離を感じさせる長机の向こう正面に、男が座っている。四十がらみで、顔に特徴がなかった。悪意があるわけでなく、ただ、感情の気配がなかった。
 書類に落としていた視線をコーザに向けるまでに、一拍あった。その一拍は、威圧のためではなく、急ぐ必要がないということを自然に示していた。
「司法・法務長官が任命した担当官です。アラバスタ王国の手続きに基づき、本日の聴取を執り行います」
 声に抑揚がなかった。怒りでも温情でもなく、制度が喋っていた。
 その背後に、イガラムが立っている。
 子供の頃に初めてイガラムを見た時、なんだこのおかしな巻き髪のオッサンとしか思わなかったことが脳裏をよぎって、すぐ消えた。
 イガラムはこちらを見ているが、何も言わない。動きがなかった。ただ、立っていた。壁のように、あるいは印のように。
 この場が王家の意思の延長にあることだけが、静かに固定された。
 示された椅子に腰を下ろす動作で、脇腹のあたりで何かが軋み、それを庇うように上体が一瞬傾いた。それをこの部屋の誰も見ていなかった。見ていても、見なかった。
 聴取が始まった。
 事実の確認。
 まずは名前と年齢と居住地。質問は短く、書類に落ちるペンは照合だけを刻み、余白を与えない設計になっていた。
 宮殿の一室は隙もなく清潔で、紙とインク、乾いた木材の匂いがかすかに漂っている。鼻先に引っかかる感覚を覚え、どこか知ってるはずなのに、頭の中で形になる前に質問は時系列の確認へと移行した。
「ナノハナの一件以降、各地において武装集団の発生が確認されています。記録によれば、あなたの反乱参加以前から、複数の地点で衝突が頻発していた」
 反乱軍にコーザが加わる以前から、戦いはすでに広がっていたと、記録は示している。
 事実は淡々と並べられ、個々の出来事は線として繋がれていく。
 その流れの中で、不意に言葉が差し込まれた。
「反乱参加以前、あなたが居住していた地域において、武力衝突が発生していた記録があります」
 具体は示されない。だが、何を云われたかコーザにはわかっていた。
 星月夜だった。
 乾いた風。
 押し寄せた招かれざる者たちの影と、掠める刃。
 剣を突き入れて返ってきた反動が、やけに鮮明に残っている。
 あれは絶対に正しかったのか。ただ、あの場ではそうするしかなかった。そしてあの夜が、何かの踏ん切りになったことも知っていた。
「正当防衛に該当する事例と推定されます」
 淡々とした補足が加えられる。それ以上は触れられない。記録としては、それで足りているからだ。
 あの夜が、ここではただの『事例』になった。コーザは前を向いたまま、それを聞いていた。
「反乱軍の成立過程について確認します」
 質問が移った。
 各地で自衛的な集団の自然発生。統一されていない武装勢力の拡大。その後、コーザの指揮下で再編されて、やがて一つの流れへと収束していったこと。
 担当官は淡々と経緯を読み上げた。コーザは黙って聞いた。概ね、事実だった。
「あなたは、自発的に指導的立場を引き受けたのか」
 間が落ちた。
 誰も決められなかった空気。まとまりのない怒りと、行き場のない悲しみが、ただそこにあるだけだった。押し出されるように前へ出た感覚。選んだというより、そこに立たざるを得なかった流れ。
「……まとめるやつが、いなかった」
 その瞬間、言葉は紙の上に定着して、意味は固定され、揺らぎを失う。そこに至るまでの曖昧な重さは、どこにも残らない。
 その短い答えが『自発的意志』として処理されるとわかっているが、それ以上云わない。云えないのではなく、そこに収まらないとわかっている。否定もしない。否定できるほど、無関係ではない。同時に、別の感覚もよぎった。引き返す余地、それについて。
 ――選ばれたのではなく、選ばれることを拒まなかっただけだと気付く。
