内戦後

警戒対象、不在

 任務は簡潔だった。
 王女視察の警備。
 ユバ内側寄り、外周の抑え。
 配置を告げられ、対象の一覧にあったその名前に、一度だけ表情を固めた。
 コーザ
 反乱軍リーダー。元、を付けるべきなのだろう。
 顔も名前も知っている。あの内戦の中心にいた男。今は、ユバに。
 ユバは首謀者コーザの居住地で、おのずと同郷の者が多数そのまま反乱軍に参加している。
 それが、視察対象の一つとして挙げられている。
 許されている、という扱いが、どうにも納得いかなかった。
 喉の奥に刺さったまま抜けない不快感。だが任務は任務だ。感情はそのまま内側に押し込め、王国軍人として視線だけを外へ向ける。


 王女の到着は、整っていた。
 ラクダの隊列、前後の護衛、所定の間隔。手順通りに動く列が砂煙の向こうから近づいてくるのを、予定通り外周の位置から確認する――はずだった。
 崩れたのは、町に入る直前だった。
 女たちが駆け寄った。二人、三人、それよりもっと。叫ぶように黄色い声を上げながら、隊列の方に走っていく。護衛が一瞬動きかけたが、王女自身が手を上げて、それを受け入れた。そして手を取って跳ね、笑い、距離を詰める。
 王女の顔ではない。
 周囲もそれを咎めない。誰も止めない。王女の象徴である巨大鳥も歓迎するように、光をはじく黄色の翼を広げた。それが自然であるかのように、空気が流れていく。
 ユバの人間たちは、それを見て笑っていた。おかしいとも、不敬とも思っていない顔だった。
 反乱軍参加者を多数輩出したユバとはどんな魔窟かと想像した中に、こんな事態は夢にも思わない。
 内戦後の配置で初めて王女の視察に抜粋されたらしい記録官の方がむしろ、戸惑いの表情で対応しあぐねた。本人には申し訳ないことだがそれが滑稽に見え、ますます空気を弛緩させていた。
 理解できないまま、その光景を受け止める。ここでは、それが普通らしい。
 座りの悪さを覚える事実だけが残る、

 警戒対象の男は、人の群れの中にいた。
 目立たない普段着で、特別な装いもない。左眉目に傷こそあるが、戦を抱えていたこの国でそこまで珍しいわけでもなく、どこにでもいそうな風体。声を張ってるわけでもない。
 だが、なぜか視界に残る。
 なぜかを言葉にするのが難しかった。中心にいるわけではない。しかし周囲の人間の動きが、わずかにその男を基準にしているように見えた。
 誰かが何かを確認するとき、自然とその方向を向く。話しかけるときの距離感が、他の人間に対するそれと違う。直接向かっていない。しかし、基準になっていて、ただの若造ではないとわかった。判断したというより、見続けた身体で察した。
 その男が笑った。
 隣の男が何かを云って、肩の力を抜いたまま笑い返した。特別な顔ではなかった。
 その瞬間、心にざらついたものが沸き立った。
 ――なんで笑ってる。
 感情として出てきた言葉はそれだった。
 つい数日前まで、あの戦いがあった。
 内戦の最中、あの男が率いた軍勢が何をしたか。アルバーナを破壊して。傷が残ってるやつもいる。死んでしまったやつも。
 どれだけの混乱を生んだか。
 覚えている者は、まだたくさんいるというのに。それを思えば、笑っていい側の人間じゃないはずだ。
 視線が鋭くなる。だが男は気づかない。あるいは、気にしていない。変わらず、そこにいる。
 その在り方が、さらに癪に障る。悪びれもしない自然さに苛立つ。
 内戦の記憶と、記録と、目の前の姿が噛み合わない。だが、周囲の人間はそれを咎めない。誰も不自然に扱わない。

 やがて、町中を歩いていた王女がやってきて、足を止めた。
 視線を向けた方向へ、男のいる方角へ、王女が一歩踏み出しかけた。
 思わず身を固くした。
 守られる側が、距離を詰めている。手順として、感覚として、それは逆だった。護衛が動くべき状況だった。
 しかし、王女の超カルガモが先に近づいた。嘴を摺り寄せるようにして、男の前に立った。
 あの鳥は、王女の傍にある脅威に敏感なはずだった。
 それが、警戒を示さない。
 その事実が、自分の判断の根拠を静かに崩した。
 超カルガモを挟んで、二人が向き合う。距離はあるはずなのに、妙に近い。
 王女に対して、あの男も動じていなかった。恐縮でも媚びでもなく、ただ、そこに立っていた。王女の方も、それを求めていない顔だった。
 さらには何故か王女の列に付いてきていたラクダがゆったりと壁になった。しかし、それも誰も制御しないままだ。こちらに声は届かない。何をしゃべっているのかは不明だ。
 だが、動きだけで異様さが伝わる。一度は王女の方が超カルガモの境界線を飛び越えそうなそぶりを見せて、あってならないことにどう処理すべきか判断が鈍くなりそうだ。
 二人のあいだに、緊張がない。対立もない。上下もない。
 説明できない対等さ、とでも言うしかなかった。
(……なんなんだ、あれは)
 内心で零れる。嫌悪の形が崩れていく。維持しようとして、できなかった。どこへ向けたらいいか分からないものが残って、理解できないものへの困惑に変わる。

 夕刻、焚き火の広場。
 王女は人の輪の中心にいる。笑い、話し、同じ器から食べている。護衛の配置は維持されているが、空気はどこまでも柔らかい。
 その外縁に、男がいる。
 別の会話をしながら、輪の中心には入らない。だが完全に離れているわけでもない。声は聞こえなかったが、指で何かを示すような動きがあった。段取りか、物資の話か、そういう種類の会話に見えた。
 交わっていないのに、同じ場にいる。
 誰もそれを不自然に扱わない。
 観察を続ける。男は何もしていない。扇動するわけでも、声を上げるわけでもなかった。しかし人が、自然にその方向を向いた。話しかけに行く者がいた。頷かれると、満足そうに戻っていく者がいた。何もしないのに、影響がある。
 胸の中に残るのは、もう「気に食わない」という単純な不快ではなかった。それよりも、もっと据わりの悪い言葉だった。
 判断できない。

 翌朝、出発の準備が整う。
 警戒対象――不在。
 広場にも、出口の方にも、見当たらなかった。見送りに来ていなかった。
 普通ならあり得ない行動だ。王女の視察に際して、関係者が不在で終わるというのは、礼を欠く。そういう判断が働いて当然だった。
 だが王女は何も言わなかった。探さない。足を止めない。出発の支度をそのまま進め、そのまま隊列は動き出す。
 そこで、理解がひとつ落ちる。
 来ないことが前提の関係。
 完全に納得したわけではない。だが、否定もできない理解としてゆっくりと落ちてきた。
 砂を踏む足音の中、ふと空を見上げる。鳶が高く、円を描いていた。その姿を追いながら、思う。
(王女が、ああいう顔をする相手か……)
 嫌悪は消えていない。だが、答えは出ないまま、それでも一部をどこか受け入れている自分がいる。
 青い空に鳶は旋回を続けていた。

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