 紙の上で、戦闘が整理されていく。
 進軍経路。衝突地点。交戦規模。
 コーザは一つひとつに応じる。担当官のペンが動いた。紙を擦る音が、質問と質問のあいだを埋めていく。
 だんだんと、肉体が長く座っているだけで、じわじわ痛みが蓄積した。
 はじめは鈍かった。気にならない程度だった。しかし時間が経つにつれて、呼吸のたびに脇腹が主張するようになった。
 思考より先に痛みが来るようになってから、言葉を選ぶのに余分な時間がかかるようになった。呼吸が浅くなる。
 それでも、進行は止まらない。痛みは個人の問題として処理され、場は制度として淡々と進む。
 意識せずに体勢を変えると、衣擦れが小さく鳴る。それすらも余計なもののように感じられ、少しだけ鼻に皺を寄せた。その瞬間、自分の身体から、室内の清潔さから浮いて、砂と血と薬の混じったにおいが立ち上った。
 その違和感の中で、インクと紙と乾いた木材の匂いの何が自分の感覚に引っかかったのかを思い出した。夜の砂は冷え、澄んだ空気に燃える炎は、温かいのにどこか冷たい匂いになる。焚火の火が小さく揺れ、乾いた枝が爆ぜる音が耳に残る。軽く苦い煙が、静かな風にほどけていく。
 輪になって座る大人たちは、声を張らなかった。誰も強くは語らず、ただ物語として、詩として、言葉だけが、火の向こうで静かに沈んでいく。
「〇〇地区における国王軍との交戦において、攻撃開始の指示を出したのはあなたか」
 問いの形が変わった。短く息を吸い、コーザは答えた。
「……ああ」
 その一言で、そこで生じたすべての死傷が、形式の上でコーザに結び付けられる。重さは感じているはずなのに、言葉として出るときにはひどく軽い。
 担当官が書き留めて、続けて別の確認が重ねられる。
「当該交戦において、あなた自身が武器を用いて敵兵に対処した事実は確認されている」
 断定だった。否定を求めるでも、責めるでもない。ただ事実の照合。
 腹の熱がどくりと渦巻いた。
「……ああ」
 その応答によって、自分の手で人を倒したという事実が、ただの記録としてそこに置かれる。誰の顔も、声も、そこには含まれない。
 それ以上は問われなかった。人数も、状況も、踏み込まれない。戦闘記録の一項目が埋まった。《殺した》という言葉は使われず、すべてが戦闘行為として整理されていく。これはここでは罪ではない。記録だ。この場が断罪ではなく、国家の枠組みの中に出来事を収めるためのものであることを、静かに理解させられる。
 その意味が落ちた瞬間、焚火の向こうで聞いた言葉が遅れてやって来た。
 低く、穏やかな声が、静かに重なっていた言葉。
「人は人を殺してはならない」
 戒めというより、当たり前のこととして語られていた。
 火の向こうで、誰かが唄っていた。

 身の回りに目を凝らし / 耳をすませよ / 戦は何も残さない / ただ壊し / 奪い / 何もかも砂に還るだけ

 声は低く、旋律は単調で、それでも途切れることなく続いていた。
 自分はそれを、どこか遠い場所の話として聞いていた。自分の足元とは繋がらない、幻の物語のように。
 机の上の記録は変わっていなかった。「戦闘」「指示」「対処」。さきほど自分が肯定した事実は、ここでは罪でも逸脱でもない。ただ処理されるべき一項目として、否定されることもなく置かれている。
 あの夜に唄われていたものと、この机の上に並んだ言葉の間に、自分はいた。どちらも消えてはいなかった。どちらも、正しく現実だった。
 二つの理が、どちらも崩れないまま、胸の内で並び続けていた。
 解決はされないままで。
 担当官の声は続き、次の項目へと移っていく。コーザは応じ続けた。
 窓の光が、ほんのわずか角度を変えていた。
 どれだけ時間が経ったのか、正確にはわからなかった。
 ふと。担当官の筆が止まって、わずかな空白が落ちた。
 次の資料を繰る音がして、そのまま数秒が過ぎた。
 紙の端が指の下で静止していた。その沈黙は短かったが、それまでの一定のリズムが途切れたことで、妙に長く感じた。
 沈黙の中で、コーザは息を整えきれないまま、口を開いた。
「……あいつは、まだ生きてるのか」
 声に出てから、準備していた言葉ではないと気づいた。疲労と痛みで削られたところから、戦場で視界の端にいた映像の記憶が勝手にこぼれ落ちた一言だった。
 担当官は手元の資料を確認した。紙をめくる音は数秒だった。
「該当人物は治療後、死亡が確認されています」
 名前は出ない。所属と処置と経過と結果だけが告げられる。焚火の向こうで聞いた“誰かの物語”と同じ形で、現実がそこに置かれた。
 戦場で共に砂を噛んでいた“あいつ”は、この場では一件の記録として処理される。
 コーザは、わずかに息を詰めた。それ以上の反応は出さない。出してはならないと、どこかでわかっているように。
 だた何かが胸の奥に沈んでいくのを感じている間に、次の質問が来た。聴取は、そのまま再開された。
 時間が経つにつれ、身体の重さが意識の前に出てくる。答えるたびに痛みが走る。それでも言葉は止めない。ここで崩れることは、自分の中で許されなかった。
 直立するイガラムは、そのすべてを見ている。だが動かない。声もかけない。理解していても、介入しない。それはイガラム個人の冷淡さではなかった。それがこの場の厳格さを保つという選択だった。コーザにも、それはわかっていた。
「本件は戦闘行為として処理します」
 担当官が告げた。
「個人の犯罪としての立件は行いません」
 沈黙が落ちた。
 コーザの内側に残るものは、どこにも収まらない。
 裁かれないことへの安堵は、どこを探しても見つからなかった。
 最初の一人も、その後の数も、行き場を与えられず、どこにも行かなかった。
 そのとき、イガラムが一度だけコーザを見た。何も言わない。ただその視線の中に、王家の意思があった。国家はこれを引き受ける――そう告げるような、無言の重み。
「拘束はしません。ただし、追って通達があるまで王都への滞在を命じます」
 担当官のそれが終了の合図だった。
 処罰でも赦免でもない、曖昧な位置にコーザは置かれた。宙に引っかかったままの状態に名前をつけることを、制度は必要としなかった。
 立ち上がる瞬間、床が一拍だけ遠くなった。足元がわずかに揺れて、膝が言うことを聞くまでに時間がかかった。どこからも支える手は来なかった。自力で踏みとどまって、扉へ向かった。担当官がすでに次の書類へ視線を移す気配があった。
 扉が開かれ、廊下に出ると、外光がやけに白かった。
 閉じた部屋にいた時間の分だけ外の明るさが過剰に感じられて、しばしコーザは目線を落とし、石の床の継ぎ目を見た。自分の影が伸びている。
 耳が、遠くで人が動く音を拾った。日常のざわめきのはずなのに、膜を一枚隔てたように自分には触れてこなかった。
 戦場とは形の違う疲弊が、一気に押し寄せる。
 それでも確かに、自分はあの場所にいたのだとわかる。焚火の前で聞いた言葉も、この場で与えられた言葉も、どちらも同じ重さで残っている。
 自分が今立っているのは、戦いが残していったものの上だった。
 部屋の中で答え続けた言葉が、どこかに積み上がっていた。名前を呼ばれなかった人間の死が、経過として処理された部屋が、すぐ後ろにあった。
 規則正しくならない足音でコーザは歩き出した。
 背後で扉が閉じる音がする。
 その音を聞いたときには、コーザははっきりと理解した。
 自分はもう戦っているのではない。終わった戦いの、その先にある責任の中に立っているのだと。

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